大泥棒の女
グラムとの一戦を終え、名実共に認められたオレだったが、肝心の新しい仲間については何ら進展がなかった。
あれから何度かギルバニア王の元へ通ったものの、適任者と言えるような人間が見つかったという報告はない。逆にグラム将軍が、オレを副官にしようとしつこく催促してくる始末だ。
魔物が蔓延る外の世界を好んで旅する変わり者は早々いない。ましてや地理に詳しく、勇者を道案内できる者なんてなおさらだ。
そのことを強く痛感した頃、オレはとうとう仲間のメドがたたないまま、明日この国を出発することに決めた。
オレとアランは酒場に来ていた。
ギルバニア皇国で過ごす最後の夜を飲んで過ごしたい、という理由ではもちろんなく、仲間候補がいないかという一縷の望みを託しての行動だ。
二人で丸テーブルに座ると、アランは運ばれてきた酒を一気にあおった。
「おい。まだ怪我は治ってないんだろ?」
「あ~ん? 酒は百薬の長って言うだろうが! 飲んどきゃ治るんだよ!」
仲間を探すのが目的だから、あまり飲むなと言っておいたはずだが……。
ゴーダ王国の酒場はうだつのあがらない者達がたむろする場所だったが、ここギルバニア皇国では国民も兵士も、共に肩を並べて酒を酌み交わしている。
「俺様はよぉ! ずっとお前に言いたかったんだ! 今回のことで、心の底から失望したってな‼」
ビアマグをテーブルに叩きつけるように置きながら、アランは言った。
仄かに赤みがかった頬が、彼の酔いを物語っている。
「お前のことじゃねえ。自分自身の不甲斐なさにだ! あの森の中で、本当は俺様が皆を守ってやらないといけなかった。なのに、ニナに庇われ、ケイトに担がれ、挙句シーダ! お前に身を挺して守られちまった‼ 護衛対象のお前にだ‼」
「またその話か。状況次第では逆の場合もあり得たんだから、別にいいだろ」
「よくねえ! 俺様はなぁ。別にお前より劣ってることが気に食わないとか言ってるんじゃねえ。自分の仕事が真っ当できなかったことに腹がたってるんだ!」
アランは真剣な表情で唇を噛んだ。
どうやら酒の勢いで適当なことを言っているというわけでもなさそうだ。
「この前のグラムとの戦いだってそうだ。あれを見て、俺様はつくづく情けなくなった。お前どころか、グラムにだって太刀打ちできないことを思い知らされた。……あー、自分こそが最強だと思っていた頃が恥ずかしくて仕方ねえ」
「……まあ、そう思えるようになったというだけでも大きな成長じゃないか?」
突然、アランが柏手(かしわで)を打った。
「よし、決めた! 今日からお前のことは兄貴と呼ぶ!」
「は?」
「剣の技術だけじゃない。皆を引っ張っていく統率力。絶望的な状況下でもひるまない精神力。俺様は兄貴の戦う姿を見て学び、旅が終わる頃には、兄貴と対等な存在になってみせる!」
どうやらアランは酔い過ぎてしまったらしい。
しかし、ここまで尊敬の念を露わにされるのも、悪い気はしない。
その時、突然酒場の扉が開いた。
屈強な身体をした男が、首に鎖を繋がれた女性を連れて、カウンターまで歩いていく。
女は若く、身軽な恰好をしていたが、貧しさは感じなかった。
うなじほどまで伸びた髪はぼさぼさで、その目はこの世の全てを憎むかのように周囲を睨みつけている。
「酒を」
「今回はどのような手柄で?」
店主はビアマグに酒を注ぎながら言った。
男は頬を歪ませ、女の頭を掴むと、カウンターの上に叩きつけた。
「ぐあっ!」
「聞いて驚け。あの大泥棒、クレナを現行犯で捕まえてやった。王に突き出せば、コイツの首と引き換えに大金を頂ける」
オレは近くで飲んでいる男に身体を寄せる。
「なぁ。クレナって何者だ?」
「貴族ばかりを狙って金銀財宝を略奪してる女だよ。周辺国でもお尋ね者になってる大有名人さ」
周辺国。
つまり密入国を何度も繰り返しているということだ。
普通の人間よりも旅慣れているのは間違いないだろう。
