覚醒
「リム‼」
ケイトが駆け付けてくれたのは、オレが母さんの額に濡れた布を置いていた時だった。
「容態は?」
オレの隣に座ったケイトが、病人を気遣い小さな声で聞く。
オレの代わりに答えたのは、母さんを看てくれていた村長だった。
「悪いですね。今までの無理がたたったようです」
そんなこと、言われなくても分かった。
この数か月の間で、あまりにもやせ細ってしまった母さんを見れば。
「どれくらいもつ?」
オレは絞り出すような声で聞いた。
「……今までも倒れることはありましたし、回復する見込みがないわけではありません。ですが、身体が丈夫なわけではありませんから、このまま寝たきりになってしまうこともあるでしょう。そうなれば、自分の力のみで回復するのは非常に難しい。きちんとした医者に診せる必要があります」
村長は慎重に言葉を選ぶように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
にもかかわらず、オレにはその言葉の一つ一つが、鋭い針のように感じた。
その針を、心臓に一本一本、ゆっくりと刺し込まれるような感覚に、思わず悲鳴をあげそうだった。
オレはぎゅっと握りこぶしを作り、大きく息を吐いた。
「村長。今用意できる食料、できるだけ持ってきてくれ」
村長もケイトも、オレの意図が分からずきょとんとしている。
「オレが母さんを連れて村を出る」
「駄目です‼」
オレが言い終わるや否や、村長が強い口調で叫んだ。
「あなたは勇者です。魔王を倒すことのできる唯一の存在であり、人類の希望なのです!足手まといを連れて村を出て、魔物に殺されたらどうするのです‼」
「そんなヘマはしない」
「そういう問題ではない‼」
村長に怒鳴られたのは、生まれて初めての経験だった。
「いいですか。もはやあなたの命はあなただけのものではありません。万全の準備をし、あなたを完璧にサポートできる人間を集めます。この村を出るのはそれからです」
オレは思わず笑った。
「オレだけの命じゃない……? 勝手なこと言ってんじゃねえ‼」
オレは村長の胸倉を掴んだ。
ケイトが口に手を当て、今にも泣きだしそうな顔をしている。
しかし今のオレには、そんな姿は目に入ってこなかった。
「てめえはそうやって口減らしがしたいだけだろうが‼ 気付かないとでも思ったのか? オレの家の配給だけわざと減らしてやがっただろ‼ 母さんが必ずオレに飯を食わせると知っててわざと‼」
村長は答えない。
しかしそれは答えたも同然だった。
「死にぞこないにやる飯はねえってか? 何とか言ってみろ‼」
「そこまでだ」
気付けば、オレの腕はウィズに掴まれていた。
どうやらウィズが入って来たのも気づかないほど、オレは激昂していたらしい。
「離せ」
「師匠に向かってなんて口きいてんだ?」
「免許皆伝って言ったのはてめえだろ。もう赤の他人だ。離せよ」
ウィズは何も言わない。
オレがウィズの胸倉を掴むと、向こうもすぐに掴み返してくる。
じれったい。
さっさと殴り倒して母さんを連れて行こう。
オレがそう思って拳を振り上げた時だった。
「リム……」
ともすれば聞き逃しそうな、か細い声。
オレは我に返り、慌てて母さんの元へ駆け寄った。
「母さん。オレだ。分かるか?」
「リム……、喧嘩なんてしちゃダメ。お前は良い子なんだから。母さんは分かってるから」
オレは子供の頃を思い出した。
喧嘩っ早いオレは、よく問題を起こしてウィズや大人に殴られて帰って来た。
本当はダメだと分かっている。人を殴ってしまった時の罪悪感は、ウィズに殴られた痛みよりも遥かに痛かった。
でも、そうすることでしか自分を表現する術を知らなかった。
父親のいないお荷物家族だと言われて、それを自分の中で消化する方法が分からなかった。
オレが泣いているのを見て、誰もが叱られて泣いていると思っていた。
自業自得だと。これに懲りたら喧嘩なんてするなと。オレの気持ちも知らずに上から目線で言ってくるだけだった。
でもその中で、母さんだけはオレの痛みを分かってくれた。
喧嘩なんてしちゃダメだ。お前は良い子だから、皆にも分かってもらわないとダメだ。母さんは全部分かっているからと。そう言ってくれた。
