第8話「同じ屋根の下で」
港町ガレーメンは、それほどま大きな町ではない。宿屋の数は限られていたし、アーケンにはリーアムの選ぶセンスはだいたいわかっているつもりだ。
何より、周囲に危険がなく、巻き込んでしまう市民が少ない場所を選択するのだ。
当然、アーケンが辿り着いた宿屋にはリーアムがチェックインを済ませている。
だが、
ごゆっくり、と意味深な笑みをくれる。
「なるほど、部屋が一つしか空いてなかったか。さて、どうするか」
馬小屋を借りて寝るにしろ、その前にリーアムに顔を出しておこう。そう思ってアーケンは客室へと脚を運んだ。
外では鳥の鳴く声が遠く、夕焼けが真っ赤に燃えて窓から差し込んでいた。
こんなにも平和な町を見るのは、アーケンにはとても珍しかった。
「リーアム、入るぞ? ……ん?」
ノックしても返事がなかったので、ドアを開く。
すると、すぐに足元に何かが転がってきた。
拾い上げてみると、それは空になったワインの
「……つまり、こうした町の居住環境を整備するくらいには豊かということか、ガーレメンは。勇者による略奪、モンスターや野盗の被害が少ないからだろう」
今まさに、浴室から
旅装を解きつつ、アーケンはちらりとテーブルを見やって
そこには、リーアムがワインを飲んでいたであろうグラスがある。他には、荷物からチーズを出して食べたようだ。
やれやれと片付けていると、背後でバン! と扉が開く音。
振り返ったアーケンは、無表情を更に硬くしてしまった。
「……おかえり、アーケン」
「ああ、今戻った。酔っているのか?」
「べーつにー! あたし、酔ってないわ。ちょっとお酒を飲んだだけよ」
「つまり、酔ってるんだな」
「べぇぇぇつ、にぃぃぃぃ!」
アーケンは思い出す。
チョロい割に面倒なのが、酔っ払った時のリーアムだ。
彼女は起伏のメリハリが見事すぎる裸体にバスタオルだけ巻いて、ずかずかと部屋の方へ戻ってきた。そして、アーケンが片付けていたテーブルから何かを掴んで差し出してくる。
それは、新聞紙に包まれた魚のフライのようだ。
「はい、晩御飯! あたしはもう食べたから!」
「……俺にか?」
「なーに? ヤなの?」
「い、いや、すまん」
「美味しかったわよ、なんとかいう魚のフライ。それと、
どうやらリーアムを置いてジャンヌに会いに行ったことを、まだ少し根に持っているようだった。
半裸のままで部屋をうろうろするリーアムは、完全に目が
とりあえずアーケンは、サクサクと歯ざわりのいいフライを食べつつ椅子に座った。テーブルを挟んで向かいに、どっかとリーアムも腰を下ろす。
「ん、美味いな……白身の魚は
「でしょー? んで? どうたったのよ、
「……今回は、討伐する必要はなさそうおだ」
「ホントに?」
「ああ」
ぶすっと不機嫌を隠しもしないリーアム。だが、彼女は多くを聞いてはこなかった。
二つ目のフライを手にとって、不思議に思いつつアーケンが話を続ける。
「訳を聞かないのか? 殺さず、かといって
「そ、ならいいわ。アーケンがそういうなら……でも」
「でも?」
「何かしら、嫌な予感がするのよ」
こういう時のリーアムの直感は、鋭い。
女の
「そのジャンヌってさ、なんかまるで
「そうか、偉いな」
「何よ……口ばっかりで」
「褒めてるんだ、何なら頭を
「……それはあとにして。油でベタベタの手で触られたくないもん。でも……あとで、して」
リーアムがナプキンを投げてよこすので、それで手を軽く拭く。
「聖女気取りというが、ジャンヌは元の世界……こちらから見て異世界にあたる場所でも、聖女だったそうだ。
「ふーん……なーんか、いけすかない感じー」
「……なあ、リーアム。お前は……元の生まれ育った世界を覚えているか?」
