第8話「同じ屋根の下で」

 港町ガレーメンは、それほどま大きな町ではない。宿屋の数は限られていたし、アーケンにはリーアムの選ぶセンスはだいたいわかっているつもりだ。贅沢ぜいたくはしないが、小奇麗な宿を選ぶ。

 何より、周囲に危険がなく、巻き込んでしまう市民が少ない場所を選択するのだ。

 当然、アーケンが辿り着いた宿屋にはリーアムがチェックインを済ませている。

 だが、恰幅かっぷくのいい女将おかみは鍵も渡さず部屋番号だけを告げてきた。

 ごゆっくり、と意味深な笑みをくれる。


「なるほど、部屋が一つしか空いてなかったか。さて、どうするか」


 馬小屋を借りて寝るにしろ、その前にリーアムに顔を出しておこう。そう思ってアーケンは客室へと脚を運んだ。

 外では鳥の鳴く声が遠く、夕焼けが真っ赤に燃えて窓から差し込んでいた。

 こんなにも平和な町を見るのは、アーケンにはとても珍しかった。


「リーアム、入るぞ? ……ん?」


 ノックしても返事がなかったので、ドアを開く。

 すると、すぐに足元に何かが転がってきた。

 拾い上げてみると、それは空になったワインのびんだ。そして、部屋には大きなツインのベッドが鎮座ちんざしている。さほど広くはないが、個室にシャワーがあるのはありがたい。魔法や獣油じゅうゆを使うなど、方法は様々だが湯が出るのだ。


「……つまり、こうした町の居住環境を整備するくらいには豊かということか、ガーレメンは。勇者による略奪、モンスターや野盗の被害が少ないからだろう」


 今まさに、浴室からわずかにシャワーの音が聴こえてくる。

 旅装を解きつつ、アーケンはちらりとテーブルを見やって溜息ためいきこぼした。

 そこには、リーアムがワインを飲んでいたであろうグラスがある。他には、荷物からチーズを出して食べたようだ。

 やれやれと片付けていると、背後でバン! と扉が開く音。

 振り返ったアーケンは、無表情を更に硬くしてしまった。


「……おかえり、アーケン」

「ああ、今戻った。酔っているのか?」

「べーつにー! あたし、酔ってないわ。ちょっとお酒を飲んだだけよ」

「つまり、酔ってるんだな」

「べぇぇぇつ、にぃぃぃぃ!」


 アーケンは思い出す。

 チョロい割に面倒なのが、酔っ払った時のリーアムだ。

 彼女は起伏のメリハリが見事すぎる裸体にバスタオルだけ巻いて、ずかずかと部屋の方へ戻ってきた。そして、アーケンが片付けていたテーブルから何かを掴んで差し出してくる。

 それは、新聞紙に包まれた魚のフライのようだ。

 王都おうとでは活版印刷かっぱんいんさつは珍しくないが、こんな北の町でお目にかかるとは思ってもいなかった。それより、冷めてしまっても美味そうな油の匂いが香ってくる。


「はい、晩御飯! あたしはもう食べたから!」

「……俺にか?」

「なーに? ヤなの?」

「い、いや、すまん」

「美味しかったわよ、なんとかいう魚のフライ。それと、かい海老えびのグラタンも! 生牡蠣なまがきも! 烏賊いかだって! 一人でぜええええええんぶっ、食べたんだから!」


 どうやらリーアムを置いてジャンヌに会いに行ったことを、まだ少し根に持っているようだった。

 半裸のままで部屋をうろうろするリーアムは、完全に目がわっている。

 とりあえずアーケンは、サクサクと歯ざわりのいいフライを食べつつ椅子に座った。テーブルを挟んで向かいに、どっかとリーアムも腰を下ろす。


「ん、美味いな……白身の魚は淡白たんぱくだが、これはころもの油とソースが絶妙だ」

「でしょー? んで? どうたったのよ、閃速の勇者ジ・インパルスエッジジャンヌは」

「……今回は、討伐する必要はなさそうおだ」

「ホントに?」

「ああ」


 ぶすっと不機嫌を隠しもしないリーアム。だが、彼女は多くを聞いてはこなかった。

 二つ目のフライを手にとって、不思議に思いつつアーケンが話を続ける。


「訳を聞かないのか? 殺さず、かといって刻印こくいんも奪う必要がない。俺はそう判断した」

「そ、ならいいわ。アーケンがそういうなら……でも」

「でも?」

「何かしら、嫌な予感がするのよ」


 こういう時のリーアムの直感は、鋭い。

 女のかんというやつらしいが、今まで幾度いくどとなく彼女の予知めいた言動がアーケンを救ってきた。それももしかしたら、刻印を持つ勇者特有のものかもしれない。

 太腿ふとももまで丸出しなのも気にせず、リーアムは脚を組んでテーブルに頬杖ほおづえを突く。


「そのジャンヌってさ、なんかまるで聖女せいじょじゃん。町の人気者で、清らかで優しくて、町を守るために戦ってる。あたしだって遊んでた訳じゃないわ、少し情報を集めてみたの」

