第26話「天国なんてあるのかな」

 悪の勇者は倒された。

 だが、アーケンをまだ緊張感がおおっている。

 目の前にはまだ、勇者がいた。

 夫と息子を、二度も殺されたジャンヌが。

 彼女の手には今、周囲の炎から光を集める剣が握られている。


「よせ、ジャンヌ。もう俺達は敵じゃない」


 アーケンは、自分で言ってみてむなしさに胸が痛い。

 ジャンヌとの戦いを避けるには、あまりにもアーケンは殺し過ぎた。親の敵であるサイアムが、家族を失ったジャンヌから家族の死をも奪ったのだ。

 そして、ジャンヌ自身がちらつかされた幸せに弱過ぎた。

 かつて英雄だった女は、異世界に転生してつかんだ幸せから逃れられなかったのである。

 ジャンヌの姿が不意に、輪郭りんかくにじませる。

 次の瞬間には、アーケンの目の前に彼女は立っていた。


「アーケン、これを」

「ジャンヌ!」


 閃速の勇者ジ・インパルスエッジ、ジャンヌ……その音速の動きがアーケンには見えない。

 そして、彼女は目にも留まらぬ速さで、アーケンが先程捨てた剣を拾ってきたのだ。折れた刃を握り、つかを向ける彼女の手から鮮血がほとばしる。

 アーケンは震える手で、自分の剣を受け取るしかない。

 動揺してしまってる自分が、どうしようもなく辛い。

 だが、手の中の魔鞘ましょうダレクセイドはそんな彼を励ましてくれる。


「もう炎が周り始めたわ! ダーリン、リーアムの怪我も気になる……やるしかないわよ!」

「だが」

「ダーリン、いえっ、アーケン! あんたはこれからも、サイアムを追いかける! 追い詰めて殺して、親のかたきを取る! あたくしのおっと、魔剣ロンダルギアを取り戻してくれる。そうでしょ?」

「……ああ、そうだ」


 ジャンヌから剣を受け取り、その折れた切っ先をダレクセイドにおさめる。

 周囲はますます業火ごうかが燃え盛り、くらは燃え落ちようとしていた。

 リーアムのことが気がかりだが、目の前のジャンヌから目がらせない。

 一瞬でも気を抜けば、瞬速の剣技がアーケンを切り刻むだろう。

 その証拠に、彼女の瞳には凛冽りんれつたる気迫がみなぎっていた。


「アーケン、決着をつけましょう」

「決着ならもう、ついた……お前はサイアムにだまされていたんだ」

「いえ……わたくしが自ら望んだのです。夫と息子を生き返らせたいと……わたくしが欲したのは、この町の英雄としての自分じゃない……もう、英雄なんかになりたくない。わたくしは、愛する家族との安らぎが欲しかった」

「それでもお前は、このガレーメンの町のために戦った。とうと崇高すうこうなな意志、高潔なたましいのもとに」

「……言葉で語るのはやめましょう、アーケン」


 両手で剣を構えて、ジャンヌが静かに目をつぶる。

 周囲の熱気も感じないほどの、冷たく透明な殺気がアーケンを包んだ。

 もはや激突は不可避……それを痛感する程に、ジャンヌの気持ちは揺るがない。それなのに、彼女の言葉は一人の女性としてあまりにも当たり前過ぎた。

 かつて異世界で聖女として英雄になり、魔女として焼かれたジャンヌ。

 この世界に転生して得た幸せも、アーケンの父である魔王が奪ったのだ。

 夫と息子を殺したのは、魔王が率いた闇の軍勢だったのだ。


是非ぜひもなし、か……ジャンヌ」

「ええ、アーケン。雌雄を決しましょう。あなたは勇者を狩る者、そしてわたくしは……神から刻印の力を授けられし勇者。ならば、この激突は必然」

「お前は勇者である前に、人だった。ただの弱い女だったはずだ!」

「だからです! わたくしの弱さが、今……剣を握らせているんです!」


 ジャンヌの姿がまた消えた。

 超高速で移動する彼女が、おぼろげな残像として無数に周囲を包囲する。緩急かんきゅうをつけた足さばきは、まるで分身だ。人智じんちを超えたスピードの領域から、無数の斬撃が襲い来る。

