ルシア聖王国(2)

オレはぼんやりと目を覚ました。

気付けば、オレはベッドで眠っていた。

どうやらあれから気絶してしまったらしい。

オレはゆっくりと身体を起こした。

ベッドを降り、部屋を出るためにドアノブを握る。


「勇者様は今、不安になっておられます」


少しドアを開けたところで、ルシアのそんな声が聞こえてきた。


「勇者様にしか分からない何かを、こちらに来てから感じ取っているのでしょう。ですから、ツガイであるあなたが支えになって差し上げないと──」

「そんなにシーダのことを分かってるなら、あなたが支えてあげればよろしいじゃありませんか!」


ティアの怒声に、オレは思わずびくりと震えた。


「……ティアさん。気分を害してしまったのなら申し訳ありません。けれど勇者様を癒せるのは、ツガイであるあなたしかいないのです」

「分かっています! 分かっていますけど……私にはもう、シーダが何を考えてるのか分からないんです。シーダが何かを隠しているのは分かります。でもそれが何なのか、私に打ち明けようともしてくれない。これじゃあどんなに頑張っても……」

「気をしっかり持って。勇者様をお支えになるのがツガイの──」

「あなたには打ち明けたんですか?」

「……」


ここで黙ってしまうのは、ルシアの誠実さの表れだ。

しかしそれはティアにとって、一番残酷なことだった。


「……どうやら、私よりもツガイに相応しい方がいたようですね」

「ティアさん! 待ってください‼」


バタンと、ドアが勢いよく閉まる音が聞こえた。

誰もいない場所で、ルシアが苦悶の混じったため息をついた。


「……わたくしだって、できるならそうしたいですよ。勇者様と添い遂げて……自分の子供を産めれば、どれほど幸せか……」


ルシアは聖職者だ。

子供を持つという、本来なら普通のことが禁止されていてもおかしくない。

ツガイとは勇者の妻となること。

恐らくルシアにとって、ただそれだけが、自分が子供を持つことのできる、唯一の抜け道なんだろう。


オレはゆっくりとドアを閉めようとした。


「……勇者様?」


ぎくりとする。

しかし、これはもうごまかせない。

オレは渋々、ドアを開けた。


「悪い。盗み聞きするつもりはなかったんだが」


ルシアの顔が真っ赤になった。


「あ、あの……先ほどの話を……?」


ルシアは胸に手をやり、噴き出した汗を隠すように俯いて、唾を飲み込む。

明らかに動揺していた。


「ああ。ティアと言い争っていたな」


ルシアはきょとんとし、慌てて頷いた。

あのひとりごとは小さな声だったし、聞こえなかったフリをしてもごまかせる。

見るからに安堵して汗を拭っている彼女を見ていると、思わず笑ってしまいたくなるが、オレは我慢した。


「悪かったな。ティアが」

「いえ、いいのです。わたくしの方こそ申し訳ありません。ティアさんを怒らせてしまったようで……」

「いや。……全部、オレが悪いんだ。ティアに話せないことがたくさんあって。それで、彼女を不安にさせてる」

「……あまりご自分をお責めにならないでください」


彼女は潤んだ瞳でオレを見つめていた。


「あなたの口からは、いつもあなた自身を責める言葉ばかりが聞こえます。けれどあなたは、一人の人間が背負うには十分過ぎる重荷を背負っています。これ以上、責任を負う必要なんてありません」


彼女といると、どうしても甘えたくなってしまう。

自分の中にある本音を、吐き出したくなる。

しかしオレは、ぐっとそれを堪えた。


「そういえば、他の奴らはどこに?」

「勇者様が手に入れてくださった情報を元に警備を強化するので、そのお手伝いをしてくださっています。もうしばらくしたら、ギルバニア皇国を筆頭にした列強国の軍隊が到着しますから、それまでの辛抱です。ようやく、魔王軍に一矢を報いる時がくる。その時は、勇者様がわたくしたちを導いてください」


