ルシア聖王国(5)

アランとクレナが巨人兵を引きつけているうちに、オレは教会へとやってきた。

ドアに手をかけようとして、バチリと弾かれる。

結界は中へ入ろうとする者全てを拒むようにできている。未だここの結界はきちんと機能しているようだ。


「ルシア‼ 聞こえるか⁉」

「……その声は、勇者様⁉」


よかった。やはりルシアはこの中にいる。


「助けに来た‼ ここを開けてくれ‼」

「で、できません……。動けないんです」


動けない?

襲われているのか?

オレの心臓が早鐘を打ち始める。

手遅れになる前に、ここを突破しないと。


オレは大きく深呼吸した。

炎の剣を構える。

怒りの力が剣に集中し、真っ赤に燃える。


「おおおお‼」


研ぎ澄まされた炎の剣は、強固な結界を貫いた。

その途端、バリンと音がして、結界が粉々に砕け散る。


オレは慌てて中へ入った。


「ルシア‼ いるか⁉」


中は真っ暗だ。


「ルシア‼ 返事をしろ‼」


教会の真ん中から、複数のすすり泣くような声が聞こえてくる。

オレは炎を操って、縦に並ぶ燭台の蝋燭に火をつけた。


真ん中には、教会に張られていたものよりも強固な結界がある。

その中で、老若男女が肩を寄せ合ってすすり泣いていた。

その中に、ニナを抱きしめたまま震えているルシアの姿があった。


「ルシア! ニナ! 無事だったか」


オレが教会に足を一歩踏み入れた時だった。


「来ちゃダメ‼」


ニナの言葉に、ぴたりとオレは止まった。


「お、お前なんてこと言うんだ‼ あの方に逆らったら──」


グシャ‼

急に男がしゃがみ込んで見えなくなったと思ったら、突然血だまりと化した。

オレは驚愕した。

何をしたのか、敵の挙動がまったく分からなかった。

まるで、見えない何かに押しつぶされたかのようだ。


「申し訳ありません申し訳ありません。わたくしが弱いばかりに。わたくしが何もできないばかりに……」


ルシアが、ガタガタと震えている。

なるほど。だいたい読めてきた。

ここに潜む魔物は、彼らを人質にしているのだ。

恐らく地中からの攻撃は結界では防げない。だからルシアに、他の人間を助けたければ、オレをおびき寄せろと命令したんだろう。

ニナには魔物の恐怖への耐性があったから、ここでオレが死ぬ意味をちゃんと理解している。しかし魔物と初めて相対する彼らには、なかなかそのように考えられない。

自分が守るべき民を守れない無力感と魔物の恐怖で、ルシアの正常な判断を失わせた。

ルシアの優しい心をもてあそんだ。


「……魔物らしい、姑息な手だな」


オレは歯噛みした。


許せない。

今後彼女が、今回のことを思い出す度に地獄のような苦しみを味わうことを思うと、どうしても許せない。

こんなトラウマを植え付けた、薄汚い魔物が。


オレはまた一歩、教会の中に入った。


「シーダお兄ちゃん! 入っちゃ──」

「大丈夫だ」


オレは冷静に、しかし怒りを内に秘めて、言った。


「恐怖に屈せず、お前が教えてくれた。それだけで十分だ」


オレは剣を強く握った。


「どんな罠だろうが関係ねぇ。真正面から、叩き斬ってやる‼」


中に入って見て、分かった。

教会はほとんど血塗れだった。

まるではるか上空から叩き落とされたような巨大な血しぶきが、そこかしこに広がっている。しかし不思議と、死体や肉塊の類はない。

どれも先程見た現象と同じものだ。


オレはゆっくりと歩みを進めた。

床も、壁も、大量の血で塗れる教会は不気味だったが、それ以上に魔物の攻撃方法が分からないことが奇妙だった。

ニナが何も言わないところを見ても、おそらく彼女達も魔物の攻撃方法が分かっていない。

つまり、単純に地中に潜って攻撃を仕掛けているわけではないということだ。


死んだ男は『あの方』と言っていた。

意思疎通はできると考えて良い。

喋ってみるか? いや、注意散漫になるようなことはしない方がいいだろう。


オレは小さく息を吸った。

四方八方、どこから敵が来ても瞬時に対応できるよう、意識を研ぎ澄ます。

血だまりの中を歩くと、ぬちゃりと音をたてて、血が靴にへばりついた。


……そういえば、この魔物はいつからここにいたんだ?

