第34話 これがおれたちの決勝戦2

「間もなく、決勝戦、入舟高校対鬼界高校の試合を行います。出場選手はスタート地点に集合してください。観客の皆様はお早めに観客席につかれますようにお願いいたします」


 選手の集合を告げるアナウンスが流れ、おれたちは立ち上がる。もちろん、全員オレンジ色のレーシングスーツに身を包み、いつでも走る準備を万端に整えている。


「泣いても笑っても、オレたち全員でのレースはこれで最後だろう」


 エンツォが神妙な面持ちでいうのを、おれは苦笑いで受け流す。


「最後って、ずいぶん大げさな……」

「いや、パヤオ君。三年生のエンツォはこの夏の大会で引退だからね。このメンバーでのレースはこれが最後になるよ」


 コウバン先輩の言葉におれもアカネも冷や水を浴びせられたような顔でエンツォを見た。そんな話は聞いていなかったのだ。いや、もちろん普通に考えれば受験などの進路のことを考える時期でもあるから、当然といえば当然なのだろうけれど、エンツォに関していえばハントラのために、三年間も山籠もりした経歴を持っていた。そんなエンツォがクラブを引退するということ自体、なぜか現実味を感じられなかったのだ。

 しかし、エンツォはいたって真面目な顔で「その通りだ」とコウバン先輩を肯定する。


「それじゃあ、わんわたしきゃたちは余計に負けるわけにはいかんちば」

「そうだね! エンツォの花道を勝利で飾らなきゃ!」

 しかし、アカネもカオルも気負う様子はなく、それでも気合十分といった様子で両手にこぶしを作った。

「なんなら、アタシに出番回さなくてもいいんだからね!」

 今回、第四走者になったテイブン先輩もさっきまでの不安な様子とは打って変わって軽口をたたく。シングル一つとタンデムで勝てば、そこで勝ちが決まるのだ。


「そうだ、レース前にみんなで円陣組みましょうよ」

 おれがいうと、皆頷いて、誰からともなく肩を組んで小さな輪を作る。おれもその円陣の中で皆の顔を見渡した。うん、今日はヘルメットかぶってる人はいない。

「よぉし! オレたちのハントラ魂、大いに見せつけてやるぞ。準備はいいな!」

「おおぉっ!」

 全員の雄叫びが一つになって、この試合会場の空にまで届く。おれたちは負けられない。

 エンツォのためにも、そして敗れた大熊や浪工の選手たちのためにも。


「決勝戦、第一走者。入舟高校、加藤君。鬼界高校、木慈君」


 すっかりレースの準備も整い、スタート地点に集まったところで、場内アナウンスが流れた。観客席からは「鬼界、鬼界!」と鬼界高校を応援するコールが繰り返し聞こえてきていた。地元にもかかわらず、おれたちは完全にアウェイに押しやられていた。


「しっかりやれ。コウバン。さっきもいった通り、お前はお前の仕事をしてくればいい」

「わかってるよ」


 エンツォのアドバイスに頷きながらコウバン先輩はヘルメットを着用し、グローブのファスナーベルトを締め、スターティングゲートについた。

 やや遅れて、鬼界高校の木慈がゲートに着く。それだけで会場からどよめきが起こる。

 二人の準備完了の合図を待って、スタートシグナルにランプが点灯し、カウントが始まった。


「行けぇ! コウバン!」


 ブルーのシグナルと同時にカオルの叫ぶ声が響く。それも一瞬のうちに会場からの大歓声の中にかき消えた。

 コウバン先輩はいつも通りのフロントフォワード。コーナリングよりも直進安定性を重視したスタイルだ。

 スタート直後の第一コーナーを先にクリアすると、一気にトップスピードまで加速して、最初のヘアピンコーナーへ突っ込む。

 鬼界高校の木慈はそのやや後ろをついていきながら、コーナリングでコウバン先輩を差すタイミングをうかがっているようだ。

 コウバン先輩はまるで後ろに目がついているかのように、木慈の動きに合わせて進路をブロックしながら、第一ヘアピンをクリアし、すぐさま加速体勢に入る。木慈もコーナリングで推進力を得て一気に加速すると、すぐさまコウバン先輩に追い付く。

