第9話「悪を狩るもまた、必要悪」

 一夜が明けて、朝。

 宿屋の食堂でテーブルを囲んで、アーケンはリーアムの眠そうな顔を見詰みつめていた。彼女は今、朝食に出されたスープをちびちびとスプーンでめている。

 少し不機嫌そうなのには、これには深い訳があった。


「アーケン……ほんっ! とぉーにっ! 昨夜は何もなかったんでしょうね」

「ん? ああ、俺は何もしていない」

「どうしてっ!」

「……何かあった方がよかったのか?」

「まさか! あんたとどうにかなってたら、あたし、あたし……」


 グニャリ、と彼女の拳の中でスプーンが曲がる。

 それを再び力技で元に戻しつつ、リーアムは喋り続けた。


「あたし、今朝起きたらはだかだったわ」

「裸で寝たからだろう」

「そして、部屋にアーケンの姿はなかった」

馬小屋うまごやで寝てたが、まずかったか?」

「……本当に、昨晩は何もなかったの?」

「ああ」


 アーケンは黙ってスープを飲む。

 魚介を料理して余った部分で、だしをとった家庭料理だ。そして、申し訳程度だが海老えびかに、魚肉といったものの残りが入っている。あとは、ゴロゴロと食いごたえのある野菜が沢山浮いていた。

