第26話 駆け引きとかいうもう一つの戦い
ナトとシーズの戦いには三つのルールが存在する。
ルール1、どちらかが負けを認めたらそれで終わり。
ルール2、セコンドが負けを認めたらそこで終わり。ナト、もしくはシーズがセコンドに直接攻撃を加えたり、セコンドがセコンドに攻撃するのは反則。第三者がセコンドに攻撃するのもなし。また、セコンドが戦いに出る二人に補助スキル、回復アイテムを掛けるのも反則となる。
そして、ルール3、この戦いで起きたことは将来に渡って引きずらない。
この三つのルールを宝神具バルムンクの下で約束した。もし、ナトが約束を破れば、宝神具の怒りに触れて、無残に斬られる。シーズが約束を破れば、どんな目に会うかはわからないが、宝神具から何らかのペナルティが下される可能性が高い。
ナトとシーズはこの三つのルールのどれかを破ってはいけない。もちろん、それはセコンドにも言えることだ。
ナトとシーズのにらみ合いが続く中、ラッカは二人の戦いを見守っていた。
戦いなどからっきり、素人でしかない。しかし、そんなまほうつかいラッカでもこの戦いを有利に運んでいるのはナトであることはわかる。
だけど、胸さわぎ。首元ににじり寄る何か気持ち悪いものが邪魔してナトのアドバンテージを喜べずにいる。
――どうしてお兄ちゃんが勝つ姿をイメージできないんだろう。
どんなに攻撃を繰り出しても相手は倒れる素振りを見せてこない。石ころに引っかかったぐらいの気持ちでダメージを受けている。まるで小動物が百獣の王に無謀な戦いに挑んでいるそんな光景が目に浮かぶ。
――同じ人間なのにレベルが違う。あっちの方がパラメーターが上。
もしそうなら舐めた戦い方をするのも納得ができる。レベル差、能力値差が段違いなのだから、ナトからの攻撃を受けてもさほどダメージになっていない。
――でも、お兄ちゃんはわたし、いいや、みんなが考えつかない発想力を持っている!
いつもおどろいている、お兄ちゃんには。
――だからだいじょうぶ。ぜったい、ぜったい。
ラッカはただ見守る。「負け」という言葉はけして言わない。彼女はそう決めた。
「ラッカちゃん」
ラッカの隣にいたマングローブは突然、話しかけた。
「アナタって、自分が足手まといと感じたことある」
「……いきなり足手まといと言われても、わたし、そういうのわかりません」
ラッカは言葉を選びながらそう返す。
「まあ、そうね。でも、デキのいい兄さんと比べられて何かと不満とかない?」
「ありません。むしろ、別扱いされます」
「へぇ」
マングローブは、つまらない、と言うようにそう返事した。
「ワタシね、昔、シーズと別のパーティーにいたとき、自分のこと、足手まといだと感じていたわ。ワタシができるのはただ踊ることだし、他にできることなんてなかった。まあ、ワタシも踊ることでそう割り切っていたし、それでいいやと思っていた」
「だから突然なんですか?」
「ちょっとしたおしゃべり。あっちは
「わかりました。けど、わたし、マングローブさんのこと何も知りません」
「だから、おしゃべりするんじゃないの? ね」
ラッカは乗り気ではなかった。けれど、ナトからマングローブが何かを仕掛けてくると言われている手前、カノジョのことを意識するのは悪くはない。
――話を半分寄せるぐらいで調子を合わせていけば、何かわかるかもしれない。
ラッカはそんな軽い気持ちでマングローブとの会話を進めた。
「それで、ある日、ワタシが買い物に出かけてパーティーの元へと戻ったときに、パーティのみんなはワタシの話をしていたの」
「どんな話だったんですか」
「クエストの話」
「クエスト? 普通じゃないですか」
「ええ、普通よ。ホントに普通のクエストの話だった。――けれど、それが違っていたのは、ワタシ抜きで話していたことだったの」
「……それってちょっとつらいですね」
「まあ、踊りコってさ、普通、冒険者パーティーにいらない職業だよね。力強い戦士より、計算高い商人より、頭のいいまほうつかいより、ずっとずっと下にいる職。もし、踊りコをパーティーに加えるヒトがいたら、それはスケベ心丸出しの男パーティーか、遊び半分の貴族パーティーしかいないから」
