死の森<1>
オレ達は各々が松明を手に、闇が支配する森の中を進んでいた。
普通、森というのは少なからず動物や虫の気配がするものだが、ここは不気味なほどそれを感じない。一切音のしない暗闇の中を進むのは、想像以上に精神を圧迫するものだ。
「全員、固まって行動するぞ」
バタクの言葉で、皆が密集して行動する。
自然と移動は遅くなるが、これだけ暗ければ、ちょっとしたアクシデントではぐれることもあり得た。
「こうも不気味だと、怖い話の一つもしたくなるな」
「しっ」
沈黙に耐えかねたのか、アランが茶化すように言うも、ティアに怒られて黙り込んだ。
しかしアランの気持ちもよく分かる。
こんな真っ暗闇で、足元に神経を集中させながら歩いていると、何かで気分を紛らわせないと息苦しくて仕方がない。
何時間歩いただろうか。
景色は相変わらず暗闇ばかりで、未だ森を抜ける気配はない。
「バタク。あとどれくらい掛かるか分かるか?」
「それはさすがに分からん。だがギルバニア皇国までの距離を考えると、もうそろそろ抜けても良い頃だろう」
「そういう気休めが一番キツいんだよな」
「アラン、さっきから文句ばっかり」
ニナにまでたしなめられ、アランは不服顔だ。
これ以上無理に進んでも、ストレスを貯めるだけだろう。
「少し休憩しよう」
馬車道を外れていないことを確認し、オレ達は地面から隆起した木の根にそれぞれ腰を降ろした。
「ニナちゃん、疲れてない? 無理しないで言ってね」
「ありがとう。大丈夫だよ、ティアお姉ちゃん」
「おう。疲れたならいつでもおぶってやるから任せろ。女限定だけどな」
ティアとニナが軽蔑の目でアランを見つめた。
「最低」
「そういうのきらい」
「冗談だろ、冗談!」
その時だ。
どこからともなく風が吹き込み、松明の火がかき消えた。
「な、なんだ⁉」
「慌てるな。バタク、すぐに火をつけてくれ」
バタクの持つ火霊の粉は、木に付着させて風に当てていると火がつくという優れものだ。
暗闇の中、バタクは手探りでそれを使って再び火をつけた。
全員の顔を確認し、皆がほっと胸を撫で下ろす。
「……おい。一人いないぞ」
辺りを見回しながら、アランが言った。
「え?」
確かに確認してみると、バタクのボディーガードだった男が一人いなくなっていた。
「おい! どこだ⁉」
周囲に広がる暗闇からは、何の返事も聞こえてこない。
ガサ
全員が、音のした方へ振り向いた。
ガササ
今度は逆の方から聞こえる。
オレは勇者の剣を取り出した。
アランも剣を構える。
「早速お出ましか?」
「気を抜くな。いくら暗闇からの奇襲だからといって、声一つあげずにやられるなんて普通じゃない」
まずいな。
オレはちらと皆を確認し、そう思った。
全員の心に、恐怖の感情が根付いている。軽口を叩くアランでさえ、その顔は引きつっていた。
魔物と戦う上では、とてつもなく不利な状況だ。
その時、再び風が吹き、松明の火が消えた。
間違いない。これは魔物の攻撃だ。
「全員、オレの側から離れるな‼」
オレは目を閉じた。
神経を研ぎ澄ませ、敵の襲来に備える。
ふいに、オレの第六感が何かを捕らえた。
オレは一気に駆けた。
ほとんど直感で手を伸ばし、何かを掴む。
やわらかい首。
オレは一瞬で誰かを察知し、すぐに力を緩めた。
「待て! 攻撃するな‼」
後ろから、松明の火が辺りを照らす。
その明かりで、自分の目の前に矢じりがあることを始めて知った。
オレが掴んだ首は、ケイトのものだった。
「なんだよ。紛らわしい奴だな」
アランが愚痴る。
ケイトはオレの腕を払った。
「それはこっちのセリフ」
ケイトは言いながら、小さく咳をした。
「悪かった。だが、無事でよかった」
それは心の底からの言葉だった。
しかしそんなことなどつゆとも知らないケイトは、不審そうにオレを睨んだ。
「あなたに心配される謂れはない」
その通りだ。
オレには彼女を心配する義理も資格もない。
しかしそれでも、今くらいは……。
ふと、ティアからの視線を感じ、オレは彼女の方を向いた。
「どうした?」
「え? う、ううん。なんでもない」
オレは怪訝に思って眉をひそめた。
なんとも思っていない顔ではなかった気がするが……。
「おい! また一人消えてる‼」
オレはすぐに辺りを見回した。
もう一人いたボディーガードがいない。
これでバタクの元の仲間は、ウレイとムルトだけになった。
「何があったの?」
「仲間がやられた。突風で火を消して、その隙に攻撃を受けている。悲鳴一つあげられず忽然と姿を消しているんだ」
それを聞き、ケイトは顎に手をやって考え込んだ。
「ケイト。知恵を貸してくれ。お前は動物の生態に詳しいはずだ」
「何でそれを知ってるの?」
オレは一瞬だけ言いよどんだ。
「アリの強襲を受けた時、ティアの父親を助けただろ。その時の機転で、そうかと思ったんだよ」
「……まあいいわ」
渋々といった様子で矛を収めた。
納得していないようだったが、ここで言い争いをしていても仕方ないと思ったのだろう。
「お前は似たような攻撃を受けなかったか?」
「受けたわ」
「よく逃げられたな」
ケイトは鼻で笑った。
