嘆きの山(1)
「嘆きの山?」
馬車に揺られながら、オレは思わずクレナに聞き返した。
「アタシも詳しいことは知らないよ。危険な場所はできるだけ避けるのが旅のコツだからね。聞いたところでは、その山道を通ると、どこからともなく聞こえるらしいんだ。人間のか細~い声がね」
「なんだそりゃ。ホラーかよ」
ティアは顎に手をやった。
「魔物の仕業かな? 森の時みたいに、人間の声を真似て……」
「どうだろうな。人を怯えさせて近づかないようにさせてる時点で、魔物の行動原理から外れている気がするが」
魔物なら、逆に人間を近づかせるような罠を張るはずだ。
「ちなみに、被害者は出ていないのか?」
「記録上はね。ただまあ、アタシみたいなはぐれ者は町に居座る方が危険な場合もあるから、こっそり通って人知れず死んでる奴はいるかもしれないけど」
被害者が出ていない、か。
しかし何かきな臭いものを感じるのも事実だ。
「兄貴、どうする? つっても、ルシア聖王国に行くなら、ここは何がなんでも通らないといけない場所だけどな」
「……だな。考えても仕方がない。一応、各自臨戦態勢を取って山を登ろう」
嘆きの山を登る道は、狭い一本道だった。
人一人分程度の幅しかなく、荷台は通れない。
仕方なくオレ達は荷台を捨て、歩いて登ることにした。
片側が崖になっている危険な道を、慎重に歩いていく。
「きゃっ!」
バランスを崩したティアの手を、オレは慌てて掴んだ。
崩れ落ちた石が、音もなく地面へ落下する。
もしもここから人間が落ちれば、もはやその死体は原型すら留めないだろう。
「気を付けろ。ここは足が滑りやすい」
「う、うん。ありがとう」
その様子を見て、クレナが目を細めた。
「どうした?」
「別に? 英雄色を好むって言うからね。好きにしたらいいさ」
ティアの頬が、にわかに赤くなる。
「けど、こんな子供まで揃えてるのは若干引くけどね」
クレナの視線に気づき、ニナは不思議そうに首をかしげた。
「……おい。何を勘違いしてるか知らないが、そんな理由で彼女達を連れているわけじゃない」
「へぇ。じゃ、どういう理由で?」
「ティアはオレのツガイだし、ニナは……」
ふと、言葉が止まった。
ニナの魔物疑惑を喋れば、普通の感性をした人間なら確実に拒絶反応を示すだろう。
普段ならともかく、こんな場所で言い合いにでもなれば、最悪死人が出かねない。
「俺様の親戚なんだよ。身内がいないから連れて来た」
オレが言い淀んでいると、それを察してアランがフォローしてくれた。
「こんな危険な旅に連れてくるなんて、なかなかエグいことするじゃない」
「どうせ野垂れ死ぬなら、生き残れる可能性のある方に賭けるべきだろ」
「ふーん……」
じっと、クレナはいぶかしげな目でオレを見つめてくる。
「嘘臭い」
ドキリとした。
やはりごまかすのは無理があるか。しかし真実を喋るのは……。
その時、思い詰めたように俯いていたニナが、意を決したように口を開いた。
「あ、あのね! ニナ、本当は──」
ティアが慌ててニナの口を塞いだ。
「本当なの! 私達、旅に出る前から仲が良くてね。みんな最後まで反対したんだけど、この子が聞かなくて、それで……」
クレナが、じっとティアを見つめる。
ティアはごくりと息を飲んだ。
しばらくして、クレナは小さくため息をついて背を向けた。
「……別に何でもいいけどね。言っとくけど、嘘ついてたらその場で契約破棄だから」
なんとかこの場は収まったか。
しかし、あとで説明するのは骨が折れそうだ。
数時間ほど黙々と歩き、オレ達はようやく折り返し地点に到着した。
ずっと登りだった道が、緩やかに下降している。
「夜になると厄介だ。このまま一気に降りてしまおう。みんな、体力はだいじょうぶか?」
オレの言葉に、全員がうなずいた。