「なんかイヤな裏話を聞いた気がします」
「まあ、それもわかった上でワタシは冒険者パーティーに入っていた。みんなを元気づけるのがワタシの役目、どんなに疲れても、どんなに傷ついても、ワタシが踊っていたら希望という仕事をやっているとワタシは思っていた」
「えっと」
「でも、違っていた。時間が経つに連れて、こんなこと言われるようになった」
マングローブは身を乗り出して、紅い唇を悲しげに見せた。
「オマエ、楽でいいよな。踊っていれば、それでいいみたいな仕事でいいよなってね。それからワタシとパーティーの間でギクシャクが始まった。みんな、ワタシのいないところで陰口を叩いていた。気づいてみれば、ワタシはパーティー内のお荷物ということになっていた」
「それは……、その、つらいですね」
「でも、それが逆にパーティー内の結束が強くなった。怖くなった。どうして、ワタシを邪魔者にすることで、みんながまとまるのか。ワタシが悪いの? ホントに足手まといなのって、思うようになった。そんなことを考えていたらもうここにはいられないと感じて、パーティーから抜けた」
「意外と行動的なんですね」
「ワタシ、けっこうタフだからね」
マングローブは口を抑えて笑った。
「その後、見世物小屋で働くことになって、毎日踊りを踊っていた。稼ぎはそんなになかったけど、楽しかった。自分の仕事ができていた気がした。でも、あのヒトたちはやってきた。元々ワタシが所属していたパーティーが」
「怒っていたの?」
「いえ、怒っていなかった。マングローブ、キミが必要だってわかったって、みんな謝っていた。ワタシもみんながワタシのために、見世物小屋まで来てくれたことが嬉しかった」
「よかったじゃないですか」
「……よくなかった」
「え?」
マングローブは何度も口を動かし、そしてそれを言った。
「踊りコがいないとパーティーがまとまらないんだ。少し足手まといのがいるからパーティーはまとまるんだ、って、笑いながら言ったの」
重たい話だった。ラッカにとって冒険者パーティーは、はなやかで和気あいあいなメンバーと一緒に、世界を旅するものだと思っていた。
別段、冒険者に夢見ていたワケではなかったが、のんびりのほほんとバカやっていける軽い世界だとは思っていた。
「それでわかった。パーティーで踊りコみたいな使えないのがいるのは、こういうことなんだって。感情を吐き捨てるごみ箱が必要なんだってハッキリとわかったわ」
マングローブは自嘲気味にそう言い捨てる。
「そんなことありません」
「そんなことある。ダメ人間を欲しがるのは安心が欲しいから」
「そんなことありません」
「アナタにはわからない。いつも戦いのやり玉にあげられる弱い人間の気持ちが」
「マングローブさんは弱い人間には見えません」
「いえ、あなたが思うよりも弱い人間よ。力のある人間に無条件に従ってしまう。そんな人間」
「マングローブさん……」
「ねえ、ラッカちゃん。この世界に足りないものは何かわかる?」
「わかりません、そんなの」
「安心感」
「安心感?」
「どんな人間でも文句も何も言われない自由な安心感。ワタシはね、そんな安心感をもたらしてくれるのが、あのシーズだと思うの」
「……えぇ」
「そんなに困ったカオしないの。彼ね、自分に逆らう人間には容赦しないけど、自分に従ってくれる人間は大切にしてくれるの。しかも、彼は冒険者協会お墨付きの次期英雄、彼の下にいれば、安心。何も怖くないわ」
「おかしいですよ……、あんな自分勝手が体現したヒトなんかが安心感があるなんて」
「アナタは誰から安心感もらえるの? ナト君? それとも家族? ワタシはね、肉親とかそういうのもういないから彼からしかもらうことができない」
「何が不安なんですか?」
「すべて」
マングローブはそう言い切る。
「魔王のいないこの世界は平和。なのに、不思議と安心はない。魔物が襲ってくるとビクビクしていた少女だったとき、警備兵がいるだけで安心は感じていた。けれど、魔物がもう街で悪さをしなくなったら、警備兵が居ても安心は感じない――今、ワタシは自分が必要なくなるか考えるだけで不安で不安で夜も眠れない」