 第二コーナーのブレーキング勝負で木慈がインから抜くと予測していたかのように、コウバン先輩はややアウト側にラインをとって曲がると、すぐさま加速してコーナー出口で木慈とクロスするようにもう一度抜き返す。

 立ち上がりはほぼ同時だったが、足で蹴って加速する分、コウバン先輩が加速ゾーンでわずかに先行する。すぐ後ろで小さく蛇行するように、木慈がオーバーテイクのチャンスをうかがっている。


 おそらく、次の第三ヘアピンコーナーで木慈は勝負にくるはずだ。

 おれは呼吸をするのも忘れ、二人を映すモニター画面に見入っていた。

 そして第三ヘアピンの進入直前。

 コウバン先輩は大きく体勢を沈ませると、まるでジャンプするかのように、大きく体を前方に投げ出した。

 その瞬間、後ろ手に握っていたハンドル側の車輪が大きく弾むように地面を離れ、台車が前方につんのめるように傾いた。


「危ない!」


 おれは無意識に叫んでいた。転倒すれば即失格だ。


 しかし、モニター画面の中のコウバン先輩は転倒するどころか、台車の後輪を持ち上げたままをして見せたのだ。


 そのまま最小半径でコーナリングすると、また後輪を着地させてすぐさま、加速姿勢に戻る。そのコウバン先輩の後ろに木慈がぴたりとついていた。第三コーナーを抑えたのもコウバン先輩だった。


 カースタントでも見ているかのようなコウバン先輩のライドに、会場内もざわめいていた。


「なんですか!? 今のコウバン先輩の動き!」

「ストッピーターン。類まれなバランス感覚と転倒を恐れない精神力を身につけたものにだけが会得できる技。この技を使えるハントライダーは日本でもわずかしかいない」

 つうか、そもそも絶対数が少なすぎだし、ハントライダーの。でも、たしかにあのターンのインパクトはかなりでかい。

「ストッピーターンは自在コマが前輪になるフロントフォワードの専売特許だ。コウバンがフロントフォワードにこだわるのはそのためだ。ストッピーは決してスピードのあるターンではない。しかし、後ろのライダーにとっては突如目の前に壁が現れたのと同じような印象を受け、つい加速の手を緩めてしまう。それにカービングターンでは地面すれすれまで体を倒し込むが、そんなターンであの浮き上がった台車の下をくぐろうとは思わないだろう」

「でも、いつの間に……」


 以前の大熊とのレースではストッピーターンは使っていなかったし、練習でもコウバン先輩がストッピーターンを実践しているところは見たことがない。


「控えめな性格だからな、コウバンは。練習は部活後にひそかにやっていた。それが完璧に身についたのは、ちょうどお前たちがあのスロープ特訓をしている最中だ」


 おれたちが悪魔の道デビルズウェイ攻略のための特訓をしている間に、コウバン先輩は別の方法で、先輩なりの必殺技を習得していたのだ。

 そして、ストッピーターンが決まったことで、会場の空気も変わりつつあった。

 それまで、鬼界高校一辺倒だった声援が、コウバン先輩にもむき始めた。

 観客たちはよりエキサイトするレースを求めているのだ。


 もし、このまま、次のカーブも抑えられれば、悪魔の道デビルズウェイでオーバーテイクするのは容易ではない。それに、鬼界高校は加速に難があるというジョージの情報が正しければ、ヘアピンカーブを抜けた緩やかな右コーナー。一気に加速できるコウバン先輩が有利だ。


「先輩! もう一度ラインをブロックして、ストッピーターンだ!」


 モニターにむかっておれが叫ぶ。それに呼応するかのように、コウバン先輩が深く体を沈める。大きく体を弾ませて再び前輪で逆立ちするようなコーナリングをして見せたとき、コーナーの最もアウト側を鬼界高校の木慈が身体を大きく寝かせるカービングターンで抜けていく。