 アーケンは居合に構えて身を沈めながら、全身で刃を受け止めた。

 あっという間に皮膚が切り裂かれ、鮮血が熱した空気に吹き上がる。


「……本気で来い、ジャンヌ。そんな技では俺は死なない」

「でしょうね、アーケン。あの魔王が人間に産ませた、その力を受け継いだ人間。いいえ、あなたは人間ではないわ」

「そうだ……小細工は無用! 次の一撃で決めるっ!」


 血を吐くような言葉と共に、アーケンは全身の筋肉をバネに身を捩る。

 次の抜刀に全てをかける。

 それ以上は恐らく、肉体が持たない。

 そして、入り口をもふさいで崩れ始めた蔵の炎は、今まさにリーアムをも飲み込もうとしていた。

 もはや殺すしかない。

 勇者を殺すのを躊躇ちゅうちょするなど、初めてだ。

 だが、現実を前にアーケンは決断する。

 自分が特務勇殺機関とくむゆうさつきかんブレイブレイカーズの派遣執行官はけんしっこうかんであることを、思い出す。

 その覚悟と決意も新たに、必殺の一撃を念じて目を閉じる。

 視界をやみに閉ざして、耳で聴いて肌でジャンヌの気配を拾う。


「終わりです、アーケンッ!」

「見えたっ! ジャンヌッ!」


 勝負は一瞬だった。

 そして、そこに勝利と敗北はなかった。

 ダレクセイドが精製した氷の剣が、ジャンヌの胸を深々とつらぬく。

 その時にはもう、彼女は剣を手放していた。

 殺気を忘れて、聖女のように微笑ほほえんでいた。

 その優しげな笑みに、アーケンは目を見開く。


「ジャンヌッ! 何故なぜだ!」

「……これで、いいのです。ごめんなさい……アーケン。わたくしは、弱い、女です」

「どうして……今、本気なら俺は一瞬で絶命していたはずだ!」

「ずっと、苦しかった……己の女としての、欲。再び家族と静かに、暮らしたい……そんな想いを隠し、サイアムの陰謀に身をささげた。この町の人達を、騙してた」


 ピシピシと音を立てて、絶対零度の刃が彼女を傷口から凍らせてゆく。

 猛烈な熱気の中で、容赦なくダレクセイドの生んだ剣がジャンヌの体温を奪っていった。彼女は血を吐き崩れ落ちながら、アーケンを見上げておだやかに笑う。


「さあ、アーケン……行って、ください。これで……わたくしは、ベオウルフと、ロトと一緒です。ずっと、一緒」

「死ねば終わりだ、ジャンヌッ! ……俺に、殺させたんだな、ジャンヌ」

「あなたと過ごした、短い時間……まるで、成長した、息子と、いる、みたいで」

「……俺もだ、ジャンヌ。亡き母の日々を、この冷たい身体にお前は思い出させてくれたんだ」


 アーケンの言葉に、ジャンヌは小さくうなずいた。


「アーケン……覚えていて、ください。わたくしの夫と息子を、最初に奪ったのは……魔王と、その軍勢」

「ああ」

「でも、その魔王ですら、人を愛した。愛を知った。だから、あなたが、うっ! はぁ……あなたが、産まれたのです」

「ジャンヌ、もういい。しゃべるな!」

「行って、ください……アーケン。わたくしは、もう……どこにも、行きません。家族三人で……」

「……ああ、わかった。ジャンヌ、お前は三人で行くがいい」

「行く? ん、ああ……ど、どこに」


 それだけ言って、急いでアーケンはリーアムの無事を確認する。

 彼女を抱き上げ、きつくしばった止血の布を少しゆるめた。

 すでに蔵の中は火の海で、その中でジャンヌが微笑んでいる。

 彼女は皮肉にも、以前いた異世界と同じく……炎に焼かれて死んでゆくのだ。

 だが、その表情は驚くほどに優しい。


「また、炎……火に焼かれて……でも、ふふ。もう、どこにも……天国に、しか、行かない……そうでしょう? アーケン」

「……ああ。さらばだ、ジャンヌ」

「ありがとう、アーケン……優しい、嘘、です。わたくし、もう知ってるんです……天国なんて、なかった。あの日、火あぶりにされて……この世界へと、転生、したの、だから」

「なら、俺がこの世を天国にしてみせる。魔物も勇者も駆逐くちくして、平和な世界にな」

「また、嘘。でも……本当に、ありが、と――」


 限界だった。

 アーケンはリーアムを守りながら、烈火のごとく燃え盛る中を駆け抜ける。

 神など信じてはいない。

 だから、……それを誰よりも痛感している。

 だが、ジャンヌのような女性が天国に行けない、それがこの世の地獄とでも言うべき世界の真実だ。彼女はこの町の民を騙し、サイアムの邪悪な実験に自ら参加した。

 それでも……愛を求めて愛に飢え、その中でアーケンを息子のように思ってくれたのだ。

 外へと転げ出て振り返る。

 音を立てて崩れ落ちる蔵に、周囲で町の者達が騒がしくなっていった。


「ジャンヌ……お前は天国へ行くさ。例え天国がなくてもな」


 アーケンの胸の中で、リーアムの身体だけが温かい。

 確かな重みで今、生還を実感させてくれる。

 そして、アーケンは信じることにした。

 天国をではない。

 神などハナから信じていない。

 それでも……一人の女勇者が、幸せを求める中で犯したあやまちが、いつかどこかで許されると。そうであってほしいという、これは祈りにも似た願いだ。

 今、勇者が跳梁跋扈ちょうりょうばっこするこの世は地獄だ。

 その地獄に居場所のなかった女が、ジャンヌである。

 だから……

 そう思うことで、アーケンは救いを求めたかった。


「終わったわね、ダーリン」

「ああ。……急ごう、リーアムの手当をしなければ」

「収穫はあったわよ。奴の名は……サイアム。それが、あたくしとダーリンの、敵」

「そうだな。だが、逃してしまった」

「追いかける限り、戦いは終わらないわよん? 追い続けて、ダーリン」

「わかってる。約束しよう」


 空のさやと話しながら、駆けつけた町の者達とれ違いにアーケンは歩く。

 満身創痍まんしんそういのその身を、誰もが驚きで振り返った。

 背中はいつまでも、一つの戦いが燃えて消える音を聴いていた。

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