「リム……。お前は父さんのようにならないで。お願いだから、私の傍からいなくならないで。リム……、お願いだから。リム……。リム……」
母さんの口から、初めて父さんのことを聞いた。
なのにまったくうれしくなかった。
うわごとのようにオレの名前を呟く母さんに、オレは、ただ手を握ってやることしかできなかった。
◇◇◇
夜も更けてきた頃、オレは一人、畑の前で座っていた。
いや、正確には一人ではない。
浮遊霊のようにオレの周りに纏(まと)わりつく、鬱陶(うっとう)しい女神もいる。
『それにしても、昼間は険悪なムードでしたねぇ。私、ああいうの苦手なんですよぅ』
「黙れ」
『あ、でもああいう喧嘩っ早いのはいただけませんね。勇者は女神の代行者。いずれは私同様、天に昇る存在です。怒りは人が持つ最大級の穢れの一つですからねぇ。リラックスリラックス♪』
「黙れって言ってるだろ‼」
オレの恫喝にも怯えた様子はなく、女神は不満そうな顔で、べえと舌を出してその場から忽然と消え去った。
勇者は女神の姿が見えると奴は言っていたが、どうやら任意で姿を消すこともできるらしい。
やはり、あいつの言っていることは話半分に聞いた方がいいな。
「ごめんね。邪魔だったならいなくなるから」
そんな声がして振り返ると、そそくさとケイトが帰るところだった。
「ちょっ、待て待て! お前に言ったわけじゃねえから‼」
「……じゃあ誰に?」
「え……っと……、む、虫だよ虫! 考え事したいのにうるさいからさ。ついな」
厳しい言い訳だったが、ケイトは不審に思いながらも信用してくれたようだ。
何も言わず、オレの隣に座る。
オレは手持ちぶさたで頬をかき、ケイトに倣ってその場に座った。
「母さんはさ。オレが勇者になったこと、喜んでくれてないみたいなんだ」
親が自分の意に反することを愚痴る子供のように、オレは不満げに言った。
「訳分かんねーよな。あれだけ女神に祈ってたくせに」
「それだけリムのことが心配なんだよ」
オレの隣で、ケイトはいつも独り言のように小さな声で自分の言葉を囁(ささや)く。
奥ゆかしくて、大人数になると臆して喋れなくなる彼女は、まるでどこかの国のお姫様のように気品があるように思えた。
「心配って、オレは勇者なんだぜ? 魔王を討伐できる最強の人間に何を心配する必要があるんだよ」
「うーん……そういうところかな」
「どういうところだよ?」
「そういう、自信過剰なところ?」
奥ゆかしいケイトは時々、オレに対してだけ辛辣な言葉を浴びせてくる。
何も返せないでいるオレを見て、彼女は口元に手を当てて、くすくすと笑った。
「勇者は魔王を打ち倒すことのできる人類の希望。それが生まれたことを喜ばない人なんていないよ。でもね。勇者が魔王を打ち倒すには、きっと色々な苦難が待ち構えていると思う。それが……不安なんだよ。リムがずっと幸せでいますようにって、毎日お願いしているおば様や、……私は」
彼女の薄い微笑みには、いつも以上に不安や心配が堆積してできた陰が、色濃く見えた。
だからこそ、オレは意を決した。
「……ケイト。オレ、村を出ようと思う」
ケイトは驚かなかった。
「母さんを連れて、隣村まで行ってみる。もしかしたら医者がいるかもしれないし、いなかったらまた次の村まで連れて行く」
「いつ行くの?」
「今日の夜。実を言うと、お前に言ってからにするかどうか、ここで迷ってたんだ。言ったらお前、絶対止めようとするだろうし……心配かけちまうから」
「勝手に出て行ったらそれこそ心配するよ」
「……だな。すまん」
ケイトにはいつも心配をかけてばかりだ。
分かっているのに、それを軽減してやることのできない自分に、どうしようもない不甲斐なさを感じる。
「行っていいよ」
ケイトの答えは、意外なものだった。
「その代わり、条件がある」
そう言って、彼女は凛としたまなざしで、じっとオレの目を見つめた。
「私も連れて行って」
オレは一瞬、唖然とした。
「な、何言ってるんだ! こんな危ない旅にお前を連れていけるわけねーだろ‼」
オレの言葉など届いていないかのように、ケイトは続けた。
