魔物の大移動<1>
オレの心は、既に魔物に対する怒りで一色に染まっていた。
以前は何もできなかった。
為す術もなく全てを奪われ、怒りで歯を噛みしめることしかできなかった。
あの時のようにはいかない。
必ず、奴らに報いを受けさせてやる。
爆発音がした方へ走っていると、逃げて来た多くの住民達と入れ違った。
彼らは自分のことで精いっぱいで、オレが一人逆走していることなどまるで関心がないようだ。
自分勝手な奴らが何人死のうが構わない。
オレはオレのやりたいことをするだけだ。
再び爆発音がした。
今度はかなり近い。
爆発によって生じた炎が家に燃え移り、町をオレンジの光が照らす。
その時、オレはようやく気付いた。
「なんだ……あれは」
月を背後に携え、無数のコウモリが空に羽ばたいていた。
小さな個が集まり、一つの生物のように上空を覆っている。
まるで空そのものが、悪意を持つ巨大な生物に変貌してしまったような気がして、思わず身震いした。
そのコウモリの塊は、うねりをあげて地上へと急速落下し、猛スピードで滑空する。
「うわあああ‼」
逃げ遅れた男がコウモリに飲み込まれた。
男の叫び声に呼応するように、コウモリ達は我先にと男に群がり始める。
あまりに多くのコウモリに纏わりつかれ、男の姿はまったく見えない。彼の暴れる手足が、時々黒い塊の中から垣間見える程度だ。
唐突に、コウモリの群れは男から離れていく。
そこにあったのは、骨と皮だけになった無残な死体だった。
オレは歯噛みした。
男を助けられなかったことじゃない。
村を破壊し、オレを殺した魔物が、未だに人間を蹂躙していることにだ。
一度(ひとたび)そのことが頭を過ぎると、自分ではどうしようもない衝動に駆られ、身体が勝手に動いてしまう。
その正体をオレは知っている。
それは、殺意という衝動だ。
自分の心臓を拳で叩き、一気に引き抜く。
現れ出でたのは、炎の剣だった。
輪郭が波のように揺れる、怒りの色で染まった真っ赤な剣。
コウモリの大軍がこちらに突進してくる。
オレはそれに向かって走った。
「うおおお‼」
オレは思いのままに剣を横薙ぎに振るった。
剣から迸る炎がコウモリに燃え移り、連鎖反応を起こすように炎が広がっていく。
それは圧巻の光景だった。
目を覆いたくなるほどの光が辺りを包み、ボトボトと音をたててコウモリが地面に落ちていく。
大慌てで炎から逃げ纏うコウモリ達の悲鳴は、思わず笑いたくなるくらい滑稽だった。
ようやく炎が収まった時、あれだけ大量にいたコウモリの数は激減していた。
たった一撃で、三分の一以上は死滅させている。
オレはがむしゃらにもう一撃繰り出そうと剣を構えた。
その時だ。
キィイイイィィ‼
頭に直接響くような甲高い声に、思わず耳をふさぐ。
この隙に乗じて襲って来るつもりかと一瞬肝を冷やすが、その声を発端に、コウモリ達はその場から離れて行った。
なんとか追い払うことに成功した。
肩で息をしながらも、オレは口内に溜まった唾を飲み込み、心を落ち着かせる。
いける。
そう断言できるほどに、オレは確かな手ごたえを感じていた。
勇者の加護は、魔物に匹敵……いやそれ以上の力がある。
スネイクにやられたのは、奴の卑怯な戦法にひるんでしまったからだ。
今のオレに、あの頃のような隙はない。
奴らを殺すことを第一に考えているオレが、奴らに後れを取ることなんてありえないのだ。
「勇者様! 勇者様‼」
ふいにオレを呼ぶ声が聞こえ、顔を上げる。
そこにいたのは町長だった。
彼の周りには、武装した屈強な兵士が大勢いる。
「ああ、よかった。やっと見つけた。魔物が町を襲っているんです! 早く我々を助けてください‼」
オレはじっと町長を睨んだ。
町長はわけも分からず、にこりと愛想笑いを浮かべている。
「……娘がどうしたのか、聞かないのか?」
「ああ、フィリスのことですか。勇者様と一緒にいたのです。特別な計らいをしてくださったと信じておりますよ。そんなことより、早く来てください! 魔物の大軍は今まさに町を飲み込むように侵攻しております!」
そんなどうでもいいことを聞くなと言わんばかりの態度だ。
オレも人のことは言えない。
そう分かっていても、むず痒いものが胸に絡まって取れなかった。
オレは兵士たちを見回して言った。
「……お前ら、全員オレの家に行ってフィリスを保護しろ」
「は? 何を言っておられるのですか。彼らは私を守るための──」
「それが条件だ。断るならオレはこの町を見捨てる」
兵士たちが、困惑したように互いを見つめ合っている。
「そ、そんな滅茶苦茶な話があるか! こいつらは私を守るための兵だ‼ こいつらがいなくなったら、私の命は誰が保証するんだ‼」
「ならフィリスはどうなんだ‼」
