第12話「支え合う者」

 宿やどに戻る頃には、なんのかんので夕暮れになっていた。

 朝から勇者と戦って、昼食ちゅうしょくもないままガレーメン自警団の屯所とんしょに行ったのである。二人の勇者を殺し、最後の一人を捕縛ほばくすることができた。

 だが、アーケンの相棒は意気消沈といった感じで無言だった。


「リーアム、飯はどうする? ……おごるぞ、俺が」


 相変わらずの仏頂面ぶっちょうづらで、ぶっきらぼうにアーケンが呼びかける。

 だが、うつむくリーアムからは返事がない。

 そして彼女は、宿の前でアーケンのそでをチョンとつかんだ。握って放さず、そこから一歩も歩こうとしない。


「……もう少し、町を歩くか」


 リーアムは小さくうなずいた。

 だから、アーケンは袖を握る彼女を連れて、再度歩き出す。

 真っ赤な夕日の中で、平和を謳歌おうかするように町の人々が家路いえじにつく。その賑やかさが向かう先では、度の家も夕餉ゆうげの匂いを煙突えんとつからくゆらせていた。

 その光景の全てが、アーケンにはない。

 全て失ったものだ。

 そして恐らく、リーアムもそう。


「……アーケンさ、お母さんのこと……覚えてる?」

「ん、ああ」

「勇者に殺されちゃったんだよね」

「そうだ」

「あたしと同じ、勇者に」

「それは違うぞ、リーアム」


 先程、リーアムはジャンヌと激しくやりあっていた。

 捕縛ほばくした勇者に対しての処置で、真っ向から対立したのだ。

 だが、彼女はそこで初めてジャンヌの母性に触れた。ジャンヌは自暴自棄じぼうじきにも等しいリーアムの言葉をたしなめ、ほおちながらも優しく抱き締めてくれたのだ。

 その気持ちに今、リーアムは戸惑どまどっている。


「あたし……記憶、ないんだ。気付いたら、この世界にいた」

「ああ」

「だから、お母さんっての……ちょっと、わかんなくて。でも……ジャンヌみたいな人、かなあ?」

「さあな」

「だよね……わからないよね。でも……そうだったら、いいかもしれないわ」

「だな」


 ぽつりぽつりと呟くリーアムと、夕暮れの町を歩く。

 不意にまた、彼女はアーケンの手を握ってきた。

 それで思わず足を止めてしまう。

 時々こうして、リーアムはアーケンに触れてくれる。血が通わないかのごとく冷たい、アーケンの手を握ってくれるのだ。この間もそうだった。彼女は相棒の不安や葛藤を問わないかわりに……一時いっときでも追い払えればと、手に手を重ねてくれる。

