魔物になった少女

ニナの額にある紋章を見て、オレは固まってしまっていた。


『斬りますよ。それが彼の仕事ですから』


村にいた時、村長が言っていた言葉を思い出す。

あの優しい村長が、顔色も変えずに言っていた言葉を。

ゴマの火に照らされたウィズの無表情な顔は、今でも鮮明に覚えている。

あの時、もしも仲の良かったティムが魔物だと分かったら、ウィズはどうしていただろうか。

問答無用で斬り伏せていたのか? それとも──


「どけっ‼」


ハッとした。

アランが、ニナに向かって剣を振り下ろす。

オレは咄嗟に勇者の剣を召喚し、それを受け止めた。


「何してんだ! こいつは魔物だぞ‼ 早いとこ始末しないとやべえ!」

「待て! いったん待て‼ まずは話を聞いてからだ!」

「何の話をだよ‼ 魔物の甘言に耳を傾けるってのか⁉」


ウレイとムルトが不審そうな顔をして家から出て来た。

バタクはそれに気づき、オレの知らない言語で彼らと話をしている。

酒場でアランを取り押さえた二人の男は、剣の柄に手を添えてはいるが、斬りかかるつもりはないらしい。


ニナは怯えていた。

オレの背後で、震えながら裾を握っているのが分かる。


「ニナちゃん。一体、何があったの?」

「おい! 今すぐその魔物をこの馬鹿から引き離せ‼ 魔物に背を向けるなんて、スラムを歩き回るよりよっぽど危険だぞ‼」

「あなたは黙ってて‼」


聞いたことのないティアの怒声に、アランはおろか、オレまで驚いてしまった。

ティアは膝を曲げ、薄い笑みを浮かべてニナを見つめた。


「ニナちゃん。お願い、詳しく話して」

「……ニナ、よく分からないの」

「うん。少しずつでいいから、分かるところから教えてくれないかな」


ティアの優しい言葉にニナも心を開いたのか、ゆっくりとだが、話し始めた。


「ニナね。ゴマの儀式をしに、教会に行ったの。厳粛な儀式だからって、ママやパパは外で待ってるように言われて……」

「外?」


ニナはうなずいた。

オレの記憶が正しければ、親族はゴマの儀式を傍聴できたはずだ。

ティアが眉をひそめている様子を見るに、この国でもそれは同じようだ。


「それで、正座して目を瞑りなさいって言われたから、その通りにしてたの。そしたら、急に額がすごく熱くなって……」

「待って。お経は? 神官様が、お経を唱えていなかった?」


ニナは不思議そうな顔で、ふるふると首を振った。


「……おかしい。ゴマの灰を額になぞる前に、必ず経を唱えるはずだ」

「ニナちゃん! とても重要なことだから、よく聞いてね。額が熱くなった時って、どんな感じだった? ゆっくりと、じわじわ熱くなっていく感じじゃなかった?」

「違うよ。いきなりじゅわぁって。ママは絶対しゃべっちゃダメだって言ってたけど、そんなの無理だよ。あんな熱い金具を押し付けられたら」

「……金具?」


オレは、真っ赤になるほど熱を帯びた金具を、額に押し付けられる様を想像した。

それが想像だと分かっていながら、思わずのけぞりたくなるような光景だ。


「どういうことだよ。わざと紋章をつけられたってのか?」

「なんでそんなこと……」


ティアは愕然としている。


「ニナはスクールで浮いていたと言ってたな。周囲と同調できないニナを、必要以上に恐ろしく思った奴がいても不思議じゃない。神官が結託するくらいだから、相当の人数がいたんだろう」

