嘆きの山(2)
「クレナお姉ちゃん!」
クレナが山道を下っていると、ティアとニナが慌ててついて来た。
「ねえお願い! シーダお兄ちゃん達を助けるのに協力して! ニナとティアお姉ちゃんだけじゃ無理だよ」
クレナはぴたりと立ち止まり、小さくため息をついた。
ニナの顔がほころぶ。しかしその笑顔を否定するように、クレナはぎろりと睨んだ。
「そのお願いとやらは、どういう立場で言ってるんだい?」
「それは……お友達として」
「そのお友達に隠し事をしておいて?」
クレナはニナに近づき、額に巻いていたバンダナを奪い取った。
ニナの額には、魔物の証であるゴマの印が、あせることなく刻まれていた。
「……そんなことだろうと思った」
ティアが慌ててニナの額を隠す。
「待って! 違うの‼ これは違うの‼ 町の人たちにはめられて、それで──」
「アタシは舐められるのが嫌いだ。舐められた奴が惨めったらしく死んでいくのをずっと見てきたからね。嘘ってのは、その表れだと思っている。ま、つまりはそういうこった」
じゃあねと言わんばかりに、クレナは手をひらひら振りながら背を向けた。
「人類の希望を自分の命欲しさに見捨てるの⁉ そんなの──」
クレナはくるりと翻し、ティアの胸倉を掴んだ。
「じゃあ言わせてもらうけどさ。人類はアタシに何をしてくれたわけ? 盗賊団に家族を皆殺しにされた時、見て見ぬフリをしてたのは誰だ? 子供のアタシが売られていくのを下品な目で笑いながら見てたのはどこの誰だよ。そいつらの希望を、アタシが守らなくちゃいけない理由はなんだ?」
ティアは絶句し、押し黙った。
「アンタ、見るからに育ちがよさそうだね? 何もしなくても飯が出てきて、働くこともせずに女神様についてたくさんお勉強する時間があったんだろうさ。そんな時間もなく、泥棒なんかしてたアタシは、人間失格ってわけかい?」
「そ、そこまでは言ってないけど……」
ティアが泣きそうな顔で俯いた。
クレナは舌打ちして手を離した。
「……アタシの両親は強盗に殺された。アタシはその強盗団で育ったんだ。両親を殺した頭領のご機嫌を取りながらね。なんでアタシが今まで生きてこれたか分かる? 両親との思い出を捨てたからだよ。いびきをたてて眠っている頭領の首に、手をかけようとしなかったからだ。アタシの平穏を平気で壊して、そんなことなかったかのように豪遊しているあの男を、一度たりとも殺意を込めた目で睨まなかったからだ。頭を下げて靴を舐めて、役に立って喜ばせた。だから生きてこれたんだ」
ティアは何も言い返せなかった。
「忠告してやる。長生きしたいなら、アイツらに肩入れするのは止めな」
「それでも……」
ぼそりと、ニナが俯いたまま言った。
「それでも、シーダお兄ちゃんは、ニナを助けてくれた。ニナなんか仲間にしても、大変なだけなのに」
「……ただの同情だろ?」
「アランも、シーダお兄ちゃんのために、命を投げ出した」
クレナは大きくため息をついた。
「そんなに人のために死にたいなら、アンタらもここで自害しなよ。そしたらアイツらを助けてやるからさ」
「……そうしたら、シーダを助けてくれるの?」
「は?」
ティアはナイフを取り出し、自分の首に向けた。
思わず、クレナは渇いた笑みを浮かべた。
「はったりだろ? そんなこと……」
「シーダが生き残る可能性が少しでもあるのなら、私に迷う理由なんてない!」
先程までとは違うヒステリックな叫び声に、クレナは思わず黙り込んだ。
「あなたの言う通り、私は世界の怖さも暗さも、何も知らないで育った。たとえ魔物に襲われても女神様が守ってくれると、何の疑いもなく信じられるほどに。……でも、そんなわけなかった。世界がこんなにも残酷であることを、魔物に襲われて、旅に出て、私は、初めて知ったの」
戸惑うクレナを、ティアはまっすぐ見つめていた。
「あなたが本音で話してくれたから、私も全部話す。私は残酷な現実に直面して、初めて女神様を疑った。世界を疑った。私自身が信じてきたものが、本当は違うかもしれないと初めて思った。だからもう、私にはシーダしかいないの」
ティアはゆっくりと、その刃を首へ近づけた。