オレは微笑んでみせた。


「ああ。必ずオレが魔王を倒す。そしたらもう、女神信仰なんていらない。ルシアも一人の女性として、なんだってできるようになるさ」


ルシアの顔が硬直した。


「……勇者様? もしかしてさっきの話……」

「さて。オレもあいつらと合流するか。悪いが案内してくれ」


オレがさっさと歩いてくと、ルシアは大慌てで駆け寄って来た。


「勇者様! さっきの話は忘れてください‼ ただの妄言というか、出来心というか……とにかく忘れてください!」

「さて。なんのことやら」


オレはついからかいたくなって、そんなことを言った。


「勇者様! 本当に忘れてくださいって! 勇者様~‼」


いつも慄然としていた彼女が、この時ばかりは歳相応で、そのギャップがなんだかおかしくて、オレは思わず笑ってしまった。



◇◇◇


ルシア聖王国は教会の主であるルシアが王である変わった国だが、ちゃんと城も存在した。

と言っても、城主は実質的に将軍と言っても良いらしく、軍事的なことはほとんどその将軍が取り仕切っているらしい。

とはいえ、ルシアも会議には参加するし、時々は城で寝泊まりもしているようだ。


オレはルシアに案内されて、城の会議室に入った。

中にはオレの仲間達と、一人の兵がいる。

地図を机に広げて中央に立っている彼が、おそらく話にあがったライド将軍だろう。


「兄貴! 身体はもう大丈夫なのか?」

「ああ。心配かけたな」


ティアがルシアの方を向き、目をそらした。

ルシアはぎこちなく笑っているが、少し傷ついているようだ。


「あとでフォローしておく」


ルシアにだけ聞こえるようにぼそりと呟くと、彼女は小さく微笑んでくれた。


「それで、状況は?」

「はい。勇者様が教えてくださった情報を元に索敵の範囲を増やしてみましたが、今のところ敵の動きはありません。ただ、最近妙な噂が兵達の中で流れるようになりまして」

「噂?」

「はい。その……なんでも、夜中に森を監視していると、木々の間から幽霊が現れると」

「なんだそりゃ? 幻覚かなんかじゃねえのか」

「はあ。私もそう言っているのですが、情けない話、中には怖がって夜の警備につきたがらない者もおりまして」


オレは顎に手をやって考えた。


「幽霊というのは、たとえばどういう形状だ? 完全な人型なのか、どこかぼんやりとしているのか」

「それが……兵によってまちまちなんです。普通の人間と変わらない姿だったと言う者もいれば、影のようだったと言う者もいて。時には死んだ両親や恋人の姿だったりもするらしく、その姿を人目見ようと、当番でもないのに警備に来る者もいる始末で……」


恐れによって判断能力をなくすという戦術に長けている魔物にとっては、人間が一か所に留まり守りを固める状況は好都合だろう。

たとえ強固な壁に守られていようとも、受け身であれば、その恐怖をじわじわと広げていくのもたやすい。


そしてライド将軍から聞いた話は、例の巨大クモから聞いた話を彷彿とさせるものでもある。

死の魔法使い、デス・クック。

これが奴の魔法のおぜん立てだとしたら……。


「その幽霊が出るポイントというのは限られているのか?」

「現在のところ、二か所で確認されております」

「よし。じゃあ今夜はオレ達が見張りをやる。オレとティア、アランとクレナに別れて監視し、幽霊の正体を暴いてやろう。ただしアラン達は、幽霊の存在に気付いたら即座にオレに連絡すること。いいな?」


