第27話「そして聖女は伝説になる」

 一つの戦いが終わった。

 アーケンは今、旅装りょそうを整え馬車の待つ場所へ急ぐ。

 中央へと帰る便は、一日に一本しかない。

 ゆっくりと歩くアーケンは、それでも遅れがちになる相棒を振り返った。


「大丈夫か、リーアム」


 リーアムは少し脚を引きずっているが、いつもの勝ち気な笑みを浮かべていた。


「あたしを誰だと思ってんのよ。へーきよ、へーき!」

「そうか。どれ」

「あっ……別に、いいのに」


 リーアムの手から荷物を取り上げ、アーケンは彼女が並ぶのを待って歩き出す。先程よりさらにゆっくり、歩調を重ね合うようにして寄り添う。

 リーアムはふくれっ面でくちびるとがらせているが、何も言わなかった。

 ただ、少しずつアーケンへと、寄り掛かるように歩いた。


「何だ? リーアム、やはり脚がつらいのではないか?」

「別に……そ、それよりさ。あたし、変な夢をみたわ」

「夢? 何だ、やぶからぼうに」

「昨日、炎の中で気を失って……その時の、怖い夢」


 妙に深刻な顔を作って、前だけを見てリーアムは歩く。


「アーケンがね、遠くに行っちゃうの。そして……

「リーアム、お前……」

「凄く、怖かった。だって……まるで本当の出来事みたいだったから」


 空っぽのままの魔鞘ましょうダレクセイドが、何かを言おうとした。

 だが、手を当てアーケンは黙らせる。

 リーアムはまだ、アーケンの正体を知らない。アーケンが魔族と人間の混血児こんけつじ、それも魔王の息子だという真実はマーヤしか知らないのだ。そして、マーヤの他に知ってしまった人間は、全てはかの下である。

 だが、時々リーアムは不思議な鋭さを発揮することがあった。

 彼女は直感で、アーケンが普通の人間ではないことを知っているのかもしれない。


「……それで、夢の中でお前はどうした?」

「ん、それがね……アーケン、スケベだと思った。えっちだぞ……アーケン」

「おい待て、会話が成立しないだろう」

「だからっ! あたしもやってたの! 魔王の手下、女幹部おんなかんぶみたいなの、やってた。すっごいきわどい服、ってかひもみたいなの着せられてた」


 マントを羽織はおっているとは言え、今のリーアムも十分にきわどい。

 へそ出しの姿は見てて寒くなるくらいだし、布一枚で包んだ胸は今にもこぼれそうだ。

 だが、魔王の城で育ったアーケンには酷く実感である。

 父の腹心の部下には、そういう露出の激しい格好を好む女が多数いた。

 一度だけ母が着せられて、顔を真っ赤にしていたのも覚えている。

 もう、戻れない日々……永遠に失われた追憶ついおくの原風景だ。


「リーアム、その夢のことだが……」

正夢まさゆめにはならないわ、きっと。絶対そうよ」

「……そうだな。お前は勇者だ、俺が魔王なら……お前が俺を倒す勇者でなければ。そうでないなら、ミスキャストもいいところだ」

「そういう意味じゃないの。アーケンが魔王なんて、絶対にない」


 断言された。

 絶対だと、リーアムは迷いなく言い放つ。

 根拠こんきょが無いのは知っているが、だからこそ不思議だ。

 彼女に合わせて歩くと、不思議と周囲の町並みもおだやかに過ぎ去ってゆく。普段とは違う空気の中で、アーケンは隣に相棒を見下ろしていた。

 リーアムは喋り続けながらも、融通のきかない脚で歩き続ける。


「アーケンみたいなのが魔王になるなら、世も末よ。前の魔王より滅茶苦茶めちゃくちゃな世界になっちゃうわ」

「……どういう意味だ」

「そのままの意味よ! アーケン、戦う以外は全く駄目でしょう? 一人じゃ何もできないんだから」

「それは、そんなことは……ま、まあ、そういう見方もできなくもないな」


 少し笑って、リーアムが見上げてくる。

 バツが悪くて、アーケンは目をらした。

 こうして二人で歩いている時、町の人達からはどう見えるのだろうか? 泣く子も黙る特務勇殺機関とくむゆうさつきかん派遣執行官はけんしっこうかんは、誰もが恐れる勇者を殺すための始末屋しまつやだ。