少女にはわからない気持ちだった。その不安は、自分が弱いと思うカノジョだけの感情だと思った。
「でもね、その不安が解消できる方法は一つある」
「その方法って」
「英雄よ」
「英雄?」
「英雄はどんな人間よりも信じられる。力強くて、正義で、たとえ悪いことしても今までの功績から許される特別な存在。そんな英雄の言う言葉が世界の法となって、いつかそれはルールとなる。そしてそのルールに逆らう者は、皆、平等に罰が与えられる。どんな強者もどんな弱者もね。そして、次期英雄のシーズにはそんな力がある。強いルールを立てて遠慮なく罰を与える。彼みたいな存在が不安をなくして、安心をもたらしてくれる」
「それがあなたの安心なんですか?」
「ええ。ワタシは彼をここまでのぼらせた。彼ならワタシにこの上ない安心感を与えてくれる。現に、ワタシは安心している。不安なんてない。もっと強い安心を得るためには、アナタを利用することも
その言葉には裏があった。攻撃をそれとなく仕掛けるとマングローブは宣言していた。
「ルール、ありますよ。ルールが」
「気づかれなくてもいいじゃない」
「約束破ったら来ますよ。宝神具の罰が!」
「それがどうかしたの? ワタシはアナタと敵対しているし、アナタが不利になれば、シーズの勝率は自然と上がる。そうでしょ?」
「利用するのですか? わたしを」
「不安感じてきた?」
――不安? 何、それ?
少女はそう思う。けれど、何か気持ち悪いものが背中から這い上がる感覚はわかる。
――この女のヒトを怖がっている。
このヒトの女に、ラッカは怖がっている。
「あ」
突如何か思い出したかのように、マングローブはそう口にした。
「なんですか……」
「やっぱり、返してそのナイフ」
「返してて言われても、マングローブさんが勝手に置いたんじゃないの?」
「まあ、そうだけど、ちょっとヨゴレが見えたから」
「ヨゴレ?」
ラッカは目を配らせる。ナイフの刃の下の部分に、黒赤いヨゴレが見えた。
「そういえば、パーティーともう一度組もうと言われたとき、そのナイフ、持っていたわね。そのときのがまだ残っちゃっているのかな」
マングローブはそろりと立ち上がった。
「うん、拭き忘れていた。キレイにしないと」
マングローブはラッカのテーブルの上にある自分のナイフを手にしようとする。
ところが、ラッカはそのナイフを掴み取り、その場から離れた。
「座ってください」
「ラッカちゃん、ちょっとコワイ」
「早く座ってください!! 早く!」
ラッカはマングローブがルールを無視して、このナイフを手にして襲い掛かるのではないかと畏怖した。
「ラッカちゃん」
マングローブは片手を横にする。すると、ラッカはナイフを持っていない手でカノジョと同じように横にした。
「はい、堕ちた」
ラッカは何が起きたのかわからなかったが、自分の手が横に伸ばしたことだけはわかった。
マングローブは口を隠して笑った。ラッカも同じように手で口を隠した。
「ラッカちゃん、アナタって、こういう駆け引き、弱いのね」
「駆け引きって……」
「あらあらまだ自分の意思で動けるんだ、ワタシの“さそう踊り”に踊らされたらそのとおりでしか動けないのに」
マングローブは驚いたと言わんばかりに、ラッカをホメる。
「駆け引きってね、自分の意のままに相手を踊らせることを言うの。アナタは簡単に、それはもう簡単に、ワタシが思うように動いてくれた」
「わたしはあなたの思うように動いていない」
「動いたじゃない? ――ナイフ、持ったでしょう」
ラッカは横目でナイフを見る。
「ワタシはアナタにどうやってナイフを持たせるかそれだけを考えていた。踊っているときにナイフを落としたら終わりだし。まず、持ってくれないと話にならない――それなら不安にさせるのが一番。不安にさせて武器を持たせるのが最高にいい方法だったと思った」
「今までの話はウソだったの……」
「さあ? 知らない」
マングローブは首をかしげる。ラッカも同じように首をかしげた。
「けど、まほうつかいでもナイフで自己防衛したくなるのはおどろき。足下に杖があっても、刃物で身を守りたくなる。なんか不思議ね。自分の魔法に自信がなかったのかな?」
