記号


ケイトの鋭い眼光に、オレは思わず息を飲んだ。

どんなに恐ろしい魔物と戦っても怯まずに向かっていく自信がある。

だがケイトから向けられた殺意だけは、どうしようもなくオレの足を竦ませた。


ふいに、ティアがオレの前に立ち、庇うように両手を広げる。

ケイトはそれを見て、馬鹿にするように鼻で笑った。


「安心して。こんなところで殺り合うつもりはないわ。馬車から放り出されても困るしね」


ケイトの視線の先へ目を向けると、御者がちらちらとこちらを窺っていた。


「……ケイトはなんでここに?」

「この国から出るために決まってるじゃない。私は一日でも早くスネイクを殺さないといけない。ホラ吹きのエセ勇者を相手している時間はないの」


オレの心に、ちくりと彼女の言葉が刺さった。

アランが、ずいとケイトへ身を乗り出す。


「おうこら、さっきからずいぶんと偉そうだな。俺様達が勇者ご一行と知っての狼藉か? あぁ?」

「アラン、なんだか小悪党みたい」

「小悪党ってなんだこら! せめて大悪党と言え‼」


ニナの中で、どんどんアランの発言力が落ちていくのが分かった。


「とにかくそこの女。これ以上偉そうにしてるようならこの俺様が──」


アランが彼女に手を伸ばした時だった。

まるで流れる風の如く、ケイトの手がアランの腕を絡めとる。

アランは抵抗する間もなく、仰向けに床へ叩きつけられた。


「てめ──」


起き上がろうとするアランの目の前には矢じりがあった。

あまりに素早い動きに、アランはもはや微動だにできない。


「さっきは手を出さないと言ったけど、それは私の温情だってことを忘れないで。次の町に着いたら出て行ってあげるから、それまでは大人しくしていてちょうだい。返事は?」

「……はい」


返事を聞くと、ケイトは矢を仕舞い、再び先ほどと同じように座った。

アランは小恥ずかしそうに咳払いし、服を正して何事もなかったかのように振舞っている。


「アランってかっこ悪いね」

「……うるせぇ」



◇◇◇


想定外なこともあったが、旅はおおむね順調だった。

とは言っても、行先は御者に任せて座っているだけで良いので、本格的な旅とは言えない。

だがそのおかげで、どことなくパーティ全体を覆っていた旅に対する不安は徐々に払拭されつつあった。

緊張感は絶やしてはいけないものだが、過度なストレスは害にしかならない。それが消えたというだけでも、相応の価値があるといえるだろう。


オレ達はこの暇な時間を利用して、今後の計画について話し合っていた。

バタクが取り出した地図を広げ、皆で取り囲んでいる。


「ここからあと一日も走ればギルバニア皇国に到着する。魔王討伐軍の柱ともいえる国だ。勇者だと名乗り出れば相応の援助をもらえるだろう。そこで物資を補給し、次にルシア聖王国へと向かおう。人間領と魔王領の国境を長年守って来た国で、女神生誕の地とも言われておる。人類の希望が勇者なら、ルシア聖王国は人類の要だ。この二つが手を組めば、一気に魔王軍を押しやることができるだろう」


バタクが皆の顔を見回した。


「何か質問は?」


全員が頭(かぶり)を振る。

文句のつけどころもない。やはり旅慣れしている者がいるのは頼もしいと、つくづく実感した。


「ではギルバニアに着くまでの間、しばらく休息といこう。休める時に休まんと、旅というのは何が起きるか分からんからな」


バタクのその言葉で、各々がくつろぎ始めた。

と言っても、狭い馬車の中なので、やれることなど限られているが。


ふと見ると、ティアが心配そうな顔で俯いている。

オレは彼女の隣に座った。


「ティア。大丈夫か?」

「うん。あまりに急だったから、今更少し実感が湧いてきただけ。でも心配なのはお父様とお母様のことだけで、不思議と旅への不安はないの。やっぱり……シーダがいるからかな」