「シーダは勇者になってから変わった。別人だと言われても驚かないくらい、変わってしまった。もう私には、シーダが何を考えているのか、何も分からない。でも……それでも私は、シーダを愛してるの。誰がなんと言おうと、私はシーダを、誰よりも愛してるの。それだけは、何があっても絶対に変わらない。だからもし私の命でシーダを助けられるなら、私は喜んでこの命を投げ出す」
剣先が皮膚をへこませ、ぷつりと音をたてて血が垂れる。
ティアは目を瞑った。
ナイフを持つ手に力がこもる。
一気に首を突き刺そうとして……クレナが腕を掴んでそれを止めた。
「……もういい」
クレナは大きくため息をついた。
「ったく。一体なんなんだ。アイツらといい、オマエらといい。そんなに誰かのために死にたいのかよ、クソったれ」
クレナは頭をがしがしとかきむしった。
「あーもう、分かった! そんなに言うなら手伝ってやる‼ これで死んだら、地獄で一生恨み言言ってやるからな」
ティアとニナは互いに顔を見合わせ、どちらからともなく、クレナに抱きついた。
◇◇◇
三人がいなくなってから、どれだけの時間が流れただろうか。
身動き一つ取れず、向かいの壁をただ見つめることしかできない状況では、時間間隔が狂ってしまうのも仕方ないだろう。
ただ、錫杖から広がる仄かな光が徐々に薄まり始めていることを考えれば、相当の時間が流れたことは疑いようがない。
「アラン、生きてるか?」
「おう。なんとか」
見るからに元気がなくなっている。
当然だ。
治癒が発動しているとはいえ、背中が溶けるような痛みは健在なのだ。
肉体的損傷はなくても、精神は急速に摩耗していく。
ふと、暗い影がオレ達を覆った。
見上げると、そこには巨大なクモがいた。
壁に突っ張るようにして、八本の足を器用に動かし移動している。
その頭頂部には人間の上半身が融合していた。半裸の女性であるそれは、口を開けると、小さな管のようなものを壁に突き刺した。
ごくり、ごくりと音をたてながら嚥下する。
どうやらこのクモは、肉の壁を食料にしているらしい。
ふいに二本の足が壁の頂へと伸び、おぞましい汚物のようなものを取り出すと、近くにあった肉壁から生えている顔に、それを押し付けた。
「ぐぶっ。ごぼげ。おげ」
その顔は、必死になって汚物を食べている。
見ているだけで嘔吐しそうな光景だ。
おそらくこのクモは、人間の体液のようなものを食料にしているらしい。
それを定期的に確保するため、人間を肉の壁にして動けなくして、すぐ近くで取れる汚物を人間に与えている。
栄養失調と体力低下によって死ぬまで、一生クモの食料にされるのだ。
その場で食い殺してくれた方が何百倍もありがたいのは、言うまでもないだろう。
じろりと、食事をしている女の目が、オレを見下ろした。
『あらあらぁ? もしかしてあなた、勇者様じゃなくって?』
壁を伝って、テレパシーのようにクモの言葉が聞こえてくる。
「だったらなんだ?」
食事を止めることなく、女の頬が吊り上がった。
『キャハハハハハ‼ 最高‼ 何もせずに勇者を殺せちゃうなんて♪ 魔王様にいっぱい褒めてもらわなきゃ♪』
「いつの間にか、オレも有名人になったもんだな」
『そりゃそうよぉ。アーミーアントもフォレストも、私達にとって自慢の戦力だったんだから。それをこの短期間でこうも簡単に殺されちゃったらねぇ』
おそらくアリの大群と、森に擬態していた巨大な魔物のことを言っているのだろう。
「お前らが種族を超えて統率されているという噂は本当らしいな」
『あら。そんなことすら知らなかったのぉ? 人間ってやっぱり愚かねぇ』
クモは食事を終えると、ゆっくりとオレ達の方へと降りて来て、近くの壁に再び管を突き刺した。
『まあでも、私が殺すまでもなかったんだけどねぇ。なにせデス・クック様がこの近くまで来てるって話だから』
「デス・クック?」
聞いたことがある。
確か、魔物の頂点に君臨する三毒の一人だ。
しかしオレも、デス・クックについては名前しか知らない。
ここはコイツから情報を入手しておくべきだろう。
仮にここで死んでも、転生すればその情報は非常に有益なものになるはずだ。
「そいつは強いのか?」
『強いわよぉ。なにせ、死を操る魔法使いだからねぇ』
死を操る……?