教会は誰でもすぐに結界が張れるようになってある。その時外にいましたっていうんじゃ話にならない。

なら魔物は、ずっと教会の中で何かに擬態していたはずだ。

もしかしたら、それが魔物攻略のヒントになるかもしれない。

オレは辺りを見回した。

なんだ? 何に擬態していた?

何か足りない、違和感みたいなものは……。

ふいに、オレは天井を見上げた。

女神が祈っている姿が描かれた絵。

……おかしい。

確かあそこには、一匹の悪魔が……。


オレは瞬時に全てを察した。

大きく跳躍すると同時に、真下の血だまりの中から牙を生やした顔が現れた。

大きく開かれた口は、人間を丸ごと飲み込めるほどのものだ。

オレは即座に剣を振るい、牙にぶつかった反動でさらに後ろへと飛び、床に着地した。


「壁の中を移動する。それがお前の能力か」


あの血だまりも、恐怖を演出するだけでなく、壁を移動する自分の姿を見えなくするカモフラージュってわけだ。

魔物らしい、姑息な手だ。


『……お前、めんどくせえなぁ』


魔物は床から這い出るようにして、姿を現した。

人間と同じような形状をしているが、大きさは二メートル以上ある。全身が黒く包まれていて、口からずっとはみ出ている白い牙だけが、奴にある唯一の特徴だった。

あんぐりと口を開けると、中からダランと長い舌が零れ落ちる。

ぴちゃぴちゃと、床の血だまりで音を鳴らして遊んでいる。


『ビビって勇者を売っちまう聖女様のほうが、よっぽどかわいげがある』


びくりと、ルシアの肩が震えた。


「悪魔の妄言だな。騙した奴より騙された方が悪いって理屈は、自分の罪を棚に上げたクソ野郎にしか吐けないセリフだ」

『オレは何もしてねえよ? ただ、勇者が来ないなら一人ずつ殺すしかないって言っただけだ』

「下衆が。さっさと来いよ。お前がここのリーダーだろ? そのスカスカの脳みそに、たんまりと空気を吸わせてやらないとな」


魔物は、口をにんまりと大きく広げた。


『いいや? オレは三下さ』


ピシリ


そんな音が、教会の奥から聞こえた。

十字架に磔になっている女神像に、ヒビが入っていた。

そのヒビはみるみるうちに全身へ広がり、中から光が漏れ出ていた。


『ほぅら。本当の悪魔が目覚める』


バリィン‼


そんな音をたてて女神像が砕け散った。

中から現れたのは神々しい光を放つ、一匹の天使だった。

ゆっくりと床に舞い降りた天使は、その羽を畳んだまま、両手で自分を抱きしめるように膝まづいた。

その途端、緑色をした植物の根っこのようなものが足から生え、地面に突き刺さる。

ボコボコと音をたてながら、地面を隆起して根っこが広がっていく。

それは、結界が張られたルシア達を飲み込もうとするほどだった。


「み、みなさん! ここから離れてください‼」


ルシアは慌てて結界を解除し、皆を教会の隅へ誘導する。

しかしいきなりの移動に出遅れた女がいた。

その足首に、ぶすりと根っこが突き刺さる。


「ひぎっ! ……あ、が……あがが、あがああああ‼」


女の身体が一瞬にして痩せこけ、干からび、ミイラのようにカサカサになったかと思うと、そのまま砂になって消えた。

あまりにおぞましい光景に、子供の泣き叫ぶ声が辺りに響く。ルシアも、涙をこぼすほどの恐怖に襲われている。

彼女たちの状態は最悪に近い。

しかし幸いなことに、例の根っこはそれ以上広がりを見せていなかった。

その代わりというべきなのか、地面や壁に塗りたくられた血が、吸い寄せられるように、ゆっくりと天使の方へ集まっている。


『はぁ。まだ食い足りねえのかよ……』


ドクン、ドクンと根っこが脈打ち、血を吸い上げている。

その度に、天使の身体に濃い魔力が醸成されていく。


オレは天使へと走った。

オレの直感が告げている。

よく分からないが、こいつはヤバイ‼


天使へと駆けるオレの眼前に、突然牙を生やした黒い顔が現れた。


『おっとさせねえよ。そのためにオレがいる』


咄嗟に剣を横に振るう。

しかし魔物はしゃがむことでそれを避け、そのままオレに体当たりした。

その反動で一気に宙を舞う。

くそ。油断した。

オレが受け身を取ろうとした時、魔物の姿がいないことに気付いた。


ぞっとした。

オレは見るより早く、受け身を取ろうとした地面に向けて、剣を振り上げた。

ガチンと音がして牙とぶつかり、オレはその反動を利用して大きく後退。体制を整えた。


『さすがは勇者。勘が良いな』


倒れ込む場所に口をあんぐりと開けて待っていた魔物は、再び壁に中に姿を消した。


オレは息をつき、剣の構えを解いた。


『言っとくけどなぁ。オレにとって食い殺すってのは次善の策なんだぜ? 本来は人間共を壁の中へ引きずり込むんだ。オレのような透過能力を持たない人間共は、それだけで壁の質量に潰されて、ぐちゃぐちゃになっちまうって寸法さ。さすがのお前も、そうなりゃ死んでくれるだろ? なぁ?』

