第17話「擦れ違い、触れ合い」

 にがい敗北の一日が終わった。

 明けて早朝、またも馬小屋からい出たアーケンは珍しい光景を目にする。

 宿の中庭では、朝日を浴びるにわとり達の声に囲まれ、リーアムがこぶしを構えていた。


「……ほう、かたか」


 そのりんとした表情に輝くひとみ。全身の神経を研ぎ澄まし、きたえた肉体を完全に己のコントロール下に掌握しょうあくする。そうしてリーアムは、独特の呼吸方法でゆっくりと息を吐き出す。

 そして、彼女は目を見開いた。

 同時に、無数の蹴りと突きが繰り出される。

 アーケンには、リーアムの剛拳ごうけん渦巻うずまかせる空気が見えるようだった。

 腰にぶら下がるダレクセイドも、思わず口笛くちぶえを吹いた。


「やるじゃないの、リーアム。……怪我はもういいのかしらん?」

「いい訳がないさ。だが、こういう時だからこそ、かもしれん」

「それにしても、綺麗……ね、ダーリン?」

「ああ……周りを見ろ」


 リーアムは華麗な演舞えんぶにも見た型で、次々と拳を繰り出す。

 躍動する全身の筋肉が、健康美に過ぎる少女を一流の拳士けんしへと飾っていた。舞い散る汗はまるで、花をらす朝露あさつゆのようだ。

 そして、激しく動き回るリーアムの周囲には、鶏がたわむれている。

 宿で飼われている鶏は、リーアムの放つ闘気を全く気にせず地面のえさついばんでいた。

 あまりに凛冽りんれつたる空気の動きが、鶏の警戒心に全く触れないのだ。

 これはもう、達人の境地と言ってもいい。


「ふむ……あのリーアムが勇者に負けるとはな」

「猿も木から落ちるっていうわよ、ダーリン」

「猿はともかく、木から落ちるというのは失礼だな。リーアムは木登りも達者たっしゃだ」

「……ダーリンが美形なのにモテない理由、あたくしわかっちゃったわ、はぁ」


 リーアムの勇銘ブレイブタグは、勇者を狩る勇者ザ・ブレイブスレイヤー……その力はあらゆる勇者の能力を封じる。リーアムの左胸にきざまれた刻印こくいんが怪しく輝く時、彼女の白い肌をあざのように紋様もんようが走る。

