地獄転生

城島 大

地獄編

プロローグ



『異形の者が蔓延り、混沌が世界を包む暗黒の時代。人々を支配する魔王の元にリインを刻みし勇者が現れ、それを討ち滅ぼすだろう。人々の救済を望む勇者が、選ばれしツガイと天へと上る時、混沌は静まり、世界は新たなる安寧を迎える』


幼い頃からそんな伝説を聞かされていたオレは、魔物に怯えて暮らす日々にもかかわらず、何の疑いもなくこの世界に希望を感じ、何の疑いもなく勇者に憧れていた。


いつか魔王を倒すのはオレだ。

そんな子供らしい無邪気な夢を持ち、身体を鍛え、剣の腕を磨いた。


だが、その時のオレは知らなかったんだ。

勇者という存在が、あまりにも惨く恐ろしい牢獄に捕らわれた存在であることを。





プロローグ 地獄編




だだっ広い草原に一陣の風がそよぎ、葉の擦れる音が波のように聞こえてくる。

そこに立つオレは、目の前の男を睨み、木製の剣を握る手に力をいれた。

相手はこの村随一の使い手、ウィズ。

ガキの頃から何度も手合わせしている相手だ。

勝ったことは……一度もない。


「どうした? 腰が引けてるぜ、リム」


軽口で挑発してくるが、オレは無視した。

いつもこれに乗ってリズムを崩してしまう。

オレだって馬鹿じゃない。そう何度も同じ手は食うか。


「今日は見物客が多いな」


ウィズがそう言って、大げさな動作で辺りを見回した。

隙だらけのように見えるが、わざとであることはなんとなく分かる。

オレはぐっと我慢して、その場で機を待つことにする。


ウィズの言う通り、今日は確かにギャラリーが多かった。

日に日に力をつけてきているオレに、村の皆が期待しているのだ。

それだけに、オレはここで勝たなければならない。なにより……


「ケイトも来てるな」


ぴくりと、眉が動いてしまった。

気付かれないように視線を移すと、確かにそこにケイトはいた。

茜色の髪を三つ編みにした姿は、素朴で大人しい彼女によく似合っている。


ケイトは祈るように両手の指を絡ませ、眉間に皺ができるほど強く目をつむっている。

誰かが傷つくことを極端に嫌う彼女は、喧嘩だろうと決闘だろうと許してくれない。

ちょっとした切り傷を見せただけで顔を青くし、治療を始めたと思ったら今度は顔を赤くして怒り出す。


そんな彼女が、初めて自分から、オレの試合を見に来てくれている。


「隙あり」


目の前から声が聞こえた。

咄嗟に剣を翳すと、一気に腕が弾かれた。


「っ!!」


剣を取り落としそうになるも、なんとか堪える。

ウィズの一撃は細身の身体から繰り出されたとは思えないほど強く重い。

体制を立て直そうと後方へ下がるも、相手は息をつく間もなく追撃してくる。


「まだまだ青いな」

「うるせえ!!」


くそ。あれだけ気をつけていたのに、隙を作っちまった。

オレはすぐさま集中した。

ウィズの剣技はまるで風のようだ。心地よいそよ風だと思っていたら、急に突風となって襲ってくる。

相手に主導権を渡すと、その緩急に隙を突かれていずれやられる。


(一か八かだ!)


