第15話 これがおれの初体験!?
「僕とテイブンが一年生の時の夏休みだったな。エンツォの発案で今回みたいに突然、大阪に来ることになった」
「それはいいんですけど、コウバン先輩が失格って一体なにが?」
「気が早いな、パヤオ君は」
短い笑い声をあげるコウバン先輩。いつもにこにこしている先輩だからつい踏み込んでしまったけれど、考えてもみれば、自分のせいでチームが負けたのならば、本当なら人に話すことすらも苦々しく思っていてもおかしくない。
「まあ、結論からいえば、僕が相手の選手をぶん投げて失格になったんだ」
「ぶん投げて!?」
驚きのあまり大声を上げたおれに、周りの客が好奇の眼差しをむけた。おれは思わずあごまで湯につかり、声のトーンを落とす。
「コウバン先輩が相手をぶん投げたって、ちょっと信じられないんですけれど……」
コウバン先輩はうーん、と小さく唸った。何をどう話せばいいのかを困っているようだ。すると、背後から周囲のざわめきより一段高い声が耳に届いた。
「高校に入ったばかりのコウバンは一匹狼を気取って、そりゃあガラの悪い生徒だったわよ」
さっきまでサマーベッドで横になっていたはずのテイブン先輩が、おれたちの背後にいた。この人、必殺仕事人なのか? コウバン先輩は苦笑いを浮かべている。
「一匹狼って……僕はただ友達が少なかっただけ」
「えぇ? ボクは一年のとき同じクラスだったけれど、コウバンの素行の悪さはなかなかのものだったよ」
気づくと、いつの間にかカオルも花咲里さんと手を繋ぎながら展望風呂にやってきて、エンツォ以外の全部員が集合していた。
おまけに、テイブン先輩がこっちに来たおかげで、周りから人がいなくなり、スペースが広くなったので、みんなで並んでのんびりとお湯につかることができた。わぁ、予想外に楽しいぞ。
「それにしても、コウバン先輩のガラが悪かったなんて想像もつかないんだけど」
おれの問いかけに、てのひらを上にしてカオルが首を振った。
「掃除をさせればモップを絞らずに床を拭いてびしょびしょにするし、音楽室の作曲家の肖像画に画鋲を刺して目を光らせる。あと、アリの巣を瞬間接着剤で埋めたり、ひどいときは犬の糞に爆竹仕込んで爆発させたり……」
小学生か! どんな悪いことをしたのかと思えば、全部いたずら好きのガキンチョのやることじゃないか!
「はげー、アリの巣を埋めちゃったらアリさんっちば、どうなってしまうんでしょう?」
なんで花咲里さんはアリの心配してんだよ! たぶんどこか別の場所にまた穴ほってるよ! アリなんだから!
「まあ、僕の話は置いておこうよ。それで、どうして僕が失格になったかというと、僕は彼らのその策略にはまってしまったんだ」
「策略?」
「そう。彼らが指定してきたコースは公園の中だろう? 当然、一般の通行人も多い。そんな中を台車で走る僕たちは、キャスター付き椅子で走る彼らと比べてかなり不利だ。なんといっても、彼らはどの方向にも自在に椅子を動かせるんだからね」
「そういえば、おれたちがレースするときにはコースに人が入らないようにしますもんね」
「台車では乗りながら自由自在に方向転換はできない。彼らは自分たちに有利な人ごみであることを利用して、僕が前に出る進路をブロックしていた。それにヤキモキした僕が先行していた椅子部の選手の背中につい手をかけてしまって、その拍子に相手の選手が転倒したんだよ。まあ、ぶん投げた、というのは後で尾ひれがついて大きくなった表現だけどね」
「それで反則負けってことですか?」
「その通り」
コウバン先輩は両手を顔の高さに掲げ、お手上げのポーズをとってみせた。それを見て花咲里さんは納得がいかない様子できき返す。
「でも、それっちば、相手の人が先輩たちを陥れたんですよね?」
「ルールを破っていない限り向こうに非はない。むしろ、僕の行為をエンツォに咎められたぐらいさ」
「あのとき、エンツォから『罰ゲームだ』っていわれてたよね。それ以来、コウバンはすっかり性格が大人しくなったんだけど、どんな罰を受けたのかは未だに教えてくれないの」
カオルがコウバン先輩を横目で見て笑った。素行不良だったコウバン先輩の性格を変えるほどの罰って、一体どんな恐ろしい仕打ちを受けたんだ?