そう言って、ティアは照れたように笑った。

身体をゆっくりと近づけ、オレの腕に抱きつく。


「……おい」

「これくらいいいでしょ? 誰も気にしてないよ」


ちらと横を窺うと、アランが挙動不審に口笛を吹き、バタクは大仰に咳払いをしている。

オレはため息をついた。


「……そうだ。ティアに聞きたかったことがあったんだ」


オレは懐から木でできた指輪を取り出した。

失意のどん底だった時、自殺しようとしたオレを思いとどまらせてくれたものだ。


「これ、お前がくれたものなのか? だとしたら礼を──」

「誰にもらったの?」

「え?」


冷たい声に、オレは思わずそう言った。

ティアは渇いた笑みを浮かべ、ケイトを指さした。


「あの人なの? 私の知らないところで、こっそり会ってたりしたの? そんなことしないよね。ねぇ、シーダ」

「いや、ちょ、ちょっと落ち着け。オレはただ──」


笑い声が聞こえた。

振り向くと、ケイトが薄く頬を緩めている。


「……何がおかしいの?」

「別に。ただ滑稽だと思っただけよ」


ティアがケイトを睨んだ。

ひりつくような空気だ。魔物と相対した時だって、こんなに緊張しない。


「やっべぇ。修羅場だ……」

「修羅場ってなに?」


アランはニナの口を塞ぎ、人差し指をたてた。


「自分の名誉のために言っておくけど、私は彼のことなんて知らないし、会ったこともない。むしろ慣れ慣れしい態度を取られて迷惑してるの」

「シーダを悪く言うのはやめて。シーダは正義感が強くて、誰よりも優しいだけ」

「さっきまでそのシーダ様に怒りを覚えていたのはどこの誰?」

「別に怒ってなんかない」

「そうね。拗ねてただけだわ。下らない」


ティアはぎゅっと握りこぶしを作った。


「私はシーダのツガイなんだから、彼のことを気に掛けるのは当然よ。下らなくなんかない」

「下らないわよ。そんなことで一喜一憂できることが、どれほど幸せなことなのかも理解していない」


怒るティアに対し、ケイトは冷静だった。

冷静に、彼女の心を揺さぶるような言葉を探して紡いでいるようだった。


「あなたは昔の私に似ている。だから教えてあげるわ。そうやって相手を気遣うのは優しさじゃない。誰かが傷つくことを恐れたり、誰かに依存したりするのは、自分が傷つくのを恐れているからよ。きれいごとばかり並べていたら、お花畑みたいな世の中になるんじゃないかと本気で信じている」


村でのケイトは、血が流れるのが大嫌いで、誰よりも優しい女の子だった。

そんな彼女に、オレは恋をした。

彼女は、そんな昔の自分を嫌っているのだろうか。

オレが恋した、あの頃のケイトを。


「そんなんじゃ、誰も何も守れない。……私のようにね」


その言葉や俯いた彼女の表情には、言葉では言い表せない多くの感情が見え隠れしていた。



◇◇◇


夜。

馬車は駅と呼ばれるハリボテの馬車小屋の中で止まっていた。

ゴマの木でできた駅の周りには、夜になって活発に動き出す魔物も近寄って来ることはない。

それでも人間の臭いに釣られる魔物はいるが、駅を囲むように設置した結界がそれを妨げるおかげで、比較的安全に眠りにつくことができた。


皆が寝静まっている中、オレは横になりながら指輪を宙に掲げていた。

結局、これが誰からもらったものなのかは分からずじまいだ。

ちらと、奥で蹲るように眠っているケイトを見た。


『未練たらたらって感じ。哀れですねぇ。過去に囚われても何も良いことはありませんよ』

「……そんなんじゃない」

『じゃあティアさんとラブラブになるんですか?』

「お前はもう少しデリカシーってものを覚えろ」

『ひっどーい。みんなに愛される女神様に向かって超無礼な言葉です。私はただハーレム展開を思い切り楽しめばいいのになって思っただけなのに~!』

「おい女神」

『はいなんでしょう』


先程までぷりぷりと怒っていたのに、まるで何事もなかったかのように笑顔で言った。


「女神ってなんなんだ? 世界を作り、オレ達を生み出した全知全能の存在じゃないのか?」

『あなたたちの定義ではそうでしょうね』

「じゃあ何故魔物なんてものが存在する。伝承では、魔物は女神に追放された者たちのなれの果て。つまり奴らも、元はお前が作ったものってことだ。なのに何故魔王の反逆を許してる? 世界を作ったお前が、どうして魔王に良いようにやられてるんだ?」