押され気味のこの状況で、オレは敢えて前へと乗り出した。

間合いが狭すぎて剣を振ることができないのもお構いなしにだ。


さしものウィズも、その行動には驚いたらしい。

自分の懐に入った相手をどう対処するかで迷い、一瞬だけ動きが鈍る。

その決定的瞬間を、オレは見逃さなかった。


オレは思い切りウィズの胸に体当たりをした。

ウィズが後方へたたらを踏むと同時に、オレとの間に剣一本の隙間ができる。

それができることを知っている者と知らない者の差は、一瞬が勝負を決めるこの場面において、非常に大きな差があった。


オレは渾身の力を込めて、強引に木刀を突き出した。

その時の一歩が生み出す衝撃が一陣の風とぶつかり合い、周りの草葉が弾け飛ぶ。



両者ぴたりと止まった身体に再び風がそよいだ時、オレの刀身はウィズの首筋でぴたりと止まっていた。

思わず頬が緩むも、すぐに顎の下で何かが触れていることに気付いた。

オレはすぐさま口をへの字に曲げる。

それはウィズの剣先だった。

ウィズが、ふっと苦笑を漏らしたことで、オレは思わず肩を落とした。


「ちっ。なんだよ、引き分けかよ」


オレは釈然としないものを感じながらも構えを解いた。

その瞬間、手の甲に痛みを感じ、剣を取り落とす。

ウィズが剣でオレを叩いたのだ。


「はいオレの勝ち」

「てめ……卑怯だぞ!! 試合は終わってたじゃねえか‼」

「終わり? そんなもんねえよ。本物の戦場で、審判が律儀に終了の合図をくれると思うか?」


なんて理屈だ。

オレは一発ぶん殴ってやろうと足を一歩踏み出し、思いのほか手が痛むことに気付いた。


「い、いてててて!」

「そうやって突っかかろうとするのも予想済み」


蹲るオレを見下ろすようにしながら、ウィズは剣で自分の肩をとんとんと叩いた。


「っのやろ、加減ってものを知らねーのか!」


オレは痛みを無視して立ち上がり、殴りかかろうとした。


「リム‼」


ケイトが大慌てで駆け寄って来たのを見て、オレは思わず立ち止まった。


「大丈夫⁉ 手を見せて!」


その必死な様子に思わず尻込み、黙って言う通りにする。

彼女は壊れ物を扱うように、慎重にオレの手に触れる。

長時間、風に吹かれていたせいか、ケイトの手は冷たかった。


「……うん。骨に異常はないみたい。そんなに酷いものじゃないと思う」

「当たり前だ。俺がそんなヘマするか」


それを聞いて、オレは思わずウィズを睨みつけた。


「ふざけんな! 怪我は怪我だろうが! 師匠が弟子に怪我させてどうすんだよ!」

「いつまでも弟子面してんじゃねーよ、ばーか」


眉間に皺を寄せていたオレは、思わずきょとんとした。


「……え?」

「免許皆伝だ。次やるときはその単細胞どうにかしとけよ」


ウィズはくるりと背を向け、さっさと歩いていく。


「いや、ちょっと待てよ! 免許皆伝って……」

「いいから、さっさと奥さんに治療してもらいな」


奥さん……。

そう言われて、初めてケイトに手を触れられていることに意識が移った。

二人で慌てて手を引っ込める。

ケイトもオレも、顔が真っ赤になっていた。


「だ、誰が奥さんだ!!」


ウィズは、まるでオレがそう叫ぶのを予見していたかのようにひらひらと手を振り、その場を去って行った。



◇◇◇



ここ、アムル村は小さな盆地を集落にしてできた村だ。

村人は20人程度。丸太と茅葺き屋根でできた八軒の簡素な家と、たった一つの畑がこの村の全てだ。

隣村とはそれほど離れていないらしいが、山に囲まれている都合上、屈強な男の足でも丸一日は掛かってしまう。


そのため、オレは生まれてこの方、来訪者というものを見たことがないし、この村から出て行った人間がいるという話も聞いたことがない。

