怒り



「ささ、勇者様! どうぞ遠慮なくお召し上がりください」


オレの目の前に広がっているのは、豪華な食事の数々だった。

いくつもの果物やスープ、肉にやわらかいパンと、一人では食べきれない量だ。

こんな贅沢は、村にいた頃では考えられない。


オレは今、町長の家に来ていた。

オレが勇者であると分かった途端、態度を一変させた町長に招待されたのだ。


広い部屋に大きなテーブル。

しかしそれを囲むのは、憮然としたオレとごまをする町長の二人だけだ。


「先ほどは大変失礼いたしました。まさかこの町に勇者の証を持ったお方がいらっしゃるとは、思いもよりませんでしたので。私も町長である前に一人の娘を持つ親でございます。よもや自分の娘がたぶらかされたのではと、少々頭に血が上っていた節がございまして。娘を第一に思うが故の愚行を、どうかお許しいただければと思います」


どこから借りてきたのかと、問いただしたくなるような言葉の数々だった。

深々と頭を下げて微笑む町長と、先ほど軽蔑するようにオレを一瞥していた町長は、同一人物としてなかなか認識することができない。


「……折檻がどうとか聞こえたけどな」

「まさか! 言うことを聞かない一人娘に、子供を気遣う親心をどうすれば伝えられるのかと悩んだ末に漏れ出た方便です。娘を鞭打つ親など、野蛮極まりない!」


怒りに震える町長の様子を、オレはじっと見つめていた。

傍目から見れば、演技にはとても思えない。

だが、たとえどれほど巧みに演じても、オレはそれを信じるつもりはなかった。


「それにしても、マルク様の母君については大変お悔やみ申し上げます。町にいる優れた医者達に調べさせたのですが、具体的な死因も特定できませんでした」


マルクの母親は、彼女の夫が眠る墓の隣に埋葬された。

具体的な手続きについては全て町長が代行してくれたので、そこは感謝するべきところだろう。


マルクもオレと同じで一人親だったことが分かった時は、胸がえぐられるような思いだった。


「しかし、医者達も不思議がっていました。あんな綺麗な死体は見たことがないと。生きたまま魂を抜かれたようだ、なんて言う者もいましたよ。魔物の類の仕業じゃないかってね」


町長は、ちらとオレを伺い見る。

オレは思わず苦笑した。


魔物の類か。言い得て妙だ。


「それでですね。今後のことなんですが、もちろん我々は町総出で勇者様をサポートしていきたいと考えております。魔王を倒すために必要なことがあれば全て私に仰ってください。出来得る限り、全力で事に当たらせていただきます」


オレは思わず下を向いた。

女神に対して強い不信感を抱く今、どうしても魔王を倒すと言葉にすることができなかった。


「あの……魔王を倒すために、尽力してくださるのですよね?」


そんなオレの迷いを察したのだろう。

町長が恐る恐る聞いてきた。


「何故?」


勇者として戦う意味を見いだせない。

そのことを、もっと言葉を費やして説明すべきなんだろうが、今はこの二文字を喋るので精一杯だった。


「え? ……ええと。勇者というのは、魔物を駆逐する女神様の代行者と、お聞き及びましたが……」


オレは黙ってコップに注がれたワインを飲んだ。


オレが戦って仮に死んだら、また誰か別の人間の身体に転生することになる。

戦うことに対する恐怖はないが、誰かを殺すのはごめんだった。


「……魔王の軍勢は着実に勢力を増やし、我々人間の領土に侵攻しております。多くの魔物を束ねる三毒と呼ばれる三匹の魔物は、もはや通常の人間では軍隊を率いても勝てません。魔を統べる王であるデビル・スワイン。死の魔法使い、デス・クック。そして、蠱惑の傀儡子、パペット・スネイク。この三匹を倒せるのは女神様の加護を受けた勇──」


バリンと、大きな音をたててカップが割れた。

それがオレの持っていたものだと分かるのに、数秒かかった。


「……スネイク?」

「そ、そうです。パペット・スネイク! 三毒の中でも特に残虐な奴として有名です。赤子だろうと女子だろうと容赦しない。人を支配するために殺すのではなく、絶望させるために殺す悪魔です」


勇者として戦う意味を見いだせない?

