ルシア聖王国(4)


オレが城壁の上に到着すると、すでにティアはスタンバイを終え、外を監視していた。


「待たせたな」


オレは彼女の隣に腰掛けた。

ティアはこちらを見ず、じっと森の方を見つめていた。


「来なくてもよかったのに」

「そんなわけにはいかないだろ」

「ルシア様とお楽しみだったんでしょ?」


すました様子だが、言葉の節々から棘を感じる。


「……少し、今後のことについて話をしていただけだ。ティアが考えてるようなことは何も──」

「別にいいのよ。私に気なんか遣わなくたって」


話をしている間、ティアは一切こちらを向いてくれなかった。

オレは小さく息をついた。


「……なぁティア。お前が思っている通り、オレはお前に隠し事がある。……本当のことを言えば、お前に責められるようなことも、ある。でも、それは言えない。分かってはくれないと思うが、それがお前にとっても一番だと、オレが判断した」


ティアは黙っている。


「ルシアには勘付かれたから少し話したが、肝心なことは何も喋っちゃいない。それは勇者であるオレにしか背負えない真実だ。だからオレは、お前がどれだけ苦しんでいても、お前にどれだけ話してくれとせがまれても、それを話すことは……ない」


自分で言っていて、ずいぶんと酷い話だと思う。

しかしティアには、本当のことを話さないといけないと思った。

少なくとも、オレが言える範囲では、本当のことを。


「だが、これだけは信じてくれ。オレにとっての一番はお前だ。オレはお前を、誰よりも大切にすると心に決めた。ケイトや、ルシアや、他の奴らを差し置いても、オレはお前を守る」


それは紛れもない真実の言葉だった。

オレが殺したシーダの魂に報いるためにも、オレがこの身体を拝借している間は、必ずティアを守ると誓ったのだ。


ふいに、ティアがオレに抱きついてきた。


「ごめんなさい! 勝手に嫉妬なんかしたりして。でも、シーダが何を考えてるか分からなくて、怖くて……それで私」


オレは躊躇しながらも、彼女の頭に手をやった。


「いいんだ。全部、オレが悪いんだ。だからお前が謝る必要なんてない」

「……私、ルシア様に悪いことをした」

「そうだな。ルシアには誤っておいた方がいいかもな。あいつもお前のことを心配していた」


ティアは小さくこくりと頷いた。

どうやら、機嫌を直してくれたようだ。

オレがほっと息をついた時だった。


ふいに視界に入った場所。

森の木々の間から、女の顔が浮かび上がっていた。


「出た。魔物だ」

「え?」


オレは彼女から離れ、五メートルはある城壁から、一気に森へと突っ込んだ。

女が慌てて逃げようとするが、水の剣の速さには敵わない。

一瞬で後ろへ回り、彼女の首筋に剣を突きつけた。


「何者だ?」


その場で殺さなかったのは、あまりにもそれが人間くさかったからだ。

頭のてっぺんからつま先まで、どこをどう見ても変哲のない人間に思える。

女はゆっくりとこちらに振り向いた。

目が泳ぎ、ひくひくと痙攣しながら頬を緩ませるその姿は、明らかに正常ではない。

しかし直感的に、この女が人間であることが、オレには分かった。

魔物特有の、心の芯から震えさせるような恐怖を、この女からは感じなかった。


「シーダ‼」


遅れて、ティアが兵士を連れてこちらにやって来た。


「さすがは勇者様。あんな素早い動き、我々には真似できません」

「賛辞はいい。それよりこの女について、何か心当たりは?」

「え? ……あ! この女、確か行方不明になっている下宿屋の娘です」


下宿屋の娘……?

ということは、本当にただの人間なのか。


「確かか?」

「はい! 私がビラを配ったので、間違いありません」


だとすると、この女は勝手に発狂して町の外に出たのか?

しかし幽霊騒ぎは以前から起きている。つまりこの女は、警備されている門を何度もくぐったか、魔物のいる外で今まで暮らしていたということだ。

それはどちらも考えにくい。

恐らく、魔物による何らかの手引きと考えた方がいいだろう。

ということは……


「当たりだ。勇者」


オレはぞっとした。

娘の口が、裂けるかと思うくらいにんまりと笑った。


「何を驚いている? 私が心を読めるということは、既に聞き知っていたことだろう?」


オレの脳裏に、あの巨大クモの姿がフラッシュバックした。


「本来ならこんなことをする必要もなかったのだが、お前の力は未知数だ。少しばかり、警戒させてもらったぞ」


警戒……?


