第2話「猟犬と狩人」

 その日は朝から、アーケンはいそがしかった。

 昨夜の事件で勇者を仕留しとめてから、あまり寝ていない。王宮の騎士や衛士えいし達が現場にやってきた頃には、全てが決着していたが。

 むしろ、血塗ちまみれの家屋かおくとアーケンとを見て、彼等は大騒ぎした。


「クソッ、あの連中……いつも後から来てああだこうだと」


 アーケンは今、ミラルダ王国の王宮にいた。

 侍女じじょ文官ぶんかんが行き来するのが、敷地の隅にあるこの建物からも見える。窓の外は小春日和こはるびよりで、冬将軍の訪れを前に最後の陽光が暖かそうだ。

 だが、残念ながらここではアーケンは日陰者ひかげものだ。

 そして、となりには怖い怖い御同輩ごどうはいが睨んでくる。


「アーケン! 外ばかり見ていないで、手を動かして頂戴ちょうだい

「なあ、リーアム。この手の書類が俺は」

「この手の書類? あんたが書く書類なんて、一種類しかないでしょ。それは?」

「……始末書しまつしょです」

「昨夜、勇者を……風刃の勇者ザ・ストームリッパー輪切わぎりにしたのは?」

「……俺です」

「よろしい。じゃ、書くのを続けて」


 どういう訳か、普段の職務ではリーアムに頭が上がらない。

 机仕事のたぐいは書類に限らず苦手だ。

 だが、ジトリとリーアムがすがめるので、渋々しぶしぶ手を動かす。


「ええと、排除対象は……風刃の勇者? それが奴の勇銘ブレイブタグか」

「そ。記録されてるだけで百人は殺してるわ。……しかも、無力な一般市民ばかりね」

「そいつはクソッタレだな、せいせいした気分だ」

「同感ね。けど、そのクソッタレをクソごと床にぶちけちゃったのは誰かしら?」

「……すんません」


 リーアムはほどよく肉質感に満ち満ちたあしを、目の前で組みえる。アーケンの机に座って腕組みしながら、誤字がどうとか、ゼロを右端でそろえろとか小うるさい。

 今日はまた一段と機嫌が悪く、今も指でトントンとリズミカルに机を叩いている。

 花の王宮でも場末の部署だが、リーアムの美貌はどんな寵姫ちょうきよりも可憐かれん凛々りりしい。露出の激しい肌は瑞々みずみずしく、起伏にメリハリのある肉体は女性らしさにあふれていた。それでいて、ヘソまで丸出しな腹筋は綺麗に割れているし、くびれた柳腰やなぎごしやその下のヒップラインも健康美そのものである。

 もっとも、その性格は淑女レディとは程遠いが。


「ねえ、アーケン……例の風刃の勇者、刻印こくいんを探すのが大変だったわ」

「でも、見つかったろ? 勇者なら、身体のどこかに刻印があるからな」

「ええ……衛士達と徹夜で死体を仕分けして、明け方にやっと。わかる? 夜通し肉と骨になっちゃった血塗れの死体を検分する気持ち」

「知りたくないねえ」


 神に選ばれし者、

 驚異的な身体能力を持ち、その上で一人一人が個々に独自の異能いのうを持つ。その能力から名付けられた二つ名が勇銘だ。

 そして、勇者にはもう一つ独特な特徴がある。

 それが、身体の何処かにある刻印なのだ。

 勇者として生きる限り、この刻印ははだから消えはしない。そして、これが勇者の力のみなもとであり、異世界より来訪する異邦人エトランゼあかしなのだった。

 リーアムに教えられて、刻印の位置と形を始末書に書き込む。

 二人の間に声が割って入ったのは、そんな時だった。


「リーアム、あまりダーリンをいじめないでくれるかしら?」


 妙に女臭おんなくさい、妙齢みょうれいを過ぎた女の色気が漂う。

 だが、二人の他に今、特務勇殺機関とくむゆうさつきかんブレイブレイカーズのしょに人はいない。多くのメンバーは今も、各国を飛び回っている。アーケンとリーアムもまた、このミラルダ王国に常駐すべくやってきた派遣執行官はけんしっこうかんだった。

 ブレイブレイカーズは、公的な記録に残らぬ秘匿機関ひとくきかんだ。

 闇から闇へと、影の中を戦い抜き、死ねば墓も葬式もない。

 そんな派遣執行官達は、各々に勇者の刻印とは別の力を持っている。今、アーケンを擁護ようごしてくれる声も、その一つだ。


「ねえ、リーアム。がそう焦るもんじゃないわ、がっついて見えるわよ?」

「だっ、だだだだ、誰が生娘きむすめよ! ちょっと、ダレクセイド!」

「あら、本当に処女だったの? ふふ、でもいいじゃない。純潔を後生大事ごしょうだいじに守ってるなんて、今時ありえなくて素敵すてきよ?」

「ま、まあね! そうよ、あたしは清らかな身体なんだもの。あら、ダレクセイド……そう言えば随分ずいぶん汚れてるわね。あとであたしが綺麗にいてあげる。ワックスもね」


 チョロい。

 この女、チョロ過ぎる。

 だが、アーケンは相棒をコロコロ転がす自分の武器を手繰たぐせる。それは、机に立てかけてある一振りの剣だ。

 剣自体は、派遣されてきた日に買った安物のナマクラだ。

 だが、精緻せいち宝石細工ほうせきざいくが踊る黒いさやは、異様な迫力と気品に満ちていた。

 これこそが、魔鞘ましょうダレクセイド……アーケンのもう一人の相棒だ。


「そんなに汚れてるか? ……まあ、あとでみがいてやるか」

「あら、アーケン。嬉しいわね……小娘より貴方あなたにシュッシュして欲しいもの。ね、得意でしょう? 男の子なんだもの、一心不乱にシュッシュ、シュッシュって」

「黙れ、エロ鞘」

「あらぁん、エロってかんむりつけるなら……鞘、じゃなくてとかとか、どうかしら?」


 時々アーケンは本気で思う。ダレクセイドは呪われたアイテムではないだろうか、と。成年用の絵草紙えっちなほんに登場する熟年じゅくねんマダムのように、露骨で下品な下ネタが大好きなのだ。

