生意気な傭兵
酒場へ行く道中。
オレとティアは二人並んで歩いていた。
特に会話らしい会話もしていないのだが、ティアはどこかうれしそうだ。
「あ、シーダ。怪我してるの?」
言われて、オレは腕を持ち上げた。
確かに、アリとの戦闘で腕を切ってしまっていた。
「ちょっとしたかすり傷だ。放っておけば治るさ」
「見せて」
言われた通りにすると、ティアは俺の腕を取り、そっと傷口に手を翳した。
まるでろうそくが灯るように、手の先から蒼い光が現れ、傷口がその光に包まれる。
あっけにとられていると、光は徐々に消えていき、後には傷一つないオレの腕がそこにあった。
「私の加護。こんなことしかできないけどね」
「……そういえばずっと疑問だったんだが、加護ってのは具体的に何なんだ?」
ティアはきょとんとしている。
どうやら転生以前のシーダにとって、これは愚問だったらしい。
「ちょっと、まだ記憶が混乱してて」
そう言うと、ティアは納得してくれたようで、快く説明してくれた。
「加護っていうのは、女神様が特別に与えてくださった恩恵のことだよ。人間が生涯解明することのできない人智を超えた力。人によっては自然を生み出すこともできるし、私のような治癒もできる。女神様にその身を捧げ、献身を認めてくだされば、それだけ加護の力は強くなる。結界を作る錫杖……、加護を精製する法具は、女神様を崇めるための儀式を行うことで、その力を宿しているの」
オレはちらと横に目をやった。
ティアの隣であっけらかんと浮遊している女神が、こちらを見て微笑んだ。
この女が、そんな殊勝な理由で力を与えているとは到底思えない。
「もちろん、生まれ持った才能によって加護が使える人と使えない人がいる。それはまぁ、神様の気まぐれというか、その人に対する愛着の深さなんだと思う」
「愛着ねぇ」
『なんですかぁ? 私だって愛着が湧くことくらいはありますよ』
私“だって”と言っている時点で、自分がろくでもないことを認めているようなものだ。
「じゃああらかじめ加護を持つ人間は、ゴマの儀式をする必要はないのか?」
先程まで快活に喋っていたティアの顔色が、急に蒼くなった。
「ティア?」
「え? あ、うん……。その、……シーダには、以前話したよね?」
何のことだか分からない。
ティアは人目を気にして、きょろきょろと辺りを見回している。
「……私がゴマの儀式をした時の話。額に塗られた灰が熱くて、叫びそうになるのをずっと堪えてたって。泣きながらシーダにだけ教えたら、ただの錯覚だろうって慰めてくれたでしょ? 紋章は浮かんでなかったんだから、何もなかったんだよって」
熱かった?
オレは何故か、ひやりと背筋が冷たくなった。
何かが、今一瞬だけつながった気がしたのだ。
絶対につなげてはいけない何かが。
「ティアお姉ちゃん!」
ふと子供の声が聞こえたかと思うと、急に女の子が駆け寄ってきて、ティアに抱きついた。
「ニナ! 無事だったのね。よかった」
「うん! ママもパパもだいじょうぶだったよ。ニナね、ずっとティアお姉ちゃんとシーダお兄ちゃんの心配してたんだ」
どうやらオレの知り合いらしい。
うなじほどまでしか伸びていない髪は、女性にしては珍しい。明るく跳ねる元気な声と、エネルギッシュでにこやかな笑顔から、おそらく活発な子なのだろうと想像できる。
ニナと呼ばれたその女の子は、こちらに気付くと、何も言わずにじっと見つめてきた。
どう返答したものかと考えていると、ふいに彼女は言葉を漏らした。
「……誰?」
びくりと、思わず身体が震えた。
「何言ってるの、ニナ? シーダお兄ちゃんよ」
「……ふぅん」
ニナはにこりと笑い、手を差し出した。