 程よい塩気にだしの深み、そして熱い湯気に踊る匂いがとても美味しい。

 それはリーアムも感じているようで、ジト目でアーケンを見つつも手は止めない。

 アーケンに代わってダレクセイドが口を挟んだのは、そんな時だった。


「あら、ダーリンは無実よ……だって、あたくしが昨夜は一緒だったもの」

「それは知ってるわ。あんた達、一心同体じゃん。……もっとも、ダレクセイドがアーケンの役に立ってるかどうかは疑問だけど?」

「まあ……無知って怖いわね」

「何よ、ムチムチつった? ……気にしてんだから、みんな脚がふとましいって言うから」


 無手の体術で戦うリーアムは、その全身を肉食獣のように筋肉で覆っている。それでいて、女性特有の柔らかな曲線を損なわぬ起伏美で、完璧なスタイルを維持していた。

 毎度ながらよく食べてよく飲み、そのまま寝てしまうことが多いのに、だ。

 加えて今日も、露出が激しい普段の格好である。


「……リーアム、本当に無知ねえ。ふふっ、男女のことを何も知らないのね」

「しっ、知ってるわよ!」

「あらそぉ? あたくし、昨晩はアーケンと二人きり……アーケンったら、何度も何度もぬらぬら輝く硬いそれを、あたくしの中に出してはれ、挿抜そうばつを繰り返し」

「ちょ、ちょっと! 何言ってんのよ、朝から!」


 厳密に言うと、アーケンは馬小屋で剣の手入れをしていただけだ。安物のナマクラといえども、剣士であるアーケンには大事な武器だ。

 そして、納刀するあらゆる刃よりも希少な武器……それが、魔鞘ましょうダレクセイド。

 そういえば、まだその真価をリーアムには見せていない。

 そして、それを見て生きていた人間はいないのをアーケンは思い出す。


「だっ、だいたいね、あたしだって男女のゴニョゴニョくらい知ってるわよ」

「あぁら、ほんとに? なのに?」

「うっさいわね、そもそも男女の交際っていうのは……ねえ、アーケン」


 上目遣うわめづかいに見詰めてくるリーアムの、その熱い視線をアーケンは無視した。

 少し硬めのパンを手に取り、二つに割って片方を渡してやる。

 もう片方を自分のスープに浸しつつ、彼は黙々と朝食を取った。全ては勇者を殺すため……それだけのために、エネルギーを体内に蓄えてゆく。

 リーアムも渋々パンを齧りながら、もそもそと呟いた。


「こぉ、気持ちと気持ちが通じ合って……そして、満月の夜に気分のある場所で……あたしは海がいいな。あ、ここ港町よね! あとで砂浜に行ってみましょうよ、アーケン」

「……って、言ってるけどぉ? どするの、ダーリン」

「それでね、こう……貝殻かいがらなんかを二人で拾って、潮騒しおさいの音に耳を傾けながら、そして気付けば肩なんか抱かれちゃって、そして見詰めあう中で」

「いやぁん、思ったより重症だわこの


 ダレクセイドがあきれてる中でも、リーアムはにやけながらくねくねと身を揺する。

 彼女の手の中で、硬いパンが花びらを散らすようにむしり取られていた。やがて、スープのうつわにパンくずの島ができあがる。

 それをぼんやり見ながら、彼は簡潔に言い放った。


「砂浜には行かん。行きたければリーアム、お前が一人で行け」

「えーっ! だって、ジャンヌは殺さないんでしょう?」

「……声が大きい」

「あ、ゴメン」


 周囲の視線がこちらに向いた。

 ここでは閃速の勇者ジ・インパルスエッジジャンヌは、その名の如く英雄だ。町の守護神であり、慈悲深き高潔な女性である。誰もが、普通の勇者とは違うと思っているのだ。

 そして、現時点ではアーケンもそうだと結論付けるしかできない。

 あくまで、現時点では。


「でも、アーケン! もう、この町でやることは終わったんじゃないの?」

あせるな、リーアム。ほら、俺のには海老が入っていたぞ。お前にやろう」

「またそうやって! ごまかさないで」

「これは、見たことがない貝だな。よし、これもやろう」

「ま、また、そんな……ジュルリ! ……はっ、だからねアーケン」


 はぐはぐとリーアムは、スープの中のパンくず島を崩して食べ始める。そして、アーケンが挿れてやった海老やら貝やらも頬張ほおばり、目をうるませた。頬に手を当て、味覚に広がる芳醇な海の幸を堪能している。

 それで静かになると思ったが、そうはいかない。

 そして、なおも食い下がるリーアムとは別の方向から、声が飛んできた。


「ふふ、手こずってるようですね……アーケン派遣執行官はけんしっこうかん。そして、リーアム派遣執行官」


 アーケンの背後で声が「ああ、振り返らないで」と薄い笑み。

 リーアムもその時点で、向かいに座る相棒の背中に怪しい影がよどんでいるのに気付いた。二人共、無数の勇者をほふってきた凄腕の派遣執行官である。だが、特務勇殺機関とくむゆうさつきかんブレイブレイカーズには、そうした達人クラスの人間がゴマンといるのだ。

 二人に気配を気取らせず、背後の席に座った男が喋り続ける。

 その言葉を、背と背を向けあったままアーケンは聞いた。


「まず、初めに……私は敵ではありません。ブレイブレイカーズの各支部を回りながら、任務の調整にあたっている者です。そうですね……とりあえず、スエインとお呼び下さい」


 酷く冷たい、抑揚よくように欠いた男の声だ。

 スエインは事務的に喋る中で、時折笑みを交えてくるが……その本心が全く伝わってこない。ただ、アーケンは直感で感じていた。

 この男は、自分やリーアムより強いかもしれない。

 そして、二人が力を合わせても、スエインを倒すのは難しいだろう。

 それだけの気配が背中にあって、まるでアーケンは動けなかった。


「閃速の勇者ジャンヌ……そちらでも調べた通り、一概いちがいに害悪と言い切れぬ勇者ですねえ? これは困った、うんうん困った」

「俺は……現状維持のままで、監視の人員をおくだけでいいと思うが」

「いやいや、それはないでしょう。ありえません!」


 どこか道化どうけじみた声が、僅かに感情を帯びる。

 目でリーアムを制して、アーケンは背中越しの会話を続けた。


「ジャンヌに民と国への反抗の意思が見られない。そればかりか、彼女は刻印こくいんの力でこのガレーメンの港町を守っている。よって、刻印の抹消すらも必要ない筈だ」

「おやおや……ブレイブレイカーズきっての危険な男、あのアーケン派遣執行官ともあろうものが。おかしいですねえ? 君、忘れちゃったんですか?」


 水を飲んだのか、グラスが置かれた音がした。

 そして、背後の声は愉快そうに身を揺する。

 不快感を感じる笑みだ。


「いけませんねえ……いいですか? 。反抗の意思がない? チャンスでしょお! ならば今! 歯向かう意志がないうちに! 速やかに、これを排撃はいげき! 撃滅げきめつするのです!」