……あるじゃないか。

一つだけ。

絶対に、どうしてもそうしなければならない理由が。


「おい」

「は、はい!」


町長の身体が震えている。

しかしオレは、そんなことに構っている余裕はなかった。


「オレを全面的に支援するって、さっき言ったよな?」

「そ、それはもちろんでございます! なにせ我々人類を救ってくださる勇──」

「だったら今すぐ用意しろ。オレが奴らを殺せるように」


パペット・スネイク。

奴が生きている。

生きて笑い、人を嘲り、食事をして惰眠を貪る。

それを許されていることが、オレには我慢ならない。


オレの人生を狂わせたのは奴だ。

ケイトを殺し、母さんを殺し、村の人たちを全員殺したのはアイツだ。


オレを絶望の淵に追いやった。

この地獄を生み出した。


そんな生きる価値もないクソ野郎どもに鉄槌を下せるのは、このオレだけだ!


オレは町長の胸倉を掴んだ。


「スネイクは……魔物は、オレが一人残らずぶっ殺す‼」



◇◇◇


どうやって自分の家に帰ったのか、いまいち覚えていなかった。

使用人という、家の雑事を仕事にしている男性がオレを家まで案内していたように思うが、かなり朧げな記憶だった。


それくらい、オレの心は怒りに支配されていた。

今まで後ろ向きだった反動が、オレを突き動かしている。


「女神」

『はいはーい♪』


ぼそりと呟いただけなのに、女神は待ってましたと言わんばかりにオレの目の前に姿を現した。

まるで空気が突然人の形になって現れたようだった。


「確認するが、オレは死なないんだな?」

『そうですよー。仮に死んでも、あなたの魂はリインの紋章によって守られます。そして今回のように別の誰かに転生し、再び勇者として魔王討伐のために動いてもらいます』


オレは思わずほくそ笑んだ。


そうだよ。何を怯えることがある。

オレは死なないんだ。

刺し違えてでも魔物を殺すことができれば、いずれは魔物を滅ぼすことができる。

無限の命を持つオレが必ず勝つ。

簡単な話じゃないか。


だったらこの力を使って、魔物を殺してやればいい。

幸い他の奴らだってそれを望んでいる。オレの身体の代わりになる奴は気の毒だが、世界のための礎になれるのなら本望だろう。


『しっかしあれですねー』


女神はオレの隣で寝転びながら言った。


『勇者としての自覚が芽生えたのは、ほんの一瞬だけでしたね』

「……あ?」


何を言ってるんだ、こいつは?

今まさに、オレは勇者として魔物を殺そうとしているんだ。

これ以上の自覚があるわけがない。


『言ったでしょ? 勇者は人々を救済し、天へと昇る存在。天とは穢れなき世界です。そこに到達するのが勇者としての使命なのです』

「勇者としての使命なんてどうでもいい。他人を救済する気もさらさらねえ。オレはオレの殺したい奴を殺す。ただそれだけだ」

『罪を改めず、修羅の道を行くのですね。天に背く行いですよ』


オレの身体が、かっと熱くなった。


「罪だと……? オレがいつ罪を犯した⁉ ケイトや母さんを殺したのは魔物だ! マルクの母親を殺したのはお前だ! オレは何もしてない‼ 悪いのは魔物やお前だ‼ だからオレが全員ぶち殺してやるんだよ!」


怒りに任せて恫喝してやったというのに、女神はにこにこと笑っていた。

ぶん殴ってやりたいところだが、それが無駄だということは痛感している。


「お前の目的は魔王を殺すことだろ。だったらどういう理由で魔王を殺そうがどうでもいいだろうが」

『私の目的は、人々に救いをもたらすことですよ』


女神はにこりと微笑み、煙のように消えていった。


……訳が分からない。

だがアイツの言うことが分からないのは今に始まったことじゃない。


オレは発散できないフラストレーションを、近くにあった小さなテーブルを叩き割ることで解消し、そのままベッドに横になった。



◇◇◇


朝。

オレは自分の店の前で突っ立っていた。

店の壁に、真っ黒なペンキで大きく文字が書かれているのだ。


近くの通行人を捕まえて文字を読ませると、どうやら『母親殺し! 魔物の仲間は町から出て行け!』と書かれてあるらしい。


こっそりとドアの中からこちらを覗く近隣の住民達。

オレがじろりと睨むと、彼らはそそくさと家の中へと逃げていく。

赤の他人のような態度を取っておきながら、やることは非常に陰険だ。


オレは近くにあった立て看板を思い切り蹴り飛ばし、そのまま町長の家へと向かった。


◇◇◇



「これはこれは勇者様。本日もわざわざお越しいただきありがとうございます」


にこにこと笑っているが、歓迎していないことは何となく分かった。


「用意はできたのか?」

「申し訳ありません。物資に関してはすぐにでもご提供できるのですが、旅を共にしたいと言う気骨ある者がなかなかおりませんで。勇者様がこれほどやる気を見せていただいているのに、お恥ずかしい限りです」


