覚醒



「シーダ。食事、持ってきたよ」


ティアはうれしそうにワゴンを押しながら、オレの部屋に入って来た。

オレは渋々起き上がる。


「食べさせてあげようか?」

「いらねえよ」

「ふふふ。冗談だよ」


オレがベッドの端に座って食事をしている間、いつもティアはにこにこしながら隣でオレを見つめていた。


「なんだよ」

「別に。元気が出てよかったなぁって」


元気が出たわけじゃない。

ティア以外は変わらず面会謝絶だし、未だにこの部屋から一度も出ていない。

うるさい人間が来た時はふて寝をかますせいで、昼夜も逆転しがちだ。


「元気だよ」


オレの考えていることを察してか、彼女は優しく言った。


「こうして、起きてご飯を食べれるんだから。ね?」


オレは口を歪めこそしたが、黙って食事を続けた。

今まで使ったことのなかったナイフやフォークに悪戦苦闘していると、やがてティアが口を開いた。


「メガネはしないんだね」

「メガネってなんだ?」


彼女は何故か黙り込んだ。


「その目」


オレはぴたりと動きを止めた。


「どうしたの?」


やがては来るだろうと思っていた質問だったが、口がうまく回らなかった。


「昨日、おじ様がお父様と話してた。……勇者の証、なの? もしかして、記憶喪失と何か関係があるの? あなたが言っていた、お前はオレのことを知らないっていうのは、そのことなの?」


オレが答えないでいると、彼女は少しだけ身を寄せた。


「お父様は神官よ。人類を魔物の手から救ってくださるよう、女神様に毎日お祈りしている。私だってそうよ。まだまだ見習いだけど、きっとあなたの力になれるわ」


オレはティアの真剣な顔を見た。


オレが、本当はシーダじゃなくてもか?


そう聞いたら、彼女はどんな顔をするだろう。


ティアは知らないのだ。

この世界は、自分が思っている以上に、残酷なのだということを。


「……勇者を辞めたい……って、言ったらどうする?」

「え?」


ティアの、思わず零れた渇いた笑みを見て、オレの心が暗く閉じていくのが分かった。


「……なんでもない。もう寝かせてくれ」


オレはティアに背を向け、ベッドに転がった。


これは甘えだろうか?

自分のことを理解して、それを受け入れてもらいたいと願うのは、そんなにダメなことなんだろうか。


「……今日はね。ゴーダ国建立記念のお祭りがあるんだよ」


彼女なりに何かを察してか、話題を変えてきた。


「色々な催し物があって、出店もたくさん出るの。ね、少し覗いてみよ? きっと楽しいよ」


オレはため息をついた。


「ほら、シーダ。一緒に行こ?」

「……あのな、ティア。オレは──」



「魔物だああ‼」



喉を痛めるのも厭わない、悲鳴のような叫び声。

オレはぞくりとした。


「……なに? 誰かのいたずら?」

「違う。あの叫び方は違う」


オレは何度も聞いてきた。

人々の、恐怖に戦(おのの)く声を。断末魔の叫びを。


オレには分かる。

あれは、魔物の恐怖に彩られた人間のそれだ。


ふと気づくと、右手が小刻みに震えていた。

抑え込もうと左手で掴むも、その震えは身体全体へと伝播する。


……くそ。怖い。

怖くてたまらない。


またオレは殺されるのか?

前みたいに惨たらしく、食い殺されるのか?


「……シーダはここで待ってて」


オレはティアを見た。

決意のこもった強い瞳で、オレを見つめている。


「お父様とお母様の様子を見てくる」

「ま、待て。お前がどうこうできる相手じゃない」


ティアはオレの手を握り、優しく微笑んだ。


「大丈夫。私も女神様の加護のお力が使えるから。魔物に襲われても逃げるくらいはできる。すぐに戻ってくるからね」


そう言って、彼女はオレの手を離す。

ティアの姿が、フィリスと重なった。


「ティア、行くな。ティア。……ティア‼」


ばたんと、ドアが閉じる音がむなしく響いた。



『行かないんですか?』


オレはベッドの上で微動だにしなかった。

義務感と正当化がせめぎ合って、身体が急停止してしまっているようだった。


『あーあ。また死んじゃうんですねぇ』


びくりと、オレの身体が震えた。


『あ、ごめんなさい♪ あなたのことじゃなくてぇ。あの女の子のことです』


女神はベッドの端に座った。


「……お前が他人の心配かよ」

『失敬ですねぇ。私はいつだって、人類の救済を願っていますよ』


にこりと、彼女は笑った。

屈託のない、だがそれ故に薄気味悪い笑みだ。


「お前は何がさせたいんだ」

『別に? 前も言いましたけど、めんどくさいのは嫌いなんで、あなたが気付いてくれるのを待っているだけです』


気付く?