女神は透き通るような笑みを浮かべた。

いつもの抜けた様子じゃない。女神らしい、聡明さを感じさせる笑みだ。


『人はものに名前をつけます。それはそのものを認識し、区別するためのもの。そして名前をつけられたものは、その名前以上の意味性を持つことはありません。名をつけるという行為が、そのものを支配するために行われるのです。しかし神が全知全能、人の及ばぬ存在であるとするなら、それに名があること自体がおかしいとは思いませんか?』

「……どういうことだ?」

『つまり彼らが私を神と認識していること自体が、あなた方の言う神の定義から外れているということです。神とは記号。それ以上でも以下でもありません。私が何者かという問いには、矛盾した定義を持つ人の言葉では答えられません。それが答えです』


いつにも増して訳の分からない話だ。

まるで、自分は神などではないとでも言いたげな言葉に、オレは困惑を隠せなかった。


『一つ良いことを教えてあげましょう。生命に本質的な違いなどありません。私にも、あなたにも、そして魔物にもです』


女神は妖艶な笑みを残し、宵闇の中へと消えていった。



◇◇◇


朝になって動き出した馬車の中でうたた寝をしていたオレは、急に馬車が止まるのを感じて目を覚ました。


「どうかしたのか?」

「はい……どうにも理解できない光景が広がっていまして」


全員で馬車の外に出ると、御者の言っていることが理解できた。

辺りには霧が漂い、視界を遮っている。

その霧の向こう側に、オレ達を威圧するように広がる森があったのだ。

豊かな緑を含んでいるはずの葉は雪を纏(まと)っているかのように真っ白で、その幹は氷漬けにして放置していたらこんな風になるんじゃないかと思うくらい白ずんでいる。

木一つ一つが、まるで老いさらばえた老人のようだ。


彼らは孤独な身を寄せ合うように密集していて、全てを飲み込むような闇の絨毯を形成している。

仮に霧などなくても、この森の中では、太陽の光が地面に届くことは決してないだろう。


死んでいる。

まさにそう呼ぶにふさわしい、死の森だ。


「御者よ。このルートにこんな森はなかったんだな?」

「ええ。ただまぁ、ごくまれに魔物の瘴気に影響されて、突然変異のように地形が変わることもないわけじゃありません。アリの行軍もあったことだし、こういうことが起きることもなくはありませんが……」

「ここ、良くない感じがする」


ニナがぼそりと言った。


「ま、見るからに不気味だからなぁ。ガキには刺激が強すぎるか」

「そうじゃなくて、ただの森じゃないの。なんていうか……違うの」


全員がしんと黙り込む。


「シーダ。どうする?」


ティアが心配そうに聞いてきた。


「……迂回するというのは?」

「止めておいた方がいい。ワシらが町と町を行き交うことができるのは、このか細い馬車道があるおかげだ。魔物の瘴気で方位も分からず、法術でも数百メートル先を見通すのが関の山。そんな状態で唯一の命綱を離すのは、文字通り死に直結する」