「アハ。アハハ。アハハハハハ」


女は笑い出した。

目から血の涙を流し、口から泡を吹きながら、狂ったように笑いだした。

そこに至り、オレはようやく理解した。


「すぐに鐘を鳴らせ‼」

「え?」


オレは走った。


「魔物は既に中へ侵入している‼」



◇◇◇


「ねぇ、ルシア様。かくれんぼしようよ」


ルシアが孤児院で子供達を寝かしつけていると、ふいに子供の一人がそう言った。


「こらこら。もう夜なんですから、大人しくしてないとダメですよ」

「えぇ~。でも、せっかくルシア様がいるのに……」


その声で、みんなが目を覚まし始めた。


「なになに? かくれんぼするの?」

「私もあそびたい」


ぞろぞろと周りに集まってくる子供達に、ルシアは困ったように微笑んだ。


「しょうがないですね。じゃあちょっとだけお話しましょう」


わあいと、子供達の歓喜の声が広がった。

隅で眠っていたニナは、うらやましそうにしながらも、ごろんと寝転がって背を向ける。


「……ニナちゃん。よかったら、あなたもこっちにいらっしゃい」

「……いいの?」


ルシアはにこりと笑った。


「ええ」


ニナは頬を赤くしながら、ちょこちょこと歩いてルシアの隣に座った。


「いつも我儘を言わずに偉いですね。でもわたくしの前では、我慢なんてしなくていいんですよ」


ルシアがニナの髪を指で絡めるように撫でると、彼女は嬉しそうに笑った。


「なんだよあいつ。一人だけ部外者のくせに、ルシア様の隣に座りやがって」


そんな声が遠くから聞こえて、ニナはむっとした。


「だったら最初からそう言えばいいじゃない。ぐちぐち文句言うなんて男らしくないよ」


遠くにいた男の子が、それを聞いて、ぎょっとした。


「なんでお前、その距離でオレの喋ってることがわかるんだ?」

「え?」


男の子とニナの距離はかなり離れていた。

さらに彼は隣の子に耳打ちするように話していたのに対し、周りは少し騒がしいくらいだった。

本来なら、聞こえるはずのない声だ。


「なんかこいつ不気味だな……」

「そのバンダナもおかしいよね。どうしてずっと巻いてるの?」

「私も気になってた」


ニナは思わずバンダナをぎゅっと握った。


「こ、これは……」

「そうだそうだ! 寝る時は外すのがマナーだぞ!」

「ちょ、ちょっとみなさん。落ち着いてください。院長が起きてしまいますよ」


ルシアの慌てる様子を見て、ニナはすっくと立ちあがった。


「……だったらもういい。ニナは寝ないから」


ニナはそう言って、孤児院から出て行った。


「あ、ニナちゃん!」


ルシアは他の子たちをたしなめると、すぐにニナを追いかけた。

ニナは孤児院から出てすぐのところにある階段で、腰を落ちつかせていた。

ルシアは不安に思いながらも、ゆっくりと彼女に近づいた。


「……隣、いいですか?」


ニナがこくりと頷くのを見て、ルシアは彼女の隣に座った。


「ごめんなさい、ニナちゃん。みんな、少し不安になっているだけなんです」

「いいよ、別に。慣れてるし」


足をぶらぶらさせながら、ニナは下を向いた。


「国にいた時だって、ずっとこんな感じだったし」

「そう、ですか……」


暗い過去の話は、どうしても気落ちしてしまう。

そんな雰囲気を察したのか、ニナは明るい笑顔を見せた。


「でも今は楽しいよ? 大変だし、怖いことも多いけど、みんな大好きだし」

「その……ご両親に、会いたいとは?」

「ママには会いたいかな。でも無理だから」


ニナはあっけらかんと言った。


「ママは、ニナのママじゃない方がいいから。そうじゃないと、ニナみたいにいじめられるから。だからニナもあきらめる」


そのあまりにも淡々と紡ぐ言葉を聞いて。

諦めることが当たり前のような言葉を聞いて。

ルシアは思わず、ニナを抱きしめた。


「どうしてでしょうね」

「……ルシアお姉ちゃん?」

「どうして、世界はこんなにも、残酷なのでしょうね。わたくしたちはただ、普通に暮らしていたいだけなのに」


ニナは戸惑いがちに、ぽんぽんとルシアの背中を叩いた。

ルシアはくすりと笑った。


「ごめんなさい。わたくしが慰めてあげないといけないのに、これではまるきり逆ですね」

「だいじょうぶだよ。そんな時もあるから」


その大人びた言葉に、ルシアとニナは笑い合った。


その時、ニナの顔が急に強張った。

それと同時に、ルシアも異変を察知した。


慌てて孤児院へと駆けていき、扉を開ける。


「……どうしたのですか?」


そこには老婆の院長がいた。

子供達は、隅で集まってガタガタと震えている。


「なにやら騒がしいものですから様子をと。子供達が不安がっているようなので、安心させようと宥めていたところです」

「そうじゃありません。その身体の主をどうしたのかと聞いているのです」


院長はにこりと笑った。

かと思うと、大きな口を開け、中からいくつもの触手が飛び出してきた。

ルシアはすうと息を吸い、舞うように身体を回転させた。

手足についた細長いヴェールが美しく波を打ち、それにぶつかった触手が強く弾かれる。

触手の先端は、黒く焼け焦げていた。


「このヴェールにはわたくしが練りに練った加護が詰まっております。勇者様ほどではなくとも、あなた方にとっては屈強な兵士などよりよほど強いですよ?」

「グ……グゲエエ‼」


院長の身体が無数の触手へと変貌し、一気にルシアへ肉迫する。

パァン!