「ちょっとおじさん。なんでアタシをクレナと思ったのか知らないけど、王の前にアタシを連れて行っても恥かくだけだよ?」
「減らず口を。お前の似顔絵は既に国中にばらまかれてるんだ。今更そんな言い訳が通用するか」
「学の無さそうなアンタでも、他人のそら似って言葉くらい、聞いたことない?」
男はぴくりと眉を動かし、裏手でクレナの頬を叩いた。
彼女は吹き飛び、オレのテーブルに身体を倒す。
ふいに、彼女と目が合った。彼女は薄く頬を緩め、オレに言った。
「ねぇアンタ。アタシを助けてくれない? 礼ならするからさ。一生遊んで暮らせるお金が手に入るよ?」
クレナは歩いてきた男に胸倉を掴まれた。
「今度は見ず知らずの人間に命乞いか? 金の亡者のお前が交渉とは、よほど命が惜しいと見える」
「金の亡者? 馬鹿言わないで。アタシは何にも執着しない。人にも、物にも、お金にも。だからアタシは今まで生きてこれたんだ」
クレナは小馬鹿にするように鼻で笑った。
「アンタは何に執着してる? 名誉? お金? だったらアンタ、いずれ死ぬよ。きっとアタシよりも早くね」
兵士はクレナの腹に蹴りをいれた。
彼女は苦悶の声をあげ、身体をくの字に曲げて地面に倒れ伏す。
「王の前に差し出す前に、少し遊んでやるか」
そう言って、男はすらりと剣を抜いた。
オレはじっとクレナを見る。
彼女は笑っていた。今にも命を落としかねないこの状況で。
男が剣を大きく振りかぶる。
ガキイン!
振り下ろされた剣は、オレの剣に阻まれ、彼女の目の前で止まった。
「……何の真似だ?」
「オレがこの女の首を買う」
男は、ぎろりとオレを睨んだ。
「お、おい兄貴。こんな泥棒助けてどうするつもりだよ」
「クレナと言ったな。金はいらない。その代わり、道案内を頼む」
「道案内? 一体どこまでご所望で?」
クレナは茶化すように言った。
「魔王城まで」
途端、酒場がにわかにざわめき始めた。
男の憎しみがこもった目が、少しだけ変化する。
「……もしかしてお前、最近この国にやって来た勇者か?」
「ああ」
男は俯いた。
勇者と喧嘩するのはさすがに気まずいらしい。
クレナはオレを見上げながら唖然としていたが、やがて小さくため息をついた。
「……アンタさ。交渉ってのを理解してないでしょ。アタシは命を助けて欲しいって言ってるの。人類救済とかいう馬鹿げた使命を掲げて魔王城へ? そんなの死にに行くようなもんでしょ」
「それは状況次第だ。死なない可能性もある。だが少なくとも言えるのは、オレの誘いを断るなら、お前に待っているのは死だけだ」
クレナは初めて、真面目な顔でオレを睨んだ。
「馬鹿げた使命に執着するオレ達を拒んで死ぬか? それとも、生きて魔物と戦う恐怖を甘受するか? どっちに執着するか、決めるのはお前だ」
オレはそれだけ言い残すと、男に王への紹介状を一筆して酒場をあとにした。
「兄貴。なんであんな奴を仲間に引き入れたんだ?」
「あいつは絶望を知っている目をしていた。魔物と戦うには何よりも重要な素養だ」
「つってもよぉ。アイツ、本当に来るのか?」
「来るだろ」
「その根拠は?」
「絶望している奴は、ずっと心のどこかで願ってるのさ。希望が見つかるのをな」
オレはアランを見た。
「そうじゃなければ自殺している」
「……そういうもんかね」
口ではそう言いながらも、アランは納得しているようだった。
「かといって、誰にでも当てはまるものでもないだろうがな。ということで、アラン。最悪お前が連れて来い」
「ええ⁉」
「嫌ならいつでも弟分を止めてもらって構わないぞ」
アランの文句を聞き流し、オレはさっさと宿へ帰って行った。
◇◇◇
王に用意してもらった寝室に入ると、オレはすぐにベッドの上へ寝転がった。
疲れた。
そんな言葉が自然と頭に浮かんだ。
この国に来てから、不自然に明るかった仲間達も落ち着きを見せ、十分に英気を養ったと思う。
しかし、こうして一人になるとふいに頭を過ぎるのは、そうした後ろ向きな言葉だった。
