第3話「夕焼けの中の二人」
今、彼を乗せた荷馬車はガタゴトと
向かいに座るリーアムは、先程からずっと黙って仮眠中だ。だが、この瞬間にも何かが起これば飛び起きるだろう。彼女とて
「しっかし、よく寝るな……休める時に休めとは言うが、こうも寝れるものか」
アーケンは
だが、その平和な光景も勇者が現れれば凍りつく。
――
獲物の
「……毒を持って毒を制す、の連続だな。……もっとも、こっちはこっちで目の毒だが」
もう一度アーケンは、狭い車内でリーアムへと視線を移す。
ふむと
毒も毒、
こうも無防備に
だが、目を開けもせずリーアムは釘を刺してきた。
「やらしい目で見ないの!
「……起きていたのか?」
「もうすぐ日没よ。忙しくなりそうな気もするし」
「だな。何か腹に入れておくか? パンとチーズと、あと酒がある」
「
「ああ」
ようやく開かれたリーアムの
彼女は揺れる車内で立ち上がって……どういう訳かアーケンの
「……何だ? どうした」
「ちょっと冷えてきた」
「馬鹿みたいにヘソを出してるからだ」
「う、うっさいわね! あんたも知ってるでしょ? あたしだって、好きでこんな格好」
「まあ、
「わ、わかればいいのよ。あ、貸して。あたしが
アーケンの手から葡萄酒の
そういう時の可憐な笑顔は、絶世の美少女と言えなくもない。
だが、本質的に彼女はチョロ過ぎた。
そしてアーケンは、そんな相棒が面白おかしいが……不思議と嫌いではない。
コップに半分くらい酒を注いで、自分のコップを手にリーアムは身震いを一つ。
次いで、かわいいくしゃみが出た。
「――っくし! はっぷし!」
「おいおい、風邪か? それとも、誰かの
「アーケン、あんたさ……何でそんなに冷たいのよ」
「俺は相棒の心配をしている。この上なく人情味があって温かいだろう?」
「そうじゃなくて……身体が、冷たい。まるでそう……死体みたい」
肩と肩とが触れ合う距離より、
アーケンも黙って葡萄酒を飲んだ。
普段からお互い、相棒に関しては無関心だ。
深く
「アーケンさ……
「まあな」
「みんなが気味悪がったって、本当? どこの支部でも派遣を断られたって」
「……さあな。ただ、あまり触れて欲しくない話だ。お前にもあるだろう? そういう過去のアレコレが」
リーアムは「そうね」と小さく
だが、彼女はさらに身を寄せ肩にもたれかかってきた。
燃えるように真っ赤な長髪が、さらりとアーケンの肌を
「……冷たい」
「底冷えするぞ、離れろ」
「やだ。……こんなに冷たいんだもん、アーケン」
「お前が温か過ぎるんだ。これだから人間は」
互いに視線を落としたまま、黙って葡萄酒を飲む。その頃にはとっぷり日も暮れていたが、もう少し酒に酔いたい気分だ。パンやチーズもいいが、少し肉が欲しい。
アーケンにとってリーアムは、
仕事の仲間で、背中を預けていいと思えた唯一の人間だ。
それ以上でもそれ以下でもなく、それ以外を望んだこともない。
ただ、その身一つで勇者を
そして、今もそんな気持ちが胸中に満ちる。
「ちょっと、リーアム! いいじゃない……そのままヤッちゃいなさいよ!」
「ヤ、ヤッちゃ……なっ、なな、何を言ってるのよ、ダレクセイド!」
「いい雰囲気じゃなーい? 時々そう……なぁに?
「だっ! れっ! がっ! こんな奴、
自分にも選ぶ権利があるしな、と思ったが……アーケンは
どうやら今まで静かだったのは、ただの
彼女は、どうにもしまらない笑みが見えてきそうな言葉を続ける。
「まっ、アーケンはかわいいから……うふ、一晩くらいはお貸ししてあげてよ?」
「なっ、何であたしがアーケンと、そ、その……ベッドで……ゴニョゴニョしなきゃいけないのよ」
「あら、お貸しするとしか言ってないわよん? それとも……犯す? いやーん、リーアムったら処女の
リーアムは耳まで真っ赤になった。
いつものことだが、本当にリーアムはチョロい。少しおだてればすぐに調子に乗るし、怒りも忘れてくれる。本質的に素直で、それはどこか
いつもダレクセイドにからかわれては、いいように転がされている。
そんなリーアムは時々、どこか遠くの人間を思わせる時がある。
「ま、いいわ。リーアム、からかいついでに少し昔話をしたげる」
「……おい、ダレクセイド。喋り過ぎだな」
「あら、いいじゃない? その
しかし、
「アーケンは昔、両親を勇者に殺された。全くもって珍しくない、よくある話……父親は死体も残らず消し飛ばされ、母親は犯し尽くされたあとで面白半分に
「……陳腐な話だわ。勇者ってそういうイキモノだもの。だから……許せない」
「同感ね。でも、その時アーケンは……まだ幼かったアーケンは、その一部始終を目撃していたわ。昨日の女の子みたいにね」
思わずリーアムは、顔を上げてアーケンの横顔を見詰めてきた。
その
そう、全て見ていた……今も
勇敢に母を守り、堂々と戦った父の背中。
そんな父の死さえも、命をかけて守ろうとした母の涙。
目の前で全て、失われた……奪われた。
数で
アーケンが知る最初の勇者の記憶だ。
あの時、両親が
「リーアム、覚えておいて
「……あたし、そんなに悲劇のヒロインぶってた?」
「そういう気配は感じてたわ。それに……それが事実で、わかってて押し殺してる姿を見るのは切ないの。ね、アーケン?」
ダレクセイドの言葉に、短く「ああ」とだけ返事をする。
それでリーアムも、少し気恥ずかしそうに
沈黙が満ちる中、馬車は北へ北へとゆっくり走ってゆく。
そして、リーアムが重々しく口を開いた。
「あたしの力は……知ってるでしょ? アーケン」
「ああ、女とは思えん馬鹿力だ。オークやゴブリンも裸足で逃げ出すさ」
「並の男なら裸で逃げ出すわね。
下品に
話さなくてもいいし、聞きたい訳ではない。
だが、
まるで、勇者殺しに
「あたしは、あの力があるから……ずっとブレイブレイカーズの研究所にいたの。武術はその時に師匠から。でも、ずっと白い壁の中。このまま
「だが、それをマーヤの奴が連れ出した……そうだな?」
「うん。マーヤはいったい何者なのかな? どうしてあんな子供が」
そこまで言って、コップの葡萄酒をリーアムは飲み干した。
そして、口元を手の甲で拭うと思い出したように笑う。
「ルール違反だね、詮索屋は嫌われるわ。ごめん、忘れて」
「いや、忘れないさ……俺の過去を知った人間は、お前が初めてだ。そのことを、忘れない」
「アーケン……」
黙って酒瓶を向けると、リーアムは恥ずかしそうにコップを差し出してくる。
こうして二人は、とある勇者がいるという場所を目指す。道中、夜の
もとから暑さ寒さには強い肉体だが、リーアムのぬくもりが今はこそばゆかった。
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