魔物が蔓延るこの時代、夜中に出歩くのは自殺行為だということを、世間知らずの村人達も理解していたのだ。


夜になると活発に動き回る魔物は、一度遭遇した人間を見逃すことは決してしない。

たとえ自分の腹が膨れていても、人間を殺したいという残虐な欲求に従い、その手で血祭にするまで追いかけまわす。

魔物は人間よりもはるかに強靭で、悪魔と契約して得た人知を超える力を持っている。

そんな異形の者に追われれば、人間は為す術もなく殺されるだけだ。


だからどれほど飢餓に苦しんでいようとも、隣村まで行って食料を分けてもらうというようなことはしたことがない。

麦や果物を栽培し、日が昇っているうちにこっそりと山のふもとに入って狩りをする。

そうやって、アムル村の住民は今まで食いつないできた。



「いってぇ!!」


自分の家で治療をしてもらっていたオレは、思わず叫んだ。


「我慢して」


ケイトはこっちを見ることもなく、真剣な様子で患部に傷薬を塗り込んでいく。

これ以上叫ぶと本気で怒られそうなので、オレは、ぐっと声を飲み込んだ。


「わざわざごめんなさいね、ケイトちゃん。本当なら私がやらなくちゃいけないのに」


母さんが夕食の支度をしながら言った。


「好きでやってることですから、気になさらないでください」

「でも、なんだか悪いわ」

「これくらい何でもありませんから。それよりもおば様が無理をされる方が心配です」


ここ最近、母さんは体調を崩している。

オレが物心つく前に親父が死んでから、母さんは人一倍苦労してオレを育ててきた。

無理がたたっていることは誰の目にも明らかなのに、本人はいつも笑顔で「大したことないから」と言って聞かなかった。


「私は大丈夫なのに……。あ、お水がなくなっちゃったから汲んでくるわ。ケイトちゃん、ゆっくりしていって」

「あとでオレがやるから、母さんは休んでろよ」

「少しは身体を動かさないと、それこそ病気になっちゃうわ。それに、二人の邪魔しちゃったら悪いしね」


オレが反論する間もなく、母さんは笑顔でウィンクし、さっさと家を出て行った。

しんと、辺りが静まりかえる。

一家に一つ置かれた祭壇といわれる小さな囲炉裏から、時折パチ、と何かが弾ける音が聞こえるだけだ。


いつもなら、ケイトが茶化された不満を露わにするところだが、何故か今日はだんまりだった。

何故だろう。

この沈黙が、妙に緊張する。


「あ、あのさ……」

「はい、終わり」


言われて見ると、いつの間にやら手に布が巻かれていた。


「それじゃあ帰るね」

「え? あ、お、おう。……あ、家まで送る」


さっさと帰ろうとするケイトに、オレは慌ててついて行った。


家の外は既に暗くなり、要所要所に置かれた松明には火が灯されていた。

村を囲むようにして敷かれた結界と魔物が嫌がる光を発する松明は、この村の生命線だ。

だから毎晩寝ずの番をたてて、火と結界を管理している。

小さな村にとって、薪を集めることも寝ずの番をたてることも相当な労力なのだが、魔物に襲われれば即座に全滅してしまう以上、贅沢を言ってもいられない。


虫のさざめきしか聞こえない夜道で、オレはちらとケイトを見た。

暗がりで、どんな表情をしているのか分からない。

いつもなら覗き込んでしまうのだろうが、今は何故かそういう気になれない。

ふいに、奇妙な声が山から聞こえてきた。

少し甲高く、波のように震えるそれは、生物が発するものにしてはあまりに異質に聞こえる。


「魔物かな」

「たぶんヨマネドリだね。魔物は強いし一匹で行動するから、あまり声を出す必要性がないの。自分を守る術のないヨマネドリが魔物の声を真似て、わざと大きな声を出して威嚇してるんだよ」