彼らの顔色を見て、だいじょうぶそうだと判断し、オレは前へ進むために突き出た岩を掴んだ。
その時だ。
……オォォ
何かが聞こえた。
「な、何の音?」
「いや、音っていうより……まるで人間のうめき声だ」
アランの言う通り、確かにこれは人間の声のようだった。
山の内側から、オレ達に訴えかけるように悲壮感漂う声を漏らしている。
まるで、山自体が泣いているようだ。
少し前へ進んだオレは、それを見つけて思わず笑った。
そこにはちょうど休憩できるような窪みがあり、その奥には山の内側へと続く、人一人通れるくらいの細い道があった。
そこから吹く風が、まるで人間の声のように聞こえたのだ。
「ただの隙間風だ」
みんなにそう説明し、さっさと前へ進もうとした時だった。
オオォ……
その声は、道の方からではなく、オレのすぐそばから聞こえた。
オレは振り向いた。
その声は、オレが掴んでいる岩から聞こえるものだった。
その岩は、ぼこりと隆起していて、鼻があり、口があり、そして目があった。
ぎょろりと、むき出しになった目が、こちらを向く。
「タスケ……テェ……」
ぞくりとした。
嘘だろ。
背中から、どっと冷や汗が流れる。
明らかに、この男は岩と同化している。そして確かに、生きているのだ。
オレは岩を見上げた。
男は一人ではなかった。上にはいくつもの人間の顔が岩から隆起しており、全員がオレを見下ろしていた。
「オォ……イ」
「人ヲ……ヨンデェ」
「殺シテェ」
まずい。
オレは即座に理解した。
ここは、魔物の巣だ。
「全員、逃げろぉ‼」
オレはあらん限りの声で叫んだ。
その時、はっと気づいた。
オレの腕が、岩の中に沈み込んでいることに。
引き抜いた瞬間、体中に糸のようなものが巻き付いた。
その糸はすさまじい力でオレを引っ張り、山の内側へと続く道の中へ引きずり込んだ。
為す術もなく、オレは道の側面に位置する壁に張りつけにされた。
オレの背中を岩が飲み込み、ねばついた感覚がする。
「お前ら、先に行け! 俺様が兄貴を連れて行く!」
アランがそう言うと、俺を縛っていた糸が小さく震えた。
糸はすぐさまアランの腕へと飛んでいき、ぐるぐると巻き付いた。
「くそっ」
「喋るな‼」
オレが叫ぶと、糸が反応してオレの方へ飛んでくる。
やっぱりだ。この糸は音に反応している。
「喋ったら糸が飛んでくる。決して声をだすな」
その糸は、飛んできてしばらくすると、壁と同じ色になって固まった。
こうして人間を絡めとり、声を出せば出すほど逃げられなくする仕掛けのようだ。
「おそらくだが、この糸に知能はない。人間を狩るための自動式の罠だ」
言っている最中も、糸はオレの身体に巻き付いてくる。
「普段はこの道は塞がれているんだろう。だから今まで気づかれなかった。つまり、この割れ目を隠せるほどの岩を持ち運べるのが、ここを牛耳っている魔物の正体だ。たぶん、相当でかい」
背中がずきずきと痛みだす。
おそらく、身体が溶け始めているのだ。
そうやって完全に岩と同化させるつもりなんだろう。
「わざわざ罠を作って待ち構えているところや、商団を襲っていないところを見るに、敵は機動力がない。そして単独である可能性が高い。ここに足を踏み入れさえしなければ、戦闘せずにここを離脱できるかもしれない」
ティアが明らかに動揺している。
オレの遺言めいた助言の意図に気付いたのだろう。
オレはうなずいた。
「そうだ。オレを見捨てろ」
全員の顔が引きつるのが見て取れた。
「安心しろ。詳しくは教えられないが、勇者は決して死なない。オレが死んでも、第二の勇者が必ず現れる。もしもソイツに出会ったら、その時はソイツをオレだと思ってくれ」
痛みが本格的になってきた。
額からだらだらと汗が流れる。
「分かるな? 替えのあるオレの命より、お前たちの命の方が貴重なんだ」