クレナが仲間になろうとなるまいと、明日にはこの国を離れる。
そしてそうなれば、また仲間を危険に晒す。バタクのように、何の前触れもなく死ぬ者も現れるだろう。
オレはそのたびに、彼らを激励し、腕を引っ張り、先陣を切って歩かなければならない。
死の恐怖に直面し、死にたくなかったであろう人間達の最後を目の当たりにしても、オレは心のどこかでうらやましいと感じている。
この地獄のような輪廻を、死ぬことによって終わらせられることに。
ふいに、ドアがノックされた。
「なんだ?」
オレが返事をすると、戸惑いがちにティアが入って来た。
「あの……どうだった? 仲間探しは」
「一人候補がいた。明日合流するかどうかはそいつ次第だ」
「そう」
言葉短にそう言うと、彼女はすとんとベッドの端に座った。
両の指を所在なげに絡め、下を向いている。
「まだ何か用があるのか?」
「う、うん。用ってほどでもないんだけど……」
ティアはそれだけ言って黙ってしまった。
「……よく分からないが、明日に向けて早く寝ておいた方がいい。次にベッドで寝れるのはいつになるか──」
彼女は、そのままベッドに横になった。
「……なにしてるんだ?」
「なな、なにって……ね、寝ないといけないんでしょ?」
声が上ずっている。
こちらに背を向けているが、顔が真っ赤になっているのは容易に想像できた。
「いいのか?」
彼女は何も言わない。
ぎこちなく、頭を少しだけ下げる。
彼女はかわいそうになるくらい身を縮こませていた。
オレは、そっと彼女の肩に触れた。
びくりと、一瞬だけティアの身体が震える。
肩に手を置いて初めて実感する。女性の身体はこんなにも華奢で小さいものなのか。
オレはゆっくりと彼女を仰向けに寝かせた。
緊張で身体を震わせながら、彼女は痛いくらいに目を瞑っている。
そんな様子が愛おしく、また見慣れていたはずの彼女の顔が、こんなにも美しかったかと思わせる。
オレは、ゆっくりと彼女の顔に口を近づけた。
鼻と鼻がぶつかりそうなくらいに接近し、彼女の吐息が口元に感じられる。
「好き」
ふいに、ティアから言葉が漏れた。
その言葉を契機に、オレの脳裏に何かが走った。
夜。目の前に畑が広がるその場所で、ある女性から言われた言葉が。
『好き。リム、私はあなたのことを愛してる』
オレの身体がぴたりと止まった。
「……シーダ? どうしたの?」
その言葉に返事をしようと口を開く。
なんでもない。
その短い言葉が、何故か声にならなかった。
何秒、いやもしかしたら数分かもしれない。
しばらくオレは、そのままの形で固まっていた。
動かない身体に歯噛みし、とうとうオレは、彼女から離れてしまった。
ベッドの端に座り、オレは項垂れた。
「悪い。またの機会にしてくれるか?」
そう口にすることがどれだけ彼女を傷つけるのか、おぼろげながらでも分かっているつもりだ。
しかし、そう言わざるを得なかった。
「今のオレは、魔王を倒すことで精いっぱいなんだ。挫けそうな気持ちを、必死になって繋ぎ止めてる。そんな状態でこんなことをしてしまったら……、お前に、甘えすぎてしまう気がする。そしたら、もう立ち上がれなくなる気がして、怖いんだ。だから……」
それは半分本当で、半分嘘だった。
ごまかせたかどうかは分からない。
しかし、オレは彼女の顔を直視することが、どうしてもできなかった。
「……うん。分かった。今は魔王を倒すことが一番重要だもんね」
そのあまりにも素直な言葉に、オレは思わず振り向いた。
「ティア。もしも魔王を倒すことができたら、その時は……!」
「だいじょうぶだよ。何があっても、私がシーダを好きなことは変わらない。私、ちゃんとシーダのことを支えるから。だから、もしも甘えたくなったら、いつでも言ってくれていいからね」
ティアは笑顔でそう言うと、振り返りもせずにオレの寝室をあとにした。
「……すまない、ティア」
誰もいない部屋で、そんな言葉が空虚に響く。
『哀れですねぇ』
