第18話 劣情とかいう愚かに高ぶる彼のモノ
「――今の彼らの雇い主はボクだからね」
ナトは貴族のシーズに、傭兵のブナとアカシアの雇い主は自分だと言った。
「ハハハ」
椅子に深くもたれていたシーズは腹を抱えて笑いだした。冒険者ギルドの館で響くその笑い声は、彼の笑いのツボに入ったようであった。
「ぁあ、そういう
「ありがとう?」
ナトは不思議に首をかしげた。
「キミにじゃないよ。二人にだよ」
シーズはブナとアカシアの前に立ち、両手をパンパンと軽く叩いた。
「僕の機嫌を直してくれるために、こんな笑いを用意してくれるなんて最高だよ」
「別に笑いを用意していないけど」
「だからキミじゃあない。第一、彼らはランクAAの傭兵でキミは何処にも所属していない新米冒険者だ。そんな彼らが戦いに負けるはずがない。それに、ランクAAの傭兵の給料が10ゴールド程度だなんて、アリエナイって話だよ」
「でも、あなたの査定がキビシイじゃないですか?」
「僕はいいんだよ。厳しくした方がちゃんと働いてくれるってもんだ」
「ボクはお金を出した。契約も結んだ」
「へえー、どんな契約?」
「今日、いや、今夜だけ冒険者ギルドの館にいる間、ボクを守ってもらう」
「随分と短いじゃないか? そんなんじゃタダ働きじゃないか?」
「あなたに戦いを終わったということを伝えれば、それで終わりという約束です」
短い時間で最大のパフォーマンス、ナトはわずか10ゴールドで大きな安心を買ったのだ。
「ふーん」
シーズは椅子から立ち上がると、ブナとアカシアの前へと行く。
「ってことは、キミ達は負けたのか?」
「負けてはいない。しかし――」
「しかし?」
「カネと労力が見合わない」
ブナとアカシアは続けて口にする。
「アカシア、キミなら最後まで戦うはずだと思ったのだが」
「ちゃんとカネを払ってくれていたら最後まで戦っていた。だがな、勝ち目が見えない戦いで、最後まで戦うとなると話は別だ」
「どういうことだ?」
「さあな」
アカシアはシーズからの質問に知らないフリをする。
「なんだ? なぜ、僕の質問に答えない?」
「答えてもいいが、おそらくシーズさんにはわからないと思う」
「何がわからないというんだ? ブナ!?」
「シーズさん。心臓がどうにかなりそうな距離ってモノを感じたことありますか?」
「心臓がどうにかなりそうな距離?」
「これ以上近寄るな、これ以上近寄ったら殴るぞ蹴るぞ、という距離にもう一歩踏み込まれるそんな距離」
「なんだ? そんな頭悪そうなモノは? アカシア、きちんと説明してくれないか?」
「説明も何もそれがすべてだ」
シーズはアカシアの返事に目を大きくした。
「俺達は少年と戦う労力が、あなたからもらう給料とは釣り合わないと思い、戦いをやめにした。もし、本気で戦うとしたら、俺らのうち一人はやられていたかもしれない」
「キミ達、プロだろう? ランクAAの僕に雇われている傭兵だろう? キミ達の強さは十分にわかっている」
「プロだからこそ戦わないこともある。そして、少年も戦う気がない。……モノゴトはうまくおさまっていないか?」
「確かにそうだね。戦わないことはいいことだよね。でもね、戦ってくれないとこっちとしては面白くないんだよね」
「命を捨てて戦うだけの価値があると思うか?」
「あるに決まっているだろうが。僕の傷ついたハートを癒すには少年がもう未来永劫この僕に歯向かってくることのない謝罪にこそあるんだから」
「まるで虎にムチで叩いて手懐けるサーカスの劇団員みたいな考えだ」
「……違うのか?」
アカシアの持つ槍がいらいらと動き出す。
「プロならプロらしくカネを持ったまま死んでくれよ。あ! ゴメンゴメン、カネに浅ましいプロ意識の高かった死体をさ、盗賊はハイエナみたいに漁るよね! カネも服もその槍もさ! ハハ!」
アカシアの自尊心がイヤというほどまでに傷つけられる。
「僕が好き勝手にお金を与えない理由わかったよね? 盗賊におカネを与えないためなんだよ! 財布の紐をきちんと結びつけるのも大変なんだ!」
自尊心が言葉でキズを負い、そのキズを埋めるように殺意が生まれる。アカシアの心内には、よく笑うシーズの口の中に自分の槍を入れたくてしょうがなかった。
そして、その気持ちが限界までやってきて、槍を持つ手が揺れに揺れる。
「まあいいや。傭兵はカネが汚くて当たり前だ。図に乗って平然と裏切れるのだからね!」
ストレスの限界が頂点を突破し、アカシアの手は勝手に動き出す。
「ダメ」
ナトはアカシアの槍を握りしめる。
「あぁ?」
アカシアの口元から変な声が出た。
「今のあなたたちの主人はボク、彼じゃない。ボクを無事、冒険者ギルドの館の前に出すのがあなたの仕事だ」
アカシアはナトの言葉に我を取り戻す。
「彼が求めているのは気持ちだ。僕の泣き顔だ。あなたが今ここで彼とケンカをすれば、彼はすごく満足する。雇い主の命令に逆らったと喜ぶ、傭兵の心を崩したと笑顔になれるんだ」
アカシアはシーズの卑劣漢な性格を思い出した。
「……そうだった、そうだった。……忘れていた」