伸びたヴェールがぶつかり、触手に大きな穴が空いた。

ぴくぴくと震えていた身体に、青い炎が燃え広がり、やがてその身体は炭となった。


「みなさん! 今から教会に向かいます。わたくしについてきてください!」



◇◇◇


オレがルシア聖王国の中へ戻った時、すでにそこは地獄そのものだった。

紫の肌にクモのような四肢を生やした一本角の悪魔が、壁に張り付きながら移動し、人間を見つけては食い散らかしていた。


「きゃあああ‼」

「うわあああ‼」


軍隊が来ていないこともあって、人々は統率も取れず、我先に逃げようとひしめき合っていた。

大量の悪魔にとって、それは格好の餌場だ。


オレは手あたり次第に悪魔を斬り殺しながら、教会へと向かっていた。

魔物一匹一匹は強くないが、数が多すぎる。このままではされるがままだ。

恐らくだが、ここにいる魔物は全て、ルシア聖王国の中で潜んでいたのだろう。

一匹一匹、確実に魔物を忍ばせ、もはや占領下にあると言っても過言ではないほどの戦力を国内に集めた。

いつでも潰せる聖王国を残していたのは言うまでもない。

オレ達人間側の勢力をおびき寄せて、一気に潰すためだ。


オレは歯噛みした。

そうはさせるか。

こんなところで、人類の希望が終わってたまるか‼



オレは一足早く教会に辿り着いた。

教会は緊急時に備えていつでも結界が張れるようにしてあるとルシアは言っていた。

何かあれば、彼女は必ずここに向かうはずだ。


ルシアの存在は聖王国にとっての希望だ。

彼女が潰えた時、この国は終わる。

だからこそ、全力で彼女を守らなければならない。


広場には、不自然なほど人の気配がない。

オレはゆっくりと教会へと歩いた。

警戒するようなものは何もない。

しかし幾度と魔物と戦ってきたオレは、そこにほんのわずかな違和感を覚えたのだ。


オレはハッとした。

頭上から何かが飛来する気配を感じ、後ろへと跳躍する。


ドゴオオォン‼


大きな地響きをたてて、巨大な剣が地面を抉った。

顔を上げると、そこにいたのは、教会を守るために作られた兵士の石像だった。


「なるほど。最初からそこに潜んでいたわけか」


自分を守ってくれるはずの天の使いによって殺される。

魔物らしい悪趣味なシナリオだ。


オレは剣を構えた。

気になるのは、教会に張ってある結界だ。

あれがあるということは、中に人がいるということ。ルシアがいる可能性は非常に高い。

しかしそうなると、こいつらは敢えてルシアを教会の中へ行かせたということになる。

教会の中に、何らかの罠があるとみて間違いないだろう。


敵が再び大きく剣を振りかぶった。


「力勝負か? 受けて立ってやる」


オレの剣が、炎の剣へと様変わりする。

思い切り振り下ろされた剣を、オレは受け止めた。


「うおおおおお‼」


炎の剣が、さらに赤く染まる。

自分よりも何十倍もあるその剣を、オレは弾き飛ばした。

ズシン、ズシンと後退し、巨人兵はたたらを踏む。

その隙にと、オレは突進した。

が、そんなオレを待っていたかのように、横から素早い刺突が繰り出された。

すぐさま水の剣に変え、無数の突きを避け、後ろへ大きく跳躍した。


そこにいたのは、もう一人の巨人兵。

片方が魔物だったのだから、当然もう片方も魔物だということは容易に想像できるが、あれほど素早い動きをしてくるとは思わなかった。


オレは巨人兵の後ろで佇む教会へと目をやった。


(厄介だな……)


オレは素直にそう思った。

二匹のコンビネーションを崩すのは、そう難しくないだろう。

だがそこで悠長に時間を掛けていれば、中にいるルシアの状況は絶望的だ。

どうする……


「ったく。幽霊が出たら連絡しろとか言っておいて、自分は一切連絡なしかよ」


ふいに、後ろから声が聞こえた。


「ずいぶんと勝手な勇者もいたもんだねぇ」


アランとクレナが、ずいとオレの前へ躍り出た。


「お前ら……」

「中にあの聖女様がいるんだろ? ここはアタシらに任せてさっさと行きな」


そうしたいのは山々だが、あの二体はそれなりに強い。

二人だけで倒せるかどうか……。


「心配すんな。兄貴の分は残しておいてやるよ」


アランの軽口に、オレは思わず笑みをこぼした。

考えてる余裕はない。ここはこいつらに賭けてみるか。


「二人とも……死ぬなよ」

「了解」

「お安い御用だ」


二人が巨人兵へ向かった隙を見て、オレは教会へと駆けて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る