「ニナっていうの! よろしくね!」
「ニナちゃん。だから──」
「たぶん、オレが記憶喪失だってことを誰かから聞いたんだろ」
オレは彼女を見た。
子供の純粋な感受性からだろうか。
ニナは、オレの正体を本能的に察しているようだった。
オレは膝を曲げ、笑みを浮かべて握手した。
「ニナ、よろしくな」
「シーダお兄ちゃん、笑顔へただね!」
とびきりの笑顔で、ぐさりと刺さるようなことを言う。
自分では自然な笑顔なつもりなんだが……。
「ニナね。笑うの大好きなの。誰かが笑ってたら、ニナも笑いたくなるの。だからシーダお兄ちゃんも、いっぱい笑ったらいいと思うよ。そしたらみんなも笑顔になるから」
笑顔……。
でもオレは、たぶんもう、そんなものを浮かべる資格も必要もないんだ。
オレがゆっくりと口を開いた時、ニナの母親と思しき女性が慌てて駆け寄ってきた。
「ニナ! どこに行ってたの⁉ もうすぐ儀式の時間よ! 早く支度しなさい」
「はーい!」
ニナは元気よく手をあげた。
「そっか。ニナちゃん、今日がゴマの儀式だったね。あんなことがあった後なのに」
「あんなことがあった後だからじゃないかな。よくわからないけど」
ニナは意味深な言葉を残し、バイバイと手を振って母親の元へと駆けて行った。
「ニナちゃんとはスクールで知り合ったの。卒業生として、二人でスピーチに行った時に。覚えてない?」
オレは首を振った。
オレの記憶喪失については、もうティアも慣れてしまったらしい。
特に何の態度も示さず、それを受け入れていた。
「あの子、少し変わってるの。潜在的な加護の力が強いせいだと思う。人には見えないものが見えたり、よく分からないことを言ったり。それはとても名誉なことなんだけど、なかなか周囲には認めてもらえなくて、少し孤立してるんだ。でも、ゴマの儀式を終えれば、大人として仕事につくことができる。そうすれば、きっと皆から必要とされる人間になるよ」
話を終え、酒場へと足を進めようとした時、遠くでニナと母親の話している声が聞こえてきた。
今まであまり意識していなかったが、勇者になってからというもの、五感が鋭くなっているようだ。
辺りを憚ってか、ぼそぼそと小さな声でニナを諭している母親の声も、正確に聞き取れた。
「いい? ニナ、よく聞いてね。儀式の最中は、絶対に声をあげちゃダメ。何があっても声をあげちゃダメよ。たとえ体調が悪くても、身体のどこかが痛くなっても、それは緊張しているだけだから」
「でも──」
「いいわね? 絶対よ。絶対に、声をあげちゃダメよ」
ニナの両肩を掴み、母親が鬼気迫るようなまなざしを向けているのを見て、オレは言い知れぬ恐怖を感じた。
◇◇◇
酒場にはガラの悪い連中がたむろしていた。
昼間から酒を飲み、大きな声で談笑している。
ティアはびくびくしながら、オレの肩をずっと掴んでいる。
しかし、この暴力的な空気はオレには非常に合っていた。
マナーがどうだとか、気品がなんだとか、そんなものが求められる王城よりも、よっぽど落ち着ける。
「酒をくれ」
カウンターに座って注文するも、店主はこちらを一瞥するのみだった。
「ウチの店では、あなたのような貴族様にお出しできる貴重な酒はありませんよ」
見ると、周りの連中も静まり返り、こちらを睨みつけていた。
どうやらここは、オレやティアのような人間が入ってはいけないところらしい。
「そ、そうみたいですね。ほら、シーダ。早く出よ」
腕を引っ張ってさっさと店を出ようとするティアを、オレは手で諫める。
「別にそんなものはいらない。アルコールが入っていて、飲めればなんでもいい」
店主は渋々ながら、他の客が飲んでいるものと同じ酒を注いだビアマグを、カウンターの上に置いた。