「この異常な森の中で突然火が消えるのよ? 魔物からの攻撃に決まっているし、それならその場から即刻逃げるのは当然でしょ」
その言葉に、バタクはむっとした。
「我々はチームで行動している。お前さんと一緒にするな」
「お仲間はずいぶんと役に立っているようね」
「そんな言い方しないで! 二人も仲間がやられたばかりなのよ⁉」
ティアの激昂を、オレは手で制した。
「ティア、少し落ち着け。悪いがケイト、挑発するような発言は慎んでくれ。今はお互い協力して、この状況を打破しよう」
ケイトは小さくため息をついた。
「この様子じゃ無理ね」
ケイトは俯き、目を細めて唇をかんだ。
その顔に、オレは見覚えがあった。
ケイトは元々、自己主張の弱い子だった。村で何か取り決めをする時も、自分から意見を言うことはほとんどない。
しかしこういう顔をした時のケイトは、いつも自分の意見を持っていた。そしてその意見はだいたいにおいて、実際に決められたものよりも遥かに優れた意見だった。
「何か思いついたのなら教えてくれ。必ず実行してみせる」
ケイトは、じっとオレを見つめた。
何を思ったのかは知らないが、ケイトはオレから視線を逸らし、その重い口を開けた。
「一つ、方法がある」
ケイトの静かな声が、オレ達の耳の中で鮮明に響いた。
「あの突風が魔物によるものなら、風が吹いた方向には魔物がいるということになる。突風が起こる瞬間、何か羽ばたくような音がわずかながら聞こえた。風が届く前に、その方向へ加護を付与した弓を射れば、魔物を殺せるかもしれない。私の矢なら、あれくらいの風は突っ切れる」
確かに効果的な作戦だ。
しかしバタクがその意見に反対した。
「奴らは炎が消えた瞬間に飛び込んでくるんだぞ。おそらく、ワシらの動きがこの暗闇で見えておるんだ。その場合、仮に魔物を一匹仕留めたとしても、その時やられるのはお前さんになるぞ」
「ええ。だから一人囮役になってもらう。……あなたに」
そう言って、ケイトはオレを指さした。
「そんなのダメ! シーダは勇者なのよ⁉ 危険な真似はさせられない!」
「彼が一番生き残る確率が高い。以前使っていた炎の剣があったわよね。風が吹いた瞬間にあの剣を使えば、松明に火をつけるよりも圧倒的に早く辺りを照らすことができる。うまくいけば、逆に魔物を奇襲することも可能だわ」
「……オレを狙うという保証は?」
「他の人達には私の周りに集まってもらう。弓を射る邪魔にならない程度に私の身体を掴んでいてもらうわ。それでたぶん、襲われない」
アランはそれを聞いて鼻で笑った。
「おいおい。さすがにそれは楽観的過ぎやしないか?」
「敵は人間を狩る時に何らかのトリックを使ってる。だから痕跡を残さない。それが奴らの生命線なのよ。タネが割れれば、その時が奴らの死ぬ時。だから孤立した人間を狙うはずよ」
「確かに筋は通ってるけど……」
確証はまるでない。
しかし、この状況で贅沢を言っていられないのも確かだ。
「それでいこう」
「……いいのかよ。お前が一番危ないんだぜ?」
「オレが勇者になった時から、危険じゃなかった時なんてないさ」
ケイトが一瞬だけ同情の目を見せたが、それはすぐに消えた。
オレは薄く頬を緩め、少しだけ前へ進む。敢えて皆から距離をとった形だ。
「ケイト。間違ってオレに当てるなよ」
「それが嫌なら頑張って避けることね」
オレとケイト以外はしゃがみ込み、できるだけ邪魔にならないように努める。
あとはもう、ケイト次第だ。
オレは大きく息を吐き、集中した。
炎の剣はオレの怒りそのものだ。
魔物に対する怒りを思い出し、それを受け入れることで支配することができる。受け入れた感情を放置していると、それが身体から切り離されて、炎が剣に纏うのだ。
この行程は一瞬でできるものではない。敵が攻撃してくる前から、怒りを敢えて貯め込み、準備を整えていなければならない。
攻撃の前に炎を纏えば、計画はおしまいだ。奴らが攻撃してくることはなくなる。
速過ぎては駄目だし、遅すぎても駄目。
オレは冷や汗を流しながら、自分の中に渦巻く怒りと格闘していた。
その時だ。
風が肌をさらう感覚がした。
そう思った時には、既にケイトの矢が放たれ、松明の炎が消える。
「ギイィイイ‼」
「当たった!」
オレは一気に怒りを剣に流し込んだ。
突風の中でもかき消えることのない怒りの炎が、敵の正体を映し出す。
上だ!
オレは地面を転がり、振り向きざまに剣を振った。
「ウギアアァア‼」
細長い弦が両断され、近くの木が幹を振って踊り狂う。
切断面から蒼い炎が一気に広がり、木の形をした魔物は一瞬の内に燃え尽きた。
「木に擬態していたのね」
「ああ。一瞬で首に巻き付き、絞め殺したんだろう。あれなら声一つあげられない」
危険な賭けだったが、なんとか犠牲者ゼロで敵を撃退することができた。
オレは小さく安堵のため息をついた。
「ありがとう、ケイト。お前のおかげで……っ!」
その時、ぞわりと悪寒がした。
何かが三方から襲い掛かる。咄嗟のことで、オレは動けなかった。
死ぬ。
オレはそう確信した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます