ギルバニア皇国


しばらくすると、ティア達が駆け寄って来た。

どうやら皆、致命的な怪我は負わずに済んだようだ。

お互いの健闘を称え合う彼らの顔は、一様に笑顔だった。

死んでいった者達のことを、敢えて考えないようにするように。


森が燃え尽きて、馬車道が蛇のように曲がりくねったものに作り変えられていたことに初めて気付いた。

外の光に見せかけた罠といい、魔物はオレが考えていた以上に頭の回る生物らしい。


「勇者様ー‼」


突然、遠くからそんな声が聞こえて来た。

見ると、武装した兵士達がこちらへやって来る最中だった。


「勇者様! よくぞご無事で‼」


部隊の隊長と思しき男が、オレに敬礼する。

彼の後ろには、百人単位の兵士がずらりと並んでいた。


「これは?」

「はい。実はゴーダ国王……勇者様のお父上からご報告があり、我らギルバニア皇国騎士が迎えに参ったのです。しかし途中で巨大な森に遮られ、どうしたものかと思っていたところで……」

「この森自体が巨大な魔物だったんだ。仲間を何人か失ったが、なんとか突破できた」


それを聞き、隊長は顔をほころばせた。


「素晴らしい! 我々が到底太刀打ちできないと思っていた苦境をいとも簡単に跳ね除けるとは。やはりあなた様は人類の希望です!」


いとも簡単に、か。

本当にそうできたら、きっとバタクも死ぬことはなかっただろう。


その時、突然遠くの地面が崩れ始めた。


「地面に潜り込んでいた魔物の身体が灰になりつつあるんだろう。さっさと退散した方がよさそうだ」

「そうですね。では我々が先導します」


隊長は再び敬礼し、オレ達一人一人に馬を提供してくれた。

それはオレにとって初めての乗馬体験だった。

しかし簡単に乗りこなすティアの手前、そんなことも言いにくい。他の人間の乗り方を見て、何とか見よう見まねでついて行った。


「それいけえ!」

「どわあ! ちょっと待てお前‼ 不用意に蹴るなって言ってるだろ! てかなんで怪我人の俺様がガキの子守まで……うおあ! 止めろ! 止めろって‼」


ニナとアランを乗せた馬が暴れまわっている。

それを見て、ティアは大笑いしていた。オレも笑いたいところだが、自分のことで精いっぱいだ。


「力を入れすぎよ。馬と呼吸を合わせてリズミカルに動くの」


いつの間に側にいたのか、ケイトが馬上から教えてくれた。


「……お前は乗れるのか」

「ええ。一人で旅する以上、馬に乗れることは最低条件だったから」


あまり深く考えていなかったが、ケイトの様子を見るに、オレが死んでから生き返るまで、かなりの時間が経過しているようだった。

その間にケイトは、人知れず血のにじむような努力をしていたのだろう。

ふと、ケイトがじっとオレを見つめていることに気付いた。


「ヨマネドリのことは知ってる。でも馬に乗れることは知らない。……変な話よね。まるであなた、リムと記憶を共有しているみたいだわ」


ぎくりと、肩を震わせる。

どうにかしてごまかさないといけない。

しかしこれ以上変にはぐらかすのは、逆に危険なように思えた。

オレは自分を落ち着かせて、ゆっくりと口を開いた。


「……勇者になった時、自分と違う人間の記憶が断片的に見えたんだ。それが何なのかはよく分からなかったが、お前と出会って理解した。たぶんあれは……オレの前に勇者になった人間の記憶だ」