そっぽを向いていたリーアムが、横目でジトリと
それで、自分が失言をしたのだとアーケンは後悔する。
だが「済まない、忘れてくれ」と会話を打ち切ろうとしても、腰元のダレクセイドが話題に食いつく。下世話な話が大好きなこの
まるで会う度に見合いを勧める親戚の
「ちょっとちょっと、リーアム。互いに
思わずアーケンは、デカいベッドを見やる。
二つ並んだ枕を、リーアムも一緒に見ていた。
その
「いや、俺はあとで馬小屋にでも行く。リーアム、お前はゆっくり休めばいい――」
「駄目よダーリン、
「うっさいわね、エロ
相変わらずすぐにリーアムはムキになるが、ダレクセイドはどこ吹く風である。
腹ごなしも済んで、もう少し報告を進めたいアーケンだったが……女と女の戦いは
「アーケン、その鞘……ダレクセイドさ、必要? 売って換金とかした方が得じゃない?」
「んまぁ、いかにも
「その、ダーリンってのもなんかイライラすんのよね。鞘の癖に」
「その鞘ごときに
「むぎいいっ! 何よ、もうっ!」
だが、この一人と一本のやり取りはいつものことだ。
黙って聞き流しつつ、アーケンは両者が落ち着くのを
「まあ、寝床に関しては俺は床でもどこでも構わん。それと……やはり、先程のは俺が悪かった。少しセンチメンタルになっていたんだ、すまない」
「えっ、いや……別に、いいけどさ。それに……話せること、ないんだ。ゴメン、アーケン」
リーアムは椅子の上で、半裸のまま膝を抱えて顔を埋める。彼女の長い髪が
「あたし、記憶ないんだ。気がついたらこの世界にいて……あの刻印の力を持ってたの」
「
「そ。凄く珍しい力だからって、研究所みたいなとこにずっといたの。アレコレ体中調べられて、いじくり回されて。でも、結局わかったことは一つだけ」
「一つだけ? つまり……」
「勇者の能力を封じる能力もまた、あたしの身体に刻まれた刻印によるもの」
リーアムはそう言って、僅かに身を起こして左胸に手を当てた。バスタオルを内側から盛り上げる豊かな膨らみの、その少し上に刻印が光っている。
「あたししかこの力を使えないし、研究しても再現も応用もできなかった。だから、あたしは自由になれた。そして……マーヤのおかげで、
それで、この話はそれまでとなった。
二人にとって大事なのは、今までではない。
これからだ。
これからずっと、二人で勇者を殺し続ける。そうして、この世界が邪悪を
それは、完全には人間とは言えないアーケンの使命でもある。
そして、リーアムにも話していない目的がアーケンにはあった。
「あら……リーアム、寝ちゃったわ。チャンスよ、ダーリン!
「うるさいぞ、ダレクセイド。それより……
「話が聞けただけでもラッキーよぉん? そもそも、話の通じる勇者なんて数えるほどしかいないんだし。
「そうだな」
リーアムの身を椅子から抱き上げ、そっとベッドへ運ぶ。
彼女の
それより気になるのは、ジャンヌである。会ってみて、人柄に
だが、勇者は勇者、神の力を授かった暴力の
その力が今は民に向けられていない……それだけだ。そして、それが今後も続くならば、急いで処理すべき勇者ではないだろう。
「だが、彼女には……ジャンヌにはまだ何か秘密が」
「そうね。嘘は言っていない目だったけど、話してくれないことがまだありそうよ」
「長い滞在になりそうだな」
それだけ言って、アーケンはベッドの布団へリーアムを放り込む。裸の彼女が風邪を惹かぬよう、ちゃんと毛布をかけてやってから椅子に戻る。
リーアムの寝顔を見ながら、腕組み考え込むが……ジャンヌの目的が思いつかない。
そうこうしている間に、ガレーメンの町並みはあっという間に夜の
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