「つまり、今回の勝負は、車検にとってのリベンジマッチっちゅうことですか?」
「そういうことだね。気になるのは、どうしてエンツォが去年と同じ公園内でのレースを受けたのか……」
「もちろん、思いあがっているやつらを叩き潰すためだ」
「エンツォさん!?」
頭上から声が降ってきたかと思えば、そこには腰にタオルを巻いたエンツォが仁王立ちしていた。花咲里さんが、見てはいけないものを見てしまった、とばかりに両手で目を覆う。
「え、エンツォさん!? その恰好……」
「心配無用、穿いている」
わかってますから。
「それよりも、叩き潰すって、去年はそれで負けたんでしょう?」
「コウバンが余計なことをしなければ負けていたかどうかはわからん」
「だからって同じ条件だと、不利であることには変わらないんじゃ……」
おれがそういったところで、エンツォは唐突に「飯だ」と一声発して、踵を返して展望風呂から出った。扉のところでもう一度おれたちのほうを振りむいた。
「早くしろ。飯に行くぞ」
全く、とんでもないマイペース男だ。なんでみんながこの男についていくのだろう。謎だ。
結局、おれたちは温泉施設を出ると、その近くの串カツ屋で昼食をとり、ぶらぶらとその界隈を散策することにした。
「ねえ! ここ動物園だよ! 行ってみようよ!」
カオルはチェック柄のプリーツスカートの裾を翻し、飛び跳ねるように動物園の入園ゲートまで駆けていく。エンツォも反論する様子もなく、その後を悠々と歩いていくので、その場の流れで動物園に行くことになった。
「ボク、爬虫類が見たいな! いいでしょ、エンツォ!」
入場ゲートをくぐったカオルは、一団の先頭に立ち、後ずさりしながら後ろ手に組んでエンツォに同意を求める。見た目とのギャップがありすぎるチョイス! そこはせめてコアラとかのもふもふ系にしようよ! 女の子モードなんだから。
「まずは、ぐるっとひと回りしてみようか?」
コウバン先輩の提案でおれたちは園内をまわる。この動物園では檻の中で飼育している動物を展示するのではなく、より本来の生活環境に近い状態、いわゆる生態的展示になっていて、広大な敷地内にキリンやシマウマなどがのんびりと行きかっていた。
ちなみにカオルは最初に爬虫類館に入ったっきり、一時間たってもそこから出てくる気配はなかった。
「飽きた」
いくらもしないうちに、エンツォは休憩所に腰を下ろした。
「お前らで適当に見て来い」
「じゃあ、僕とテイブンがエンツォを見てるから、パヤオ君とアカネちゃんで適当に見て回ってくるといいよ」
コウバン先輩のお言葉に甘えて、おれは興奮冷めやらぬ様子の花咲里さんと残りのスペースを見て回ることにした。
花咲里さんの地元には動物園がなかったらしく、なににつけても新鮮な驚きがあるようで、鳥がいたら「見て、鳥! 鳥がおるよ!」、猿山を見れば「ほら、お猿さん! 可愛い!」、野良猫が横切れば「はげー! 見て、猫! 猫は檻に入っとらんよ!」と、ずっとこんな調子。とにかく楽しそう。
「ねえ! ライドウ君、見て! 夜行性動物舎っちば書いとるよ! 行ってみよう」
しかし、夜行性動物舎に入った途端、花咲里さんのテンションが急一気に降下してしまった。顔を伏せたまま動く様子がない。
「どうしたの、大丈夫?」
「あ、あの。
夜行性動物なんだから暗いに決まってるじゃん! もう、なにやってるんだよ……
「どうしよう? 入口のほうから出る?」
しかし、花咲里さんはふるふると首を振る。ボブカットの髪がサラサラ揺れた。
「だって、珍しい生き物見る機会っちば、滅多にないから見たいし……あの、ライドウ君……て、手を繋いでもらっても……いい?」
そういって花咲里さんはその大きな愛くるしい瞳で上目遣いにおれを見た。
手を繋ぐ! おれと!!
