第14話「闇にまどろむ」

 闇への落下と、衝撃。

 咄嗟とっさにアーケンは、ジャンヌを庇った。何も見えない中で、感覚をましてジャンヌを抱き寄せる。神速の剣技を誇る閃速の勇者ジ・インパルスエッジも、突然のことで驚いているようだった。

 柔らかな体温と優しい匂いを胸に抱き、そしてインパクト。

 落下の衝撃でアーケンの意識は暗転していった。


(ジャンヌは、無事か……?)


 無意識の中で、鍛え抜かれた心身がアーケンにダメージをチェックさせる。にぶい痛みを感じたが、それが唯一の現実世界との繋がり。

 そして、どこが痛むのか、どういう痛みかがわからない。

 ただただ暗闇の中で、アーケンは覚醒を祈る。 

 だが、待っていたのは現実世界への復帰ではなかった。

 突然、闇の中に光が差す。

 そこに浮かぶ人影は、長い長い銀髪の女性だ。


『おやおや、こんなところに隠し扉か。ふむ』


 その女性は、幼少期のアーケンが隠れてへたりこんだ部屋へやってきた。

 彼女が本棚ごと扉を開ききると、濃密な血の臭いが漂う。


『せめてもと思って駆けつけたが、運がなかったな。勇者にモラルを求めるなど、絶望的に愚かな所業しょぎょうとしか思えぬし……君の家族はとりあえず、私が責任を持ってとむらおう』


 女性はマーヤとだけ名乗った。

 そして、自分もまた勇者だと告げたのである。

 勇銘ブレイブタグは、零刻の勇者ザ・タイムスライダー……時間を自在に操るという。

 だが、その時のアーケンは血の涙にれていた。

 真っ赤な血でうるんだ瞳に、両親の非業ひごうの死を焼き付けていたから。


『おやおや、怖い目だ。……くやしいか、小僧こぞう


 マーヤはなんの警戒心もなく、アーケンに近寄ってくる。

 憤怒ふんぬ憎悪ぞうおで今、幼い心は崩壊寸前だった。思考が結べず、自我も理性も黒く塗り潰されてゆく……全てが今、怨嗟えんさの炎で灰になってゆく。

 だが、燃えるように熱い身体が動かない。

 怒りに憤る我が身は、勇者の恐ろしさにすくんでいた。

 勇者、それは異世界より転生させられた異能の超人。魔王が率いた闇の軍勢と、唯一五角以上に戦える戦士達である。

 ――、という過去形が正しい。

 勇者は常に特権を振りかざし、魔王と戦いながらも民から全てを奪っていったのだ。

 恐懼きょうく激昂げきこうの間で、アーケンは震えるしかできないでいた。


『ほう? 私の強さがわかるようだな。半狂乱で襲い掛かってくるのではと思ったが……ほら、これを返しておくよ。魔剣は持ち去られたようだが、それも大事な物だろう』


 マーヤが放ってきたのは、父が使っていた魔剣のさやだ。

 父は母を背にかばいながら、抜刀と同時にこの鞘を捨てた。それを勇者は、勝って剣を収める鞘を捨てるなど、と笑った。

 だが、父は捨てたのではない。

 たくしたのだ。

 魔剣と同等の力を持つ、魔鞘ましょうダレクセイドを。

 ダレクセイドは、アーケンの手の中で悔しげにつぶやいた。


『あたくしの夫が……魔剣ロンダルギアが、持ち去られたわ。震えてる場合じゃないでしょ、ほら! 立って! あんた、父親に……母親に、恥ずかしくないの!』


 震える足で、ダレクセイドをつえにするようにして立ち上がる。

 それをマーヤは、じっと見詰めていた。

 手の中でダレクセイドが告げてくる。

 両親のかたきを討てと。

 異世界よりもたらされた災厄を、この世界の人間として叩き潰せと。

 それは、恐らくアーケンにしかできない。

 


『立ったな、小僧。……勇者が憎いか? 私のような人間が憎いか!』


 大きくうなずく。

 まだ、手は震えている。

 その震えを追い払うように、ダレクセイドを強く強く握った。

 徐々に記憶が遠ざかり、アーケンの意識が年月を飛び越える。

 マーヤはあの日確かに、自分に手を伸べこう言ってくれた。

 それをはっきり思い出す。


『ならば私がお前をきたえてやろう。私は今、とある組織を作るために人材を集めている。どの道お前はもう、日の当たる場所でなど生きてはゆけない。だが……闇にひそんで影となり、陽だまりを守る男にはなれるだろう。さあ、どうする?』