 だが、今日は違った。

 リーアムの手は、震えていた。


「リーアム……」

「振り返らないで! ……見ないで」


 鼻声はわずかに泣いていた。

 だから、リーアムの手を握り返してアーケンは再度歩き出す。

 鳥の鳴く声や、歓声をあげて走る子供達……擦れ違う者達を守るために、その全てを失った中で二人は戦っている。まるで、自分達が異世界に迷い込んだようだ。

 この世界には、神が勇者という名の異物を放り込んだ。

 それは、魔王の支配した暗黒を振り払うための劇薬……猛毒だった。

 そして、最後に残ったそれを解毒げどくするための毒が、アーケンでありリーアムだ。


「アーケン……あんたのお母さんのこと、聞いていい? あ、やっぱいい! ……ゴメン、あたしどうかしてる。ルール違反、だよね」

「エルザだ」

「えっ?」

「母上の名だ。とても綺麗で、優しくて厳しくて……少し、ジャンヌに似ていた」

「……そう」


 とぼとぼと歩いていたリーアムが、すっと横に並んだ。

 そしてようやく、彼女は面を上げる。

 アーケンは隣のリーアムを見もせず、一緒に前だけを見て手を握り返す。


「あたしさ、ちょっとだけホッとしたのも事実なんだ」

「そうか」

「あたし以外に……正義の勇者がいたんだって思ったら、嬉しかった。なのに、ジャンヌのことを自分ごと否定しようとした」

「まあ、俺達は正義の味方とは言えぬ存在だからな」

「うん……でも、信じていいよね? ってか、アーケンはもう……ジャンヌを信じてるよね」

「相棒のお前と同じくらいにな。……そういうささやかな希望くらい、誰にだって許されるさ。でなければ、ジャンヌも俺達も救われない」


 そう、救いのない時代だった。

 だからこそ、異世界で非業の死を遂げた後の人生を、ジャンヌは正しいことに使ってくれている。それは、道は違えどアーケンには同じものを見ている気がしたのだ。

 そして、リーアムもそれに触れたのだ。


「あーあ、バカみたい! 落ち込んでるのもアホらしいわ」

「ああ。明日にでも町を出よう。一度王都おうとの支部に戻って、報告だ。そして、次の勇者を殺しに行かねばならない」

「終わらない戦いよね……」

「だが、終わりへは近付いている。勇者のいない世界という結末へな」

「そう、だね」


 不意にリーアムが、手を放した。

 そう思った瞬間、左腕全体にやわらかい弾力が抱き付いてくる。


「お、おい」

「ふふっ、いいでしょ? 今日だけ……今だけ」

「フン、好きにしろ」

「そうする!」


 身を寄せるようにしてくるリーアムの温かさが、マントと服の上からでも染み渡ってくる。冷たい身体の隅々にまで、彼女のぬくもりが伝搬でんぱんしていった。

 リーアムは仕事の相棒、背を預け合って死線を超えてきた仲間だ。

 だが、同時にアーケンにとっては、同じ年頃の美しい少女でもある。


「……そろそろ何か食うか」

「うん。奢ってくれるんでしょ? 今日も」

「まあ、どうせ経費として支部で精算するんだ」

「あら、そう? マーヤがな顔するくらい、経費で落ちないくらいの御馳走ごちそうが食べたいな、あたし。じゃなきゃ、奢るってことにならないもの」

かにはもう食べただろう?」

「んー、何がいいかしらね」


 アーケンをすぐ側で見上げて、リーアムがはにかむ。

 黄昏たそがれた町の中で、それは消え行く夕日の残滓ざんしより眩しかった。

 ようやく普段通りに戻って、普段以上に親密な雰囲気のリーアム。その笑顔に、自然とアーケンも心が安らいだ。

 だが、次の瞬間……強烈な殺気を感じてアーケンは振り向く。

 リーアムはきょとんとして、顔を強張らせるアーケンに首をかしげた。


「どしたの?」

「今……何者かが俺達を見ていた。殺気を潜ませた視線を感じたが」

「……あたし、ボケてた?」

「たまにはいい。お前がボケボケしててもいいように、俺がいる」


 注意深く、人の往来を見渡す。

 そしてすぐ、怪しい人物が見つかった。

 全身を隠すマントを羽織はおり、目深めぶかにフードを被った男だ。人混みの中から、アーケンとリーアムを見ている。その、フードで暗がりとなった中に殺意のひとみをアーケンは感じた。


「貴様……何者だ」


 アーケンは身構え、腰の剣へと手を伸べる。

 折れているが、魔鞘ましょうダレクセイドがあれば関係ない。そして、今まで二人の時間を演出してだんまりだったダレクセイドは、興味津々といったおもむきの声をささやいた。


「あらあら、しっぽりデートのお邪魔虫なんて……いけない子ね? ダーリン」

「ちょ、ちょっとダレクセイド! あたしっ、デートじゃないから! これは、そう……仲間同士の親睦しんぼく! スキンシップよ!」

「あぁら、リーアム……乙女の顔、してたわよ? こんな強烈な殺気にも気付かないくらい、ね」

「うっ、そ、それは」

「かわいいとこあるのね。そういうリーアム、好きよ? それに、綺麗」

「そ、そかな? まあ、そうよね! やっぱあたし、美少女だし!」


 チョロいリーアムを背後にかばうようにして、アーケンは周囲にも気を配る。

 もし、自分達と敵対する相手だったとして、戦うには周りに人間が多過ぎる。こんな往来の混雑の中では、間違いなく罪なき民を巻き込んでしまうだろう。

 そして、冷たい視線を突き刺してくる男には、そのことを気にする気配がない。

 あらゆる全てに優先して、アーケンとリーアムを殺そうという覚悟……そういうものが感じられた。そして、地の底から響き渡るような声が響き渡る。


「……これ以上、ジャンヌに近づくな。始末屋風情しまつやふぜいが」


 壮年の声だ。

 そして、確信する。

 奴もまた、勇者だ。

 神より与えられた力を振るう、全てを奪う者特有の傲慢ごうまんさが声に出ている。そして、そのことを隠しもしなければ、恥じ入りもしないのだ。

 謎の勇者は一定の距離を保ったまま、放つ闘気だけでアーケンを飲み込んでくる。

 だが、臆せずアーケンもまた不退転の決意を解き放った。


「……ほう? いい覇気だ。始末屋、名は?」

「俺はアーケン。そしてこっちはリーアムだ」

「そして、あたくしがダレクセイド……その名の通り、の女よぉん?」


 一触即発の空気で、アーケンは乾く唇を小さく舐める。

 だが、不意に殺気が消えて、男は行き交う人々の中へと消えてゆく。完璧な隠密の技で、アーケンの研ぎ澄まされた感覚でさえ、もう追えない。


「警告はした……次は殺す。俺のジャンヌに……近付くな」


 それだけ言って、恐るべき敵は消えた。

 同時に、全身の力が抜けたようにアーケンは息を吐き出す。気付けば、冷たい汗がひたいつたった。そんな彼を気遣きづかうように、リーアムが心配そうに寄り添ってくるのだった。

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