ルシア聖王国(1)


ルシア聖王国に到着したオレ達は、兵達によって丁重に招き入れられた。

魔物から仕入れた情報を伝えると、彼らは迅速にそれを聞き入れ、警備をより強化することを約束してくれた。

さすがに魔王領を食い止める関所の役目を長年果たしてきただけあって、一端の兵であっても驕りや恐怖の色はなく、代わりにあるのは強い覚悟と、この国の兵であるということの矜持だった。

この国は強い。

来て早々に、オレはそれを確信した。


歴史を感じさせる石造りの街並みを堪能しながら連れて来られたのは、大きな教会だった。

天使の羽根が生えた兵士の彫像が左右に佇み、剣を掲げて門を守っている。


「どうしたの? ニナ?」


見ると、ニナがティアに抱きついていた。


「……なんだか怖い」

「おいおい。こんな彫像の何が怖いってんだ? もっと怖い目に遭ってきただろうが」


いつもなら食ってかかるアランの言葉にも何も言わず、ニナはティアの身体に顔をうずめている。


「なんならアタシが子守してようか? 堅っ苦しい話は苦手だしね」


クレナの提案に、ニナは気持ちが揺らいでいるようだった。

しかし、唇を噛みしめてふるふると首を振った。


「ううん。我慢する。ありがとう、クレナお姉ちゃん」


少し心配だったが、本人がこう言っている以上は強く引き留めるわけにもいかない。

一応、気を付けて様子を見ていようと皆に目配せして、オレ達は教会へと続く階段を上った。


『あの荒れ果てた丘が、こんなに豪勢な場所に変わったんですねぇ』


女神がオレの横でぼそりと言った。


「来たことがあるのか?」

「兄貴。何か言ったか?」


思わず声に出してしまった。

オレは何でもないと言ってごまかした。


『はい。ありますよ。以前の勇者と一緒に』


ドクンと、心臓が高鳴った。


「なに?」


そうだ。

いくら転生するからといって、勇者がオレ一人だとは限らない。

だからこそ伝承があり、石板があるのだ。

オレ以外にも、この輪廻に苦しめられた人間がいる。

その事実は、オレの心を揺さぶるに十分なものだった。


そんなことを考えていると、教会の重厚な扉が音をたてて開いた。


「ルシア様が中でお待ちです。我々はここで待機していますから、何かありましたらお呼びください」


兵達は敬礼して、オレ達が中に入ったのを確認してから、扉を閉めた。


中は薄暗く、厳粛な空気で張り詰めていた。

左右に長椅子が何列も並べられていて、中央にはレッドカーペットが敷かれている。

天井には、女神と思われる女性が、異様に手足が細い不気味な悪魔と戦う絵が描かれている。

奥には十字架があり、そこに女性が磔になった像がある。

その下で、一人の女性が祈りを捧げていた。

オレと大して変わらない年齢の、若い女性だ。

長く美しい金髪。白い布とヴェールでできた服は聖職者のものにしては露出が多く、どちらかというと踊り子のような煌びやかな印象があった。


その女性は、祈りが終わると、ゆっくりとこちらに振り向いた。

綺麗な人だと、オレは思った。

ティアもケイトも美人だが、それとはタイプが違う。

同じ人間とは思えない、触れれば壊れてしまうガラス細工のような気品がある。

ずっと見ていると、思わず吸い込まれてしまうような美しさだった。


ふいに、彼女の目から、ほろりと涙がこぼれた。


「この日を何度夢見たことか。お会いできて光栄です。勇者様」


オレは些か驚いていた。

勇者に出会えたことに驚いたり感動されたりすることはよくあったが、涙を流した人間は初めてだった。

彼女は慌てて自分の頬を拭った。


「失礼を。わたくしはルシアと申します」

「シーダだ。彼女がツガイのティア。それにアランとクレナにニナ」

「皆さま。ようこそおいでくださいました。歓迎いたします」


にこやかに挨拶するルシアに、ティアはもちろん、クレナも渋々頭を下げる。


「あんたがこの国の王様か?」

「ちょっとアラン! もう少し言葉を選んで」


ルシアは気に留めることなく、にこりと笑った。


「構いませんよ。楽に話してください。わたくしも、フランクに接してくださる方が嬉しく思います。この国では代々決められる女神様の代弁者、『ルシア』を王としているのです。ですから王様というのは正しくもあり、間違いでもありますね。わたくしは今も一聖職者のつもりです」