「へー、さすが猟師の娘。動物には詳しいな」

「うん……」

「……」


やばい。

会話が続かない。

ケイトと二人きりの時は、いつもこんな感じだっただろうか。


「ご、ごめんね。なんか重い空気にしてるよね」


オレが焦っていることを察してか、ケイトが話しかけてくれた。


「い、いやいや。そんなことないって」


そんなことあるけど、一応否定する。


「なんでだろうね。なんか今日は……ちょっと、意識しちゃって」

「何を?」

「その……みんなに言われたこと」


言われたこと……。

おそらく、オレとケイトの関係を茶化されたことだろう。


「ああ……。でも、今に始まったことでもないだろ?」

「うん。そうなんだけど。その……今日のリムは、すごく……かっこよかったから」


ドキリとした。

ケイトとは幼い頃からの付き合いだが、そういう風に言ってもらえたのは初めてのことだった。

もしかしたら、今が絶好のチャンスなのかも……。


「あ、あのさ!」


オレはケイトの両肩を掴み、思わず叫んだ。

彼女は驚いた様子でオレを見つめている。

ほんのりと頬を紅潮させた姿を見て、オレは意を決した。


「えっと、その……オ、オレ! お前のこと──」

「あの、ごめんリム。家、すぐそこだから……」


言われて、既にケイトの家に到着していたことにようやく気付いた。

あんな大声をだしていれば、家の中に丸聞こえだったとしてもおかしくない。


「……悪い」

「……う、うん」


オレは恥ずかしくて死にそうだった。


「じゃ、じゃあオレはこれで!」


いてもたってもいられず背中を向けて走り去ろうとすると、ふいに服の裾を摘ままれた。


「あの、さ。今度は……ちゃんと言ってね」


そう言って、ケイトは逃げるように家の中へ入って行く。

オレはしばらく呆然としていた。

最初は意味の分からなかったケイトの言葉を咀嚼する内に、段々と気分が高揚し、最後には思わずガッツポーズをしていた。


◇◇◇


帰りの道中、オレはスキップでもしたい気分だった。

いつもなら忌々しいと感じる不気味な夜の山も、まったく気にならない。

なんなら魔物相手にキスでもしてやりたいくらいだ。

そんなことを思いながら、ふと横を向くと、広場の辺りでゆらゆらと火がのぼっていることに気付いた。


「あ、そうか。今日はゴマの儀式をするんだったな」


それは12歳になれば村人が必ず受けなければならない儀式だった。

子供が大人になるための成人の儀。そして何よりも、魔物と人間を識別するための儀式だ。


魔物というのは非常に狡猾で、人に化ける者もいる。

そんな魔物が好んで擬態するのが人間の子供だった。

その理由は諸説ある。社会的影響力も少なく、性格が大きく変容しても違和感を持たれ辛いという合理的な理由もあれば、子供が魔物だったと知った時の絶望感を味あわせたいという不合理な理由もある。村長から聞いた話では、大人ほどの頭脳はないので子供にしか化けられないというのが、どうやら一番浸透しているものらしい。