オレは舌打ちした。

あんないたずら書きをしてくる奴らだ。

旅の仲間が集まるのは絶望的だといえた。


「じゃあ物資だけでいい。オレ一人で行く」

「それはなりません! あなたは人類唯一の希望なのです! 準備不足のまま勇者様を行かせてしまい、もしものことがあれば。この町は他国の者達によって潰されてしまいます!」


そう言われて、一瞬だけ躊躇する。

しかし、魔物に対する憎悪の念が、同情の心を焼き切った。


「関係ねえ。オレは魔物さえ殺せればそれでいいんだ。これ以上ぐだぐだ抜かすなら、魔物の前にお前をくびり殺すぞ」


それがただの脅しじゃないと察したのだろう。

村長は顔を蒼くしながら渋々うなずいた。


「……分かりました。ではしばしお待ちください」


部屋で待たされること数十分。

ドアを蹴破って出て行こうかと思った頃に、ようやく誰かが入って来た。


それは、ドレスに身を包んだフィリスだった。

彼女と会うのは、町を案内してもらって以来だ。

初めて会った時のような古臭いフード姿ではないからか、以前よりも美人になったように感じる。


フィリスは視線を逸らしながら、にわかに赤くなった頬を隠すように下を向き、ドレスの先を摘まんで膝を小さく折った。


「きちんとしたご挨拶が遅れて申し訳ありません。フィリスと申します」


以前とはまるで違う態度だ。

今の彼女の方がはるかに女性らしくて、好感が持てる。

なのにオレは、そんな彼女の態度を残念に思った。


「……なんだよ、その他人行儀な喋り方は」

「し、仕方ないじゃない。そうするように言われたんだから」

「あんなチビを怖がってるのか? もっと根性のある奴だと思ってたけどな」

「……あなたにそんなことを言われる筋合いはないわ。マ・ル・ク・様」


どうやら、オレがリムと名乗ったことが未だに不服らしい。


「……別に、嘘をついたわけじゃねえ。リムという名前も、オレにとっては本当の名前だ」


もう、その名で呼んでくれる人はいないが。……とは、当然言わなかった。


「……あっそ」


そっけない返事だが、心なしか口調がやわらかくなったのを感じた。

彼女なりに、何かを感じ取ってくれたらしい。



しばらくすると、町長が機嫌よく微笑みながら部屋に入って来た。


「いやはや、遅れて申し訳ありません。どうですかな? ウチのフィリスは。親の私が言うのもなんですが、なかなかの器量でしょう?」


オレは聞かなかったフリをした。

フィリスの顔を見れば、それが彼女にとって非常にプライドを傷つけるものだということが、すぐに分かった。


「ところで先ほどの旅のお供の件なのですが、勇者様は既にツガイはお決めになられましたか?」


オレはふいに、ケイトのことを思い出した。

星空の下、オレに告白してくれた愛すべき彼女のことを。


「ご存じなければご説明いたします。ツガイとは、女神様に関する文献の中で勇者と共に記述されている存在でございます。

『異形の者が蔓延り、混沌が世界を包む暗黒の時代。人々を支配する魔王の元にリインを刻みし勇者が現れ、それを討ち滅ぼすだろう。人々の救済を望む勇者が、辛苦を共にしたツガイと天へと昇る時、混沌は静まり、世界は新たなる安寧を迎える』

ここで述べられる天へと昇るという記述は、魔王を打ち倒した勇者が神としてこの地上に君臨することを意味すると言われております。伝承では、その時にツガイ……つまり妻をめとることが新たなる安寧に必要なことなのです。ツガイと共に魔王を打ち倒す辛苦の末に、我々人類は救われるのです」


同じようなことを、オレはケイトから聞いた。

あの時、オレが有無を言わさず彼女を拒んでいれば、あんな結末にはならなかったのだろうか。

少なくともケイトだけは、助けることができたんだろうか。


「あの……それでですね。どうやら勇者様は娘のフィリスを気に入られたご様子。もしよろしければ、この者を勇者様のツガイとして、旅のお供に連れて行ってはくれませんか?」