女神が現れて、そう言った。
『過去に囚われていても、何も良いことはありませんよ?』
そんなことは、言われなくても分かっている。
だがそれでも、過去に囚われ、傷つかなくていい傷を負い、生きていくのが人間なのだ。
◇◇◇
朝。
オレ達は門の前で集まった。
ティアもいつもと変わらないように思える。その内心がどうであれ、表面上はそう見えることに、オレはほっと安堵し、そしてそんな安堵を抱くことに罪悪感を覚えていた。
「アランって、なんでそんなにボロボロなの?」
ニナの言う通り、アランの服はぼろぼろで、心なしか目にクマまでできていた。
「明日出発だと言っておいたのに、お前は何やってるんだ?」
「なにって、兄貴がアイツを無理やり連れて来いって言ったんだろうが! こっちは一晩中アイツと鬼ごっこしてたんだぞ!」
「兄貴?」
アランのオレへの呼び方に、ティアが首を傾げる。
「おう。昨日からシーダを兄貴分にすることにした。よろしくな」
「なんで弟なのにえらそうなの?」
アランはニナの質問を華麗にスルーした。
そんな様子を見ていたギルバニア王は声をあげて笑った。
「ハッハッハ! 勇者様一行は仲がよろしいようでなによりです」
「お見苦しいところをお見せしました。今日はわざわざお出迎え、ありがとうございます」
ティアが深々と頭を下げた。
王も彼女の対応にまんざらでもない顔をしている。
貴族とのやりとりを心得ている者が仲間にいるのは、非常にありがたい。
「おう勇者。気が向いたらいつでも俺の隊に来い。副長の座を空けて待ってるぜ」
「どう言われてもお前の下につくつもりはないから、さっさと他の奴を出世させてやれ」
グラムは高らかに笑い、オレの肩をばしばしと叩いた。
どうやらオレが冗談を言っているように聞こえたようだ。悪い男ではないが、最後の最後まで噛み合わない男だった。
オレは辺りを見回した。
送迎に来てくれた兵士達の中に、クレナの姿は見当たらない。
「結局来なかったか」
王に借りを作っただけになってしまったが、こればかりは仕方がない。
オレ達は王が用意してくれた馬車に乗り込んだ。
「勇者様。ルシア聖王国には女神の生まれ変わりと言われる聖女がおります。彼女なら、きっと魔王を打倒する良い方法を教えてくださるでしょう。我々も急ぎ準備を済ませ次第、軍隊を派遣します。ルシア聖王国を拠点に、今度は我々人間が、魔王領を脅かしましょうぞ」
「はい。ルシア聖王国で心待ちにしております」
軽い挨拶を済ませると、馬車はゆっくりと動き出した。
「全員、敬礼!」
大勢の兵士が一寸違わず敬礼のポーズをとる姿は、圧巻の一言だった。
様々な人間の想いを乗せて、オレ達は旅をしている。そのことを、強く実感した。
「兵士ってやつは堅苦しくて仕方ないねぇ」
そんなことを、御者が言った。
その聞いたことのある声にオレが振り向くと、そこには馬を操るクレナがいた。
「クレナ!」
クレナはこちらを見て、にっと笑った。
「お、お前~! あれだけ逃げといてどのツラ下げて来やがった‼」
「そりゃ、鼻息荒くした男に追いかけられたら誰だって逃げるだろ?」
正論過ぎてぐうの音もでない。
「ま、ついて行くかどうかは朝になるまで決めてなかったけどね。魔王を討伐した勇者様ご一行に加われば恩赦くらいは受けられるだろうし、人生一発逆転するにはちょうどいいと思っただけさ。本気で危なくなったらアンタら置いて逃げればいいしね」
オレは思わず笑った。
彼女はどこまでも彼女らしい。
「せいぜい寝首をかかれないように気をつけるとしよう。……これからよろしくな、クレナ」
クレナはこちらを見ずに、ひらひらと手を振った。
大きな門がゆっくりと開き、馬車道が広がる外の世界に、オレ達は再び足を踏み入れた。
今度はどんな危険が待っているのか。そんなことに思いを馳せながら。
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