 答えは決まっていた。

 そして、今も変わらない。


「俺は……強く、なる。マーヤ……俺は、必ず、強く……はっ! ……夢、か」

「気が付きましたか? アーケン」


 目が覚めると、ジャンヌの顔が真上からのぞき込んでくる。

 どうやら彼女のひざまくらに、気を失っていたらしい。

 身を起こそうとしたが、あしに激痛が走った。


「動かないでください、アーケン。その、折れてます……処置はしましたが」

「ジャンヌが?」

「ええ……ここは皆の救出を待ちましょう。大丈夫です、きっとリーアム達がすぐ助けにきてくれます」


 見れば、右脚が膝から下で固定されている。

 添え木をした上で、ジャンヌのマントの切れ端できつく縛られていた。

 そして、膝の上から見上げるジャンヌは、心配そうにアーケンを見詰めてくる。


「……借りが、できたな」

「いえ、アーケンはわたくしを守ろうとして……そうでしょう?」

「ふん、気のせいだ」

「そうでしょうか、ふふ」

「……笑うな」

「でも、少しおかしくて」


 そう言ってジャンヌは、初めて見せる笑顔でアーケンの髪をでた。


「身動きできない貴方あなたに、こんなことを言うわたくしを許して下さい。……丁度ちょうど息子が生きていれば、貴方と同じくらいの歳でしょうに」

「……勇者に殺されたのか?」

「いえ、モンスターに……恐るべき魔物から、あの子を守ってやれなかった。あの子を守った夫と一緒に、闇の軍勢に殺されたのです」


 いったい、この世の地獄はいつ終わるのだろう?

 魔王が支配した暗黒時代が、さらなる闇をこの世界に招いてしまったのだ。それすら神の意志なのか、それとも神の悪戯いたずらか……魔物を駆逐くちくするために、さらなる魔が異世界より転生してきた。

 それが、勇者。

 魔王を恐れるあまり、多くの国が勇者に特権を認めた。

 今はそれが暴走して、守るべき民を殺戮し、あらいざらいを略奪させている。


「……俺はお前の息子ではないし、お前も俺の母親ではない」

「そうですね、ごめんなさい……つい」

「だが、無関係という訳ではない。……すまないと思っている」

「怪我のことなら、お礼を言うのはわたくしです! そ、そうです、アーケン。すまない、ではありません。こういう時は、ありがとう……感謝の言葉ですよ」

「そうか。ありがとう、ジャンヌ」

「どういたしまして」


 そんなやり取りの中で、ジャンヌはまた笑う。

 りんとした麗人れいじんの中から、家庭的な母親の表情が現れていた。

 そして、それを見上げているとアーケンの心も幾分安らいでくる。

 だが、ここはモンスターが跳梁跋扈ちょうりょうばっこする危険な古城こじょうだ。地下があったとは知らなかったが、周囲が築城時に作られた構造物ならば、上へ戻る階段を探さなければいけない。


「さて、そろそろ行くか」

「えっ? アーケン、脚が……」

「問題ない。


 それだけ言うと、アーケンは身を起こす。

 そして、骨折したはずの脚から添え木を外した。

 そのまま、具合を確かめるように地面を二度三度とんでる。それで気付いたが、石畳で整理されたこの周囲は、恐らく地下牢などに使われていた場所だ。

 全く問題なく二本の脚で立つアーケンを、ジャンヌはまばたきすら忘れて見詰めるだけだ。


「……あの、脚の怪我は」

「見ての通りだ、治った」

「それが、アーケンの勇者としての力なのですか? 刻印こくいんの力」

「いや……俺は刻印を持たぬ人間、勇者ではない。……勇者であってなるものか」

「そう、ですよね」

「いや、ジャンヌ。お前は別だ。さ、上への階段を探そう」


 次第に周囲の闇にも目が慣れてきた。

 モンスターが襲ってこなかったことは、不幸中の幸いだ。

 そして、眠っている間も周囲を警戒してくれたダレクセイドが、からかうように声をはずませてくる。しゃべる鞘の存在に、ジャンヌは何度目であろうと驚いたようだった。


「ねえ、ダーリン? 昔の夢、見てたでしょ。マーヤの名を呼んでたわ」

「……リーアムには黙ってろよ」

「どーしようかしらー? でも、なつかしいわね。あの時、マーヤと会ってからもう十年」

「まだ十年だ」

「あの女は、何をたくらんでるのかしら。ダーリンやリーアムのような人間を集めて」

「決まっている。勇者を皆殺しにする、それだけだ」


 二人の会話を聞きながら、ジャンヌは温かな眼差しでアーケンに付いてきた。

 崩れて廃墟と化した地下は手酷てひどれていて、自然とアーケンは手を伸べジャンヌをエスコートする。華奢きゃしゃですべやかなジャンヌの手は、やはり母の思い出を想起させた。

 極力そのことを胸の奥に沈めながら、アーケンは暗がりの中で前だけを向いて歩いた。

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