ゴマの儀式に参加できるのはほんの数人だけで、儀式を受ける子供の血縁者以外は見に来てはいけないという暗黙のルールがある。

だからオレ自身、儀式をちゃんと見たのは二年前に自分が受けた時だけだ。


オレの足は、自然と広場の方へ向かっていた。

どうしてそうしようと思ったのか、自分でもよく分からない。

好奇心……ではない気がする。

むしろ、そうせざるを得ない義務感のようなものに突き動かされ、オレは粛々と足を動かしていた。



元々狭い村ということもあって、広場にはすぐに着いた。

オレは近くの木陰に身を隠し、儀式の様子を覗き見る。

広場にいるのは五人の男女だった。

ゴマの儀式を行う村長。儀式を受けるティムとその両親。そして何故か、ウィズが広場の隅で儀式を見守っている。


正方形に組み立てられた丸太の中で、あらかじめ魔力を込められた木がめらめらと燃えていた。

それを背後に村長が経を唱え、上等な布の上でティムが正座している。


儀式を執り行っている村長は、いつもの気の良い老爺ではなかった。

くの字だった腰は伸び、三日月の形を崩さなかった口は強く結ばれ、眉間に皺を寄せて鋭い目をティムに向けている。

あまりにも雰囲気の違う村長の様子に戸惑い、緊張で震えていた二年前の自分を、ティムを見て思い出した。


たき火の色で染まる広場は、憩いの場として機能していた時とは違い、まるで別世界のようだ。

火が薄れて色の剥がれた遠くの闇は、まるでこちらを引きずり込もうとしているようで、じっと見ていると知らぬ内に周りが侵食されてしまっているような恐怖を感じる。


オレが思わず息を飲んだ時だった。


ウィズがこちらを向いた。


ドキリと、心臓が大きく音をたてる。

言い訳をしに出ていくかこの場から逃げるか、二つの選択肢が交互に覆いかぶさり思考がまとまらない。

どうしようかと混乱していると、何やらウィズの様子がおかしいことに気付いた。

首を動かし、『こっちに来い』と合図を送っているようだ。

どういう意図かは分からないが、ばれてしまった以上は従う他ない。

オレは渋々、広場を迂回するようにウィズへ近づいた。


「よく見とけ」


オレを咎めることもなく、ウィズは言葉短にそう言った。

怒られないことが不思議ではあったが、ウィズの真剣な様子を見て、オレはなんとなく事情を察した。


ウィズの役目は、おそらく魔物退治だ。

ティムが魔物だった場合、斬り伏せるためにここにいる。

村一番の剣の使い手であるウィズがその役目に選ばれるのは至極当然だ。

そして今や、村一番の使い手はウィズ一人だけではない。

オレは、誇らしい気持ちの中にある不安や恐怖にぎゅっと目を瞑り、黙ってこの儀式を見守ることにした。


村長が長い経を全て唱え終えると、器に入った灰で自分の指をまぶした。

おそらく、あの燃える木々からあらかじめ回収しておいたものだろう。


村長はゆっくりとティムへと近づき、その額に先ほど灰をつけた指をなぞった。

その灰は零れ落ちることなくティムの額に吸いついている。

村長はゆっくりと二つの円を並べて描き、それを繋げるように筒状の紋様をいれていく。さらにそれぞれの円に花の模様を描くと、少しだけティムから離れ、印を結んで再び経を短く唱えた。

すると、額の紋様がうっすらと赤みがかり、まるで燃え尽きたかのように消えてしまった。


村長はティムに近づき、何もなくなった額をじっと観察する。

ティムの両親が、互いの手をぎゅっと強く握っているのが遠目からでも分かった。

しばらくして、村長がすっくと立ちあがり、両親に向かって微笑んだ。


「これで儀式は終了です。天におわす女神様より、ティム君は無事に戒(かい)を授かりました。よく励み、よく慈しむ心を忘れなければ、女神様より天へと昇る許可が下りることでしょう。天は地上の穢れを持たぬ楽園です。故にその一員になるには、穢れを払う清い心を持たなければなりません。ティム君には今後様々な試練が待ち構えていることでしょう。一人の成人としてその試練を乗り越え、より一層の精進と信仰を示してくれることを願います」


ティムは緊張が解けて放心し、両親は涙を流して村長に感謝の言葉を述べている。

二年前とまったく同じ光景だった。


「ティムが魔物だったなら、ゴマの灰に触れた場所は焼けただれて、生涯消えることのない刻印になる」


ウィズがわざわざ説明してくれた。


「……ティムが魔物だったらどうしてたんだ?」


ウィズは答えなかった。

ティムは快活で人懐っこい性格だ。ウィズもこう見えて子供好きで、そんなティムをかわいがり、よく一緒に遊んでやっていた。


「斬りますよ。それが彼の仕事ですから」


ウィズの代わりに答えたのは村長だった。

いつも朗らかで虫も殺したことのなさそうな村長だが、ゴマの火に照らされる彼の微笑みには、どこか底知れぬ不気味さがあった。



ティム親子は既に広場を離れつつある。

それに伴い、ウィズは儀式の後始末を始めた。

その様子を、オレは村長と見つめていた。


「ウィズと互角の戦いをしたらしいですね」

「あいつ曰く、オレの負けらしいけどな。まあどっちみち、オレは納得してねぇ」

「ハッハッハ。強さを求めるのは良い傾向です。勇者は誰よりも強くなくてはなれませんからね」


勇者。

それは女神の代行者ともいわれる存在だった。

この世で唯一女神にその存在を認められていない生物、魔物。

その魔物の王を、女神が天にいる自分の代わりに討伐させるため、力を与えた存在だ。


オレはずっと勇者に憧れていた。

飢饉の時ですら隣村との行き来が渋られるほどに恐ろしい魔物。それに打ち勝つ存在に。

今だって村の食料問題は深刻なもので、今年に入って餓死した人間だっている。


「当たり前だ。誰よりも強くなって、勇者になって。オレがみんなを守ってやる」

「頼もしい限りです。あなたのお父上も、さぞ喜んでいることでしょう」


父さんはオレが生まれて間もない頃に死んだ。

村の貧困を救うために猟へ出かけたものの、魔物に遭遇し殺されたのだという。


「私も長く生きていますが、彼ほど勇敢な者は見たことがありません。魔物に襲われ、瀕死の重傷を負いながらも、我々のために狩ったシカを担いで帰って来たのですから。その場で彼は死んでしまいましたが、あれのおかげで村は立て直すことができた。この村が未だ存続できるのも、彼のおかげです」


オレは父さんのことをほとんど覚えていない。

母さんも、敢えて父さんのことは話さない。

それでもこの話を聞かされるたびに、オレは自分に流れる血を誇りに思った。

勇者になりたいという子供の頃からの夢も、きっと父さんの影響だろう。


「任せろよ。オレは父さんと同じ……いや、それ以上に勇敢になってみせる」

「フフ。本当に頼もしい限りです。しかし勇者になるのなら、もっと女神様を敬わなくてはいけませんよ。今の暗黒時代はご先祖様から代々受け継がれてきた業の証。かつて平和を享受していた人間達が、女神様への感謝を忘れた結果なのですから」


