ルシア聖王国(3)


驚愕して声も出せないでいるオレに、ルシアは続けた。


「ゴマの儀式は魔物を判別するためのものではありません。加護の強すぎる人間を排除するための装置です」


オレはそれを聞いて、自分でも驚くくらいに納得していた。

今まで感じていた違和感のようなものが、ようやく解消されたような気さえしていた。


「加護の力は魔物に対抗できる唯一の力。しかしその力が強大過ぎると、その矛先はわたくし達人間の方へ向くのです。ちょっとした怒りや混乱によって、簡単に暴走を起こしてしまう。だからわたくし達のご先祖様は、町の秩序を守るために、彼らを排除してきたのです」

「どうしてお前は排除されなかったんだ?」

「先代が死んで、女神様の声を聞いた人間が、わたくししかいなかったからですよ。それぞれの町には、ゴマの儀式を代々行う家系というものがおります。彼らはゴマの儀式がどういうものかを唯一知る一族です。わたくしは、彼らからその話を聞きました」


もしもそれが本当だとしたら、とんだ欺瞞だ。

勇者であるオレだって、この力に何度も飲み込まれた。

大きな力をコントロールできる保証なんて、勇者にだってないのだ。

なのにオレ達人間は、魔物を倒せるかもしれない希望を排除し、勇者という幻想に浸っている。


「ニナちゃんは普通じゃない特別な力を持っていたと仰いましたね。ここからは推測ですが、おそらくゴマの儀式で調べるまでもなかったということなのでしょう。強すぎる力は災いの元になる。ニナちゃんは、本来の役割に沿って、刻印を押されたのです」

「……確認する。じゃあ儀式で刻印が刻まれた者は……」

「ええ。わたくしたちと同じ、人間です」


オレは思わず口を押えた。

薄々勘付いていたとはいえ、他者から直接聞かされると、その衝撃もひとしおだ。

一体何人の善良な人間が、この儀式の犠牲になってきたんだろうか。


ふと、ルシアの方を見る。

彼女はじっとオレを見て、微笑んでいた。

頬を赤らめ、熱っぽい目をオレに向けている


「勇者様。あなたは本当の勇者様です」

「……え?」

「魔物の刻印を押されていようと、あなた様はニナちゃんを見捨てなかった。それが、わたくし達にとってどれほどの救いになるか、あなた様には分からないでしょうね」


ルシアはおもむろに、オレの手を握った。


「勇者様。いえ、シーダ様。あなたはやはり、本物の勇者様です。たとえ勇者の力がなかったとしても、その正しさと勇気を前に、わたくし達はあなたを救世主として称えたでしょう。改めて、お礼を言わせてください。あなたのような方がいる。あなたのような方が勇者であることが、わたくし達にとって何よりの希望です」


その賛美の言葉の数々に、オレは口から出かかったものを押さえ、代わりに鼻で笑った。


「……あいかわらず褒め上手だな」


オレは彼女の手を払い、背を向いた。


「オレはそんなんじゃない。……そんなんじゃないんだ」


そうだ。

オレは何度も罪を犯した。

自分のこの手で、殺しちゃいけない人間をたくさん殺してきた。

……いや違う。それも言い訳だ。

本当は……本当は、勇者になる前から──


ふわりと、温かい感触がオレを包み込んだ。

ルシアが、後ろからオレを抱きしめていた。


「……申し訳ありません。わたくしたちは、あなたに押し付け過ぎているのですね。なのにわたくしは、また余計なものをあなたに背負わせるようなことを言ってしまいました」

「……いや」


ルシアはオレをぐいと引っ張り、振り向かせた。


「こんなお優しい方が、勇者としての責務に重荷を感じていないはずがありません。勇者様は否定なされるかもしれませんが、あなたがそうやって悩んでおられることこそが、その優しさの表れです」