一体何に気付くって言うんだ。


『人類の安寧とは何か。そのために、あなた個人ができることは何か。この世界が、一体どういうものなのかを、です』


オレが口を開こうとした時だ。



ドォーン‼



建物を揺らす爆発音に、オレは思わずよろけた。


「なんだ⁉」


バルコニーに飛び出し、外を見る。

オレがいる城の壁に、大きな穴が空いていた。

何かが焦げた匂いがする。

オレはこの匂いを、どこかで嗅いだことがあった。


「……まさか」


オレは胸騒ぎを押さえつけ、辺りを見回した。



中庭と呼ぶにはあまりにも広いその場所に、姿形の違う二メートルほどのアリ達が、隊列を組んで侵入していた。


奴らだ。

バルコニーの取っ手を掴む手が、にわかに震え出す。


「あいつら……オ、オレを追って……」

『どうですかねぇ。転生の加護は精神世界で行われることですから、それを感知するのは不可能だと思いますけど。たまたまじゃないですか?』

「たまたまって、そんなことあるわけないだろ‼ オレがまだ死んでないと分かって、殺しにきたんだよ‼」

『人間はなんでもかんでも理由をつけたがりますねぇ。世の中に必然なんてありませんよ。全ては自我によって生み出された錯覚です』

「そんな謎かけをしたいんじゃねえ‼」


オレが女神と言い争いをしていると、城の中から大勢の兵士が現れた。

彼らはすぐさま横に広がるように陣を作った。


「総員! 結界準備っ‼」


隊長がそう叫ぶや否や、彼らは次々と錫杖を地面に刺し始める。

すると、城を囲むように卵状の薄い膜が張られた。

アリの手がそれに触れた瞬間、バチッと激しい音がして、アリの手を吹き飛ばした。


「法弾、用意‼」


しゃがみ込み、膝を立てた兵達が、一斉にマスケット銃を構える。


「てえぇ‼」


号令と共に結界が解除され、法弾がアリを襲った。

一つ一つの弾にそれほどの威力はない。せいぜい外骨格を陥没させる程度だ。

だが少しすると、その被弾箇所から蒼い炎が自然発火し、瞬く間に身体全体へと燃え広がった。


GUAAA‼


炎に巻かれたアリは、悲鳴をあげながら、身体が炭になるまでの間、もだえ苦しんでいた。

それを見て、後ろにいたアリ達は徐々に後退していく。


どうやらあの弾は、あらかじめ加護を練り込んで作られているようだ。

銃撃の厚さから、アリ達は距離を詰めることもできていない。


この調子でいけば倒せる。

そう思っても良い場面だった。

事実、兵達もどこか気持ちが緩んでいる。


だがオレは知っていた。

この程度で終わる絶望を、奴らがまき散らすはずがないと。



後方で、上下運動を始めるアリを見つけた。

バッタのように跳躍する、あのアリだ。


「飛んでくるぞ! 気をつけろ‼」


オレがそう叫んだのと同時に、バッタアリは空高く飛んだ。


「結界方陣、始めっ!」


隊長の号令で、すぐさま結界が張られる。


完璧な対応だったと思う。

だがオレは、バッタアリが何かを抱えていることに気付いていた。

膨らんだ腹を持つそのアリを見て、オレは全てを理解した。


「全員逃げろぉ‼」


隊長の戸惑った顔が見て取れた。

逃げるということは、この結界を解除するということだ。

それによってもたらされる被害と、何を根拠にしているのかも分からないオレの言葉と、どちらを取るかなんて明白だ。

それでも尚、迷えるということが、この隊長の有能さを表しているといっても良い。


だがそんなものは、奴らの恐ろしい戦術の前には、無に等しい。


バッタアリが結界に触れ、イナヅマのように蒼い閃光が迸る。

アリの身体が黒く焼き焦げていたその時、抱えていた爆弾アリの腹部が一気に膨れ上がり、爆発した。



その爆発は結界内部にまで突風を巻き起こし、一気に兵たちを襲った。

だが、その威力は結界によってかなり軽減されていて、致命傷を負っている兵は一人もいないようだ。

だが、地面に突き刺していた錫杖を吹き飛ばすくらいの威力はあった。


結界が消えた瞬間、手負いのエサに食いつく肉食動物のように、アリが我先にと兵達に襲いかかった。


「ぎゃあああ‼」


血の噴き出る音と断末魔の叫びが、そこかしこから聞こえてくる。


オレは思わずその場にしゃがみ込み、耳をふさいで蹲った。


「オレのせいじゃない。オレのせいじゃない。オレのせいじゃない」


忘れることのできない過去に追いつかれないように、オレは必死になって壁を作った。

目を閉じ、呪文を唱え、できるだけ身体を縮込ませて。


しかしそれでも現実は、オレが惨めたらしく作った壁を、優に超えて語りかける。


『いいんですかぁ?』


オレは答えなかった。