オレは何も言わなかった。


「さて。今日はもうお帰りなさい。これからのことは追々伝えていきますから」


それがどういう意味なのか分からないほど、オレは馬鹿ではなかった。


自宅への帰り道、オレはウィズの横顔を思い出していた。

ティムを殺すのかと質問したときの、無表情だったあの顔を。

オレは今日の経験で、魔物を倒すためにはただ勇敢なだけではダメだということを、なんとなく悟った。



◇◇◇



「おかえりなさい」


母さんは既に帰っていた。

小さなテーブルにいつもの食事が用意されている。

固くなったパンと果実酒。

それにプラスして、母さんが少量の野菜や肉の入ったスープをよそってくれた。


「あー、腹減った」

「はいはい。あんまりがっついちゃダメよ」


スープを口に運ぶと、冷えた身体が内側から暖かくなる。

丸一日肉体労働して、そこからさらに剣の訓練、決闘と身体を動かしてきたのだ。

とにかく身体が栄養を欲している。

固くなったパンをスープで浸し、放り込むように口にいれていく。


「ふふ。いつもながら良い食べっぷりね」


そう言って、母さんは自分のスープをよそった。

それを見て、オレは思わず手を止める。

母さんのスープの量は、オレの半分もなかった。


「母さん。もっと食べないとダメだろ」

「私は大丈夫だから、お前が食べなさい」

「ダメだって。この前も倒れたばかりじゃねーか」

「あれはただめまいがしただけだから。それにお前はいざとなったら村を守らないといけないのよ。お腹が減って動けなかったら、母さんもケイトも、みんな魔物に食い殺されちゃうわ」

「けど……」

「いいから」


これ以上話す気はないと言わんばかりに、母さんはパンを切り分け始める。

こうなると、オレが何を言おうとテコでも動かない。

オレは渋々ながら食事を再開した。

しかし、それもすぐに止まることになる。

母さんが、切り分けたパンを囲炉裏の祭壇へと持って行ったからだ。


「なにやってんだよ!」


オレは思わず叫んだ。


「なにって、女神様にお供えするのよ。祭壇にくべることで、供物は煙と一緒に天へ昇っていく。リムの分も供えてあるから、お前はお腹いっぱい食べなさい」

「分かってるのか⁉ 魔物のせいで、オレ達は食事だってままならないんだ! ただでさえ少ない食料をこんなことで……!」

「いいから」


オレは思わずカチンときて、立ち上がった。


「よくねーよ! だいたい、こいつがオレ達に何をしてくれたって言うんだ‼ これだけ必死に祈ってる母さんを一度でも助けてくれたのか⁉ それどころかオレ達から父さんを奪って──」