「ごちゃごちゃとうるせえな」


壁から顔を出している魔物を、オレは睨みつけた。


「いいから来い。軽く殺してやる」



◇◇◇


「さて。どうする?」


アランは巨人兵を見上げながら言った。


「どうするって……。アンタが啖呵切ったんだから、アンタがどうにかしなよ」

「いやでもなぁ。実際、こんなでかい奴を相手にどう戦えばいいか……」


そんなことを言っている間に、巨人兵は襲い掛かって来た。

アランに向けてゆっくりと剣を振り上げる。


「うわー……近くで見るとやっべぇ」


アランは慌てて横に逃げた。

剣が地面にぶつかると、地響きをあげて辺りが揺れる。


「まったく。そんなんで本当に倒せると──」


クレナはぞくりとした。

豪速の刺突を慌ててナイフでずらし、地面を転がる。


見ると、素早い方の巨人兵は、獲物を細い槍に持ち替えていた。


「……どこから拾ってきたんだ? それ」


クレナの軽口をきっかけに、この場は一対一の様相を見せていた。

力の巨人兵をアランが相手し、速さの巨人兵をクレナがいなす。

しかしその戦いはどちらも一方的だった。

人間であり加護も持たない二人は、この巨大過ぎる魔物に対し、何ら決定打を持っていなかったのだ。


アランが再び巨人兵の剣を避けた時、抉れた地面の残骸が、彼の方へと飛んできた。

一メートルはある瓦礫。

直撃すれば致命傷は避けられない。


「やばっ‼」


その時、どこからともなく小さな棒状のものが飛んできた。

バチンと音がして岩が弾かれ、それはアランの横を素通りして地面を転がった。


「……あ、危なかった」


ティアが物陰からほっと息をついた。


「ティア! お前、さっきのどうやったんだ⁉」

「小型の錫杖に小さな結界を張って投げただけだけど、相手にダメージは与えられないし、そんなに意味はないよ」


アランは顎に手をやって考え、にやりと笑った。


「……いや? いい方法を思いついた」




「はぁ。はぁ。……ったく。これだけ戦って策の一つも浮かばないってのに、なんでアタシはまだ戦ってるんだか」


本来ならさっさと逃げるべき状況だ。

しかしそうもできない事情がある。


「ったく。やっぱあんな奴らの仲間になんてなるんじゃなかった……よ!」


クレナが持ち前の身軽さで槍をかわした時だった。

ふいに、自分の周りが暗くなった。


「あ?」


上を見上げると、今まさにこちらへ迫って来る剣の姿があった。


「うおあっ‼」


慌てて避けるも、バランスを崩し転倒してしまう。


「……アラン~~~‼」


怒りを込めた叫びにも、アランは反応しない。

クレナは仰向けに寝転がったまま、ひくひくと口角を痙攣させた。


「いい加減、バックれてやろうかな」


先に逃げたのはアランだ。

ここで自分が逃げても、誰に責める権利はない。

ふいに、槍の巨人兵がクレナを覗いた。


「なぁ? アンタもそう思うだろ?」


返事をする代わりに、巨人兵はその槍をクレナへと突き刺した。

槍の矛先が地面を穿つ。

が、そこにはクレナはいなかった。

ぐるんと回転し、その勢いで立ち上がるクレナは、怒りに燃えていた。


「ああそうかい! そんなに遊びたいならいつまでも付き合ってやるよ‼」


クレナが二体の巨人兵を相手とり、奮戦していた時だった。


「おーいデカブツやーい!」


そんな声が聞こえ、ぴたりと二体の動きが止まった。