マングローブの挑発に、ラッカは口が動き出す。詠唱術を口にし、魔法を使おうとする。
「させない」
マングローブは両手を握りしめ、それを喉近くまで寄せていく。すると、ラッカの手も喉近くに動き、ナイフの刃先が皮ふ手前で止まった。
「どうした! ラッカちゃん!」
「なんや! 何があったんや!」
戦士アダンと商人ビロウがラッカの元に駆け寄る。
「動かない。動いたら、……わかるでしょ?」
「あんた、何をした、ルール破くなよ」
「ルール2には、セコンド同士で補助スキルをかけることについて、何も言ってなかったけど」
「むむむ」
アダンは強くうなる。
――ナトはんはマングローブはんの踊りを封じるために、補助スキルについてはわざと黙ってたが、まさか裏目に出るなんて。
ビロウもルールの抜け穴についてよく知っていた。しかし、マングローブがこんなカタチで仕掛けるとは夢にも持っていなかった。
「補助スキルで踊らせて、相手の喉を切ることは攻撃やと思うで。ワイは」
「攻撃の解釈については宝神具が決めることじゃない? エセ審判さん」
「それな」
ビロウは言い任され、悔しげに言う。
「でも、攻撃の可能性になるのは重々ワタシもわかっている。だから、これはメッセージ。勝負の決着が着いたら、約束が終わるでしょう? そうなったら、ワタシはラッカちゃんを傷つけることができる」
「取引するつもりか! ナトと!」
アダンはマングローブに問う。
「もちろん、そのつもりだけど」
「つくづく黒い噂を聞いていたか、そこまでイヤな女なのか!」
「ワタシは不安を取り除きたいから、ラッカちゃんはその材料になってもらっただけの話」
「つまり人質を取るってことか?」
「人聞きが悪いって、シーズには満足に勝ってもらいたい」
「意味がわからねぇ。オマエの考えが」
「満足に戦ってもらえば、次のクエストも満足に働いてくれるでしょう? ギクシャクもなく楽しくやってもらうには、心地いい勝利が一番一番」
「汚い手で勝つことがか?」
「ルール3、この戦いで起きたことは将来に渡って引きずらない」
「最低だな。オマエ」
「なんて言われてもかまわない。――不安はね、今じゃないの。次なの。今から次の間にある時間が一番不安になる。だから今が満足に終わってもらえれば、次までは安心でしょう?」
「幸福論なんて語るな」
「語ってもいいじゃない。今、場を支配しているのはワタシなんだから」
マングローブは両手を少し動かす。ラッカの持つナイフが強くブレる。
「キレイな喉、ホントにキレイな喉。きっとキレイな詠唱術を使うんでしょうね」
ラッカは満足げに笑うマングローブをキリっとにらむ。
「だいじょうぶ。アナタはそのままに居てもらうだけ。ワタシ、いえ、シーズが満足できる勝利を手に出来れば、アナタには何もしない。まあ、アナタの兄さんの安全は保証しないけどね」
ラッカは何も言い返せず、唇を噛みしめるのみだ。
「さあ、ワタシと一緒に踊って、不安の種を取り除きましょう」
マングローブは高々そう言い、シーズと目を合わせる。彼女はゆっくりと首を振ると、シーズは満足げに笑い、その場を動いた。
少女は過剰な宝飾で彩られたナイフを白く透き通った自分の首筋に当てている。少女は兄であるナトに何かを言い出そうとするが、そのナイフが邪魔して何も言えない。
「何をした?」
ナトはわきあがる感情を抑制し、何かを仕掛けたであろうシーズに尋ねる。
「見てのとおりだよ。何かがあって、ああいうマネをしたんだろうね」
シーズは身体が身悶えるような笑いを噛み殺し、さっと言った。
「マングローブさんがしたんだろう?」
「ああ、したね。でも、僕はあそこまでするようには命令していないよ」
「やっぱり、あなたが仕組んだじゃないか!?」
「いやいや、そうじゃない。きっと、カノジョの怒りに触れるようなことをしたからじゃない?」
「――怒りって何だ?」
「それがわかれば苦労しないって」
シーズは当事者ではないと第三者を演じている。
「シーズ! あなたは卑怯なマネでしか戦えないのか!」