「リム。口を慎みなさい。救いは求めるものじゃないのよ」


いつも温厚な母さんが、じっと鋭い目をオレに向けている。

思わずオレは目をそらした。


「……分からねーよ、そんなの」


怒りのような、悔しいような、そんなよく分からない感情がぐちゃぐちゃになってふてくされていると、ふいに頭を優しく撫でられた。


「お前は何も考えなくていいの。全部母さんがやっておくから、お前は心配しなくていいのよ」


先ほどまでの怒りが、急速にしぼんでいく。

しかし引っ込みがつかなかったオレは、か細い声で負け惜しみのような言葉をつぶやいた。


「……こんな世の中、間違ってる」


母さんは笑ってうなずいた。

オレの心の内を、全部分かっているかのようだった。


「オレが勇者になって、オレが女神の代行者になれば。絶対母さんにこんな生活させない」

「ふふ。ありがとう。その時を楽しみにしてるわ」


いつもの優しい笑顔で、母さんはそう言ってくれた。

でも何故だろう。

この時の笑顔は、なんだかすごく、儚げな笑顔だった。



◇◇◇


その夜、オレはどうしても寝つけなかった。

ゴツゴツした地面に布を敷いただけの寝床でも、畑仕事と剣の修行で疲れたオレは、いつもすぐに熟睡してしまうのに。

オレは隣で寝ている母さんを見た。

薄ぼんやりと燃える祭壇からの光で、母さんの青白くやせ細った寝顔が見れた。


女神なんて嫌いだ。

天にいて、人間を見下ろして。

そんなに偉いのなら、なんで魔物を倒してくれないんだ。

あいつらさえいなければ、食糧難に陥ることもないのに。

こうして不安な夜を迎えることもないのに。


オレは起き上がった。

母さんを起こさないように気をつけながら家を出る。

オレは近くの松明を手に取り、こっそりと村のはずれへ歩いていく。


以前、村長から聞いたことがあった。

この村には女神の偶像である大きな石板があるらしい。

その石板はこの村だけでなく世界にいくつも存在し、それを通して女神は地上へと加護を運ぶことができる。

それ故に、魔物達から気取られぬように、村の人間さえも知り得ない場所に隠されているのだという。


しばらく歩くと、切り立った崖が一面に広がる場所に、人間大ほどの大きさの岩があった。

特に違和感のない、普通の岩だ。

オレがそこを通り過ぎた時だった。


『──』


思わず振り返る。

誰もいない。

しかし確かに、何かが聞こえた気がした。

何かがオレを呼ぶような声が。


オレは岩と崖の隙間に手を翳してみた。

僅かに風の気配を感じる。


オレは慌てて岩を押しどけた。

ずしんと音をたてて岩が倒れる。

案の定と言うべきか。

岩があった場所に、小さな洞窟が姿を現した。


『────』


まただ。

この洞窟から、誰かがオレを呼んでいる。


女神の石板を探そうと思い至り、その日の内に、村の誰も知らないような洞窟を見つける。

まるで誰かに誘導されたような気味の悪さを感じる。

洞窟の中に吸い込まれていく風が、まるでオレを手招きしているかのようだった。


人知を超えた何かがそこにはある。

その確信めいた直感に怯みこそしたものの、オレは迷わずそこに入った。


歩く度に、自分の靴音が洞窟内に木霊(こだま)する。

風に吹かれて揺れる火が生き物のように影を作り、オレに纏わりついている。


しばらく歩くと、だだっ広い空間にぶつかった。

その空間の奥に、何やら直方体の影が見える。

オレは息を飲みながらも、その影へ向かって歩いた。


ゆっくりと、火の光が下から上へと照らされ、その全貌が明らかになる。

それは大きな石板だった。

二メートルほどの大きさで、そこに人の姿が彫られてある。


それは女性だった。

髪が長く、ヴェールのようなドレスを着た彼女は、すべてを温かく迎えようとしているかのように、手を広げている。

彼女の胸にある紋様には見覚えがあった。

あれは、村長がマゴの儀式のときに描いていた紋様だ。


間違いない。

これが女神の石板だ。


「……最初に言っておく。オレはお前が嫌いだ」


罰当たりなことをしている自覚はある。

でもそれが、オレの正直な気持ちだった。


「けど、お前の力がないと勇者になれない。オレはどうしても勇者になりたいんだ。勇者になって、この村を……母さんを救いたい。だから……力を貸せ」


オレはしばらく待った。

自分の呼吸と松明が燃えるかすかな音以外、洞窟の中で聞こえるものは何もない。


「……ま、当たり前か」


オレが背を向けようとした時だった。

ぱちりと、石板の中の女神が目を開いた。


「うわっ!」


オレは思わずしりもちをついた。

水面から人が顔を出すように、一人の女性が石板から這い出てくる。


声が出ない。

身体が震えて立つこともできないというのは、初めての経験だった。


女性は立ち上がった。

白いヴェールに身を包み、心なしか宙に浮いているようにも見える。


『それほどまでに望むなら、あなたに力を与えましょう』


訳が分からない。

オレの脳は既に爆発寸前だった。


『これはあなたが片割れとなる契約。ツガイと共に歩みて天へと昇り、人々を救いへ導くのです』


女性に額を指さされたところで、オレは限界に達し、そのまま後ろに倒れて気を失った。


『悟りなさい。あなたが今日より、世界を救済する勇者となることを』


その日から、オレは一人の人間から勇者となった。

それが、長い長い地獄の始まりだということを、その時のオレは想像すらしていなかった。



続く

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