ルシアは、そっとオレの頬に手を触れた。

オレは、ハッとした。

その、全てを癒してくれるような魔法の手を、オレは子供の頃からずっと触れて来た。

母さん。

ルシアの顔が、優しく笑う母さんと重なった。


「あなたがただ、人並みに幸せだと思える人生を歩めることができれば、どんなによかったことか」


オレの目から、ふいに涙がこぼれた。


「ごめんなさい」


思わず漏れ出たその謝罪は、一度言葉にすると、堰を切ったように溢れ出てきた。

オレは子供のようにルシアにしがみついた。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい‼」


ルシアはきっと、何のことか分からず困惑しているだろう。しかしそんなことを考えられる余裕もなく、オレは謝罪の言葉を叫んでいた。

やがて、彼女は何も言わずに、優しくオレを抱きしめてくれた。

温かい。

それは、勇者になって初めて感じたぬくもりだった。

ルシアはオレの言うことを全て受け止めてくれる。オレの歪な想いを、全て理解しようとしてくれる、初めての人間だった。

オレはそのぬくもりに安心して、ゆっくりと目を瞑った。



◇◇◇


「……本当は知ってたんだ」


泣き疲れ、ルシアに膝枕してもらう形で横になっていたオレは、ふいにそう漏らした。


「母さんの分の食事だけ、徐々に減らされていることに。ずっと前から知ってたんだ」


ルシアからすれば、オレがリムだった頃の話は、意味不明なものに聞こえただろう。

しかし彼女は、何も言わずに黙ってうなずいてくれた。


「母さんが食べろって言うから。魔物が来た時にみんなを守れるのはオレだけだから。色々な理由をつけて、オレは……母さんを見捨てた。……見捨てたんだ」


あの時オレは村長に怒った。

でも本当は、そんな資格なんてなかった。

オレも共犯者だった。

村のためだと勝手な言い訳を考えて、オレもみんなと一緒に、母さんを見捨てたんだ。

自分のために。自分のためだけに、母さんを見捨てた。


オレは上体を起こした。


「だから、これはオレなりの贖罪なんだ。ニナを助けるのも、勇者になって人類を救うのも。ずっと、あの時の罪を贖(あがな)うために、オレは生きてるんだ」


オレは大きく息を吐いた。

ここまで自分の心情を吐露したのは初めてだった。

勇者になると決めてから、涙を見せたのは初めてだった。

恥ずかしさや、情けなさはある。でも不思議と、それ以上に心地よかった。


「……悪い。いきなり泣いたりして」

「いえ。わたくしの膝くらい、いつでもお貸ししますよ」


そう言って、ルシアは微笑んだ。

魔物の刻印を刻まれ、欺瞞に塗れていると知りながら、女神の預言者として苦行をこなす彼女の強さは、一体どこからくるのだろう。

どんな時でも凛と立ち、優しさを失わない彼女に、一体どれほどの人間が救われているのだろう。

勇者としても人間としても、きっと一生、彼女には敵わないだろうなと、オレは思った。


「その代わり」


彼女はずいと顔を寄せた。


「……あの時の話は内緒です」


ルシアは顔を赤らめ、目を逸らしながら言った。

オレはそれを見て、思わず吹き出してしまった。



◇◇◇


オレとルシアが外に出ると、既に夕陽が落ちかかっていた。

そろそろ警備のために城壁の方へ行かなければならない。


「あ! シーダお兄ちゃん‼」


ふと前を見ると、ニナが駆けて来るところだった。


「ティアお姉ちゃんがね。先に行くって。よくわからないけど、謝っておいたほうがいいよ?」


どうやら、再び彼女を怒らせてしまったようだ。


「そうだな。わざわざありがとう」


ルシアはニナを見て微笑んだ。


「ニナちゃんは気配りができて偉いですね」

「でしょ! アランとか、いっつも空気読まないから、ニナが監視してるんだよ」

「そうだな。よく手綱を握ってくれてると思うよ」

「へへへ。ニナね、褒められるの好き!」


ルシアは慈しむようにニナの頭を撫でた。

彼女にとって、同じ刻印を刻まれた者同士、感慨深いものがあるのだろう。


「それじゃあルシア。ニナのことを頼む」

「はい。そちらこそ、お気をつけください。未だ被害は出ていないとはいえ、魔物の仕業であることは間違いありませんから」


オレは二人と別れた。

向かったのは、警備のための城壁ではなく、教会だった。


『どこに行くんです?』

「やるべきことがある」


オレは教会に入った。

幸い、人は誰もいない。

オレは地下へと降りていき、元勇者が焼かれる祭壇へと到着した。

未だに青い炎が伸び、罪人を焼き尽くしている。


こいつが諦めなければ、オレにお鉢が回ってくることもなかった。

怒りを覚えてもいいはずなのに……でもオレは、怒りをぶつけることができなかった。


オレは知っていた。

勇者という役目が。この呪いが、どれほど苦しく辛いものなのか。

他の誰が分からなくても、オレだけは分かったから。

だから……


オレは剣を取り出した。


「今、楽にしてやる」


オレは思い切り剣を振り下ろした。

肩から腹にかけて両断され、炎が静まっていく。

黒く焦げた身体は、もはや骨しか残っていない。こんな姿になってもまだ生きていることが信じられないくらいだ。

オレが再び剣を振り下ろそうとした時だった。


ふいに、黒焦げの手が、オレの方へと伸びた。

オレは目を見開いた。

そのままの勢いで、オレは一気にその身体をバラバラにした。


オレは肩で息をしていた。

たった二回、剣を振っただけとは思えない。


『こんな姿になっても死を嫌う。人間というのは本当に哀れな生き物ですねぇ』


後ろからそんな声が聞こえて、びくりと肩が震えた。


『どうかされました? 別に怒ってませんから安心してください。長年放置していたゴミが、ようやく焼却されたというだけですから』


にこりと笑ってみせる女神から目をそらし、オレはバラバラになった元勇者の身体を見下ろした。

その無残な姿が、未来のオレの姿にも見えた。

……いや。たとえそうなったとしても、オレはもう歩みを止めない。


オレは踵を返した。

これは恨みか。それとも呪いか。

しかしオレは、不思議とそれを手放そうとは思わなかった。

オレはちらと、自分の懐を見つめた。

黒焦げの細い手がオレへと伸び、リインが刻まれた瞳を渡された時、オレは何の疑いもなくそれを受け取っていた。


監視していたいというのなら、そうすればいい。

オレはオレの道を歩むだけだ。


オレは決意を新たに、また一歩足を踏み出した。


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