 第四コーナーの内側には側溝がある。

 極端なイン攻めは自滅になりかねない。ならばコウバン先輩のとったラインがベストだ。おまけに、大きく後輪を持ち上げて感覚的なブロック範囲はより大きくなっている。

 例え、大外のラインをキレッキレのカービングターンで曲がったところで、立ち上がりの加速でならコウバン先輩のほうが有利。

 このコーナーも先輩の勝ちだ。

 そう確信していた。


 しかし、次の瞬間。おれたちは意表を突かれたように、茫然としてモニター画面の映像を追っていた。


 木慈が美しい弧を描いて大きくカーブをしたあと、右足を台車から外し、二度、三度と地面を蹴って加速をしたのだ。そして、長く緩やかな右カーブでコウバン先輩に追い付くと、悪魔の道デビルズウェイの入口の直角コーナーを併走して走り抜け、次の連続ヘアピンでコウバン先輩のインをついて、いとも簡単に抜き去っていった。そこで勝負は決していた。


「ただいまのレースタイム。入舟高校、加藤君。1分20秒33。鬼界高校、木慈君。1分19秒61。鬼界高校、木慈君の勝利です。」


 観客席から鬼界高校の勝利に歓喜する声と同時に、あと一歩及ばなかったものの、力走を見せたコウバン先輩への惜しみない拍手が沸き起こっていた。


「くそ、あと一歩だったのに……!」


 おれは握っていた右手で左の掌を打つ。隣にいたアカネも悔しそうに下唇を噛んで口許を引き結んでいる。


「しかし、コウバンは与えられた使命を見事果たした」

 次のレースの準備をしながらエンツォが落ち着いた様子でいう。

「まず鬼界の奴らが『足を使って加速できる』ということを証明した。大熊の奴らには見せなかった奥の手を引き出させたのは大きい」

 そういえば、ジョージは鬼界は加速できないことが弱点だといっていたが、そうではないということを明らかにしたのだ。

 もっとも、それはあくまで、おれたちにとって不利な条件の追加でしかないものの、知っていると知らないとでは、戦略に差が出るのは明らかだ。

「しかも、そこまでさせておきながら、タイムでは前のレースより二秒も遅れている。つまり、奴らがスピードに乗れるのはコース前半だということ。そこを確実に抑える」


 エンツォがヘルメットをかぶると同時に、場内アナウンスが流れる。


「決勝戦、第二レース。入舟高校、笛鳴君。鬼界高校、百々君」


 会場内を覆う声援の中、台車をリアフォワードに構えると、そこに右足を乗せてエンツォが振り返りざまにいった。


「そして、きけ。この場内の声を。あれほど鬼界高校一辺倒だった声援のなかに、オレたちを応援する声がどんどん増えてきているだろう」

「ほんとだ……」

 アカネが観客席を見上げてつぶやく。鬼界を連呼するコールに混じって、入舟高校の名を呼ぶ声が増えてきていた。

「次のレースでオレが奴らに勝って、観客どもの心をガッチリつかんできてやる。次に走るお前たちは、しっかりとその声に応えてやれ」


 そういうとエンツォはスターティングゲートへと向かう。

 その後ろ姿を見送りながらおれは不思議な感覚にとらわれた。この姿を昔どこかで……

 そうか。この感じ。初めてエンツォと出会ったあの時とおんなじだ。まるで地球を救うべく宇宙に旅立つヒーローのように、不思議とおれたちに安心感を与えてくれる、この感じがエンツォの持つ力なんだ。


「そうか、だからエンツォなんだな……」

 おれのつぶやきにアカネが不思議そうに「何が?」ときき返す。おれは小さく首を振って「なんでもない」とだけいって、我が荷車検査部の部長のスタートの時を静かに見守った。

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