オレはそれを一口飲んだ。
「なんだ。普通にうまいじゃないか」
村で飲んでいた酒は栄養を取るための薬だと割り切っていたが、この酒は嗜好品と呼んでも良い味だった。
「何言ってんです。労働者が飲む安酒ですよ。貴族様はいつも高くてうまい酒ばかり飲んでるんでしょ?」
「うまいなんて思ったことは一度もないな。まずいのが良いんだとか言って、馬鹿な貴族が通ぶってるだけだろ。肥えた豚に味なんか分かるもんかよ」
ぷっと、テーブル客の一人が噴き出したが、慌ててそれを隠した。
それが癪に障ったのか、同じテーブルで飲んでいた仲間の一人が露骨に舌打ちする。
「なぁ貴族さんよ。ここは貧乏人が楽しく飲む場所なんだ。さっさと帰っちゃくれねえか?」
「貧乏人? 身なりはともかく、そんなにやつれた様子には見えないが」
「舐めてんのか、てめえ!」
「オレが以前いた場所じゃ、その日食えれば御の字だったぜ。こんな場所で楽しく飲めるなら、貧乏人とは言えねえだろ」
褒められているのかけなされているのか分からず、全員が戸惑っている様子だった。
「シーダ? 何の話をしてるの?」
オレはティアを無視し、酒場の客たちの方を向いた。
「それでも貧乏人だって言うのなら……どうだ? ここらで一発、人生を賭けた博打でもしてみないか?」
「……なんだと?」
「オレは近々、勇者として魔王討伐の旅に出る。そのための仲間を今探しているんだ。もしも無事に帰ってくることができたなら、英雄としてお前らの言う金持ちの暮らしができるぞ」
客たちは、互いに顔を見合わせる。
いきなり降って湧いた一攫千金の話に、動揺を隠せないらしい。
「もちろん、無条件で歓迎するわけじゃない。この前の魔物の大軍。あのアリを一匹でも打ち倒したことのある奴が最低条件だ」
オレは辺りを見回した。
全員、興味がないわけではないらしい。
しかし名乗りをあげる人間はいない。
「なんだ。これだけ屈強な奴らが揃ってて、全員魔物から逃げ出し──」
ドン、とビアマグを置くように、アリの頭部がカウンターに置かれた。
「ひっ!」
全員が怯える中、オレはそれを置いた男に目を向けた。
若くて、見るからに生意気そうな男だ。
身体つきを見た感じでは、確かにアリ一匹くらいは訳なく倒せそうだった。
「これで合格かい? 偉そうな勇者様」
「……勘違いするな。最低条件だと言ったんだ」
「んじゃ、アンタより剣が強けりゃ文句はないよな?」
オレはゆっくりと酒を飲んだ。
「俺様はアラン。しがない傭兵さ。アンタがいなけりゃ、俺様が勇者になる予定だったんだけどなぁ。まったく、女神様も見る目がないぜ。それとも……今ここでアンタを叩き斬れば、女神様の目に留まって勇者になることもできるかな?」
オレは思わず笑った。
「お前みたいな世間知らずはよく知ってるよ。自分の手の届く範囲しか知らない、威勢の良い子犬をな」
「……へぇ。俺様の剣技も見ずに、そっちこそ威勢が良いじゃねえか」
にやけた面をしているが、内心怒り狂っているのが手に取るように分かる。
自分の感情を察知されているようでは、青いと言われても仕方ないだろう。
「剣なんて見なくても分かる。こんなどでかい頭部をわざわざ持ち歩いてるのが良い例だ。たかだかアリ一匹打ち倒したからって良い気になって、見せびらかしてたんだろ? 底が知れる」
突然剣が振り下ろされ、オレは飛びのいた。
「シーダ‼」
オレの座っていた椅子が、代わりに真っ二つになっていた。
剣筋はなかなか良い。思い切りの良さも高評価だ。
「さっさと剣を抜けよ。俺様に負けた時の言い訳を考えてるのか?」
「いや、ヒーローインタビューにどう答えようかと考えていた」
怒りに身を任せたアランが、一気に距離を詰めてくる。