「そんな野蛮なことを神官がするはずない!」

「ティア。人間ってのは野蛮なんだ。神官だろうと、誰であろうとな」


ティアはその場にへたり込んだ。

自分の信じていたものが崩れ落ちた時の絶望感は、オレにもよく分かる。

だが今回は、あまりにも惨過ぎる。

オレも、思わず額を押さえて黙り込んだ。


「……感傷に浸っているところ悪いが、俺様は信じねえ。こいつが嘘をついてる可能性がある」

「否定はしない」

「ならこんなところでくだ巻いてる場合じゃねえ! 魔物である可能性がある以上、こいつは排除すべきだ‼」


ウレイ達を説得し終えたバタクが、こちらに戻って来た。


「申し訳ないが、ワシもアランに賛成だ。こうして話をしているだけで、ワシらにとってはリスクでしかない。民衆から魔物の手先と言われても弁明のしようがないぞ」

「分かっている。分かっているが……放っておけない。彼女はハメられただけの人間だ」

「仮にそうだとして、どうしようってんだ? 魔物の証がある以上、こいつはもう生きていけない。人間だろうと、魔物だろうとだ」


アランの言う通りだ。

この紋章がある限り、ニナはもう死んだも同然だった。

オレが何もしゃべれないでいると、急にニナが笑いかけた。


「ごめんなさい。ニナ、もうだいじょうぶだよ」


その悲痛な笑顔は、彼女を殺すべきだと主張していたアランさえも目を背けさせるものがあった。


「ママのところに行ってみる。話せばきっと分かってくれると思うんだ。ニナは魔物じゃないし、ママが一番よく分かってくれてるはずだから」

「そんなのダメよ! 絶対ダメ‼」

「そうだ! 行けば必ず処刑される。それならオレ達と──」


腕を掴まれた。

アランはオレに顔を近づけ、耳打ちする。


「俺様は傭兵だ。人を守るために、命を投げ打つ覚悟だってある。あの貴族の嬢ちゃん一人ならいくらでも守ってやるさ。だが、アイツはダメだ。……分かるだろ?」

「……ああ」


食料も乏しい村の生活では、役に立たないことや和を乱すことは最大級の悪だった。

だから和を乱しがちだったオレは、死に物狂いで剣の腕を磨いた。

ちゃんと働けない母さんの分も働いた。

それができない人間がどうなったのかも、オレは知っていた。


「迷惑かけてごめんなさい。でも、ニナのことで喧嘩しないで。ニナね、みんなが笑ってるのが好きなの。シーダお兄ちゃんも、ティアお姉ちゃんも、ニナの心配はしなくてだいじょうぶだよ。ニナが笑えば、きっとみんな笑ってくれるって、ママが言ってたの。ニナはずっと笑顔でいるから。そしたら、みんなもきっと笑ってくれるよ」


彼女は震えていた。

泣き出しそうなほどの恐怖を押し殺し、必死に笑顔を作っていた。


オレは一度、それを見たことがあった。

死を予感して尚、人の身を案じるその笑顔を。

掌のぬくもりと、身体を温かく包み込むような言葉をくれた、母さんと同じ笑顔を。


そうだ。

だからオレは──


「ニナを連れて行く」


オレの言葉に、全員が驚愕した。


「おまっ! 自分で言ってること分かってんのか⁉」

「嫌なら降りてくれて構わない。オレ一人になっても、ニナを連れて行く」


ニナは目を見開いて、オレを見つめている。


オレはガキなんだろうか?

諦めなければならないものを諦めきれず、手の中から零れ落ちるだけの砂を、必死に拾い集めようとしている。


でもこれだけは分かる。

見て見ぬフリをしても変わらない。これが、本当は諦めてはいけないものだということは、決して変わらないんだ。


「最初に言っておく。ニナは嘘をついているかもしれない。勇者の加護を使っても、オレはニナが魔物かどうかなんて分からない。それでも連れて行く」

「……連れて行って、それでどうする? 仮にワシらが魔王を討伐しても、この子はこの国には帰れんぞ」

「旅の道中で、ニナを引き取ってもらえる場所を探す。ゴマの儀式なんて知らない、温かくニナを迎えてくれる人のいる、どこかに」

「そんな場所は聞いたことがない。どれだけ小さな村でも、ゴマの儀式は名前や術式を変えて生きている。それでもか?」

「それでもだ」


バタクは睨むようにオレを見つめている。

オレは目をそらさなかった。

我儘だろうと、仮にバタクを失おうとも、この決断を変えるつもりはなかった。


どれほど見つめ合っていただろうか。

止まっていた時が急に動き出すように、バタクが声を漏らして笑った。


「まったく。ワシもとんだ夢想家だと思っておったが、お前さんには負ける。……いいだろう。ワシもこの子を信じる」

「……ありがとう」

「お前さんに礼を言われることでもない」


バタクは旅を共にしていた四人の仲間を集めて、事情を話し始めた。

彼らはバタクに任せれば大丈夫だろう。


「……アラン。お前はどうする?」


じろりと、アランはオレを睨んだ。


「俺様はな。死ぬためにお前について行くんじゃねえんだぞ。名誉と栄光を手にするためだ。血筋が良いってだけで正規兵になって、俺様を見下してきた奴らを見返してやるためだ」