先ほどまで粛々としていたフィリスが、驚きのあまり目を見開いた。


「ちょ、ちょっとパパ! それどういうこと⁉ 私、なにも聞いてない!」

「お前は黙っていろ! ……ええとですね。こう見えて、フィリスには加護の素質がございます。人間が魔物に対抗するために編み出した秘術。結界もゴマの儀式も、この加護を用いて形を成すのです。この力を持つフィリスなら、微力ながら勇者様のお手伝いができるでしょう。ツガイとしては申し分のない娘だと、親である私は自負しております」


オレはちらと町長を見た。

手をすり合わせ、愛想笑いを振りまいている。


オレが断ると思ったのだろうか。

町長は慌てたように言い加えた。


「もしも仮に、既にツガイをお決めなのであれば、やはり魔物から優先的に狙われるのは必然でしょう。そこでどうでしょう。影武者として、この娘をお使いいただくというのは」


フィリスは愕然として、言葉も出ないようだった。


「表向きはフィリスをツガイとしていただき、陰で本物のツガイと共に魔物、ひいては魔王を討ち滅ぼすのです。これほど安全かつ効率的な作戦はないとは思いませんか?」

「ちょ、ちょっと待ってよ。なにそれ。それって、私が危険になるってことじゃない! 娘である私をツガイにして自分の出世に利用したいだけでしょ⁉」

「馬鹿者‼ 私は欠片としてそんなことは考えていない! あくまでも魔王を討伐するためだ‼ そんな私利私欲に塗れた妄想をするなど、女神様から天罰が下るぞ‼」


あれほど勝気だった彼女が、顔を蒼くし何も喋れないでいた。

父親であるこの男の言葉にどれほど絶望させられているのか、赤の他人でもよく分かった。


「これはお前のためでもあるんだ。ツガイとなることは、大変名誉なことなんだぞ! 親として、これほどうれしいことはない」


母さんは、勇者となったオレに、そんなことは望んでないと言った。

マルクの母親も、同じ立場になれば、きっと同じことを言っていただろう。


オレは思わず鼻で笑った。


「まるで逆だな」


フィリスは、オレが母さんからもらった、あの温(あたた)かい言葉をもらったことがないのだろう。

これほど裕福で、腹を空かせることもない生活で。それなのに、わざわざ逃げ出すようなことをしていた彼女を不可解に思っていたオレは、ようやくその理由が理解できた気がした。


「ツガイは必要ない。魔王はオレ一人で殺す」


オレは淡々と言った。


「そう仰らずに! 世の中には念には念をという言葉がございます。一人よりも二人。二人よりも三人の方が何かと便利でありましょう。ましてや伝承を破るようなことは──」


オレは町長を睨みつけた。


「オレに指図しているのか?」

「滅相もございません‼」


町長は深々と頭を下げた。

勇者に逆らうのは得策ではないという打算以上に、オレに対する恐怖があるのだろう。

ちらとフィリスを伺うも、彼女は放心状態で呆然としていた。


「……物資を明日までに用意しておけ」


オレはそれだけ言って、その場を立ち去った。



◇◇◇


「なんでツガイが必要なんだ?」


その日の夜。

オレは話を聞くために再び女神を呼び出していた。


『あの町長さんが言った通りですよ。安寧の時を迎えるには、魔王を討伐するだけでは足りないのです』

「だから、なんでその足りないものがツガイで埋められるんだって聞いてるんだ」


女神は、人差し指を顎に乗せ、『ん~』と呻きながら天井を見上げた。


『不完全だから、ですかねぇ』

「はあ?」

『勇者には試練が必要なんですよ。転生という加護も、勇者の剣も、全て試練を達成するためのものです。試練を通して勇者は完全に近づくことができる。それと同じように、天へ昇るためには同様の試練を達成したツガイが必要なのです』