「人間の言葉が分かるんだろ。悪口言ってんだよ、悪口。そんな図体じゃ、どうせ女の子にもモテないんだろ? 人生終わってるなぁ。だいたい、お前ら一体いつから石像の真似事やってたんだよ。何か月……いや、もしかして何年か? ホント、無駄な人生の使い方しやがって。魔王様も思っただろうよ。こんな仕事引き受けるなんて、こいつらって本当にアホだなってな」


二体がぐるりと身体を翻し、アランの方へ突進してきた。

巨人兵が、その大きな剣を振り下ろす。


「良い角度‼」


アランはすぐさま跳躍し、剣の横腹めがけて大量の小型錫杖を投げつけた。


バチバチバチ‼


結界とぶつかった反動で、剣は大きく横に逸れる。

本来なら地面を穿つはずだったそれは空振りし、そのままぐるんと横に振れる。

アランの挑発に乗って接近していた槍の巨人兵は、突然自分の前に現れた剣に驚き、槍で押さえた。が、速さを持ち味にする巨人兵が力の巨人兵に勝てるわけもなく、槍は一瞬にしてへし折れ、その勢いで巨人兵の身体は真っ二つになった。


『グオオオオ‼』


最後の雄たけびをあげ、上半身が地面へと落下し、そのまま砕け散った。


「うしっ!」


剣を振った反動で、巨人兵は思わず倒れ込んだ。

すると、上空から折れた槍の矛先が落下してきて、見事なタイミングで巨人兵の顔面を貫いた。

ビクンと大きく震えたと思うと、巨人兵はそのまま動かなくなった。


「おお。こりゃラッキー」


そんなことを言っていると、アランの後頭部に強い衝撃が走った。


「いてっ!」

「ラッキー、じゃないよ。アタシ一人に任せやがって……」


後頭部を擦るアランを、クレナが睨んだ。


「悪かったよ。けどまあ生きてたんだからよかったじゃねえか」

「死んでたらアンタを呪い殺してやれたのに、残念だよ」

「ハハハ。ナイス冗談!」


クレナの目は、冗談を言っている目ではなかった。


「ねぇ、シーダは中でしょ? 私達も助けに行きましょ」


ティアの提案で、三人が教会へ向かおうとした時だった。

突然、教会の壁が轟音と共にはじけ飛んだ。


「お前が壁に逃げるというのなら」


砂塵の中から現れたシーダの腕には、黒い身体をした魔物の首が掴まれている。


「壁ごと殺すまでだ」


シーダは魔物の喉元を剣で貫き、地面に標本のように突き刺した。


「おえっ。痛そ~」


シーダが剣を引き抜くと、魔物は青い炎に包まれ始める。

シーダは息をつき、辺りを見回した。


「あの巨人兵二体を倒したのか。さすがだな」

「へっ。まあな。俺様の華麗な頭脳プレイで──」

「MVPはティアだね。あの錫杖がなけりゃ負けてたよ」

「そ、そんな! クレナが身体を張って囮になってくれたからだよ」

「おい、俺様は?」


そんなやり取りをしていると、ふいに地面の方から、途切れがちな笑い声が聞こえてきた。


『……かぁ。やっぱ……勇者は、おっかねぇ、なぁ……』

「まだ死なないか。まあちょうどいい。死ぬまでの間、じっくり炎に焼かれてろ」


その時、ふいに教会の中から、奇妙な音が聞こえてきた。


「……なんだ? 今の音」

『キヒ。キヒヒヒ。ようやくかよ、待ちわびたぜ』


先程までまともに喋れなかったはずの魔物が、途端に大声で笑いだした。


『死ね! 全員死ね‼ 死んでオレ達に一生詫びをいれやがれ‼』

「なに……?」

『ギャハハ! ギャハハハハハ‼』


魔物は高らかに笑いながら、青い炎に包まれ、灰となって消えた。


「……急ぐぞ。くれぐれも用心しろ。おそらく、今までで戦った中でも一番強い」


シーダの言葉に、全員が神妙にうなずいた。

シーダはそれを確認してから、教会へと駆けて行った。


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