「分かってる」


オレは静かに言った。


「~っ! あーもう! クソ。どうなっても知らねえぞ‼」


半ばヤケになった様子で、アランは吐き捨てた。

そっぽを向くアランに、ティアが駆け寄る。


「ありがとう。アラン」

「……ちっ。俺様が守ってやれなくても化けて出るなよ、ティア」


なんとか話はまとまった。

オレは思わずため息をついた。

離反者が一人も出なかったのは、奇跡に近い幸運だ。


「そういうわけだ、ニナ。申し訳ないが、お前も旅に同行してもらう」

「……シーダお兄ちゃん。でも──」

「大丈夫だ」


オレは力強く言った。


「オレがついてる。だからお前は、変わらずに笑ってくれ。下手くそなオレの分までな」


ニナは思わず吹き出し、それから笑った。


「うん!」


眩しいくらいの、満面の笑みだ。

この笑顔だけは、絶対に守ろう。

オレはそう心に誓った。


「そうと決まればすぐに出発だ。バタク、例の輸送屋のところまで案内してくれ」

「分かった。先にムルトをやって、すぐに出発できるように手配しておこう」


ムルトに一声かけると、彼は脱兎の如く駆けて行った。


「ワシらは途中で旅に必要な物資を揃えてから向かおう。ニナを捜索している連中に見つからんよう、気を付けながら行くぞ」


オレ達はウレイに先導してもらう形で、スラムから出た。

すぐそばにあった店で最低限の食料と、法術に使える道具一式を購入する。


「防具はいいのか?」


ティアに杖を渡しているバタクに聞いた。


「長旅の危険は、なにも魔物だけではない。数でカバーできる軍隊ではない以上、無駄な体力消耗はいざという時に危険だ」


確かに。体力を余計に削られれば移動速度は当然落ちるし、その分無駄な食料が増える。

長旅であることを考えれば、できるだけ身軽な方が都合が良い。


「ただの布に衝撃や斬撃を緩和する加護を付与できる者もいるが、かなりレアな人材だ。ないものねだりをしても仕方がなかろう。……ニナ。お前さんはこれを」


そう言って、バタクはニナにバンダナを渡した。


「これなに?」

「傷を隠さないといかんだろう? 何もないよりはマシだ」


ニナはバンダナを受け取ると、慣れない様子で額に巻き始めた。


「ティア。彼女の傷の具合はどうだ?」

「最低限の治癒はできたけど、傷跡を消すのは……」


ティアは俯いてしまった。


「だ、だいじょうぶだよ! ニナ、頭痛かったの治ったから、すごくうれしい。ありがとね、ティアお姉ちゃん」


必死で笑顔を振りまく彼女を見ていたら、暗い顔なんてできるはずもない。

ティアは優しく微笑み、ニナの頭を撫でた。


「和んでるところ申し訳ねえが、さっさと離れるぞ。同じ場所で屯(たむろ)してるのは危険だ」


全員がこくりと頷き、再び移動を再開した。

しばらく人通りのない道を歩いていると、大通りで民衆たちが集まっているのが見えた。

全員がクワや包丁を手にし、血気盛んな様子で情報交換している。


「いたか⁉」

「いや。向こうの通りにはいなかった」

「くそ。絶対に探し出せ! 魔物をこの国に呼び寄せたのもきっとあいつだ!」

「俺は奴らに娘を殺された。見つけたら俺が切り刻んで、あいつに復讐してやる‼」


世界の理不尽や怒りの全てが、一人の人間に向けられている。

その純粋な悪意の塊は、幼いニナには刺激が強すぎる。


「ニナ。耳をふさいでろ」

「……ううん。だいじょうぶだから。シーダお兄ちゃんの代わりに、笑ってなきゃいけないしね!」


オレは思わず笑った。


強いな、この子は。

ケイトといい、ティアといい。この世界には、オレなんかよりも強い人間が大勢いる。

そういう人たちを守るのが、勇者であるオレの使命だ。


「それにしても、民衆の動きとは思えん迅速さだな。鐘の音が聞こえてからそれほど時間は経っていないというのに、もう徒党を組んでおる」


民衆を避けるように迂回している最中、バタクがぼそりと言った。


「ずっと前のことですけど、同じことがあったんです。ゴマの儀式で、魔物が判明した時が」


ティアがちらとオレの方を見る。

