第14話 これが噂の混浴温泉!?

「騙された」


 くすんだ黄土色のタイル張りの外壁のビルを前にしておれは、失望の声をこぼす。目の前には大きな筆文字で『ビジネスホテル にしまつ』と小汚い看板が掲げられており、そのホテル入口の脇には、普通のホテルではまず見られない『特価 1,800円より 冷暖房、テレビ完備』と書かれた料金案内。


「どうだ、安いだろう?」


 いや、安いけれども! 

 これはどうみても混浴の温泉宿ではないでしょ! むしろ、簡易宿泊所じゃないか!

 しかし、その外観に臆する様子もなく、エンツォは古めかしいガラスの自動ドアをくぐって、フロントらしき小さなカウンターの小窓を覗く。おれたちもためらいながらも、エンツォの後に続く。本当に大丈夫かよ……


「はい、いらっしゃい」

 愛想の良さそうなおばさんが応対に出る。ヘアスタイルはゆるーいアフロみたいなもじゃもじゃヘアで色はうすい紫色だ。アニメの世界でしか見たことないぞ、こんな髪の色! もしかして、大阪ではこれが普通なのか!?


「予約のエンツォ・フエナリだ」

 そっちの名前で予約したのかよ!

「六人で予約のエンツォさんやね。あら、お客さん、日本語ペラペラやん、えらいもんやなぁ」

「そうだ。ペラペラだろう」

 わはは、と豪快に笑うエンツォ。褒めてねえよ。おばさん、エンツォのことを外人と勘違いしちゃってるだけだよ。

 トイレやシャワーは共同で、洗面所も学校の手洗い場のように、廊下にステンレスの細長い流し台に蛇口がいくつも並んでいるやつだ。

 部屋に入ってさらに驚いた。三畳間に、布団と小さな液晶テレビがあるだけという、留置所みたいな部屋だった。どこをどうツッコめばいいのかわからず、ひくひくと顔を引きつらせていると、コンコンとドアがノックされた。


「パヤオ君! エンツォさんがお風呂行くって!」


 カオルのテンション高めの声が響く。壁が薄いのだろうか、外の廊下の声がまるきこえだ。ドアの隙間から廊下を覗き見ると、カオルと花咲里さんが小さなバッグを手にして立っていた。


「お風呂って、ここ共同のシャワーしかないじゃないですか?」

「ここから少し歩いたところに大きな温泉施設があるんだ。水着のままでみんな一緒に入れるんだよ!」

「そうなんですか!?」

「うん。エンツォたちは先に行ったみたいだよ」


 おれは置き去りかよ!


「す、すぐ用意するから下で待ってて!」

 部屋の中にとって返し、カバンの中身をぶちまけ、水着やタオルをビニールバッグに詰め込むと、おれは階段を駆け下りた。ホテルの玄関でカオルたちと合流すると、一緒にその温泉施設とやらにむかった。



「で、でけえ。この建物の中、全部お風呂なの?」

 広い階段を上った先、エントランスのど真ん中で高い天井を見上げながらおれは驚嘆した。その建物の圧倒的な存在感は、温泉施設というよりも、ホテルのような佇まいだ。

「そう。温泉のほかにプールもあって、混浴温泉はそのプールの延長みたいなものかな」

「はげー! ワクワクしますね! みんなでお風呂に入るなんて、わんわたし初めて!」

 花咲里さんが興奮気味に握った両手を上下に振った。そりゃそうでしょうとも! おれもいろんな意味でワクワクしてる! 男と女が混じって入浴すると書いて混浴ッ! まさか男の夢がこんな形で実現するとは! 水着だけど!

 逸る気持ちおさえて、努めて冷静を装いつつ、受付をするためにカウンターへむかう。


「あ、あのぉ……男性お二人と女性お一人……ですか?」

 受付の女性が困惑しながら、カオルを二度見していた。あ、女の子モードだった。事情を説明してなんとか受付を済ませた。


「じゃあアカネちゃんはホンモノの女の子だからロッカーは別だね。プールにはロッカーから直接行けるみたいだからまたあとでね!」

 そういってカオルは花咲里さんに手を振り、おれと男子用ロッカーに入る。ロッカーにいた誰もがおれたちを三度見ぐらいしていた。さすが女の子モード。ロッカーでカオルと横に並ぶと超違和感。

「もう……恥ずかしいから、あんまりこっち見ないでよ。パヤオ君のえっち……!」

 うおぉー!! 男子の憧れの台詞、いただきましたあっ! って、あんた男だろうがっ!!

 そうツッコみつつも、よく考えたら、おれも初めてカオルを見たときには、女の子だと思ったし、普通に可愛いと思ったし……いかんいかん、がっつり意識してるじゃん!