オレはその命綱を見下ろした。

ゴーダ国からずっと続いていたその道は、森の中へと吸い込まれている。

命綱を辿るには、この森を通る以外に道はない。


迂回はダメ。かといって引き返すのも論外だ。

魔王軍がオレを殺しにやって来る可能性は高いし、なによりニナがいる。

となると、選択肢はこの森を通るしかないのだが……。


オレはバタクの方を見た。

バタクはそれに気づき、神妙な顔で返事をする。


「今までの旅なら、何があろうと引き返している」


この森を通るのは、それくらい危険だといおうことか。

どうすべきかと考えていると、ずいとアランが前に出た。


「ったく、しょうがねえ奴らだな。安心しろよ。俺様はお前らと違って天才だから、良い案を思いついたぜ」


アランは馬車から松明を持ってきて火をつけた。


「こいつで焼け野原にしちまえば、それで万事解決だ」


そう言って、すたすたと森に近づき、頭(こうべ)を垂れる一本の枝葉に松明を掲げた。

その瞬間、ジュウと音をたてて、松明の火は消し飛んだ。


「……よし。帰るか」


オレは軽くアランの頭を小突いた。


「どいてろ。オレがやる」


胸に手を当て、勇者の剣を召喚する。

意識を集中させ、近くにあった木にその剣を振り下ろした。


両の掌に広がる、ものを両断した感覚。

オレは獲物を改めて見た。

木は無傷のまま、オレの側で立っていた。


「……吸われたな」

「え?」


オレは自分の手を見つめた。

何もしていないのに、力が抜けていく。

それほどの量ではないが、本来の一振りよりもずいぶんと多くの加護を消費してしまった。


「どうやらこの木は加護を吸収できるみたいだ。手ごたえはあったが、加護でできた剣じゃ傷一つつけられない」

「松明の火がかき消えたところを見ても、物理的な手段でどうにかするのは難しいかもしれん」


森を破壊するのは不可能。

となれば、もう選択肢は一つしかない。

しかし、皆の命を預かる人間として、その決断を下して良いものか……。

オレが決めあぐねていると、ケイトが馬車から荷物を持って降りて来た。


「……ケイト。どうするつもりだ?」

「分かり切ったことを聞かれるのは好きじゃないわ」

「一人でこの森を抜けるつもりか?」

「他に方法がないなら行くしかない。私はもう一日と足止めを食らいたくないの」


ケイトの決心は固いらしい。

それでも、オレは悩んでいた。

自分以外の人間の命を背負った初めての決断に、慎重になっていた。

ケイトが通り過ぎる間際、ぼそりと言った。


「せいぜいあなたはここで時間を浪費してるといいわ。私が知る本当の勇者なら、こんなところで迷ったりしない」


ケイトは臆することなく、一人で闇の広がる森に入って行った。

オレは彼女の言葉を聞いて、頭を金づちで叩かれた気分だった。


そうだ。

オレは勇者だ。

オレよりも……場合によっては、ここにいる仲間よりも、優先しなければならないものがある。


「オレ達も行こう」

「……かなり危険だぞ?」

「仮に戻ったとしても危険は同じだ。どっちにせよ、ここを踏破しないと魔王に近づけないというのなら、やるしかない」

「確かにそうだが……」


バタクは気乗りしないようだ。

長く旅をしていたバタクがそう言うのだ。

この森の踏破には相当の危険が伴うのだろう。


「俺様は賛成だぜ」


アランは自信たっぷりといった様子で言った。


「ここで退くようじゃ、魔王なんて何年掛かっても倒せねえっての」


それを聞いて、今まで迷っていたティアが決心を固めたようにうなずいた。


「私も。シーダが決めたことなら、どんなことでも従う」


オレはニナを見た。

彼女はそれに気づき、にこりと微笑む。


「ニナはみんなについていくだけだから、どっちでもいいよ」


全員が、バタクの方をじっと見つめる。

バタクは大きくため息をついた。


「……分かった分かった。どのみち、それしか手はあるまい。ただしくれぐれも慎重にな」

「よし。そうと決まればすぐにでも出発だ」


特に急ぐ理由はないのだが、オレは先に森へ入ったケイトが気になっていた。

いくら身体的、精神的に強くなっていても、たった一人では何が起こっても不思議ではない。


「あの~、私はどうすれば?」


御者がおそるおそる手をあげる。

オレはバタクと顔を見合わせた。


「ここからギルバニア皇国までは歩いてどのくらい時間がかかるのだ?」

「数時間ほどかと」

「それなら馬車は必要ない」


バタクの言葉に、オレはうなずいた。


「ならお前はもう帰っていい。この森のことをちゃんと国に報告してくれ」

「分かりました! では最後にお荷物だけでもお運びさせてもらいます」


御者はよほどうれしかったのか、さっさと荷物を渡すと、逃げるようにこの場から去っていった。

幌馬車の後ろ姿を全員で見送る。

もう引き返すことはできない。

オレ達の目の前には、おどろおどろしい森がそびえたっていた。


「よし。行くぞ」


オレ達は、その暗闇の中へと、一歩足を踏み入れた。



続く


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