今まで見て来たお偉いさんとはずいぶんと違う。

どこか余裕があるというか。謙遜しているというか。

聖職者であることも関係しているんだろうか。


「こんな虫も殺せそうにないお嬢さんが王様ねぇ。確かここって、魔王領との境目で一番戦闘が激化している場所だろ。こんなんで大丈夫か?」

「アラン! ちょっとニナと一緒に外に出よ!」

「あぁ? なんでだよ」

「いいから早く‼」


文句を言うアランをぐいぐいと押すようにして、二人は教会の外へ出た。

おそらくアランは、体調の悪いニナを案じて、敢えてヒール役を演じたんだろう。……おそらく。


「大変申し訳ありません! 根は善良な青年なのですが、なにぶん、思ったことをすぐ口にする悪い癖がございまして……」


ティアの慌てた弁明に、ルシアはくすくすと笑っている。


「いいんですよ。けれど、とても賢い子のようですね、ニナという子は」

「……はい。私達の方が助けられるばかりです」


ルシアの慈愛に満ちた瞳を見て、本当に子供が好きなんだろうなと、オレは思った。


「ちなみに、勇者様はこの国について、どこまで知っておられますか?」

「悪いが、まったくと言っていいほど知らない。よければ教えてくれないか?」

「分かりました。ここルシア聖王国は、女神様への信仰が潰(つい)えることのないようにと、この教会を中心に建国されました。この場所は女神生誕の地とされ、人々に崇められていたのです」


女神生誕の地……。

この地上に、神が生まれた場所があるのか。


『アーッハッハッハ‼』


突然女神が笑いだすものだから、オレはびくりと肩を震わせた。


「勇者様? どうかされましたか?」

「あ、いや。なんでもない」

『アハハハ! アハハハハ‼』


女神は腹を抱えて笑っている。

なんなんだ、一体。気になってルシアの話に集中できない。


「女神様はこの地に降り、そして今の惨状を嘆き、自分にできることを考えらしたのです。そしてこの場所で自らを炎にくべることで、我々人間のための祈りを永久(とわ)に捧げてくださっている。『ルシア』であるわたくしは、女神様のお言葉を人々に伝えることのできる預言者です。幼少の頃から毎日続けられる修行によって、時々そのような人物が現れるのです。わたくしの使命は、女神様の清きお言葉を人々に届け、救いをもたらすことなのです」

『アハハハハ‼ ヒー、ヒー。お腹痛い……』


女神が何を笑っているのか、話の大筋を聞いて察しがついてきた。

女神生誕の場所という話は分からないが、女神が預言者を使って人々に救いの言葉を投げかけるなんて、そんな殊勝なことをするわけがない。

きっと、ルシアが信じている……いやこの国、この世界の人々が信じている女神信仰のでたらめさを、彼女は笑っているのだ。


オレは強く拳を握った。

真実がどうかなんて知らない。

だがこの目の前にいるルシアは、おそらく生涯を信仰に捧げて来たはずだ。

人並みの幸せも、快楽も全て捨てて。

それが誰かのために、人類のためになると信じて。

それを……それを、信仰されている存在が笑い嘲るこの状況が、オレには許せなかった。


『アハハ! アハハハハ‼』

「笑うなっ‼」


オレの怒声が教会内に響き渡り、しんと静まり返った。


「……シ、シーダ? 誰も笑ってなんかいないよ?」


オレは興奮で、肩で息をしていた。


「……ティアさん。よろしければ、他の方を連れて、退席願えますか?」

「え?」

「少し、勇者様とお二人でお話させていただきたいのです」


急な要望に困惑していたティアだったが、言われた通りに皆を連れて教会を出て行った。

全員いなくなり、ルシアは大きく深呼吸した。

その震えた呼吸は、自分の中にある恐怖や不安を追い払おうとしているようだった。


「……勇者様。あなたは見えているのですね?」


ドキリとした。


「……な、なんで」


オレは思わず女神を見た。

女神は眉をひそめ、ふるふると首を振る。

ルシアはオレの様子を見て、真実を悟ったようだった。


「確証があったわけではありません。ただ、予感があっただけです。わたくしは、誰よりも女神様について考えてきた人間です。色々な可能性を考えているうちに思いついた仮説の一つとして、女神様は勇者様に付き従っているのではないかと考えておりました」

「……ならつまり、その……」

「ええ。わたくしが聞こえたという声が、ただの幻聴だということも考慮しております。あの時は何日も断食をして意識がもうろうとしていました。聞こえていないはずの声が聞こえたとしてもおかしくありません。現にそれ以来、わたくしの耳に女神様のお声が聞こえたことはありません」


オレは口ごもった。

今話そうとしていることは、この国の根幹を揺るがすものだ。

そしてそれ以上に、一人の純粋な聖職者の心を、やすやすと破壊できるものだった。


「教えていただけますか? 女神様がどういう方なのか。……覚悟はできております」


オレはちらと女神を見た。

彼女はさっきまでの愉快そうな態度とは裏腹に、どこか白けたような顔をしていた。


『いいんじゃないですか? どうせ全部察してるみたいだし。あ、なんならここで勇者の秘密をばらしちゃうのも面白いかもしれませんね! 彼女が信じて来た“女神様”が呪いから守ってくれるかも──』