「完全とか天に昇るとか試練とか。お前の話は抽象的過ぎる」

『ふあぁ~。なんだか眠くなってきちゃったなぁ~。そんなわけなんで、今日はもうおやすみしまーす』


オレが制止の声をあげる間もなく、女神は消えてしまった。


どうやら町長の言う通り、勇者のゴール地点は神になることらしい。

女神の代行者という肩書があるということは、女神の代わりに地上を統べる存在になるということか。

それは数多の町や国があるこの世界を一つにまとめ、王になるということでもある。

そのためには、妻となる人間が必要なのは確かだ。


だが、何か釈然としない。

そんなことをわざわざ女神に指示される謂れはないし、その必要もない。

それをわざわざ伝承として残すほど重要視した理由は、一体何なんだろうか。


ふとその時、ようやくオレは家の外で人の気配がすることに気付いた。

女神との話に夢中になっていたため、今まで気づかなかった。


おそらくは昨日と同じ、近隣住民によるいたずらだろう。


「……めんどくえせな」


オレは舌打ちと共に立ち上がり、部屋を出た。

松明の代わりにランプと呼ばれる照明道具を持ち、玄関のドアを勢いよく開ける。


「きゃっ!」


いたずらをしでかす人間にしては可愛らしい声だと思いながらランプを翳す。

そこにいたのはフィリスだった。

フード付きのゆったりしたローブを羽織り、ランプの灯から眩しそうに目をそらしている。


彼女の手には厚手の布があり、消し方も分からずそのまま放置していたいたずら書きが、三分の一ほど消えていた。


「なにやってんだ?」

「えと、パパに言われて……。あなたを説得してこいって」

「こんな夜中にか?」

「……」


フィリスは俯いた。

身を縮込(ちぢこ)ませるようにして、両手でローブの襟元を摘まんでいる。

その何かを隠すような仕草に何かを察し、オレは彼女の手を掴んだ。


「駄目! 見ないで‼」


手が襟元から離れ、ローブがはだける。

ローブの中から、彼女の透き通るような素肌が見えた。

ただそれだけが、見えた。


彼女は慌ててローブで身体を隠した。

顔を真っ赤にして、今にも泣きだしそうだ。

そんな彼女を見て、オレははらわたが煮えくり返る思いだった。


「あの野郎、ぶっ殺してやる」


町長の家へ向かおうとするも、フィリスが慌ててオレの腕を掴んだ。


「いいの! 私は気にしてないから‼」

「こんなことを娘にやらせるなんて親じゃねえ‼」


彼女の手を振りほどこうとするも、オレはフィリスの懇願する顔を見て、膨張していたものが急激に萎んでいくのを感じた。


そうだ。

こいつとは赤の他人。

オレがこいつのために怒る理由も、筋合いもない。


ただ、ここで町長の行動を許したら、自分が信じていた唯一のものがなくなってしまう気がして……。


「……とりあえず、家に入れ」


フィリスは言われるままに家へ入り、居間の椅子に腰掛けた。

もてなし方も分からないオレは、彼女の正面に座り、ただただ時間が過ぎるのを感じていた。


ふと目をやると、フィリスは窓の外を見つめている。

以前にもしていた、あの大人びた、寂しい目だ。

それを見て、彼女のその目の意味が分かった。


フィリスは諦めているのだ。

何か、彼女にとってとても大切なもの。

それを、父親の道具になることで諦めている。


でもそれは、本当に正しいことなのか?

