第3話「夕焼けの中の二人」

 はるか彼方の遠景へと、ゆっくり夕日が落ちてゆく。

 斜陽しゃよう残滓ざんしを浴びながら、アーケンは紫色に染まる稜線りょうせんながめていた。

 今、彼を乗せた荷馬車はガタゴトと街道かいどうで揺れている。

 向かいに座るリーアムは、先程からずっと黙って仮眠中だ。だが、この瞬間にも何かが起これば飛び起きるだろう。彼女とて百戦錬磨ひゃくせんれんま古強者プロフェッショナル、泣く子も黙る特務勇殺機関とくむゆうさつきかんブレイブレイカーズの派遣執行官はけんしっこうかんなのだ。


「しっかし、よく寝るな……休める時に休めとは言うが、こうも寝れるものか」


 アーケンはほろの中で、今しがた通ってきた道の先を見やってこぼす。

 夕闇ゆうやみ迫る中、遠ざかって見えなくなった王都の喧騒がなつかしい。常駐して一年と経たない街だが、王室のお膝元ひざもとだけあって豊かで明るく、活気に満ちていた。

 だが、その平和な光景も勇者が現れれば凍りつく。

 ――狡兎死こうとしして走狗烹そうくにらる。

 獲物のうさぎがいなくなれば、兎をるための猟犬りょうけんもまた煮て食べられるという故事成語こじせいごだ。だが、魔王の軍勢は兎とは言えぬ脅威だったし、それを倒すために放たれた勇者は狂犬だった。そして今、その勇者を地獄のかまで煮込むのがアーケン達の仕事である。


「……毒を持って毒を制す、の連続だな。……もっとも、こっちはこっちで目の毒だが」


 もう一度アーケンは、狭い車内でリーアムへと視線を移す。

 旅装りょそうのマントを羽織はおってはいるが、相変わらず馬鹿みたいに露出度ろしゅつどが高い。上はさらしのように布で胸の実りを巻いて、その上から小さなベストを着ている。下は股間だけを覆う布から、むっちりとした生足なまあしが根本まで丸見えだ。

 ふむとうなって、アーケンは目を細めた。

 毒も毒、猛毒もうどくである。

 こうも無防備にさらしていい肢体したいではない。

 だが、目を開けもせずリーアムは釘を刺してきた。


「やらしい目で見ないの! ばすわよ?」

「……起きていたのか?」

「もうすぐ日没よ。忙しくなりそうな気もするし」

「だな。何か腹に入れておくか? パンとチーズと、あと酒がある」

葡萄酒ワイン?」

「ああ」


 ようやく開かれたリーアムの双眸そうぼうは、これより空に訪れる星々の輝きに似ていた。まるで彼女の瞳は、星屑細工ほしくずざいくのようである。

 彼女は揺れる車内で立ち上がって……どういう訳かアーケンのとなりに座り直す。


「……何だ? どうした」

「ちょっと冷えてきた」

「馬鹿みたいにヘソを出してるからだ」

「う、うっさいわね! あんたも知ってるでしょ? あたしだって、好きでこんな格好」

「まあ、何処どこで誰に見せても恥ずかしくない肉体美だ。程よく締まって均整きんせいが取れてる」

「わ、わかればいいのよ。あ、貸して。あたしがいだげる」


 アーケンの手から葡萄酒のびんを奪って、エヘヘとリーアムが笑った。

 そういう時の可憐な笑顔は、絶世の美少女と言えなくもない。

 だが、

 そしてアーケンは、そんな相棒が面白おかしいが……不思議と嫌いではない。

 コップに半分くらい酒を注いで、自分のコップを手にリーアムは身震いを一つ。

 次いで、かわいいくしゃみが出た。


「――っくし! はっぷし!」

「おいおい、風邪か? それとも、誰かのうわさになってるのか」

「アーケン、あんたさ……何でそんなに冷たいのよ」

「俺は相棒の心配をしている。この上なく人情味があって温かいだろう?」

「そうじゃなくて……身体が、冷たい。まるでそう……死体みたい」


 肩と肩とが触れ合う距離より、わずかに近い密着。身を寄せてくるリーアムは、そう言ってコップに口をつける。

 アーケンも黙って葡萄酒を飲んだ。

 普段からお互い、相棒に関しては無関心だ。

 深く詮索せんさくしないのが無言の約束だったし、勇者殺しの始末屋家業しまつやかぎょうではセンチメンタリズムは禁物だ。二人が二人でいられる時間はいつも、勇者との戦いの中で終わりをはらんでいる。一瞬のミスで、どちらかが、あるいは両方が命を落とすのだ。