下らない妄言を押しのけて、オレは真実を語った。

彼女は終始無表情で、全てを聞き終えると、ほっと息を吐きだした。

どこか諦観したような、納得したような、そんな複雑な顔をしていた。


「……そうですか。女神様は、わたくし達人間のことを、何とも思ってくださらないのですね」

「少なくともオレにはそう見える。こいつに情なんてものがあるとは、とてもじゃないが思えない」

『失敬ですね! 私だってそれくらいあります‼』


女神はぷんぷんと怒ってみせた。


「……すまない。お前にとっては、聞きたくない話だったよな」


ルシアはにこりと笑った。

どうしてこんなに、無理のない笑顔ができるんだろうかと思えるくらいに。


「聞きたいと言ったのはわたくしの方ですよ。あなたが罪悪感を覚える必要はありません」

「……お前が女神だったらよかったのにな。そしたら、もっと世界は平和で、人々も、こんなに苦しい思いをすることもなかったのに」

「え?」


ルシアは顔を真っ赤にした。


「そ、そんな! 恐れ多いことです……」

「あ、悪い。気に障ったか?」


ルシアはちらとオレの方を見て、恥ずかしそうに下を向いた。


「いえ。……そんな風に言ってくださった方は初めてで。それも、勇者様の口から言われたものですから。……少々、舞い上がってしまいました」

「だが、さっきも話した通り、オレは女神に操られる道化だ。尊敬されることなんか……」

「そんなことありません!」


ルシアは、ぎゅっとオレの手を握りながら言った。


「勇者様はご自分の意思で人々を守るために剣を振るっておられます。たとえそれが無理やり持たされた剣だとしても、今まで戦ってこられたあなたの勇気は、決して操られたものなどではありません!」


その、思わず浸っていたくなるような言葉の数々を、オレは無理やり振り払った。


「……オレは誰かに褒められて良いような存在じゃないさ」

「え?」


オレはごまかすように立ち上がった。


「ところでルシア。お前はどうしてそこまで女神について懐疑的になれたんだ? いくら誰よりも考える時間があったと言っても、盲目的に信じていたものを疑うのは、相当の自己否定が伴うはずだ。普通できることじゃない」


ルシアは少し言いよどんだ。


「……先ほどお伝えした話を覚えておられますか? 女神様が自らに火をくべて、我々人間のために祈ってくださっていると」

「ああ。それがどうした? ただの伝説だろ」

「実は、それは未だに続いているのです。実際に今も、途切れることのない炎が、この教会の地下にあります。……勇者様、一度見てくださりませんか?」


オレは怪訝に思いながらも、こくりと頷いた。

女神が意地の悪い笑みを浮かべているのが、妙に気になった。



◇◇◇


地下は等間隔に置かれた松明で照らされていた。

どこからともなく吹いてくる生暖かい風は、非常に不気味だ。

ズキリと、右目がうずいた。


「大丈夫ですか?」

「ああ。なんでもない」


おかしいな。

こんな痛みを感じることなんて、今までなかったのに。


地下の一本道をしばらく歩くと、ひと際明るい部屋に出た。

座布団が敷かれ、小さな机には呪文が書かれた巻物が置かれている。

その奥に、それはあった。


四本の錫杖と特殊な紐で囲いをされた四角形の空間で、青い炎がたちのぼっていたのだ。

ふいに、炎の波の中から、何かが見えた。


「分かりますか? わたくしはアレを見て、女神様に疑問を持ったのです。ここに誰よりも長くいるわたくしだからこそ、気付いたといえるかもしれません」


オレはゆっくりと近づいた。

右目の疼きが止まらない。

その炎を見てからというもの、まるで右目が興奮しているように、痛みが増してきた。


炎の中の何か。

机を超えて、ほとんど炎の目の前まで来た時、その正体が分かった。


それは人だった。

まるで拘束されているかのように、しゃがみ込んで動かなくなった人が、燃えていたのだ。

凝視してみて、それが女でないことはすぐに分かった。

おそらく、それでルシアは、女神信仰に疑問を持ったのだろう。

仮に信仰が本当であるのなら、ここで燃えているのは女でないといけないはずだから。


ふいに、燃えている男の片目がキラリと光った。

雷のような“くの字”を連ならせた、何かの塔を連想させる刻印。

オレの右目にあるものと同じ、リインの刻印だ。


ドクンと、心臓が高鳴った。


「うわああああ‼」


オレは思わず後じさり、壁にぶつかった。


「勇者様! どうかされたのですか⁉ 勇者様‼」


オレには分かる。

いや、オレだけには分かる。


あれは勇者だ。

オレと同じ、決して死なない彷徨える魂だ。

そしてその魂は、今もあの業火の中で生きている。

何年、何十年と、生き続けているのだ。


『あれが勇者の務めを放り投げた者への罰です』


怖いものなんてないと思っていた。

全てを失った今、これ以上、何も恐れるものなんてないと。

でも今のオレは、恐怖に打ちひしがれていた。

身体が震え、無様に歯を鳴らしながら、怯えた目で女神を見つめた。

女神はいつものように笑っていた。


『だから、あなたもああならないように、必ず務めを遂行してくださいね』


女神の笑顔は、ルシアのような慈愛など欠片もない。

それは悪魔よりも悪魔らしい、恐ろしい笑顔だった。


『悟りなさい。それが、あなたの逃れようのない運命なのです』


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