オレは左胸に手を翳すと、そのまま勇者の剣を引き抜いた。
アランは目を見開く。
オレの胴体を真っ二つにするつもりだった剣が、ぎりぎりのところでぴたりと止まる。
それを止めたのは、アランの首筋に当てたオレの剣であることは言うまでもない。
「なんだ……? 何もないところから剣が」
「勇者ってのは手品師なのかよ」
「馬鹿。ありゃ加護だろ」
アランの剣はオレの胴体を捉えているが、これ以上進めば首が飛ぶのは誰の目からも明らかだ。
「……チッ。引き分けかよ」
アランが渋々剣をしまう。
オレはそれを確認してから、アランの手の甲を剣脊で叩いた。
「いってえぇ‼ なにすんだ‼」
うずくまる男に、オレは剣を突きつける。
「オレの勝ちだ」
「ふざけんな‼ 勝負は終わってただろ‼」
「誰がそんなこと言った?」
ぐぬぬと、本当に犬のように歯をむき出しにして怒っている。
「認めねえ。絶対認めねえぞ、こんなの」
「お前が認めなくとも、この状況を客観的に見ればお前の敗北は明らかだろ?」
剣から手を離すと、それは光の粒子となってそのままオレの心臓へと返っていく。
オレが背を向けようとすると、アランが怒りに身を任せて立ち上がった。
「うるせええ! 屁理屈ばかり言いやがって‼ こうなったらとことんやってやる‼」
やれやれとため息をつき、再び剣を取り出そうとした時だった。
突然、傍観していた屈強な男たちがアランを抑え込み、床に叩きつけた。
「てめえら! 何しやがる‼」
怪訝に思っていると、奥から初老の男性が立ち上がり、ゆっくりとこちらに近づいてきた。
「そう警戒せんで良い。この男を抑え込んだのは、ちょっとした手土産だ。こ奴が満足するまで待っていたら、いつまで経っても話ができんという理由もあるがな」
あまり身体能力が高いようには思えない。
しかし柔和な笑みでは隠し切れないぎらついた瞳と、男の周囲に纏う熱量が、ただならぬ者であることを物語っていた。
「君が勇者というのは本当かね?」
オレはうなずいた。
「そいつはやめとけよ、勇者さん。ここらじゃ有名な詐欺師だぜ」
「植物の根っこが主食になるとか言って、食わそうとしてくるんだ。確か……イモとか言ったか?」
オレはハッとした。
オレがマルクの身体に転生した時。
酒場のことを教えてくれたフィリスが、イモを普及させるために世界を渡り歩く伝説の商人の話をしていた。
「ジャカルタ・ビム・バタク」
「ほう。ワシの名を知っているのか。なら話が早い。お前さんにとって、旅慣れた相手が仲間だと心強いだろう?」
そう言って、バタクはゆっくりと酒場を後にした。
振り返ることもない。オレがついて来ると確信しているようだった。
オレはバタクの後を追うことにした。
少なくとも、仲間になるために最も必要な度胸という条件を、バタクはクリアしている。
「分かった! もう何もしねえから‼ だから離せよ‼」
男の拘束を振りほどき、アランは文句を言いながら立ち上がった。
こちらをじろりと一睨みし、カウンターに席をつける。
「おい。何してる」
「あん? 飲み直しだよ! むしゃくしゃして収まらねえ」
「今後について話をするんだ。お前が聞かないでどうする」
眉をひそめ、アランがこちらを見つめる。
「ついて来るんだろ?」
アランは呆然としていた。
しかしやがて舌打ちすると、勢いよく立ち上がった。
「言っとくけどな、俺様はお前を認めてねえからな! いずれお前を打ち倒して、俺様が勇者になり替わってやる」
オレは苦笑した。
「あと二回生まれ変わってから来な」
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