それが言葉通りの意味だとしたら、まさしく最強だ。
『デス・クック様の前では隠し事など不可能よ。皆が自分の弱さをさらけ出し、デス・クック様の前にひざまづく。そしてこう言うの。クック様、私を殺してくださいってね。何百人といる人間共が一斉に集団自殺する様なんて圧巻よぉ♪』
集団催眠のようなものか?
とにかく、非常にやり辛い相手であることは間違いないようだ。
『あの忌々しいルシア聖王国の人間が、クック様の前で死んでいく姿を想像したら、興奮して眠れないわ♪』
オレは目を見開いた。
魔物達の狙いは、ルシア聖王国か!
『さて、冥土の土産も持ち過ぎると肩が凝るでしょう? おしゃべりはこのくらいにして、さっさと殺してあげるわぁ。本来なら肉が腐ることのないように、じっくり永遠に生かしておいてあげるところだけどねぇ。恨むなら、勇者である自分を恨みなさい。いえむしろ、感謝するべきかしら? 地獄もここよりは住み心地が良いでしょうしねぇ♪』
女は管を壁から抜いた。
その先端は鋭く尖っていて、人間の肉体など簡単に貫けるだろう。
女の口角が上がる。
万事休すか。
そう思われた時だった。
ドオン‼
突然、爆発音が聞こえた。
「な、なに⁉」
糸が一斉に音の方へと飛んでいく。
クモは警戒するように、音とは逆の方向へと後退し始めた。
ドオン‼
今度はすぐ近くで爆発音がした。
それは後退したクモのすぐ真下で起こったものだった。
爆発によるダメージはさほどないようだったが、端の斜面の方まで移動していたため、衝撃で崩れた崖の雪崩にまともに巻き込まれた。
「糸! 糸‼ 早く私のところに‼ 早くうぅう‼」
八本の足を高速で動かすものの、土砂の流れの方が圧倒的に早い。
「ギイイィイ‼」
巨大クモは、滑り落ちるようにして、瓦礫と共に見えなくなった。
「あっけないくらい簡単に釣れたねぇ」
壁の上でこちらを見下ろしながら、その女性は言った。
「クレナ!」
笑みを浮かべるクレナの後ろには、ティアとニナもいる。
彼女たちはロープを使って降りて来た。
「さっきの爆発は?」
「アタシが持ってる手のひらサイズの爆弾さ。かなり高価なものなんだから、あとでちゃんと支払ってもらうからね」
オレは思わず笑った。
そんなことで済むなら、いくらでも払ってやりたい気分だ。
「あの糸は?」
「だいじょうぶだよ! 最初の爆弾で飛んで行った方向に罠を仕掛けてて、ぜんぶ燃えちゃった!」
なるほど。
よく考えられた作戦だ。
オレとアランは、ナイフで肉の壁を切り落とすことで救出された。
べたべたするし、傷がうずくように痛むが、特に支障はない。
「クレナ。ありがとう」
「……別に。今日はたまたま気が向いただけさ」
ニナのバンダナが取れているところを見ても、ひと悶着あったことは想像に難くない。
それでも戻って来てくれたことに、オレは感謝の気持ちでいっぱいだった。
「あ~、気持ちわる。おい兄貴。こんな役目、もう二度とごめんだからな」
アランが身体に付着した液体を拭いながら悪態をついた。
「……ああ、そうだな」
思えば、オレはずっと一人で戦っていた。
仲間が必要だと言いながらも、本音の部分では、一人でどうにかなると思っていた。
でも今、初めてオレは、こいつらを仲間だと思えた。