「ねぇ、リム。リムは知ってる? 人々に語り継がれている勇者伝説の中に、こんな一節があるの。『異形の者が蔓延り、混沌が世界を包む暗黒の時代。人々を支配する魔王の元にリインを刻みし勇者が現れ、それを討ち滅ぼすだろう。人々の救済を望む勇者が、辛苦を共にしたツガイと天へと昇る時、混沌は静まり、世界は新たなる安寧を迎える』。ここで言われているツガイというのが具体的に何なのかはよく分かっていないらしいんだけど、一説によると、身も心もサポートして、勇者と共に魔王を倒すパートナーのことなんじゃないかって言われてるんだ」
「そりゃ、お前には今までずっと支えてきてもらったし、そのツガイって奴が仮にいるんだとしたら、お前以外にいないと思ってるよ。でもそれとこれとは──」
「そ、そうじゃなくて……」
ケイトは、自分の服の裾をぎゅっと掴んだ。
俯いた彼女の顔は、にわかに赤くなっていた。
「わ、私は、あなたと人生を共にしたい、の。あなたが苦しいときは私も苦しみたい。あなたが喜ぶときは、私も喜びたい。そういう人生を、送りたいの」
しばらくは意味が分からず呆けていた。
しかし徐々に、自分の心臓の音が早くなる。
それは、ケイトが言った言葉の意味を受け止め始めた証拠だった。
自分の顔がほてっているのが分かる。
オレも、彼女みたいに顔を真っ赤にさせているのだろうか。
「好き。リム、私はあなたのことを愛してる。私を一緒に連れて行って」
「ちょ、ちょっと待て!」
「……ダメ?」
彼女は小首をかしげて聞いてくる。
かわいい、という言葉が思わず口から出そうになって、慌てて心を落ち着かせた。
「そうじゃなくて! お前は良いところを持っていきすぎなんだよ!」
「良いところ?」
「オ、オレにも、少しはかっこつけさせろ」
オレは大きく咳払いした。
深呼吸し、彼女の肩をゆっくりと掴む。
自然と、彼女の瞳にくぎ付けになる。
「……ケイト。愛してる。一緒に……来てくれるか?」
「はい……」
そっと、ケイトに顔を近づける。
彼女は拒まない。
オレはおもむろに目を瞑った。
ドチュ
奇妙な音だった。
その音が耳にこびりついたかと思うと、生暖かい液体がオレの顔に降りかかる。
オレは目を開けた。
ケイトの驚く顔が目に入る。
彼女の左目から生えている長い棒が一体何なのか、オレは一瞬よく分からなかった。
受け身も取らず、ケイトは仰向けに倒れた。
「……ケイト?」
びくん、びくんと痙攣する彼女の身体に手を伸ばすも、オレは触れることができなかった。
触れることが怖かった。
一体何が起きているのか、まるで理解できなかった。
鼓動が段々と早くなる。先ほどまでのものとは違う、一拍一拍があまりに強くて、心臓が痛いくらいだ。
「大当たり~♪」
声がする方を振り向くと、木の枝に座り、愉快そうな笑みを浮かべる少女がいた。
見ているだけで冷たくなる白い肌。
死人のような紫の唇。
右手が蛇と同化していて、一個の生命体のようにこちらを威嚇している。
人間と同じ姿をしていても、すぐに分かった。
それが幼い少女の皮を被った別の何かだということを。
オレは直感的に悟った。
こいつは……魔物だ。
「辺鄙(へんぴ)な村のくせしてそこそこ良い結界張ってるからさぁ。ちょっとイラついちゃった」
彼女の腕には、結界の境界線に突き刺していた錫杖が何本も抱えられていた。
オレは唖然としていた。
唖然として、動けなかった。
女は三日月のように口を歪ませ、錫杖の一本をオレに向かって投擲した。
矢よりも速く、それはオレの方へ一直線に飛んでくる。
避けられない。
……いや、避けるという選択肢すら思い浮かばなかった。
それくらい、オレは混乱していた。
何が何だか分からず、このまま楽になりたかった。
『うわぁ、エグゥ。こんな風に死にたくはないですねぇ』
ケイトの傍に腰を落として、女神が何か言っている。
その言葉が、オレから逃避という選択肢を排除させた。
そうだ。
ケイトが死んだ。
ケイトが……。
ケイトが……‼
『悟りなさい。あなたが既に、魔を打ち払う力を持っているということを』
金属音が木霊する。
回転しながら宙を舞う錫杖が、地面に刺さった。
愉快そうだった女の目が細くなり、オレを睨んでいる。
オレの手には、赤く燃える剣があった。
輪郭すらおぼつかない、炎のように燃える剣が。
「お前は……オレがぶっ殺す‼」
続く
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