「おっと、卑怯という言葉はなしだ。それぐらい想定しただろう? 想定をさ。僕がどんな人物かというのを考え抜いた上で」
ナトは頬肉をおもいっきり噛みしめる。
「ルールを設けた上でケンカの舞台を作ったんだ、セコンドの用意までして。セコンドのことを考えるのも戦う側の責務じゃないのか?」
「それでも! なんでラッカがナイフで喉を切ろうとしているんだ? ありえないだろう!」
「キミは自分の妹君のことを何処まで知っている気なんだ?」
「ここで自殺を試みようとなんてしない」
「じゃあ、妹君に聞いてみたら早いんじゃないかな?」
シーズはラッカを見る。ラッカは答えない。
「何も言わないか。……そうか、何も言わないか」
面白くないと言わんばかりに、首を左右に振った。
「……戦いを止めて悪かったね」
残念そうな表情を浮かべ、ナトの方へと視線を戻した。
「次はキミの番だよね。……待ってあげるよ。今はターン制ってことにしてあげるよ」
「ふざけるな」
「ナト君、仮にキミが勝ったらどうなるか、わかるよね。ルールは解除され、マングローブは好きに動ける。マングローブが動いたその瞬間、妹君の喉は失うことになる」
「それで勝って恥ずかしくないのか!」
「恥ずかしくないね! ルールがあるから!」
「ルール?」
「この戦いで起きたことは将来に渡って引きずらない。言い換えれば、この戦いでどんなことをしても口外されない」
「そういう意味でルールがあるわけじゃない」
「そういう意味でルールを作ったんだよ。僕がね」
ナトはまゆをひそめ、シーズをギロリと見る。
「あまりにキミがふざけたマネをしたから、僕も本気で潰さないといけないと思った。そうなったらさ、僕、どうなるかわからないじゃない? やりすぎるかもしれないじゃない? 僕がやると死ぬよ。簡単に死ぬよ。手かげん知らないから。それでさ、もし、キミを殺したらさ、僕の悪名がどれだけ広がるかわかったもんじゃない。でもね、ルール3を作ったことでその心配はなくなった」
「あなたは、ホントに……、ホントに……! 自分のことしか考えていない!!」
「ルールは自分に有利に作るもの。ハンディキャップを埋めるものじゃない。なのに、キミはそれをわかっていない。ホント、何考えているんだか」
シーズは、ナトと相手するのが飽きてきたと言うように、目線を上にした。
「キミってさ、あれだけトリックスターとか
おどけたピエロがカッコつけるように、シーズは両手を胸元まで上げて、首をちょこっと曲げる。
「かしこさは僕の勝ち、英雄様と知略勝負できたのだからまあ喜んでよ」
シーズはハハハと笑ってから、ナトに大剣を向ける。
「さあ、何すればいいか、わかっているんだろう? ナト君。僕と戦うか、妹君を救うか、二つに一つ。僕とこのまま戦えば勝ち目あるかも、妹君を救ったらそれはもうなくなる。その理由、……わかるよね」
「それぐらいわかっている」
「でも、キミは選べないでいる。……なんでかな? それも決定できないのかな」
「選べるよ、それぐらい」
「いいね。それなら背後から斬り付けるのはやめてあげよう。攻撃する時は口上を言ってあげよう」
「誘導しないでくれないか? 決断が鈍る」
「そうだね。それじゃあ、マングローブ」
「何?」
「少し腕をあげてよ」
「いいの? このコ、まほうつかいなんだけど」
「声を聞かせてあげようよ。そうすればナト君も動く。悲鳴をさ、助けてという悲鳴をさ」
「……でも、このコ」
「いいから上げろ! 何、不安がっている! 少女の魔法で何が変わるというんだ!」
シーズはマングローブに向かって怒気を放つ。
「すべてはお膳立て済み。何も怖くない。キミも僕の勝利は確信しているだろう?」
「ええ、それはもうね」
「もし、それを
「わかった。……腕を上げるわ。でも、何かを詠唱したら……」
「それはキミにまかせるよ。ご自由に」
マングローブはシーズに言われるがまま、腕を動かす。ナイフが少女の喉から遠ざかった。
「――封炎の鎖、印を結びし者に絡みつけ」
マングローブの腕が光り出し、線文字と記号が回り出す。
「約束を破りしとき、印の
発現する。マングローブに刻まれた小さな約束が魔法として現れる。