これは厳然たる事実だ。
オレが死んでも、いずれ転生される。
だがあいつらは、死ねばそれで終わりだ。
どちらを優先すべきかなんて、分かり切っている。
「……行くよ」
いち早く、クレナが背を向けた。
「クレナ? 何言ってるの?」
「言っただろ。危険だと判断したら見捨てる。アタシはアンタらのお仲間じゃないんだ」
「シーダを見殺しにしろって言うの⁉ 彼は勇者なのよ⁉ 人類の希望なの! 危険だからとか、そんな理由で見捨てていい存在じゃない!」
オレは糸が反応しないかどうか、ひやひやしながら二人のやり取りを見守っていた。
「だったら一緒に死にな。アタシは行く」
そう言って、クレナが先に進もうとした時だった。
ふいに、アランがティアの持つ錫杖を手に取った。
「……おい、ティア。この錫杖、確か一定の範囲内に刺しとけば、お前が流し込んだ加護が消えるまで、人間の治癒力を上げるんだったな?」
「え?」
アランは錫杖をオレの方へ向かって投げた。
しかし、その風を切るような音に反応し、錫杖に糸が巻き付く。
「おらぁ‼」
アランは大きく跳躍し、錫杖に巻き付いた糸を剣で切断すると、オレのすぐそばの地面にそれを突き刺した。
「アラン! お前、何をやってる‼」
アランの身体は既に糸が何重にも巻き付いていた。
もはや助け出すのは不可能だ。
「替えのない命が来てやったぜ。俺様を助けたいなら、最後まで諦めるなよ」
アランの身体が、オレのすぐ隣で張りつけにされる。
「人の話を聞いてないのか⁉ オレの代わりはいくらでもいるんだ! だがお前の代わりは──」
「兄貴の代わりだっていない」
アランはじっとオレを見つめ、そして頬を緩めた。
「言ったろ。俺様は兄貴の背中を見届ける。たとえその結果、死んだとしてもな」
オレは思わずうつむいた。
「……馬鹿野郎」
そう言いながらも、オレは心に温かいものを感じていた。
死ぬ時は、いつも孤独だった。
みじめな気持ちや、恐怖や、怒りに囚われながら、死んでいった。
でも今、初めて死ぬのが悪くないと思えた。
こんな男に会えたオレの人生も、悪くないと思えた。
……いや、だからこそ、ここで諦めるわけにはいかない。
「クレナ!」
アランの行動に驚愕していたクレナは、オレの言葉にハッとなった。
「前言撤回だ。この錫杖の効果が切れる前に、なんとかしてくれ」
「なんとかって……どうしろって言うの」
「山を降りて助けを求めるか、この巣の主を殺すか。判断はお前に任せる」
「……馬鹿じゃないのか? アタシがそんな意味のないことするわけないだろ」
それは事実だ。
彼女がオレを助けるメリットなんて一つもない。
でもきっと、ティアとニナだけではこの窮地は切り抜けられない。
彼女に一体何を言える? 何にも執着しないと公言している彼女に。ニナのためとはいえ、嘘をついていた彼女に。
「信じてるぞ、クレナ」
オレは、まっすぐに彼女を見つめながら言った。
オレは卑怯な人間だ。こうやって、人の善意に付け込むことしかできない。
そんなことをする資格もないというのに。
だが、クレナに言った言葉は、嘘偽りないものだった。
仲間になってまだ数日も経っていない。
何が好きで、何が嫌いかもよく知らない。
だが、彼女が過ごしてきた人生は、そして彼女が望んでいることは、オレは誰よりもよく分かっていた。
彼女と同じ、人生に絶望している人間だから。
絶望を、絶望のまま終わらせたくない人間だから。
だから。
だからきっと、クレナは動いてくれるはずだ。
自分の人生を変えるために、彼女は勇者の仲間になったのだから。
しばらく立ち止まっていたクレナは、そのまま背中を向けて去って行った。
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