 その時にはもう、彼女が敵意を向ける相手の刻印は能力を発揮できなくなるのだ。

 まさに、勇者を倒すために神が授けたかのような能力である。

 だが、それでもリーアムは昨日、敗北した。

 リーアムの力が通じない勇者など、アーケンも初めてだ。

 そうこうしていると、最後の一撃をリーアムが決める。

 ダン! と震脚しんきゃくと共に、彼女は拳を突き出し固まった。

 まるで、大地が鳴動したかのような振動が四方に散る。

 そして、彼女はその場に片膝を突いた。


「大丈夫か、リーアム。無理はよくないぞ。傷が開く」

「あら、アーケン……おはよ。いつから見てたの?」

「つい先程からだ。痛むか?」

「泣けてくる程じゃないわ。あたしは戦える……っ!」


 立ち上がるが、やはり太腿ふとももの傷を気にしている。

 リーアムは血のにじむ包帯に手を当て、無理に笑ってみせた。

 その笑顔が、アーケンには少し痛々しい。


「リーアム、話がある」

「丁度いいわ、あたしも。朝食でも食べながら、一緒にしましょ」

「いや、この場でだ」


 不思議そうにリーアムは、小首を傾げる。

 いつも無表情のアーケンだが、ことさら無感情に、努めて平静を装って言葉を選んだ。

 それは、負傷した相棒をいたわる言葉であり、これからのことを考えた最善の選択だった。


「リーアム、宿で休んでいる。奴は俺が追う」

「ちょっ、なんで! あたし、まだ戦えるわ!」

「万全じゃないのは、今見た通りだ」

「これくらいの痛み、我慢できる! きたえてるんだから、見くびらないで頂戴ちょうだい


 だが、アーケンはゆずる気がなかった。

 昨日の町への勇者の襲撃、あれはアーケンのミスだ。

 そして、名誉の挽回ばんかいなど望んではいない……元から挽回すべき名誉など持ち合わせてはいないのだ。まして、返上しきれぬ汚名を着てでも、勇者を殺すのが仕事である。

 今、リーアムは万全ではない。

 彼女の心が如何いかに戦いを望んでいても、身体は正直だ。

 そのことをアーケンは、真顔で告げた。


「リーアム、

「ちょ、ちょっと! ……言い方、えっちなんですけど? もうっ!」

「お前の身体が一番なんだ、リーアム」

「だから! も、もぉ少し言い方があるでしょ……」

「ん? 何だ、リーアム」


 急にリーアムがもじもじとうつむいた。

 落ち着かないようすで内股気味うちまたぎみに、腰布こしぬのを両手で握っている。

 ああ、とアーケンは自分の気配りがいたらなかったことを反省した。


「ああ、小便しょうべんか?」

「アーケンのぉ、ぶぁかあああああああっ!」


 顔面に鉄拳てっけんが炸裂した。

 一瞬、アーケンの意識が飛んで鼻血が吹き出る。

 顔を真っ赤にしたリーアムは、フン! と鼻を鳴らして行ってしまった。

 地面に大の字に倒れて、鶏達が行き交う中でアーケンは溜息ためいきこぼす。

 そのまま青空を見上げて、彼はもう一度情報を整理した。


「まず、スエイン。奴は戦力にならんし、加勢する気もない。だが、俺達が戸惑とまどっていれば……」

「また、何かしらしでかして破茶目茶はちゃめちゃにしてくるわね。それが目的なのかしらん?」

「一応仮にも、奴もブレイブレイカーズの一員だ。……もっとも、極秘監察官ごくひかんさつかん殿は勇者がたいそう嫌いらしい。俺達以上にな」

「リーアムにあれはないわよねー、本人も気にしてるのに」


 スエインはアーケンとリーアムの仕事を見ている。

 そして、勇者を殺すことが何よりも大事と割り切っているのだ。

 だから、ジャンヌも、リーアムさえも殺すべき人間としか見ていない。

 勇者の力を封じることだけが、リーアムの存在理由だと吐き捨てたのだ。


「奴への借りはいずれ返す。万倍まんばいにしてな」

「あら、ダーリン? 珍しくやる気じゃない……る気、る気、あたくし大歓迎だわあ」

「それと、もう一つ……例の謎の男だが」


 その時だった。

 視界に不意に、柔らかな微笑が浮かんだ。

 自分を立って覗き込む、ジャンヌの優しいまなざしが注がれる。

 彼女が手を差し出すので、鶏達が喉を鳴らす中からアーケンは立ち上がる。


「おはようございます、アーケン。リーアムは?」

「いや、少しヘソを曲げてしまった。俺の落ち度だ」

「まあ……また何かマナー違反を?」

「そういう訳ではない。ただ、小便なら早く済ませたほうがいいと言っただけだ」

「……マナー云々以前の問題ですよ、アーケン。エチケット違反です!」

「そ、そうなのか……ううむ」


 腕組み考え込むアーケンを見て、やっぱりジャンヌは笑った。

 我が子を見るようなこそばゆい視線に、アーケンは少し居心地が悪い。どうしても亡き母を思い出してしまうし、母に似ていることを差し引いても……どんどんジャンヌを疑いの目で見れなくなる。

 だが、はっきりとアーケンは切り出した。


「昨日の勇者は以前、俺に言った……、と」

「まあ……そ、そうですか」


 ジャンヌは顔をかげらせる。

 うれいを帯びた表情もまた、とても美しい。

 だが、美貌びぼうの女勇者は今、瞳に不安を示すような揺れをたたえていた。まばゆい宝石を散りばめたような双眸そうぼうが、アーケンから視線をらす。

 そのことをはっきりと見て、アーケンは言葉を続けた。


「ジャンヌ、正直に答えてくれ……親しい勇者がいるのではないか?」

「……いえ、いません。夫も子も、死にました。死んだんです」


 アーケンの中で、先程引っかかった直感がさらに鋭くなる。

 今はもう、完全な違和感を感じていた。

 だが、ジャンヌがそれでも微笑むので、今は話を聞く。

 それでも忘れない……アーケンは親しい勇者はいるか? と問うたのだ。そして、ジャンヌはわずかに考え込んでから、夫と子は死んだと言った。その話は以前に聞いたし、夫はともかく子は勇者ではなかったはずだ。

 そして、仲間や知り合い、交友関係より真っ先にそのことを話した。

 今のアーケンには、それはとても不自然に思えたのだ。


「アーケン、今日はわたくしも同行します。協力して町を見回り、先日の勇者にそなえましょう」

「……昨日の勇者も、生け捕りにするのか?」

「ええ、できれば。誰にでも、あらためる機会はあっていいはずです」

「ただ一つの生命でしかあがなえない、そんな罪もある。俺は、そう思う」


 例えば、両親のかたきの勇者だ。

 アーケンはその勇者ならば、涙で謝られても躊躇ためらわない。

 富も女も、容赦するための取引材料にはならないだろう。

 ただ、仇の勇者を殺し、その首を亡き両親にささぐ。そうでしか、自分の中の憎しみを鎮める手段はないのだ。


「……ジャンヌ。先日捕らえた、蒼雷の勇者ザ・サンダーストームをもう一度尋問じんもんしたい」

「わかりました、わたくしも立ち会います」

「いや……二人きりにしてくれ。俺は常套句じょうとうくを並べて外堀そとぼりから埋めていくつもりはない」

「アーケン!」

「痛みで身体に直接聞けば、あらいざらい知っていることを話すだろうさ」

「それは人のあつかわれ方ではありません! そして……人が人にしていいことでも!」

「残念だったな、ジャンヌ……俺は、人間じゃない」


 強張り表情を失うジャンヌの、ほおにそっと触れる。

 アーケンの手の冷たさに、ジャンヌは言葉も失ってしまった。

 そこには、聖女ラ・ピュセルかたどる美しい人形になってしまった勇者がいるだけだった。

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