当然、覚えているわけがない。


「私たちは子供だったので詳しい話は聞かされませんでしたが、大人たちが見つけて成敗したと、あとで聞きました」

「その時も同じことが起きたわけじゃないことを祈ろう」


ようやく、オレ達は輸送屋に到着した。

すぐ近くには市壁が広がっており、大きな木製の門がずっしりと構えている。

門というわりに警備をしている兵が少ないのは、おそらくアリの襲撃で大穴を開けられた壁の修理に駆り出されているからだろう。

しかし、こちらとしては好都合だ。


店の前にはムルトが待機していて、こちらに気付くや否や、すぐに駆け寄ってきた。

バタクと言葉を二三かわすと、彼はすぐさま門へと走って行く。


「どうやら出発間近の馬車を引き留めることに成功したようだ。幸運だったな」


見ると、確かに門の前に幌馬車が待機している。

あれに乗り込めば、この国から脱出できる。

それで当面の心配は──


「王子! いや、勇者様!」


振り返ると、そこにいたのは体格の良い中年の兵士長だった。

その隣にいる人物を見て、思わず舌打ちする。

ニナの母親だ。


「鐘の音はお聞きになりましたか⁉」

「ああ。魔物が出たんだってな」


ちらと窺うと、ティアが庇うようにニナの前にいるのが分かった。

兵士長が、突然大きく頭を下げた。


「この度はお騒がせして申し訳ありません! 実はその魔物というのは、私の娘でして」


彼らがニナの両親か。

ニナは声をあげず、フードを目深に被って俯いている。


「憎き魔物は必ず私の手で成敗いたします! 思えば、兆候はあったんです。奇妙なことを口走ったり、人には見えないものが見えたり。加護の力が強いからだと自分に言い聞かせていましたが、なんてことはありません。魔物ならそんなこと朝飯前ですから」


ニナの父親は、怒りに身を震わせながら拳を握りしめた。


「私の娘を騙り、末代まで続く恥をかかせたことは断じて許されない。見つけ出したら、四肢を一本一本切り取って、火あぶりにしてやります!」


親から浴びせられる憎悪の言葉は、どれほど彼女の心を抉っているだろうか。

そう考えるだけで、強烈な抵抗感に苛まれる。


「……心強いな。そんな貴殿に命を下す。今すぐ陛下の元へ行き、魔物の強襲に備えるよう提言して欲しい」

「はっ。今すぐ、ですか?」


心なしか不服そうだ。

両親揃ってこの門を監視していた意味を考えれば、それも当然だろう。


「そうだ。各国から協力を要請し、一刻も早く援軍を呼ぶように言ってくれ。魔物一匹紛れ込んだだけじゃ何もできない。それよりも、魔物が紛れ込んでいた意味を考えるべきだ」

「なるほど……。承知いたしました! すぐに陛下の元へ伺います‼」


踵を返して走りだそうとした時、ぴたりと止まった。


「ところで、その子供は?」


思わずドキリとした。


「旅に連れて行く仲間だ。幼いが、加護の力は折り紙つきだ」

「それはそれは。勇者様に認められるとは大変名誉なお子ですな。私の子供もそのような子であればと思わずにいられません。では失礼」


兵士長は小さく敬礼し、そのまま駆けて行った。

残された母親は、兵士長の方など見向きもしなかった。


「申し訳ないが、オレ達は今から旅に出る。すぐにでも魔物が見つかることを祈っている」


母親は、オレの言葉など聞いていなかった。

フードを被り、後ろを向いたニナを、じっと見つめていた。

オレは敢えて彼女の視界を遮るように、ニナの後ろに回った。


「あの!」


ぴたりと、思わず止まる。


「どうした? オレ達は忙しい。大した用事じゃないなら早く行かせて欲しいんだが」

「……あの。ぶしつけなお願いなのですが」


母親は、慌てたように懐から何かを取り出した。

それは無病息災のお守りだった。

ゴマの灰を入れた布を縫い合わせた、不格好なアクセサリーだ。


「これを、持って行ってくれませんか? 娘に……娘に、渡すはずだったんです。ゴマの儀式の成功を祈って、私が作って。全然、効き目のないお守りなんですけどね。こんなものを勇者様ご一考に渡すのはどうかと思うんですけど。でも……持って行ってもらえませんか?」


