最愛の人


目の前にいる女性は、確かにオレが愛したケイトだった。

しかし、その相貌も雰囲気も、まるで別人だった。

いつもにこやかだった顔は険しく、優しく包み込むような丸い瞳は険のある鋭い目へと変わっている。


「ケイト……」

「なに?」


思わずつぶやいてしまったオレの言葉に、ケイトは不信感を募らせた目で見つめてきた。


そうだ。

今のオレはシーダだ。

リムではない。

ケイトの知っている、リムではない。


なんだ? この絶望感は。

さっき、ティアを幸せにしてやるって、そう決めたのに。


「先程の矢も、彼女が撃ってくれたものです。若いのに決断力があって、肝も据わっている」


剣の特訓も満足に見ることのできなかったケイトが?

誰よりも血が流れることを嫌った、優しいあいつが?


オレは改めて彼女を見た。

ストレートに伸びた赤い髪はよく見るとところどころ痛んでいるし、村人とは思えなかった瑞々しい肌にはいくつもの傷がうっすらと浮かんでいる。


あの村は全滅していた。

その村から、彼女はたった一人生き延びたのだ。


無邪気な笑顔を浮かべていたケイトと、今目の前にいる冷たい表情のケイトは、どうしても重ならない。

それほどの地獄を、彼女は見てきたのだ。


オレが。

オレが、ケイトを守れなかったから。


「……シーダ?」


ティアが見ているのは分かっていた。

だが、どうしても止められなかった。

この想いだけは、どうしても。


「……ケイト。オレは──」

「あなたが勇者?」


突然そう聞かれ、オレは小さくうなずいた。


「そう」


彼女は小さく返事をした。

ふいにケイトは視線を逸らす。

怪訝に思ったその瞬間、彼女は素早く弓を構え、オレに向けて射出した。


ギィン!


訓練のたまものか。

頭が理解するよりも早く剣を抜き、オレは矢を防いでいた。


「き、貴様っ! 何をやっている‼」


心臓が早鐘を打っている。

理解不能な出来事にただただ驚き、何かに吸い上げられるように血の気が引いている。


「私には殺さなければならない奴が二人いる。スネイクという憎き魔物と、勇者を騙る不届き者だ」


その瞳に込められた確かな殺意に、オレはぞくりとした。


「私の村はスネイクに滅ぼされた。目を矢で射抜かれた私は、途切れる意識の中でスネイクにリムが殺されたことを知った。……私が、大好きだったあの人。勇者となり、世界を救うはずだったあの人が」


ティアが眉をひそめた。


「……勇者?」

「全てが終わったあと、村に調査隊が送り込まれてきた。スネイクが村や町を滅ぼしていたことを知った近くの国が派遣したものよ。私は彼らに保護され、村の生存者を探してもらったわ。当然、生存者なんていなかった。そしてこう言われた。『村人達を殺したのはリムだ』ってね」


喉がからからだ。

喋ろうとしても、何かが突っかかってうまく出てこない。


「現場を入念に調査した結果、調査隊はそう結論付けた。突然加護の力に目覚めた男が暴走して起こした悲劇だってね。どれだけ反論しても、意識朦朧だった私の証言に証拠能力はなかった。その日から、リムは勇者を騙った殺人鬼になったわ。あの人は本物の勇者だったのに。世界を救う存在だったはずなのに……。私のせいで、……私のせいで、彼の名誉は汚された‼」

「ふざけたことを。この方はこの国の王子であり、勇者なのだ! 瞳の中にあるリインの紋章が何よりの証拠‼」

「そんなの彼だって持ってた‼」


悲鳴のような叫びだ。

ケイトはオレを睨みつけた。

目尻に涙を溜め、憎々し気にオレを睨みつけた。


「あなたに分かる? 私の愛した人が、本物の勇者と信じた人が、詐欺師だとさげすまれ、狂人だとののしられることがどれほど辛いか。あいつらに何が分かるの。リムは誰よりも優しい人だった。誰よりも勇敢で、誰よりも強かった。リムが村の人達を殺すなんてありえない!」