「アーケンさ……きずの治り、早いよね? それも、すっごく」

「まあな」

「みんなが気味悪がったって、本当? どこの支部でも派遣を断られたって」

「……さあな。ただ、あまり触れて欲しくない話だ。お前にもあるだろう? そういう過去のアレコレが」


 リーアムは「そうね」と小さくつぶやく。

 だが、彼女はさらに身を寄せ肩にもたれかかってきた。

 燃えるように真っ赤な長髪が、さらりとアーケンの肌をでる。


「……冷たい」

「底冷えするぞ、離れろ」

「やだ。……こんなに冷たいんだもん、アーケン」

「お前が温か過ぎるんだ。これだから人間は」


 互いに視線を落としたまま、黙って葡萄酒を飲む。その頃にはとっぷり日も暮れていたが、もう少し酒に酔いたい気分だ。パンやチーズもいいが、少し肉が欲しい。

 アーケンにとってリーアムは、相棒バディ

 仕事の仲間で、背中を預けていいと思えた唯一の人間だ。

 それ以上でもそれ以下でもなく、それ以外を望んだこともない。

 ただ、その身一つで勇者をほふ鉄拳てっけん戦姫せんきは……時々みょうに柔らかい表情を見せてくれる。その時はいつも、アーケンは普段の勝気で強気なお転婆てんばっぷりを忘れてしまうのだ。

 そして、今もそんな気持ちが胸中に満ちる。

 腰元こしもとでいやらしい声が響くまでは。


「ちょっと、リーアム! いいじゃない……そのままヤッちゃいなさいよ!」

「ヤ、ヤッちゃ……なっ、なな、何を言ってるのよ、ダレクセイド!」

「いい雰囲気じゃなーい? 時々そう……なぁに? れてるの? アーケンに」

「だっ! れっ! がっ! こんな奴、御免ごめんこうむるわ」


 自分にも選ぶ権利があるしな、と思ったが……アーケンはえて口を開かなかった。代わりに腰の魔鞘ましょうが、随分と饒舌じょうぜつに喋り続ける。

 どうやら今まで静かだったのは、ただのデバガメ根性のぞきしゅみだったらしい。

 彼女は、どうにもしまらない笑みが見えてきそうな言葉を続ける。


「まっ、アーケンはかわいいから……うふ、一晩くらいはお貸ししてあげてよ?」

「なっ、何であたしがアーケンと、そ、その……ベッドで……ゴニョゴニョしなきゃいけないのよ」

「あら、としか言ってないわよん? それとも……? いやーん、リーアムったら処女のくせにだいたーん! 超ビッチ!」


 リーアムは耳まで真っ赤になった。

 いつものことだが、本当にリーアムはチョロい。少しおだてればすぐに調子に乗るし、怒りも忘れてくれる。本質的に素直で、それはどこか修羅場しゅらば続きのこの仕事とは剥離はくりした印象があった。

 いつもダレクセイドにからかわれては、いいように転がされている。

 そんなリーアムは時々、どこか遠くの人間を思わせる時がある。

 さびしげな横顔や、甘やかな体温に潜む柔らかさ、そして無言で呟く言葉の数々。


「ま、いいわ。リーアム、からかいついでに少し昔話をしたげる」

「……おい、ダレクセイド。喋り過ぎだな」

「あら、いいじゃない? そのわり、リーアム……貴女あなたも自分のことをアーケンに少し教えなさいよ。ふふ、若い子同士の仲を取り持つのって、好きだわあ」


 勿論もちろん、別れさせる楽しみが待っているからだとダレクセイドは笑う。

 しかし、咳払せきばらいをした彼女は、湿しめっぽい声で静かに語り出した。


「アーケンは昔、両親を勇者に殺された。全くもって珍しくない、よくある話……父親は死体も残らず消し飛ばされ、母親は犯し尽くされたあとで面白半分に惨殺ざんさつされた」