ヒトの感情をひっぺがえして、相手を激情させる。それはただの話術ではなく、本人の無意識なのだから余計タチが悪い。
「僕はシーズさんと戦うのを避けるためにあなた達を雇いました。二人を味方に付ければ戦う気をなくすと思いましたが――」
「ああいう性格なんだよ。直りそうにない」
「はい」
「やっぱり、あのヒトから離れた方がいい。これからのためにも」
アカシアはそういうと槍を握りしめ、シーズの元へと向かった。
アカシアはシーズの目の前へと来る。
「まだ何かあるのかな? 頼むから早いところ、やっちゃってよ」
「シーズさん」
いつもと違うアカシアの声色に、シーズは違和感を覚える。
「なんだ?」
シーズがそういうと――、
「今までお世話になりました」
と、アカシアは自分の頭の後頭部を見せるように頭を下げた。
「俺も! お世話になりました!」
ブナもシーズの前に立つと、アカシアと同じように頭を下げた。
ナトはシーズがいらない小言を話してきたらすぐ別れるように提言していた。いかに早くああいう人間から離れることが精神衛生上プラスになると助言していた。
アカシアとブナは少年のアドバイスどおり、シーズに頭を下げ、傭兵契約の解除を申し立てた。契約違反の罰則よりもいかに彼から距離を取るかが大事だった。
アカシアとブナは頭を下げるのをやめると、アカシアは口を開いた。
「これからも傭兵家業は続けていきます。何処かであったらよろしくお願いします」
「俺からもよろしく」
アカシアとブナはそれぞれ別れのあいさつをすると、シーズのそばから離れようとする。
「ちょっと待ってくれないかな」
シーズの呼びかけに、二人は振り返った。
「意味わかんない。いや、わかるんだけど、なんで今?」
「いつでも契約解除していいと言ったのはシーズさんの方だと思うが――」
「それはそうだが、じゃあ、誰の傭兵になるの?」
「今は少年の傭兵――」
「そういうことじゃない」
シーズはアカシアの言葉に耳を傾けない。
「僕の傭兵じゃなくなったってことは誰かの傭兵になる。つまりそれは僕にとって敵となり、脅威となる」
「シーズさんと戦う気はない」
「不安だな、不安だよ。僕のことを知っているなんて、それはもう僕個人の情報がダダ漏れ状態じゃないか。イヤだね。そういうの。ホント、イヤ。――アレコレだよ、アレコレ。今まで言えなかった分、悪口言うつもりなんだろう?」
ブナは、そんな気がない、と、首を左右に振った。
「いいや、そんなことありませんぜ。この俺にも、言っちゃダメなことを墓に持っていくぐらいの判断はありますって」
「その墓に入るまで、ボクが見届けろとでも?」
「そう言わず、信じてくださいよ」
ブナが両手を合わして頭を下げる。
「……そうだ」
シーズはニヤッと笑い、椅子のそばに置いてあった大剣を手にした。
――まさか? 斬る? ここでか?
彼が今からしようと想像する行動は、誰もがありえないと思う行動だ。
冒険者ギルドの館は広い。宮殿のエントランスホールと同じくらいの広さを誇る。
とはいえ、ここはあくまで館内、武器を好き勝手に振る横暴は許されない。いや、誰も武器なんて使う気なんてなかった。
……彼を除いては。
「
シーズは大きな剣を横に振った。
ブナとアカシアはすかさず大きく距離を取り、彼の振る大剣の攻撃範囲から離れた。
「逃げて!!」
ナトは二人に向かって、そう呼びかける。
「あっちがこっちに来る前にそっちは早く逃げなよ」
「そうそう、少年が逃げないと俺達も逃げられない」
ブナとアカシアはそれぞれそう言った。
「違う! あのヒトはもうすでにあなたたちを斬ったんだ!」
ナトの言葉に、シーズは笑った。
「ご名答」
シーズが斬った空間から白刃が生まれた。
――白が刃となり、空を切った。
刃は弧と表出し、拡張し出す。
広がった弧の上には、ブナとアカシアの胴体があった。
弧の刃に飲み込まれると気づいた二人は急いで後ろに下がった。
しかし、刃の速さは二人の動きよりも速かった。
「ぐ!」
「あがっ!」
ブナとアカシアの胴体に剣のキズが入れられ、床の上に倒れた。
二人の腹部からあふれる血。血はどんどんと広がり、やがて血の海と化す。
「アコウさん! 二人に回復魔法を!」
「わかっておる! 行くぞ、お主ら!」
ナトに言われるがまま、アコウ率いるまほうつかいパーティーはブナとアカシアを治療を試みる。
「癒しの手を、彼らに」
五人の魔法使いが詠唱する回復魔法と共に、ブナとアカシアのキズは癒やされ、傷口が閉じていく。
「……なんとか一命は取り留めたか」
アコウは椅子に座り、大きなため息をついた。
「じゃが、傷はまだ広がろうとしておる。なんじゃ、この力は」
アコウは二人の傷口を観て、シーズが放った力を考察していた。
シーズは大きな剣を床の上に刺し、両手を広げた。
「これだよ、こういうのがスッキリするんだよ」
彼のカオは新緑の草原でペパーミントの匂いがかいだ時と同じような、
対して、ナトは今、攻撃を仕掛けたシーズの行動を理解できずにいた。
――味方殺し? そういうのはあり……、か?