オレはちらと女神を見た。

実体のない彼女が馬に乗れるわけでもないのに、女神はオレの馬の後ろで腰を降ろし、ふわあとあくびをしている。

何も仕掛けてこないところを見ると、この説明は勇者の秘密に抵触するとはみなされていないようだ。


「そう」


彼女は言葉短にそう言った。


「……リムは嘘つきじゃなかった。彼は……勇者だったのね」


ごめん。

目尻に涙を溜めるケイトを見て、オレは心の中で謝った。

やっぱりオレは、嘘つきだよ。本当のことも言えず、無駄にお前を傷つけている。


でもこればかりは、彼女に教えるわけにはいかなかった。

勇者の秘密は、オレが墓場まで持って行かなければならないものだ。でも、それだけを抱えて墓に埋まるつもりはない。

魔王の亡骸も、一緒に抱えて死んでやる。

それがオレの覚悟だった。


◇◇◇


ギルバニア皇国は、国そのものが一つの城のようだった。

荘厳な門の中は、建物が所狭しと並んでいて、一本一本の道が細く、非常に入り組んでいる。

敵の襲撃があればすぐにでも道を塞いで敵を誘導できるような仕掛けだと、隊長に教えてもらった。


「この国は戦争によって発展した国です。ですから王以外の役職は、全て純粋な力によって決まります。完全な実力主義なんですよ」


民家の屋根にもやぐらのようなものが建てられているところに、その徹底さが見てとれる。

民間人も武器の携帯を義務付けられていて、いざという時は兵士に混じって戦うのだという。女も子供も、この国では戦うための訓練を受けなければいけないのだ。


「それじゃあ私はこれで」


そう言って、ケイトは馬から降りる。

さっさと行ってしまおうとする彼女の背中に、オレは声をかけた。


「ケイト。もしよければ、オレ達と一緒に来ないか?」


彼女は立ち止まり、ゆっくりとこちらを向いた。


「私も賛成。初めて会った時は色々あって、正直あなたのことが憎いと思った時もあったけど、もう誤解だったって分かってるから。あなたに助けてもらったお礼もしてないし。今度は私もあなたの力になるわ」

「俺様は別にどっちでもいいけどな。ま、反対はしねーよ」

「ニナも! ケイトお姉ちゃんと仲良くしたいな!」


ケイトがいなければ、オレ達は確実に死んでいただろう。

そのことは、他の皆もよく理解しているところだ。


「嬉しい申し出だけど、お断りしておくわ」

「何故だ? もしかしてまだ──」


ケイトは首を振った。


「もうあなたを憎んでない。でも、私の目的はあなた達とは違うわ。あなた達は人類のために魔王を打倒する希望の光。でも私は、憎悪に焼かれるただの女よ」


いつの間にか柔らかくなっていた彼女の表情が、初めて会った時と同じ冷たいものへと変わった。


「スネイクを殺す。私の頭の中にはそれしかないの。魔王なんてどうでもいいわ。そんな人間を味方にしても、いずれどこかで亀裂が生じる」


憎悪。怒り。

それが自分自身を燃料に燃え続ける炎だと分かっていても、止められない。

それはオレ自身、怒りの炎に囚われたことがあるから、よく理解していた。

結局、その炎を消せるのは自分自身だ。どれだけ想われていても、どれだけ言葉を投げかけられても、自分が変わろうと思わなければ、自分でも制御できない炎に飲み込まれるしかない。


「じゃあ、私はもう行くわ。あなた達が無事に魔王を打倒することを願ってる。いずれ地獄に落ちる女の願いなんて、きっと何のご利益もないでしょうけどね」


そう言って、彼女は去って行った。

その後ろ姿にかける声が、オレには、どうしても思い浮かばなかった。


◇◇◇


宿舎で夜を明かしたオレ達は、兵士に呼ばれて王の間へとやって来た。


「これはこれは、勇者様。我がギルバニア皇国へようこそ」


玉座に座るギルバニア王は、貴族とは思えない剛健な男だった。

その服装も、上品でカラフルなものではなく、鎧を彷彿とさせる金属製のものだ。

この国の長でいるためには、王であろうと舐められてはいけないのだろう。


ティアが恭しく王に頭を下げる。

オレもそれに倣った。


「横から失礼いたします、陛下。私は勇者のツガイとして選ばれたティア・ルーテンシアと申します。早速ですが、ゴーダ王国の状況は……」

「おお、そうだった。つい先ほど伝書鳩が届いたよ。魔物による襲撃を受けたが、周辺国からの増援もあって、なんとか切り抜けられたそうだ」


オレはほっと胸を撫で下ろした。


「ギルバニア皇国は勇者様一行を全力で支援するつもりです。こう言ってはなんですが、この国の軍事力は世界でも群を抜いております。必ずや勇者様を魔王城へお連れすることができるでしょう」