「そうか、偉いな」

「何よ……口ばっかりで」

「褒めてるんだ、何なら頭をでてやろうか?」

「……それはあとにして。油でベタベタの手で触られたくないもん。でも……あとで、して」


 リーアムがナプキンを投げてよこすので、それで手を軽く拭く。


「聖女気取りというが、ジャンヌは元の世界……こちらから見て異世界にあたる場所でも、聖女だったそうだ。救国きゅうこくの英雄、ラ・ピュセルだ」

「ふーん……なーんか、いけすかない感じー」

「……なあ、リーアム。お前は……元の生まれ育った世界を覚えているか?」


 そっぽを向いていたリーアムが、横目でジトリとすがめてきた。

 それで、自分が失言をしたのだとアーケンは後悔する。

 だが「済まない、忘れてくれ」と会話を打ち切ろうとしても、腰元のダレクセイドが話題に食いつく。下世話な話が大好きなこの魔鞘ましょうは、アーケンとリーアムをくっつけたくてしかたがないのだ。

 まるで会う度に見合いを勧める親戚の叔母おばである。


「ちょっとちょっと、リーアム。互いに詮索せんさくせず、我関われかんせずもいいんだけどぉ……あてくし、もぉ少し二人の距離は近くてもいいと思うのよねぇ……今夜は同衾どうきんするんだし」


 思わずアーケンは、デカいベッドを見やる。

 二つ並んだ枕を、リーアムも一緒に見ていた。

 そのほおが、赤い。


「いや、俺はあとで馬小屋にでも行く。リーアム、お前はゆっくり休めばいい――」

「駄目よダーリン、風邪かぜ引いちゃうわよん? 北国の寒さをめちゃ駄目、舐めるならもっと、こぉ……ねえ? リーアム」

「うっさいわね、エロさや!」


 相変わらずすぐにリーアムはムキになるが、ダレクセイドはどこ吹く風である。

 腹ごなしも済んで、もう少し報告を進めたいアーケンだったが……女と女の戦いはすでに鋭い舌鋒ぜっぽうをぶつけ合っていた。


「アーケン、その鞘……ダレクセイドさ、必要? 売って換金とかした方が得じゃない?」

「んまぁ、いかにも生娘きむすめが考えそうなことね。あてくし、こう見えても伝説のアイテムなのよぉん? ね? ダーリン」

「その、ダーリンってのもなんかイライラすんのよね。鞘の癖に」

「その鞘ごときに嫉妬しっとするなんて、リーアムってば、い・け・ず♪」

「むぎいいっ! 何よ、もうっ!」


 だが、この一人と一本のやり取りはいつものことだ。

 黙って聞き流しつつ、アーケンは両者が落ち着くのを見計みはからって言葉を続けた。


「まあ、寝床に関しては俺は床でもどこでも構わん。それと……やはり、先程のは俺が悪かった。少しセンチメンタルになっていたんだ、すまない」

「えっ、いや……別に、いいけどさ。それに……話せること、ないんだ。ゴメン、アーケン」


 リーアムは椅子の上で、半裸のまま膝を抱えて顔を埋める。彼女の長い髪がれていて、さらさらと白い背中に流れていた。


「あたし、記憶ないんだ。気がついたらこの世界にいて……あの刻印の力を持ってたの」

勇者を狩る勇者ザ・ブレイブスレイヤー勇銘ブレイブタグ、か」

「そ。凄く珍しい力だからって、研究所みたいなとこにずっといたの。アレコレ体中調べられて、いじくり回されて。でも、結局わかったことは一つだけ」

「一つだけ? つまり……」

「勇者の能力を封じる能力もまた、あたしの身体に刻まれた刻印によるもの」


 リーアムはそう言って、僅かに身を起こして左胸に手を当てた。バスタオルを内側から盛り上げる豊かな膨らみの、その少し上に刻印が光っている。


「あたししかこの力を使えないし、研究しても再現も応用もできなかった。だから、あたしは自由になれた。そして……マーヤのおかげで、特務勇殺機関とくむゆうさつきかんブレイブレイカーズに入ったの」


 それで、この話はそれまでとなった。

 二人にとって大事なのは、今までではない。

 これからだ。

 これからずっと、二人で勇者を殺し続ける。そうして、この世界が邪悪を駆逐くちくするために招いたわざわいを、今度は人が駆逐するのだ。

 それは、使

 そして、リーアムにも話していない目的がアーケンにはあった。


「あら……リーアム、寝ちゃったわ。チャンスよ、ダーリン! ぜん食わぬは男の恥だもの」

「うるさいぞ、ダレクセイド。それより……かたきの勇者が、やはり見つからん」

「話が聞けただけでもラッキーよぉん? そもそも、話の通じる勇者なんて数えるほどしかいないんだし。あせらず探しましょ」

「そうだな」


 リーアムの身を椅子から抱き上げ、そっとベッドへ運ぶ。

 彼女の酒癖さけぐせは悪い方だが、その面倒を見るのにも慣れていた。

 それより気になるのは、ジャンヌである。会ってみて、人柄にいつわりがないことはわかった。不可思議だが、元の世界での生き様を知った今、納得もできる。

 だが、勇者は勇者、神の力を授かった暴力の権化ごんげである。

 その力が今は民に向けられていない……それだけだ。そして、それが今後も続くならば、急いで処理すべき勇者ではないだろう。


「だが、彼女には……ジャンヌにはまだ何か秘密が」

「そうね。嘘は言っていない目だったけど、話してくれないことがまだありそうよ」

「長い滞在になりそうだな」


 それだけ言って、アーケンはベッドの布団へリーアムを放り込む。裸の彼女が風邪を惹かぬよう、ちゃんと毛布をかけてやってから椅子に戻る。

 リーアムの寝顔を見ながら、腕組み考え込むが……ジャンヌの目的が思いつかない。

 そうこうしている間に、ガレーメンの町並みはあっという間に夜のとばりに包まれたのだった。

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