母親は深々と頭を下げた。


「お願いします。お願い、します」


その必死な様子に、オレは彼女の言いたいことを全て理解し、お守りを受け取った。


「……分かった。じゃあオレ達は」

「あの!」


彼女は二度(にたび)、オレを呼び留める。

……いや違う。

彼女が呼び止めたのは、たった一人だった。

涙で潤ませた瞳。わななく唇。無意識に伸びてしまう腕。

それは、後ろを向いているニナには、決して見えない光景だった。


「せめて……。せめてもう一度顔を……」


振り絞るような声だった。

その言葉が出るこの数刻。この母親は、一体何を思ったのだろう。

何を思い出し、何を求め、何を後悔しただろう。

しかし母親は、唇から血がにじむほどに噛みしめ、その後に続く言葉と、その全ての想いを飲み込んだ。


「……いえ。なんでもありません。ご無事を祈っております」


オレ達は何も言わず、彼女に背を向けて歩いて行った。


「無事に‼ どうか無事に‼ 平穏な、自分だけの居場所を見つけて、幸せになって‼」


後ろから響く心からの叫びは、母親が子供にできる、唯一のことだった。

オレが勇者になると分かった時。あの時の母さんは、ただ叫ぶことしかできないこの無力な彼女と、同じような想いだったんだろうか。


「笑顔でいるのは大切なことだ」


オレはニナの頭を撫でた。


「だから、明日笑えるように、今日は思い切り泣けばいい」


肩を震わせる彼女が、今どんな顔をしているのかは、見ないでも分かった。


「……うん」




オレ達は門の前で待つ幌馬車にようやく辿り着いた。


「これで全員だ。早く出してくれ」


御者が兵士に声をかけると、左右にいた兵が垂れていた鎖を下に引っ張った。

滑車を利用したそれは、二人の兵士の力でも大きな門を釣り上げることに成功する。


地平線へと続く茶色の砂利道。周囲に生い茂る林。太陽の光。青い空。

門の外に広がる光景は、特に目新しいものではない。

しかし、確かに何かが違った。

ここから先に広がるのは、人の介することのない未知なるダンジョン。

常に死と隣り合わせの場所だ。


「おい、早いとこ乗り込むぞ」

「……ああ」


オレ達が馬車に乗り込もうとした時だった。


「……ニナ?」


そうつぶやいたのは、すぐそばにいた兵士だった。

一瞬だけ、全員が硬直した。


「出せ‼」


御者がびくりと反応し、すぐさま鞭をしならせる。

オレ達が馬車を掴むと、馬の嘶きと共にそのまま走り出した。

兵士が弓を取り出したのは、それとほぼ同時だった。


「早く乗り込め‼」


幌の後ろに設けられた小さな隙間に、次々と仲間たちが入って行く。

兵士の第一射が、馬車へと放たれる。

それは乗り込もうとしていたティアへと向かっていた。


「危ない‼」


オレはティアを抱きかかえ、馬車の中へとダイブする。

ニナが入ろうとするとき、彼女の後ろから矢が迫っているのが見えた。


「ニナっ‼」


間に合わない。

彼女の死を予期したその瞬間、ニナに向かっていた矢が宙へと弾かれた。


「……アラン」


肩に剣を置き、アランはふてぶてしくため息をついた。


「ったく。世話が焼けるったらありゃしねえぜ」


呆然としているニナに、アランはびしりと指を差した。


「勘違いすんなよ。俺様はまだ認めてねえからな」

「……あ、ありがとう」


ニナは涙を拭きながらお礼を言った。


「……おら」


そう言って、アランはぶっきらぼうに手を差し出した。


「え?」

「ずっと笑ってたいんだろ。涙くらい拭かねえと、笑えねえだろ」


ぎこちなかったニナが、初めてアランに笑顔を向けた。


「ありがとう。アラン」

「ちっ。年上にはもう少し敬いを持った呼び方があるだろうが」


ニナはアランの腕に顔をうずめ、思い切り鼻をかんだ。


「ちょっ! お前、なにしやがる‼」

「え?」

「え、じゃねえ! どうすんだ、こんなに大量の鼻水つけやがって‼」


アランがあまりに必死に叫ぶので、オレは思わず笑ってしまった。

見ると、みんなも笑っている。


「お前らなに笑ってやがる! 人の不幸がそんなに楽しいか⁉ あぁ⁉」


前途多難で、あまりに騒々しいスタートだ。

でもこいつらとなら、きっと魔王だって倒せる。

オレはそれを確信した。


「騒々しいわね」


奥から女性の声が聞こえてきた。

荷物が邪魔で気付かなかったが、どうやら先客がいたらしい。


オレはその声に聞き覚えがあった。

膝を立て、奥で座っている隻眼の女性が、オレを睨みつけていた。


「前に言ったこと、覚えてるわよね? 勇者様」


それは、紛れもなくケイトの姿だった。

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