「嬉しい申し出ですが、お断りします」

「何故ですか?」

「少なからず魔物と対峙してきて、身に染みて分かったことがあります。仲間は必要ですが、人数が多ければそれは恐怖の種になる」


オレは仲間達を見た。

全員が、何かを思い出すように俯いている。


「今回の件で、仲間達は身に染みたはずです。魔物がいかに恐ろしいか。そして人間が、いかに脆く弱いものか。それを痛感することが最大の魔物対策です。仲間を過度に増やせば過信となり、必ずその隙を魔物に突かれることになるでしょう。全滅しなければよいという考えならそれでも良いかもしれませんが、勇者であるオレが死ねば崩壊するパーティであるのなら、少数精鋭でいくべきです」


ギルバニア王は顎をさすった。


「……ふむ。勇者様がそう言うのなら、仰る通りに致しましょう。では他に我々ができることは?」


オレは少しだけ考えた。

短い期間だったとはいえ、やはり旅慣れたバタクがいてくれたことは非常に大きな意味があったように思う。少数精鋭とはいえ、必要な人材はやはり確保しておきたい。


「誰か地理に精通した人間はいませんか? できれば、実際に外を歩き慣れた人物であると好ましいのですが」

「う~む。地図職人や測量兵ならいるが、外を歩き慣れた人物となると……」

「ちょっと待ってくだせぇ」


ふいに、後ろから声が聞こえた。

二メートルはあろうかという巨体。筋骨隆々の肉体。額にある大きな傷が、戦闘経験の豊富さを物語っている。

強いな。

手合わせしなくても分かる強者の雰囲気が、その兵士からは溢れ出ていた。


「陛下。こいつの言うことを全て真に受けるのは危険ですぜ」

「グラム将軍。それはどういうことかね?」

「数年ほど前、とある商人の町で勇者を名乗る男が現れたって話を聞いたことがあります。そして勇者が現れた途端、今まで平和だったその町は魔物に襲われて全滅した。勇者は何故か、町を破壊する魔物を退治することもなく忽然と姿を消したらしい」


その噂は、嘘とも言えない内容だった。


「勇者を騙る魔物がどこぞの村を滅ぼしたって話もある。勇者を名乗り尋常ならざる力を持っているからと言って、それですべてを信じるのは些か性急ですぜ」


オレは薄く笑った。


「なるほど。確かに一理ある。その全滅した町や村に勇者の噂ができる亡霊がいたのなら、確かに勇者に化けた魔物もいるかもな」


ぴくりと、グラムの眉が動いた。

無骨な頬が大きく歪み、笑みを浮かべる。


「言うじゃねえか。勇者ってのはもっとお上品かと思っていたが、なかなか面白そうな奴だ」


グラムは背中に掲げていた斧を取り出し、ずしんと刃の部分を手に置いた。

その動作から、かなり重いものであることが推察できる。


「どうです、陛下。一度俺と勇者で一騎打ちさせるというのは。俺に勝てたならお前を勇者として認めてやる。俺に負けたなら、この男は加護も使えない一人の人間よりも劣った存在ってことだ。仮に勇者だとしても人類の希望には遠く及ばねえ。魔物だろうと人間だろうと、生きている価値はねえでしょ」

「ちょ、ちょっと待ってください! そんなの横暴です!」


ティアが慌てて止めた。


「あらら。ツガイともあろうお方が、勇者様を信じていないので?」

「そ、それは……」


ティアは口ごもる。

オレは辺りを見回した。

さすがは軍事国家といったところか。先兵ですら、この状況に動揺するどころか、喜々として事の推移を窺っている。

ギルバニア王はしばらく静観していたが、やがて口を開いた。


「……勇者様。命の取り合いではなく、ちょっとした模擬戦ということで、うちのグラムと一戦交えてみるというのはどうですかな? この国では強さこそが全てでして。グラムの言い分は滅茶苦茶な理屈に聞こえましょうが、この国では浸透した考え方でもあるのです。先ほど仰られていた人材はもちろんこちらでも探しますが、我々が把握していない適任者もいるやもしれません。そういう人物を民間で探すと言うのなら、ここで一つ実績を作っておくことは決して無駄ではないと思いますが」