オレには、よく分からなかった。


「……ごめん」


ふいに、フィリスが口を開いて言った。


「何がだよ」

「気、つかわせちゃったでしょ? 一人で旅するとか。……ツガイはいらないとか」


最後の言葉は、ほとんど聞こえないくらいのか弱い声だった。


「……別に。ただの本心だ」


嘘ではなかった。

オレにとってツガイなんてどうでもいい。

魔物を殺すことさえできれば、どうでもいいのだ。


「……私さ。夢だったんだ」

「何が?」

「母親になること」


彼女の瞳には明るさが灯っていた。

それを見て、これが彼女の諦めたことだと、オレはすぐに理解することができた。


「好きな人と結婚して、子供を作って。そしてめいいっぱい自由に育てるの。私みたいに束縛されないで、ずっと自由に」

「……叶えたらいいだろ。勇者のツガイとして生還すりゃ、あのゲス親父だって何も言えなくなる」


彼女は小さく俯き、自嘲するように笑った。


「無理よ。魔王討伐の旅なんて、私。生きて帰れる気がしない」


フィリスはこれまで、ずっと町の中で暮らしてきたはずだ。

おそらく旅なんてしたこともないし、魔物を見たことすらないだろう。

彼女の予感は、おそらく正しい。


「かといって、あなたに拒まれたら、たぶん家での居場所もなくなる。……ね? もう詰んだも同然じゃない?」


ひと際明るい彼女の様子に、オレは思わず眉間にしわを寄せた。


……なんだよ、詰んだって。

お前、まだ生きてるじゃねえか。

病気もしないで、夢もあって、なのに何で、そんな悲しいことが言えるんだ。


「……ってやる」

「え?」

「……オレが、守ってやるから」


一度つっかえ、それでも尚、口からその言葉が漏れ出ていた。


それは、無理やりにでも吐き出そうと引っ張り出してきた言葉だったのだろうか。

それとも、必死に抑えていたものが零れ出てしまった、衝動的な言葉だったのだろうか。


自分でも、どちらなのか分からなかった。

自分の胸の中で重量を持つ真っ黒な何かが、後悔なのか不安なのかも、分からなかった。

それでも不思議と、口の重たさは感じなかった。


「勇者のツガイとして魔王を倒して、生還して、あのゲス親父も何も言えなくなるくらい偉くなって、……それで、好きな奴と結婚して子供産んで、幸せに暮らせばいい」


刺し違えてでも魔物を殺す。

そう決意したオレにとって、この言葉は矛盾そのものだった。


オレが死ぬということは、一緒にいるフィリスも死ぬということだ。

魔王を倒すということがオレの死に直結するのなら、この約束は守られるはずがないじゃないか。

……いや。まだオレが死ぬとは決まってない。

これ以上の転生なしに魔物を殺し尽くすのがベストなんだ。


スネイクにやられた時は、気が動転していただけ。

正面からぶつかれば、魔物だろうとオレが遅れを取るはずがない。


フィリスとの約束を守り、魔王を倒す。

それくらい、オレにとってはわけないことだ。



まるで自分に言い聞かせるような言葉の数々。

これは優しか?

それとも、ただの驕りか?


オレにはよく分からない。

自分が何をしようとしているのかも。

自分が、本当はどうしたいのかも。


「……とにかく、今日は泊まっていけ。オレももう寝るから──」


背後から、突然フィリスに抱きつかれた。


「……何の真似だ?」

「ごめん。数日前に会ったばかりで、女の私からだなんて、はしたないわよね。ごめん。私……どうしても、怖くて。でも、あなたと一緒なら……」


フィリスがオレの目の前に回ってくる。

彼女の身長は、オレの鼻くらいまである。

女性にしては背が高い。


「は、恥ずかしいから、目を瞑ってて」


緊張で赤くなったフィリスの顔が、徐々に近づいてくる。

身体が密着し、彼女の発育の良さを改めて感じる。


普通の女性よりもスタイルが良い。

普通の女性よりもなめらかな肌。

普通の女性よりも健康的な身体。


その時、ふいにケイトの姿が浮かんだ。

思わずフィリスの肩を掴んで制止する。


「……マルク?」


……違う。

普通の女性じゃない。


ケイトだ。

オレはずっと、フィリスとケイトを比較していた。

それをする度に、そばにいるはずのフィリスではなく、ケイトの存在が大きくなっていった。


なんだってんだ。

今のオレはマルクで、ケイトは既に死んで。

なのにオレは……


「オレは──」


言いかけた、その時だった。


突然、耳をつんざくような爆発音が聞こえ、思わず姿勢が崩れた。


「なんだ⁉」


カカン、カカンと、特徴的な鐘の音が町中に響き始める。


「嘘……。この鐘の音」


ガタガタと、フィリスの身体が震え始める。

何事か分からずにいるオレに気付いたのか、フィリスはオレを見上げた。

顔を蒼くした彼女は、ごくりと息を飲み、言った。


「魔物が、町を襲ってる」


急に、フラッシュバックが起こった。


平和だった村に、突然スネイクが現れた時のこと。

村人たちが操られていた姿。

惨劇の数々。


オレはそれを振り払うように、家から飛び出した。


「待ってマルク! 私を守ってくれるんでしょ⁉」


哀願するように、フィリスはオレを見つめていた。

小さいくの字を描くフィリスの足は、まともに立つこともできない彼女の状況を如実に伝えていた。

それに同情する気持ちは強くあった。

しかし、すぐそこに魔物がいると思えば思うほど、その心を溶かすマグマのような怒りの熱が溜まっていく。


「お前はここで隠れてろ。魔物は……オレが全員ぶち殺す!」


オレは彼女の方を見ることなく、音のした方へと走って行った。




続く

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