オレの恫喝に、町長は言葉を返せなかった。
思わず下を向き、歯噛みしている。
「……行け」
しばらくしてから、ようやく絞り出すように、町長は言った。
「し、しかし……」
「いいから行け‼」
兵達は慌てて敬礼し、逃げるようにオレの家の方へと駆けて行った。
「どうだ⁉ これで満足か⁉ 一時の感情で訳の分からんことを言い出す。貴様のような奴が私は一番嫌いなのだ‼」
オレは思わず笑った。
以前までの作ったような態度は既になくなっている。
それだけ余裕がなくなっているのだろう。
ようやく聞けた町長の本音は罵倒にも近い悪口だったが、以前までのものよりはずっと好感が持てた。
「安心しろよ。近くにいるなら、できる限りはオレが守ってやる」
くそぅ、くそぅと吐き捨てるように言いながら、町長はオレを案内してくれた。
◇◇◇
辿り着いたのは、円状の大きな広場だった。
平時では多くの人が行き交い、非常に活気ある場所だったのだろう。
そんな広場は今や、辺り一面血の海だった。
兵士や町民、老若男女の死体が無造作に転がっている。
「そ、そんな……。私がいた時は、十分に抑えられていたのに」
奥の一本道には土嚢や丸太を積んでバリケートが張られていたようだが、既に粉々に破壊されていた。
明らかにコウモリの仕業ではない。
それよりももっと力のある何かだ。
「おい。魔物は一種類じゃないのか?」
「……私がいた時は、大量のコウモリしかいなかった。町民を集めて結界をここに張っていたんだ。奴らはそれで手も足も出ないようだった。奴らがいなくなったから、私が勇者様をお連れしようと外へ出た」
町長は上を向き、大きく深呼吸した。
拳に力を入れ、一歩足を踏み込み、近くにあった死体を検分し始める。
自分の町の住民がこんな状態になっていて、ショックだったに違いない。
それでもやるべきことを全うしようとする姿を見て、オレは町長という人間を誤解していたのかもしれないと思い始めていた。
「勇者、見ろ。この死体は首筋に歯形がある。大きさからいって、およそ二メートルくらいか」
「……よく分かるな」
「これでも、昔は行商人として町と町を行き来していたからな。自衛のためには敵を知るのが何よりも重要だ」
どうやらこういうことには慣れているらしい。
ここは町長の言うことを信じた方がいいだろう。
「損壊箇所は首だけじゃないな。胸部も陥没している。何か強い衝撃を胸に受けた後、首を噛まれて死んだと見て間違いないな」
「明らかにあのコウモリの仕業じゃない」
町長がこくりとうなずいた。
オレも町長に見習って、近くにあった死体を観察した。
「こっちは身体がバラバラになってるな。非常に鋭利な刃物で切り刻まれてる」
「これで少なくとも二種類か。どうやら魔物の大移動に巻き込まれたらしい」
「大移動?」
「時々あるんだ。魔物が今いる住処を離れて、別の住処を探すことがね。普通の動物と違って、奴らは姿形がまったく違っても、同じ生物であるかのように行動を共にする。以前いた場所と同じ生態系を保ったまま、道中のものを食い尽くしながら、新しい住処が見つかるまで一心不乱に進み続ける。不運にもその通り道になって、一つの国が滅んだという話もあるほどだ」
一つの目的を持って、共に動く群れ。
当然、意思を統一するために何らかのシグナルを発しながら行動しているだろう。
オレはコウモリの大軍を退けた時の声を思い出した。
「結界に手も足も出なかったと言ってたな? その時、奴らは甲高い声で鳴いたりしなかったか?」
「……していた。まるで断末魔の叫び声のようだった」
あれがただの声ではなく、仲間を呼ぶものだったとしたら?
オレはゆっくりと辺りを見回した。
広場は四方に道が開けていて、左右の道の突き当たりはそれぞれT字路になっている。
「……ここの地理はどうなってる?」
「地理?」
「兵士を全滅させた魔物の大軍は、さっきオレ達がいた場所へ向かったはずだ。なのにオレ達と鉢合わせにならなかった。別の道を通ったんだ」
「……入り組んでいるように見えるが、町の作りは単純だ。長方形の町を囲むように道があって、さらにこの広場を中心に十字型の道がある。ここからならどの通りにも行き来できるようになっているんだ」
ということは、例の魔物はオレ達が通って来た道とは違う、外側の道を通っていることになる。
その場合、奴らが通るルートは一度町の最奥まで行き、そこからこの真ん中の通りを後ろから進むというルート。
オレは自分の家を出てから、まっすぐ走ってあのコウモリとぶつかった。
ということは……
オレは踵を返して走った。
「ど、どうしたんだ!」
「フィリスが危ない‼」
続く
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