 だが、いざという時に頼りになるのも事実である。

 そんなこんなで、二人と一本が犬も食わない与太話よたばなしをしていると……不意に、詰め所へ来客が訪れる。

 渋い顔をしているのは、衛士を数名連れたこの国の大臣だ。


「あら、大臣さんじゃない」

「だな」

「相変わらず辛気臭い顔ねぇ……とっくに赤玉って感じ?」

「おい馬鹿やめろ、聞こえるだろ」

「そうね、真実は時として残酷だわ。あ、リーアム? 赤玉っていうのは男が雄としての生殖機能を失って――」


 ゴホン! と大臣の咳払せきばらいが一つ。

 ダレクセイドを黙らせつつ、アーケンは椅子から立ち上がった。リーアムも机を飛び降りると、二人で並んで身を正す。

 神経質そうなせた大臣は、白髪しらが交じりの頭に青筋を立てて叫び出す。


「また昨夜も貴様達かっ! 確かに勇者は危険な存在、しかしあれは人の死に方ではない!」


 始まった、と心の中でアーケンは溜息ためいきこぼす。

 すぐにリーアムが「お言葉ですが」と口をはさむ。

 だが、彼女はチョロいうえにあきらめがいい。

 まゆを吊り上げた大臣の顔を見て、それ以上は言わなかった。


鬼畜きちくにも等しい異界人いかいじんとはいえ、勇者達は皆が救国きゅうこくの英雄! せめて最期さいごくらいは――」


 その時だった。

 不意に詰め所の奥の扉が開く。

 そして、アーケンの直属の上司が現れた。

 典雅てんがな声は姫君のようだが、強い口調の女だった。


「大臣、それくらいにしていただきたい。二人はよくやっている……この国に来てほふった勇者はもう、百や二百ではないのです」


 その女性は、酷く小さな矮躯わいくだ。

 少女、いや、幼女とさえ言ってもいい。しかし、そのあどけなさを残す表情は今、けいと輝く双眸そうぼうが憎しみを燃やしていた。

 特務勇殺機関ブレイブレイカーズ、ミラルダ王国支部長……名は、マーヤ。

 アーケンやリーアムがそうであるように、

 勇者を殺すための殺戮装置さつりくそうちとなった瞬間から、皆が家族を捨てたのだ。

 あるいは、アーケンのように捨てる家をすでに持たぬか。


「我々ブレイブレイカーズは、迅速じんそくかつ丁寧ていねいに……そう、念には念を入れて勇者を駆逐くちく殲滅せんめつするための機関です。そのことは入国時に申し上げたはずですが?」

「貴様っ、マーヤ! ……戦いには貴賤きせんというものがある。それを」

「僭越ながら、大臣。貴賤? 正々堂々、正面から尊厳をもって殺せと?」

「あるいは、言葉とて通じるのだ……説得がまずは先であろう」


 だが、大臣の言葉にマーヤは鼻で笑った。

 それで大臣は、顔まで真っ赤にで上がってしまった。


「いや、失礼! 残念ながら大臣……勇者とはすなわち、神が与えたもうた奇跡の力そのものです。力は力でしかなく、それを向けられる相手が魔王から我々人間になった……そう、奴等は人間を食う悪鬼あっきも同然です」

「しかしだな、国民感情というものもある!」

「ですから、騎士団と衛士隊に御足労ごそくろう願っているのです。勇者と戦うのは、あくまでも我々ブレイブレイカーズ。後処理はお頼み申し上げますよ、と……再三再四さいさんさいし、お願いしてるのですが? そう、まだ……お願いしてる段階ですので」


 流石さすがの大臣も黙った。

 十歳かそこいらにしか見えないマーヤに、気圧けおされたのだ。

 そして、マーヤは長い長い黒髪を揺らしてアーケン達に向き直る。


「仕事だ、猟犬共りょうけんども……すぐに北へ向かってもらう。海沿いの国境こっきょうに、ガレーメンという港町がある。獲物は、閃速の勇者ジ・インパルスエッジだ」


 それだけ言うと、必要な書類を置いてマーヤは去ってゆく。

 だが、彼女は「おお、そうだ」と肩越しに振り返った。


「お前達が昨夜救出した少女は、無事に孤児院こじいんへ引き取らせた。……言葉を失っているそうだ。一言もしゃべれん。これが勇者というイキモノの所業しょぎょうだ。あとはわかるな? アーケン。そして、リーアム」

「……了解だ、マーヤ」

「ただただ奪うだけの連中から、唯一命だけを奪う。それがあたし達ですから」


 大臣だけが呆気あっけにとられている。

 そして、フンと笑ってマーヤは自分の執務室しつむしつへ戻ってしまった。

 マーヤは不思議な人物で、その素性は誰も知らない。ブレイブレイカーズの幹部なのだが、各国の要人ようじん王侯貴族おうこうきぞくから傑物けつぶつが集まる中、彼女だけが生い立ちから何から謎に包まれているのだ。

 だが、それはすね傷持きずもつアーケン達も一緒だ。

 優れた狩人ハンターが飼い主である限り、猟犬ハウンドは放たれる先で牙をく。

 今まさに、勇者と言うなの獰猛どうもうけだものを狩るべく……二匹の猟犬が解き放たれようとしていた。

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