全員がうなずいた。

アランもクレナも、恐怖に己を忘れるようなことはないと思うが、なんといっても敵はスネイクと肩を並べる三毒だ。

慎重過ぎるなんてことはない。


「ねぇ。ニナは?」

「ニナはお留守番だ」

「えぇ~?」


ニナはぶすっとした。

いつも聞き分けの良いニナにしては、珍しい態度だ。


「ニナ。何かあるのか? 体調が悪いならティアについていてもらうが」

「え⁉ ……う、ううん。なんでもない……」


ニナはいじけたように、ひとさし指でひとさし指をつつき始めた。

それを見て、ルシアが膝を曲げてニナと視線を合わせた。


「ニナちゃん。今日はわたくし、孤児院の子供達と一緒に寝る約束をしているのだけれど、もしよかったらニナちゃんも来ない?」

「え⁉ 行く行く‼」


ニナはうれしそうに何度もうなずいた。


「ルシア様。そのようなことはおやめくださいと申したはずです。その慈悲深いお姿は大変誇りに思いますが、あなた様には身分がございます」

「子供達あっての国ですよ。それを蔑ろにするなんてあってはなりません」

「しかし構い過ぎるのも問題です。そもそも──」

「まあいいじゃないか」


ライド将軍とルシアの言い争いに、オレが割って入った。


「ルシアの言ってることは正しい。彼らは将来、ルシアの剣となり、盾となる存在だ。今から恩を売っておいて、損することはないだろ?」

「……分かりました。勇者様がそうおっしゃるなら」


その時、ドアがばんと開いた。


「急報です。ギルバニア皇国の軍が、明日には到着するとの連絡が──」


その兵士は足元が見えていなかったのだろう。

誤って、ニナとぶつかった。

その衝撃で、ニナが額に巻いていたバンダナが、はらりと解けた。


まずい!