「……それはブレイブレイカーズの、組織の総意か?」

「そう取ってもらっても構いません。勇者はこれをすみやかに駆逐くちく殲滅せんめつする……そのための特務勇殺機関ブレイブレイカーズですから」


 その時、我慢できなかったのかリーアムが立ち上がった。

 彼女はバン! とテーブルを叩いて、店内の視線をあらいざらい吸い上げる。


「ちょっと、黙って聞いてればあんたっ! それじゃあ……それじゃあ、あたし達も勇者と同じじゃない! ただ無差別に殺して! 訳もなく殺して! そこにいたというだけで殺す! 正に、この世から排除すべき、悪の勇者そのものよ」


 だが、リーアムの凛とした声を薄ら笑いが跳ね返す。

 スエインはのどの奥で笑っていた。

 アーケンには、そのにやけた顔が見て取れるような気がした。


「同じも何も、そのものでしょう? リーアム派遣執行官……貴女あなた、勇者でしょう? 勇者を狩る勇者ザ・ブレイブスレイヤー……私達ブレイブレイカーズが、最後に狩るべき勇者。それまで、勇者対策の切り札ジョーカーとして飼ってあげてるんです。猟犬りょうけんである自分の立場、これはわきまえてもらわないと」

「クッ、あたしは違うっ! 違うわ……あんな連中と一緒にしないで」

「では、その胸の刻印を差し出しますか? それは困りますねえ! 勇者の刻印の力を打ち消す、最強の刻印の力! これは私達ブレイブレイカーズに必要です!」


 歯を食いしばるリーアムに、アーケンは無言の眼差まなざしで着席を促した。

 そして……秘められた憎悪ぞうおを解放する。

 胸の奥でくすぶ怨嗟えんさの炎を、そのまま声に乗せて叩き付ける。


「そこまでにしてもらおうか。俺の相棒は勇者狩りの道具ではない。俺達を猟犬と呼んでいい狩人は……マーヤ支部長だけだ」

「ああ、あのロリババア! どうやって貴方あなたしつけたんでしょうねえ? 誰もが手駒にできなかった、あのアーケン……恐るべき血をその身に宿した――」


 思わずアーケンは目を見開いた。

 握る拳の中に、怒りを凝縮して爪が食い込む。

 だが、それは突然の悲鳴でされた。

 外から、若い女の絶叫が再び響く。それだけではない、老若男女ろうにゃくなんにょの混乱した声が錯綜さくそうし、その中でアーケンは確かに聴いた。自らが法だとばかりに、傍若無人ぼうじゃくぶじんに破壊と略奪を繰り返す者の声を。

 

 そして、スエインの声が先程の冷静さを取り戻す。


「おやおや、忘れてました……いえね、ジャンヌの尻尾しっぽつかむために一計を案じてみたんですよ。この町が本当に勇者に襲われた時……彼女は町を守るでしょうか、とねえ」

「スエイン、貴様っ!」

「貴方達も駆けつけては如何です? 閃速の勇者ジャンヌでも……一度に二人の勇者を相手にするのは骨でしょうから。この辺には、ジャンヌを目のかたきにしてる勇者もいましてねえ。ちょっと誘導してやれば……クハハッ!」


 外の騒ぎが広がってゆく中で、無言でアーケンは走り出す。椅子を蹴ったリーアムが、それに倍する速度で瞬時に駆け去った。そして、往来おうらいに飛び出てすぐ……闘争の空気に乗って血の臭いが漂ってくるのだった。

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