 だが、こうしていると普通の年頃の少年少女のように思える。

 そんな贅沢など許されないと知りつつ、今はその甘やかな空気に身を浸した。


「……んー、やっぱあたし、アーケンが魔王なら……い、いいよ?」

「何がだ」

「あんた、一人じゃ何もできないんだからさ。魔王やるなら、手伝ったげる」

「誰が魔王など……」

「まあまあ、そう言わな――っ! いたた……」


 上機嫌でしゃべっていたリーアムが、思わずうかれて踏み出した脚を痛がった。そのまま彼女は片足で飛び跳ねならが、目に涙を浮かべている。

 出血こそ止まったものの、彼女はもう少しで死ぬところだったのだ。

 怪我を押して戦ってくれた……アーケンと任務のために。

 だから、アーケンはぶっきらぼうにそっと腕を差し出す。


「……つかまってもいいぞ、リーアム」

「ほへ? ……うん、じゃあ」


 嬉しそうにはにかんで、リーアムはアーケンの腕に身を寄せた。

 そのままぶらさがるようにして、彼女は喋り続ける。

 夢の話の他、何もかもが他愛たあいのないことばかりだ。

 昨日の惨劇さんげきについては、朝食の時に報告を終えている。血が足りないからと山ほど食べるリーアムに、洗いざらい全てを語った。

 自分が魔王の息子であること以外を、喋った。

 彼女は悲し過ぎるジャンヌの末路も、逃げたサイアムのことも何も言わなかった。その上で、全てを飲み込み受け止めるように、やたらと朝食をおかわりしていた。


「ね、アーケン……王都に戻ったらさ」

「ん?」

休暇きゅうか、とったり……する?」

骨休ほねやすめもいいが、次の任務が待ってるだろう。マーヤに報告もせねばならんし」

「あ、そ……」

「お前は少し休むといい、リーアム」

「べーつにー? あたし一人で休んでもつまんないし……デスクワークぐらいならやれるわよ」


 急にリーアムが不機嫌になった。

 訳がわからない。

 とりあえず、そんな彼女に腕を抱かれたまま、馬車の待つ宿場しゅくばへとやってくる。

 そこには、ガレーメンの自警団じけいだんの男達が集まっていた。

 皆がアーケンとリーアムを見て、詰め寄ってくる。


「ああ、来たかボウズ!」

「訳がわからないんだ、教えてくれ!」

「ジャンヌ様はどうなったんだ! 昨日からずっと、お見かけしない」

「家にもいないんだよ!」


 誰もが皆、不安そうに顔を見合わせている。

 まるで、母親とはぐれた小さな幼子おさなごのようである。

 アーケンが少しだけ逡巡しゅんじゅんを見せた、その時だった。

 ゆっくり呼吸を落ち着けるように胸へ手を当て、息を吸ってリーアムが喋り出した。


「ジャンヌは死んだわ。事件の真相は、全てジャンヌが――!?」


 次の瞬間には、アーケンは彼女がしがみつく腕を引っこ抜いた。

 そのまま、彼女の頭を抱き寄せつつ、震える手で髪をでる。

 ハッとしたリーアムを黙らせつつ、その体温に甘えて強さを勝手に借りた。彼女が今、アーケンを気遣きづかってくれたから。アーケンが語らなくてもいいよう、自分で言おうとしてくれたから。

 その優しさもまた、力だ。

 強さだと思うから、勝手に拝借はいしゃくする。


「ジャンヌは俺が殺した。それは……

「ちょっと、アーケン! 違うわ、本当は」

「黙ってろ、リーアム。ジャンヌは勇者だから、俺がこの手で殺した。それだけだ」


 自警団の男達は皆、表情を失った。

 そして、次の瞬間には激昂げきこうに声を張り上げる。


「貴様ぁ! 俺達のジャンヌ様を!」

「ジャンヌ様がどれだけ、この港町のために戦ってくれたか! それを!」

薄汚うすぎたねえ始末屋め、見境みさかいなしかよ!」


 すでにもう、この男達は知っている。

 アーケンとリーアムが、特殊な機関の人間だと。

 ただ勇者だけを淡々と殺してゆく、闇の殺し屋だということを。

 だから、アーケンは汚名を着るのはなれている。

 返上し切れぬ汚名を、畏怖いふと恐怖の眼差まなざしで着せられてきた。それでジャンヌの真実がおおえるならば、安いものだ。

 アーケンは知っている……ジャンヌは弱い、ただの女だった。

 だが、このガレーメンの港町で永遠に英雄として語り継がれるだろう。

 町を守った善なる勇者として。

 彼女がそれを望まなくても、アーケンがそれを欲して求めた。


「……話は終わりか? 行こう、リーアム。すぐにも馬車が出る」

「え、ええ。でも」

「ジャンヌがこの町を守った、それは真実だ。だが、もうジャンヌはいない……俺が殺したからだ。では、お前達はどうする? モンスターから、何より勇者から……誰がこの町を守る? それをよく考えるんだな」


 ののしりなじる言葉を浴びながら、アーケンはヒョイとリーアムの細い腰を抱える。驚きのあまり真っ赤になって黙る彼女を、そのまま荷物のように馬車の荷台へ乗せた。

 自分も乗り込むと、振り返りもしない。

 馬車がゆっくり走り出すと、潮騒しおさいの街はきたならしい言葉と共に遠ざかってゆく。

 苦い想いを胸に沈めて、アーケンは大きく溜息をついた。

 こんな時に何も言わないでいてくれるのも、リーアムの優しさだと感じながら。

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