味方を殺す理由などない。味方を殺した所で何のメリットがない。
――いや、もしかすると……、本気で捨て石だったのか?
そう考えれば納得がいく。納得は行くが、それでいいのか? 金というドライな付き合いでしかなかったとはいえ、それでいいのか?
……少年の疑問は尽きない。
あれこれ困惑しているナトの元に、戦士アダンが駆けつける。
「なんだよ、あれ。なんであいつは味方を攻撃した!?」
ナトは考えるのをやめ、アダンの質問に答える。
「僕はあくまで彼が僕に対して攻撃を仕掛けないように、あの傭兵さん二人に僕を守るようにお願いしました」
「でもあいつやりやがったぞ!」
「ええ、見当が外れました。まさか、味方殺しを始めるなんて……」
「オマエでも味方殺しの予想は外れるのか?」
「正直、それは心外です」
「……いや、安心した」
アダンはナトの肩を叩く。
「オマエは人間の血ちゃんと入っているわ」
ナトは鼻で笑う。
「だから心外です」
少しだけ少年の口元に、笑みはあった。
二人が話をしていると、シーズは声を上げた。
「ナト君」
ナトはアダンの方を向き、見守ってくださいと合図する。
アダンもその合図に、コクンと頷いた。
そして、ナトはゆっくりとシーズのそばへと近づく。
「今さ、僕、人生の中で一番輝いているときかもしれない」
「は?」
突然何を言うのか、ナトは困惑する。
「正直、なんか足りないと思っていたんだ。でも、やっとわかった、僕に足りないものは」
彼は笑顔で
「それは本気で潰したい相手を本気で潰すことだったんだ」
シーズは少年が自分の言葉を理解する前に、次々と言葉を足していく。
「人間、あいつ潰したいな、どっか消えてほしいなと思うことあるじゃない。だけど、たいていはそういうのができなくて、グッとガマンしちゃうじゃない? 僕だってさ、街中でゴミとか捨てる奴とか見ると、つい手を出したくなるんだ。
――別に正義とか美観意識って訳じゃないよ。どうして僕の目の前で今ゴミを捨てたんだ、と、という思いが胸に来るんだ。でもでも僕はそんな劣情を必死にガマンする。出しても無価値だ、意味がないと自分をいさめるんだ。
するとね、殴りたい、蹴りたい、なんでキミは自分の出したゴミを僕に見せつけてからぽいっと捨てるんだ、で、気持ちでいっぱいになるんだ。イヤだよね、ゴミがさ、ゴミを作るんだよ。人間のゴミがゴミを再生産するんだからムカつき最高、胸いっぱい、感情までがリユースだ。
――で、このいっぱいになった気持ち、どうなれば空っぽになるかな?」
「そんなこと言われても思いつかないし、ちょっとヒドイなと思うぐらいで」
「おかしいな。ゴミだよ! ゴミ! ゴミの捨て方がわからないヤツなんだよ! ゴミが出たらちゃんと適切な捨て方があると思うんだ。でも、それがわからないから人間ゴミになっている。嫌だよね。本気で潰したくなる」
シーズは口の端を上げる。
「そう、この潰したくなる感情を作り出した本人にぶつける。この素直にやるべき自発的道徳観こそが、僕に足りなかったものだったんだよ! いつもは傭兵とか下の冒険者に冒険の依頼とかを任していたからね。この僕直々に仕事をするなんてメンドくさいことをしなかったから、この感情がわからなかったんだ」
わからないままでいいよ、と、ナトは思った。
「でも今日わかった。イヤな感情を作り出したヤツにそれをぶつけると、スッキリするんだ! ホントにスッキリする!」
「ただの暴力じゃないの?」
「暴力? 違うな。約束破りの役立たずを処分しただけのことだ。もし、これで冒険とかに連れていったら足を引っ張るからな。魔物に無惨に殺されるぐらいなら、ここで引退してもらった方が、第二の人生うまく歩めるだろう」
「……よく言うよ」
ナトは自分勝手すぎるシーズの考え方についていけず、頭を抱えた。
一方、シーズは街角で無邪気にバカ笑いするこどものように、今もなお笑っていた。
「でもでも、もっとスッキリしたい! 至極! 最高に! 身体の中でスッキリ感を浸透させたい!」
大きく高笑いした後、シーズは猛獣に似た視線でナトを見つめた。
「だからさ、ナト君。愚かに高ぶる劣情をさ、忘れさせてくれよ。な……」
シーズの言葉は、もはや誰にも理解できない域まで登り詰めてしまった。
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