今にも叫び出しそうな気分だった。

自分の皮膚をずたずたに引き裂いて、獣のように咆哮をあげたかった。


ケイトは、震える手でオレを指さした。


「あなたは違う。勇者なんかじゃない。これ以上彼の名誉を汚す者は、私が絶対に許さない」


彼女はゆっくりと近づいてくる。

ティアの父親が行く手を阻もうとするも、ケイトは素早い動作で足を払い転倒させた。


「邪魔しないで」


彼女の手には、一本の矢があった。

急所に突き刺せば、十分に人を殺せる。

ゆっくりと近づく彼女に対し、オレはただ茫然とその場に突っ立っていることしかできなかった。


「やめて‼」


ティアが、オレの前で両手を広げた。


「どきなさい。あなたも殺すわよ」

「殺されてもいい! でも、絶対にどかない‼ シーダは絶対に殺させない‼」


涙をぼろぼろ流しながら、ティアは叫んだ。


「……あなた、彼を愛しているの?」


一瞬だけ躊躇するも、彼女は大きくうなずいた。


「そう」


ケイトはいきなりティアの首を掴み、矢を振り上げる。


「ケイト、やめろ‼」


ぴたりと、額を突き刺す寸前で、彼女の動きは止まった。

矢じりが震えている。

ケイトの額から、尋常でないほどの汗が出ている。


葛藤している。

殺してやりたいという想いと、それを止めようという想いで。


オレとは違う。

怒りに身を任せ、人のことなど考えてこなかったオレとは違う。

ケイトは、怒りに身を焼かれていてもなお、あの頃と同じ優しい女性だ。


ふいに、ケイトはティアの首を離した。


「ごほっ。げほっ!」


崩れ落ちるティアを、オレは慌てて支えた。


「……またの機会にしてあげる。次に私の前に姿を表したら、その時が最後だと思って」


ケイトはそれ以上何も言わず、背を向けてこの場を離れていく。

ティアの父親が慌てて駆け寄ってきた。


「すぐに兵を呼び、彼女を拘束させます」

「いや、いい」

「ですがっ!」

「いいと言ってるだろ‼」


自分でも驚くくらいの大声だった。

二人が言葉を失っている中、オレはなんとか気を落ち着かせた。


「……下手に刺激する方が危険だ。こちらが放っておけば何もしてこない」

「……あの人、なんだったの? 嘘をついているようには見えなかったけど。……でも、勇者が二人もいるはずないのに」


その通りだ。

リムもシーダも、どっちもこのオレなんだから。


勇者の力を引き出し、ティアを守っていくと決め、全てがうまくいくと思っていたのに。

後悔からか、運命の悪戯に対する怒りか。オレは自然と、唇を嚙みしめていた。


「知り合いなの?」


ケイトは、じっとオレの方を見つめながら聞いた。


「……いや。なんでもない」


ティアからの視線を強く感じながらも、ケイトが消えていった方向から目が離せないまま、オレは言った。


「なんでもないんだ」


彼女の寂しい背中を思い出し、オレはゆっくりと目を瞑った。



◇◇◇


「シーダ。よくぞ勇者の力を引き出し、私とこの城を守ってくれた。父として誇りに思うぞ」


十メートル以上はある縦長のテーブルの奥で、ゴーダ国王は満足げな笑みを浮かべてる。

国王と一番離れた向かいの席にいるオレは、思わずため息をついた。


この国のテーブルマナーとして、王は最奥、その向かいは賓客もしくは多大なる功労によって王に認められた人間が座ることになっている。

食事をしながら何メートルも離れた人間と会話する億劫さは、経験した者にしか分からないだろう。


ずらりと並ぶふくよかな貴族たちは、みんな顔を綻ばせている。

ティアもそうだ。

ケイトとの一件があって、少し様子がおかしかったが、今では何事もなかったかのように、にこにこしている。


「さて、シーダよ。早速だが、お前の意見を聞かせて欲しい。魔王討伐についてだ」


その単語が出た途端、今までにこやかだった貴族たちが急に深刻な顔で議論を始めた。