「我が願いは小さな約束を守ること。違反する者には即罰を、炎の罰をあたえ――」
マングローブの両腕に文字で刻まれた鎖が現れた。そして、その鎖が赤い光を放とうとする。
「マングローブさん!!」
ナトはポケットの中にあった食事用のフォークをマングローブに目掛けて投てきする。それを見たマングローブは即座に身をかわし、難を逃れた。
「ナト君、そう、それが正解だ」
マングローブのよけるのと同時に、ラッカが両手で握っていたナイフが落ちた。
「そして、それは不正解だ」
宝神具バルムンクの宝玉が怪しく光った。
ナトは身体が自由になったラッカを抱きとめる。
「何も言うな」
ラッカはナトを強く抱き返す。
「……助けてなんか言わなかった。……悲鳴なんか言わなかった」
「だから何も言うな」
「お兄ちゃんの力になれる魔法を唱えようと……」
「だから、止めたんだ。――詠唱唱えようとしたんだろう。それを止めた」
「でも、わたしは――」
「ラッカを悪いコにはしたくなかった」
ラッカはナトに身を寄せ、重心を預けた。
「力になりたかった! 足手まといになりたくなかった! でも、どうしようもない不安がわたしに語りかけてきた! マングローブさんが誰かを傷つけたナイフでわたしを襲おうとしたって!」
「ペナルティはボクだけでいい。ペナルティは――」
ナトはラッカの身体をそっと遠ざけ、彼女が手にしたナイフを観察する。
ナイフにあった赤いヨゴレを指で撫でて、鼻で嗅ぐ。
ナトは鼻に来る人工物の匂いを感じ取ると、マングローブの方を向いた。
「これ? マングローブさんの」
「よくわかったわね。返してくれるの?」
「これはボクが持っておくよ」
「あら、ナト君、アナタ、ワタシを怒らないの?」
「何かイヤなことがあったからあんなマネをしたと思う」
「ワタシの味方になってくれるの」
「そんな気もない」
「つれない」
「何かイヤなことがあって感じ悪くしたのなら謝る。だけど、やり過ぎだ。もう少し手段を選んでほしい」
「まるでワタシが悪だくみを企んでいたみたいな言い方ね」
「ナイフ、返そうか?」
ナトはナイフ投げの素振りを見せる。
「ゴメンって」
マングローブは頭を下げると、ナトはナイフを投げるのをやめた。
「それと、このナイフにこびりついている口紅。これが赤く見えたせいで勘違いしたじゃないか、ラッカが」
「勘違いさせて、相手を罠に落とすのが駆け引きじゃない?」
「その言葉そのままあなたたちに返すよ」
ナトはマングローブを背にし、シーズの方へと向かう。
「つよがってる、もう駆け引きなんてできないのに」
マングローブはナトのトボトボと歩く後ろ姿を見て、シーズの勝利を再確認し、この上ない安心感を手にした。
ナトはアダンとビロウの前に立つ。
「アダンさん、このナイフ持ってて」
アダンはナトからマングローブのナイフを受け取る。
「ナト。その……、悪い。ラッカちゃんを守れなくて」
「別にいいです。相手の方が
「ナトはん、ルール破ったということはあんさんは“約束”を破ったということや。――宝神具の罰が来るで」
「もう覚悟は済んでますよ」
「そやな、ほな、キバれよ」
ビロウは軽く手を振ると、ナトも手を振ってそこから離れた。
「商人! なんで軽いんだよ! もっと深刻になれよ!」
「こう見えてもワイは深刻に考えとるんや」
「考えてる? 何を!」
「神サマの罰や。神は等しくヒトに罰が下されるのか、哲学みたいの考えとるんや」
ゆっくりとじっくりと歩いたナトはシーズの前に立ち止まった。
「シーズさん」
「なんだいあらたまって」
わかっていた。シーズにはわかっていた。
――これからナトが何をするのか、いや、何をしなければならないのか。
それを思うだけで唇が奮える。鼻息が荒くなる。顔面が綻ぶ。
しかし、今はまだ
――ナト君がそれをしてからが、僕の喜びは完成する。
シーズは待つ。それでも内心、勝利の美酔にクラクラになるのが待ち遠しかった。
……ナトは何度か視線を動かした後、それを口にした。
「ボクは負けを認めるよ」
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