女神は小さくため息をついた。


どれだけ失望されてもオレは知らない。

オレにどうこうできる問題じゃないんだ。

何をやったって、こうなる運命だった。

そうだ。これは運命なんだ。

オレは悪くない。

オレは何も悪くないんだ。


『そうです』


オレは思わず顔をあげた。

そこには、蹲ったオレと視線を合わせるようにしゃがみ込んだ女神がいた。


『運命を受け入れるのです。それが勇者の務めです』

「……勇者の、務め?」

『よく見てください』


オレはおそるおそる立ち上がり、改めて彼らを見た。

人を肉の塊としか認識していないアリ達が、逃げ惑う彼らを貪り食っている。

それはまさに地獄絵図だった。


……ああ、そういうことか。

女神が何を言いたいのか。腹立たしいことに、オレはそれを理解してしまった。


女神は何もしない。

人々の願いを聞くことはないし、救いを自ら与えることもしない。


何故ならそれが、この世の真理だからだ。

この世界こそが、地獄そのものなのだ。



「……それが分かって、オレは何をすればいい?」


今、地上で行われている殺戮がこの世界そのものだとして、オレが取るべき行動はなんだ?

一体何を拠り所にすればいい?



その時、オレの目に、ある人物の姿が飛び込んできた。


ティアだ。

服はボロボロで、額からは血がしたたり落ちている。

たった一人、ふらつく足取りで中庭に入り、例の地獄を目の当たりにして打ちのめされている。


彼女の後ろには、三メートルはあるカマキリアリの姿があった。


ドオン!


カマキリアリの胴体に、銃弾がめり込んだ。

アリの殺戮から逃れていた隊長が、近くにあったマスケット銃を発砲したのだ。


「ティア様! 早くこちらへ‼」


呆然自失だったティアは、その一言で我に返り、すぐに走り出した。

それと同時にカマキリアリがティアに迫る。

隊長はティアとアリの間に割って入り、再びマスケット銃を発砲した。


ドオン!


アリの胴体に、再び弾が命中する。

しかし何も起きない。

一発目も二発目も、加護の効果が完全に無効化されていた。


ヒュッ、と風を切る音と共に、隊長の首が取れた。


「なん、で……」


赤い鮮血が噴水のように拭きあがり、隊長は地面に倒れた。

その時、オレはカマキリアリの身体から、無数の小さなアリが地面に帰っていくのが見えた。


(そうか、分かったぞ。あの小さなアリが防護服のように加護からアリ達を守っているんだ)


だが、それが分かったところでどうしようもない。

自分の持つ炎の剣ではあのアリをどうにもできない。加護が効かないとなれば、もはや対処する手段を持たないのだ。


そしてそれは、これから起きる惨状を、黙って見ていることしかできないことを意味していた。


カマキリアリが、自身の鎌を舐めるように口に持っていく。

ティアはもはや逃げることもできず、その場でしりもちをついた。


「あ……あぁ……」


このままではティアは殺される。

いや、オレが何をしようとティアは殺される。


非常な現実を受け入れることしか、今のオレにはできない。


分かっていた。そんなことは。

それでもオレは──


バルコニーから飛び降りていた。


地面に足がついた瞬間、ずしりと負荷が襲い掛かる。

しかし不思議と苦痛は感じない。興味もない。


今、オレの目の前にあるのは、窮地に立たされたティアと、その命を摘み取ろうとする魔物だけだ。


走りながら、オレは思った。


人類の安寧。

救い。

女神の言っていることが、なんとなく分かった気がする。


この世は無常だ。

それが世界の本質だ。

だがその中でありながら、決して諦めてはいけないものがあった。


オレは勇者だ。

世界が地獄だと知りつつ尚、その世界に希望をもたらす存在だ。


地獄で生きることが苦痛でしかないとオレは知っている。

それを知ってしまったオレは、決して救われることはないだろう。


でも、救いを信じている人間を。

ティアのような人間が不幸になるこの世界を──



「許すわけには……、いかねえんだよっ‼」



胸に手を翳す。

光と共に柄が現れ、それを掴む。


「おおおおお‼」


守る。

その想いだけを胸に、オレは剣を横薙ぎに振るった。



しばらくの硬直。

風のそよぐ音だけが、耳をくすぐる。


アリの胴体に切れ目が入り、ぽろりと上半身が地面に零れ落ちた。


「……シーダ?」


オレの手にあるのは、太陽の光に照らされて輝く、美しい銀色の剣だった。




続く

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