確かに。

仮にここで逃げたとなれば、瞬く間に民衆にも噂は広がり、偽勇者のレッテルを張られるに違いない。


「……いいでしょう」


オレは胸に手を掲げ、剣を取り出した。

それを見て、「おお」と周りで小さな歓声があがる。


「へぇ。勇者ってのはまるで手品師だな。だが俺の斧はペテンじゃねえぜ。どんな岩をも砕く必殺の武器だ」

「御託はいい。かかってこい」


グラムは一瞬で間合いを詰め、斧を振り下ろした。

オレが跳躍すると、斧とぶつかった地面が抉れる。

その破壊力は、先ほどの挑発に値するものだった。しかも、その力の強さに比べ、グラムの動きは素早かった。

巨大な斧を剣のように振り回し、着実に間合いを詰めてくる。

一度斧を受けるも、その力の差は歴然で、一気に弾き飛ばされる。

その反動で動きが鈍ると、その隙を突いてさらに攻め立てる。

オレはなんとか姿勢を立て直しながら攻撃を避け続け、歯噛みした。


グラムは魔王討伐の要になる国で将軍にまで上り詰めた男だ。

その強さは尋常ではない。

しかしそれ以上に、オレはこの戦いにうまく集中できていなかった。


「どうしたどうしたぁ⁉ やっぱりお前もただの偽物かぁ⁉」


その言葉を聞いて、オレはようやく理解した。

そうだ。オレは怒っているんだ。

偽物の勇者の存在が噂として広まり、それを確証もなく信じている人間達に。そして、そういう噂が広まる余地を作ってしまった自分自身に。

この噂がどれほど人を傷つけるものか、オレはケイトを見てよく分かった。

なのに、オレは何もできない。そういう噂を止めることもできない。

オレがうまくやれば、こんなこと起きなかったかもしれない。

ケイトの負担を少しでも減らせてやれたかもしれない。

オレに力があれば、こんな噂話をさせたりしない。本当に大切な人を傷つけたりも……。


「……いや、違うのか」


思い通りに全てがうまくいく。

そんなこと、誰にもできやしないんだ。

どれほど力を手にしても、強大な権力を手に入れても、この世にいる限り、思い通りになることはない。

その欲望が途切れることもない。


オレは大きく息を吐いた。

忘れよう。

自分の不甲斐なさも、世の不条理も、全部。

全てを吸い上げるように一つにまとめて、身体から放出する。

そんなイメージを思い描いていた時だった。

勇者の剣が、青く光り始めたのだ。


「戦闘中だぜ! ぼけっとするな‼」


グラムの斧が振り下ろされる。

もはや避けられない。

しかしオレの心に焦りはなかった。ただただ、欲を捨て去ることだけを考えていた。

青く光っていた剣が、鋭く細いものへと変貌する。

その瞬間、オレはグラムの背後で、その剣を彼の首筋に向けていた。

光を反射し、表面が揺れる青い剣は、まるで実体のない水そのものだ。


「オレの勝ちだ」


グラムの驚愕の表情を見ながら、オレは言った。


「……この俺が、まるで見えなかった。そんな大技を隠してやがったのか」

「隠していたわけじゃない。ついさっき、悟ったんだ」


グラムは首を傾げている。

オレの言っていることを理解できるのは、きっと女神だけだろう。

その証拠に、彼女はほくほく顔だった。


『いやぁ素晴らしいですねぇ。ようやくあなたも勇者としての自覚が芽生えて来たということでしょうか』


言ってろ。

オレは憮然とした態度で剣をしまった。


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