内心は「喜んで!」と飛び跳ねそうなのを、
「お、おう。別にいいけど……」
と、クールぶって右手を差し出して、ぷいとそっぽをむくおれ。なんでこんなところで格好つけてんだよ。おれ、マジ馬鹿。
でも、花咲里さんはほっとした様子で、そっとおれの指先をつかんだ。
おれの胸がトクンと一度大きく跳ねた。
それはおれにとって、物心がついて以来初めて、女の子と手を繋いだ瞬間だった――もちろん異性の。
まあ、手を繋ぐといっても、彼女がおれの中指と人差し指あたりをちょこんとつまんでいる程度だけれど、それでも、その柔らかな感触は、今この動物園の全てのもふもふ生物を集めて触ったとしても敵わないはず!
そう、おれは今、檻の中のオオワシよりも高く舞い上がっている!
「あぁ、どれも可愛かったぁ」
夜行性動物館を出るなり、ふふっ、と含み笑いする花咲里さん。でもおれは夜行性動物なんて、これっぽちっちも見ていなかった。おれはずっと、ケージを見つめる花咲里さんの横顔に見惚れていたのだ。
そろそろエンツォたちのところに戻らないと、と思ったところで「あの、ライドウ君……」という遠慮がちな花咲里さんの声。
「どうしたの?」
「その……もう手、大丈夫だから……」
おれは自分の右手を見遣る。いつの間にか、指先だけを繋いでいたはずの手は、しっかりと彼女の手のひらを握っていた。
「ご、ごめん! 暗かったからつい、力が入っちゃったのかな?」
下手な愛想笑いでごまかして、おれは掴んでいたその手をパッと離す。やべえ、また寒いやつとか思われたかも。
「い、いえ。
これは、セーフ……かな。
「う、うん。じゃあ、みんなのところに戻ろうか」
「そうですね」
回れ右をして、みんなが待っている休憩所まで戻ろうとしたところで、またも、「あの!」と花咲里さんに呼び止められた。
「どうしたの?」
振り返ると、花咲里さんは元の場所で立ち止まったままだ。
「ライドウ君っちば、カオルちゃんと仲、いいでしょ?」
「カオルさんと?」
こくんとうなずく花咲里さん。まあ、いいというか、おれのほうがカオルのおもちゃにされているというか。
「まあ……部内では一番、仲がいいと思うよ」
おれがそういうと、花咲里さんはもじもじとして目を伏せた。
「あの、ライドウ君。変に思わんで欲しいっちゃけど、
花咲里さんの語尾がどんどん小さくなって消えそうな声で、口の中でもごもごと何かをいっている。ただでさえ声が小さいので、ほとんどききとれない。
でも、その様子におれは直感してしまった。
たぶん、花咲里さんはカオルさんのことが好きなんだ。
まあ、そりゃあそうか。女の子モードのときは可愛い女友達みたいだし、ノーマルモードでも超がつくほど美少年だもん。今日もプールで花咲里さんとカオルはずっと一緒だった。
でも自分から直接、好きといいにくい。だから、カオルと仲のいいおれに間を取り持って欲しいってことなんだろう。
……ちょっと残念、だな。
おれは右手の指先に視線を落とした。さっきの柔らかな感触がまだ残ってる。まさか、そんな状態で、フラれてしまうとは……まあ、別に告白したわけでもないけどさ。
それにしても、カオルのときといい、花咲里さんといい、つくづく女運ないな、おれ……
小さくため息をついて、おれは乾いた笑いを漏らす。
「うん……おれでよかったら。カオルさんには、それとなく伝えるようにするよ」
「ほ、本当に!?」
花咲里さんはその名前の通り、ぱっと花が咲いたような笑顔になる。なんだか、ちょっと寂しいけど、花咲里さんが喜んでくれるなら力にならなきゃ。なんといっても、彼女はおれがまともに会話できるたった一人のクラスメイトなんだから。
そのとき、園内のスピーカーからお知らせのチャイムが鳴ったかと思うと、間延びした女性の園内アナウンスが聞こえてきた。
「まもなく、午後五時をもちまして、当園は閉園時刻となります。またのご来場をお待ちしております」
うわ。もうそんな時間だったんだ。早くみんなのもとに戻らなきゃ。
「そろそろ行こう、みんな待ってるはずだから」
「うん」
おれたちは二人して駆け出した。ところで、何かとても大切なことを忘れている気がするんだけれど、なんだろう。
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