そう思う間もなく、兵士の目がニナの額の紋章にくぎ付けになった。


「……魔物」


途端に、兵が剣を抜く。

オレはすぐさまニナを抱きかかえ、剣を構えた。


「魔物だ。魔物だ! 全員──」


ゴスッ

そんな鈍い音がして、部屋を出て行こうとした兵士が倒れる。

アランの肘打ちが、彼の後頭部に直撃したのだ。


「貴様ら、勇者というのは嘘だったか‼」


ライド将軍が懐を弄り、怪訝な表情をする。


「お探しのものはこれかい?」


クレナが紐の付いた小さな笛を指でくるくると回している。


「貴様ら~‼」


ライド将軍は剣を取り出した。


「ルシア様! 隙を見てお逃げください‼ 私の命と引き換えにでも、こ奴らを殺してみせます‼」


オレは将軍を睨みながら、必死に考えを巡らせていた。

どうする? この男はかなり強い。

このまま戦闘になれば、さっきの男のように戦闘不能にはできない。

確実に死人が出る。


オレの考えがまとまらないうちに、ライド将軍が飛び出してきた。

仕方なく応戦しようと構えた、その時だ。


「おやめなさい‼」


ルシアが間に割って入った。


「ルシア様! こいつらは敵です! 魔物の手先です‼」

「違うの! これは無理やり人間につけられたもので──」

「それを証明する手段がどこにある⁉」


その通りだ。

オレ達だって、その疑問については答えが出ず、飲み込んできたのだ。

それを今ここにいる人間に説明して、納得してもらえるはずがない。


「アタシ達が嘘をついてるって証明もできないと思うけどねぇ。だいたい、鬱陶しい人間を排除するために焼き印をつけるなんて、容易に想像できる話でしょ?」

「そんなクズみたいな奴がいるわけないだろ‼」


クレナは目をぱちくりさせた。

……まあ、見てきた世界が違うんだろう。クレナからすれば絶妙なアシストだったんだろうが。


「とにかく、武器を捨ててください。勇者様は本物です。わたくしが保証します」


ライド将軍は逡巡し、首を振った。


「武器をお捨てなさい‼」


ライド将軍は迷っているようだった。

ちらちらと、ルシアとオレに目を配り、額から大粒の汗を流している。

オレ達は、その様子を警戒しながら見つめていた。

やがて、ライド将軍は、ぎゅっと目を瞑った。

カランと剣を落とし、彼は手をあげた。

オレはほっとして剣をしまった。


「ありがとう。信じてくれて」

「信じたわけじゃない。言い分くらいは聞こうと思っただけだ。……事情を話せ」


オレは全てを包み隠さず話した。

ニナと出会った時のこと。彼女を旅に連れていくと聞けたときのことを。

全て聞き終わり、ライド将軍は机を強く叩いた。


「つまりお前達も確証がないわけじゃないか! そんな危険な存在を連れて旅していたなんて、正気じゃないぞ!」

「それ以外に彼女が生きる道はなかった。……放っておけない」

「放っておけ! その判断がどれほどの危険をはらんでいたか分かっているのか⁉ 勇者としての自覚が無さ過ぎる‼」

「あそこで見捨てていたら、それこそオレが勇者である意味がない! 子供一人助けないで何が勇者だ!」


議論が白熱している中、アランは座っている椅子を傾けながら両手を頭の後ろに組んでいた。


「まあでもさ。今まで無事だったってことは、こいつは魔物じゃないっていう証明にはなるだろ?」

「ならん!」

「お堅いねぇ」


ぼそりと呟きながら、アランは椅子を揺らし始める。

……どちらかというと、オレ達が軽すぎるだけだと思うが。


「……それで、結論はどうするんだ?」


ライド将軍はじろりとニナを睨んだ。

びくりと、彼女はティアの後ろに隠れる。

それを見て、思わず顔をしかめる。


「……くそ。よりによって娘と同じ年頃とは」


どれくらい経っただろうか。

ライド将軍は下を向き、ずっと考えている。

このままずっとこうしていなきゃならないのかと思い始めたころ、ふいに、ルシアが彼の手に触れた。


「将軍。わたくしが彼女を見張っています。それでどうですか?」

「……しかしあなた様にもしものことがあっては」

「わたくしの加護の強さは、あなたが一番理解しているところではありませんか。魔物一匹相手なら、遅れはとりません」


その言葉に、ライド将軍は渋々頷いた。


それからオレ達は話し合い、とにかくニナのことがばれるのは騒動の元だから、できるだけ隠しておくことで意見が一致した。

目撃した兵士には将軍とルシアの二人で十分に口止めし、帰ってもらった。


納得いかないといった様子だったが、さすがに国のトップ二人からの言葉となれば、軽々に喋ったりはしないだろう。


『なんだかつまらない展開ですねぇ。疑心暗鬼になって殺し合いとか始めたら面白かったのに』


オレは女神を睨んだ。


『そう怒らないでくださいよ。人間が勝手に作った価値観に、人間が勝手に囚われていることが哀れだと言いたいだけです。ここだって、元々使えなくなった人間を捨てたただのゴミ捨て場だったのに、人間が勝手に意味を見出してこんなに発展するんですからね。あははは。人間っておもしろ~』


こいつ……!

言いたい放題言われても何もできない自分が悔しくて、オレは歯噛みした。


「意味のないものにも意味を見出す。そういう考え方が不幸を産むのです。きっと彼女は、誰よりもそれを分かっているんでしょうねぇ」


彼女とは誰の事だ?

そう問おうとした時だった。


「勇者様」


ふいに、ルシアに呼ばれた。


「あの、折り入ってご相談したいことがあります。あとでわたくしの部屋に来ていただけませんか?」


何の話かは分からなかったが、ルシアの真剣な様子を見て、オレはうなずいた。



◇◇◇


「それで、相談ってのはなんだ?」


ルシアの部屋に連れて来られたオレは、開口一番そう言った。

彼女は話し辛そうに部屋をうろうろしていたかと思うと、ぴたりと止まり、意を決したように深呼吸した。


「わたくしは嘘をついておりました」


ルシアはオレの方を振り向いた。


「女神様の存在を疑ったのは、あのご神体を見たからではありません。もっと昔から、ずっと疑問を持っていたのです」


彼女はゆっくりと近づき、オレの胸に手をやった。


「おい。いい加減にしないと……」

「違います。その……額を、見て欲しいのです」


額?

オレは彼女の額を覗き込んだ。

特に変わったところのない、きめ細やかな肌に見える。

……ん?


「少し触るぞ」

「ど、どうぞ……」


彼女の額に指で触れた。

粉だ。

皮膚と同じ色の粉をまぶしてある。

オレが指で優しくこすると、そこからうっすらと紋章が浮かび上がった。


「これは……!」

「……はい。魔物の紋章です」


ルシアはオレを見つめながら言った。


「わたくしもニナちゃんと同じです。人々に、魔物の烙印を押された存在なのです」


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