「最近の魔王の侵略はすさまじいものがあります」

「話によれば、魔王軍侵攻作戦の主力として名を連ねていたウルタ国が壊滅したとか」

「魔王の力を恐れ、彼らの属国となる国も出てきている始末で」


彼らはエサをもらおうとするヒナ鳥のように、がやがやと騒ぎたてる。

オレは思わず苦笑した。


「どいつもこいつも馬鹿ばかりだな」


その発言に、ぴたりと場が静まり返った。


「そんな話をして何になる? 要は、オレが魔王を潰せばそれでいいんだろ?」

「……シーダ様のお力を否定するつもりはありません。しかし相手は尋常ならざる力と大軍を持つ魔王です。情報収集は魔王討伐という大義を為すためにも欠かせません」

「情報収集? ただビビってるだけに見えたけどな」

「我々が臆病風に吹かれていると思われたのならまったくの誤解です。これは魔王を討伐するための発言。撤回していただきたい」

「お前のチンケなプライドを守るために本質的じゃない議論をしろってのか? お断りだな」

「シ、シーダ。もうちょっと言葉を考えて……」


オレは返事の代わりに鼻を鳴らした。

間違ったことは言っていないが、確かに少し横暴な言い方になっている。

もしかしたら、まだケイトのことを引きずっているのかもしれない。


「……シーダ。お前のその勇敢さは買うが、実際、敵の動向を知るのは重要だ。魔王領と人間領の最前線で戦っているルシア聖王国がある。お前はその国に行き、魔王討伐隊の先頭に立ってもらいたいと思っている。そこで、お前にはわが軍を率いて──」

「却下だ」


貴族たちがざわめきだした。


「アリ達の侵攻も阻止できなかった兵を何人連れて行こうが戦力になんかなりはしない。むしろオレの居場所を奴らに教えているようなものだ。あのアリ達は大量のコウモリを引き連れていた。もう既に、オレの情報は魔王の耳にも入っていると考えた方がいい。少数精鋭で行った方が安全だ。何百人もの人間を子守するのもばかばかしいしな」

「え、ええと……旅は危険だから、大勢の人の命を危険には曝せない、ということを言いたいんだと思います」


ティアが冷や汗を流しながら必死に弁明している。

しかしそんな努力も叶わず、貴族たちが小声で文句を言い始めた。


「勇者の力を得て調子に乗っているのでは?」

「こんな傲慢さではいずれ魔王に打ち取られるぞ」


分かってないな。

オレは冷静に思った。


魔物との戦いは恐怖との戦いだ。

こんな挑発程度で逆上したり、自分の感情を偽るようでは、魔物と相対しても足がすくんで動けなくなるだけだ。

この国でまともに魔物と戦える人間は一人もいないということを、オレは悟った。


「静粛にしたまえ。とにかくシーダよ。お前は我が軍の精鋭を──」

「仲間はオレが探す」

「シ、シーダ。王が話している間に割り込むのはマナー違反よ」


オレは立ち上がり、呆然としている貴族の前にあるぶどうの実を口に放り込んだ。


「自分の手元から離れた場所にあるものを食べるのもマナー違反……」

「下らない議論はお前らだけでしてろ。オレはオレで実のある行動をさせてもらう」


そう言って、オレは背を向けた。


「マナーもお忘れになったのか」

「以前はお身体こそ悪かったものの聡明な方だったというのに。勇者の力と引き換えにうつけになられたか」


……くだらない。

オレのことを信用していない人間に命を預ける気はさらさらない。


ティアは周囲の目を気にしながらも、オレの方へ駆け寄ってきた。


「シーダ。どこに行くの?」

「決まってる」


オレは、とある女性に言われたことを思い出していた。

世界で最も勇敢な職業の人間によって作られた、その町の情報が一挙に集う場所。


「酒場だよ」


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