オレの足らない部分を補ってくれる、本当の意味での仲間に。
ふいに、周りの景色が暗くなる。
オレは壁の間から顔を出す巨大クモを、黙って睨んだ。
「よくもやってくれたわねぇ。体内に糸が残ってなかったら死んでたわぁ。言っとくけど、ここまでやられて黙っていられる私じゃないわよぉ?」
ヒュンヒュンと、音をたてて糸が四方八方から飛んでくる。
「やべぇ! この狭い通路じゃ逃げ場がねえぞ‼」
「後ろからも来てる! 炎の剣じゃ私達まで焼かれちゃうわ‼」
「キャハハハ! 死になさ~い‼」
オレはゆっくりと口を開いた。
「馬鹿が」
「……あ?」
「大人しく逃げておけば、死なずに済んだってのにな」
ヒュイン‼
風を切る音が木霊する。
オレの持つ剣は、青々と輝く水の剣になっていた。
ばらりと、全ての糸が細切れになる。
「え? え?」
呆然として動けないでいる巨大クモへ、オレはゆっくりと歩いた。
「オレはお前ほど性格が悪くない。一撃で地獄に落としてやるよ」
「……待──」
巨大クモの額が、縦に割れる。
切断面から蒼い炎が現れ、巨大クモの身体は一瞬の内に炭になった。
「……ふぃ~。なんとか無事に終わったな」
「いや、まだだ」
オレは振り返った。
そこには、肉の壁になった大勢の人間達がいる。
「……シーダお兄ちゃん?」
「ここにいる奴らはもう、全員助からない」
既に彼らは、壁と身体が一体化してしまっている。
仮に壁から切り外せたとしても、もはや身体と呼べるようなものはないだろう。
腕も足もなくなった人間が生きていけるような世界じゃないことは、ここにいる全員がよく理解していた。
オレは剣を振った。
水の剣は、一瞬で赤く輝く炎の剣となる。
「安心しろ。痛みを与える間もなく殺してやる」
オレが力を込めると、炎が剣を纏うように渦巻き始める。
それを一気に放出しようとした時だ。
「アリガ……トウ」
近くにいた顔が、微笑みながら確かにそう言った。
何もできやしなかったというのに。誰一人救えなかったというのに。そんなことを言ってもらう資格なんて、ないというのに。
オレは一瞬の内に燃え尽くされた肉の壁を見つめながら、死者を手向ける祈りを捧げた。
死んでいった者達に、女神の加護を与えるための祈りだ。
この状況を見てもにこにこと笑っていやがる女神に頼るのは癪だが、オレにできることはそれくらいしかなかった。
だが代わりに、オレは彼らに誓った。
必ず、魔物を皆殺しにしてみせると。
◇◇◇
「みんな、見て!」
山を降りていたオレ達は、ティアの指さす方向を見た。
オレはあっけにとられた。
森林に囲まれた丘。
そこに築かれた巨大な城壁。
その壁の上から覗かせる、城や教会といった建造物。
「あれが……ルシア聖王国」
その厳かで、美しささえ感じるこの国の様子に、オレ達は魅入っていた。
ふいに、ティアがオレの手を握った。
「行こう!」
満面の笑みに釣られ、オレも笑う。
しかしオレの心の内は、決して穏やかではなかった。
もしかしたら、この時から不吉な予兆を感じ取っていたのかもしれない。
これから起こる、惨劇の予兆を。
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