「……陳腐な話だわ。勇者ってそういうイキモノだもの。だから……許せない」

「同感ね。でも、その時アーケンは……まだ幼かったアーケンは、その一部始終を目撃していたわ。昨日の女の子みたいにね」


 思わずリーアムは、顔を上げてアーケンの横顔を見詰めてきた。

 そのひとみに、無言で見詰め返す自分の無表情が映っている。

 そう、全て見ていた……今も網膜もうまくに焼き付いている。何度でもまぶたの裏に蘇る。その光景をアーケンは一生忘れないだろう。

 勇敢に母を守り、堂々と戦った父の背中。

 そんな父の死さえも、命をかけて守ろうとした母の涙。

 目の前で全て、失われた……奪われた。

 数でたたけるように包囲して、父はなぶころしにされた。その亡骸なきがらを守ろうとした母を引き剥がして、犯した。陵辱りょうじょくされるがままの母に、魔法で消し飛ぶ父を見せつけ、笑っていた。

 アーケンが知る最初の勇者の記憶だ。

 あの時、両親がかくまってくれなかったら……今、ここに自分はいないだろう。


「リーアム、覚えておいて頂戴ちょうだい? ブレイブレイカーズに勇者への憎悪ぞうおを持たぬ者なんていないわ。だから……時々寂しい顔をするくらいなら、笑いなさいな。貴女が微笑ほほえめば、アーケンの仏頂面ぶっちょうづらだって少しはイイ男に見えるんだから」

「……あたし、そんなに悲劇のヒロインぶってた?」

「そういう気配は感じてたわ。それに……それが事実で、わかってて押し殺してる姿を見るのは切ないの。ね、アーケン?」


 ダレクセイドの言葉に、短く「ああ」とだけ返事をする。

 それでリーアムも、少し気恥ずかしそうにうつむいてしまった。

 沈黙が満ちる中、馬車は北へ北へとゆっくり走ってゆく。

 そして、リーアムが重々しく口を開いた。


「あたしの力は……知ってるでしょ? アーケン」

「ああ、女とは思えん馬鹿力だ。オークやゴブリンも裸足で逃げ出すさ」

「並の男なら裸で逃げ出すわね。たないモノをブラブラさせて」


 下品に茶化ちゃかすが、ダレクセイドはその後で黙った。その中へと納まった剣のつかを握りながら、静かにアーケンは言葉を待つ。

 話さなくてもいいし、聞きたい訳ではない。

 だが、時折ときおりリーアムに危ういかげりがあるのは気になっていた。いつもアーケンを無鉄砲むてっぽうだと責めるが、ここぞという時にあせりを見せるのはリーアムの方が多かった。

 まるで、勇者殺しにかれているようだ。


「あたしは、あの力があるから……ずっとブレイブレイカーズの研究所にいたの。武術はその時に師匠から。でも、ずっと白い壁の中。このままからだ隅々すみずみを調べられながら、ここで死んでいくんだと思った。解剖かいぼうなんて話も出てたし」

「だが、それをマーヤの奴が連れ出した……そうだな?」

「うん。マーヤはいったい何者なのかな? どうしてあんな子供が」


 そこまで言って、コップの葡萄酒をリーアムは飲み干した。

 そして、口元を手の甲で拭うと思い出したように笑う。

 悲壮感ひそうかんうれいに満ちた美貌びぼうより、アーケンは笑顔の方が好きだった。


「ルール違反だね、詮索屋は嫌われるわ。ごめん、忘れて」

「いや、忘れないさ……俺の過去を知った人間は、お前が初めてだ。そのことを、忘れない」

「アーケン……」


 黙って酒瓶を向けると、リーアムは恥ずかしそうにコップを差し出してくる。

 こうして二人は、とある勇者がいるという場所を目指す。道中、夜のとばりが冷気を運んできたが、不思議とアーケンは凍えることがなかった。

 もとから暑さ寒さには強い肉体だが、リーアムのぬくもりが今はこそばゆかった。

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