「お、おれ……さ、先に行ってるから!」

 おれはカオルから視線を引きはがすと、さっさと水着に着替えて、プールの入口にむかった。……やや前かがみ気味で。


「おお、広い!」

 ゆうに六メートルはある高い天井の屋内プールは周囲が全面ガラス窓の開放感抜群の作りになっていた。休みのためか、プールはそれなりに込み合っていて、よく見ると右も左もカップルカップル……

 おれが盛大に顔をしかめたところで、おれの背後で「おおー」と、ざわめきが沸き起こった。

 振り返った視線の先、大きな円形のプールのど真ん中で、肩からタオルを斜めにかけた顔の濃い男が、右手を顔の前にかざして突っ立っていた。

 間違いない、エンツォだ。

 なぜかそのポーズで写真に撮られまくってる。その風貌は完全に古代ローマの彫刻像だ。


「何やってるんですか!?」

「おお、パヤオ。来たか」

「来たか、じゃないですよ! 置き去りにしたくせに! おまけになんですか、そのベージュ色のブーメランパンツ! パッと見、全裸じゃないですか!」

「安心しろ、穿いている」

 わかってるよッ!

 そんな不毛なやり取りを繰り広げていると、背後から「お待たせ~!」と、きらきらのラメの入りような甘い声が響いた。おれの周りにいた何人かがにわかに色めき立ち、遠慮のない野生の雄のギラついた視線がその声の主を射抜く。


「か、カオルさん! なんて格好を!」

「どうかな?」

 カオルはその場でくるりとターンしてみせた。彼女が身につけていた水着は、白地のベースにピンクの花柄のプリントがあしらわれたホルターネック、いわゆるブラを首と背中でくくるタイプだ。ボトムはフリルのビキニタイプで腰のところが紐でくくられている、俗にいう「紐パン」。これは完全に……ヤバい!


「ちょ! それは、ヤバいですって! 簡単に、ほ、ほどけちゃいそうなデザインじゃないですか!」

「もう、なにいってるのパヤオ君。中身は詰め物だよ」


 自分の胸に手を添えて、愉快そうにけらけらと肩を揺らして笑うカオルをみて、はっと気づく。あまりの美少女っぷりに取り乱したけれど、よく考えたらカオルは男だ。

 すると突然、カオルはニッと妖艶な笑みを浮かべて、おれの右腕にその白くしなやかな腕を絡めた。こんな細い腕をしてるのに、アームレスリングのチャンピオンだなんてとても信じられない。


「あとで、試しにほどいてみる?」

 何いってるんですか! しかも、周囲からとんでもない殺意の集中砲火を浴びてる気がするんですが……誰だよ、いまリア充爆発しろっていったやつ! 絶対訂正させてやるからな!


「カオルさん……あまりそんなこと、人前でいったらダメだりょっと」

 ほわんとした花の香りのような声に振り返ると、カオルの後方にちょこんと控えていたのはスクール水着姿の花咲里さんだった。

 スレンダーなカオルと違って適度に肉付きのある太ももや二の腕、それに制服やレーシングスーツの時にはあまり意識しなかったけれど、胸のボリューム感が……これは、完璧なるわがままフレッシュボディ! そして、ひとたび学校という特殊空間を抜け出た途端に増大されるスク水の破壊力! これは別の意味でヤバい!


「あ、アカネちゃん! 待ってたんだよ! さあ、あっちでボクと一緒に泳ごう! スライダーもあるんだよ!」

 カオルはあっさりとおれをからかうのをやめ、絡めた腕をほどいて、今度はアカネの手を取って、人々の視線を引っ提げて屋内プールに向かった。パッと見、仲のいい女子高生の友達だけど、カオルは男です。つうか、よく考えたら一番のリア充はカオルじゃねえか!

 おれは大きくため息をついて、古代ローマ時代の彫像のようなエンツォを見遣った。エンツォは満足げにうなずいた。


「むこうに展望風呂がある。ゆっくりと旅の疲れを癒すといい」

 まあんたはこの浴場の主かなにかか?

 さっきと違うポーズで、見知らぬ人から写真撮影をされたまま、あごをしゃくって、扉の外を指し示した。一体なにの最中なんだこの人は。

 とりあえず展望風呂へと向かうべく、ガラス扉をくぐる。展望風呂は陽光の降り注ぐ屋外テラスになっていて、そこから大阪の市街地が一望できた。

 湯舟にはコウバン先輩がいた。頭の上に折りたたんだタオルを乗せるトラディショナルスタイルだ。一応確認しますけど、ちゃんと水着は着てるんですよね?


「やあ、遅かったねパヤオ君」

「だって、ここに来るって一言もきかされていませんでしたよ。カオルさんが誘ってくれなかったらおれ、今もまだあの留置所みたいな部屋で一人ですよ?」

「ごめんごめん。エンツォが場所を伝えているものだとばかり思っていたよ。ちなみにテイブンも来てるよ。ほら、あそこ」


 笑いながらコウバン先輩が送った視線の先、プールサイドに並んだサマーベッドにアザラシのような巨大な影が寝そべっていた。赤と白のボーダー柄のタンクトップとショートパンツ姿のテイブン先輩だ。ついさっき刑務所から脱走してきた感がハンパない。混み合う展望風呂の中で、あの人の周囲五メートルにだけぽっかりと空間ができている。

「ゆっくりしたいなら、彼のそばが最高だね」

「そうみたいですね」

 おれはリアクションに困りながらコウバン先輩の横に座った。じりじりと視線を感じるのは、おれにではなく、コウバン先輩にむけられた女性客のものだろう。正直いって、自分にむけられていない視線にさらされるのは気分がいいものではない。


「そうだ、コウバン先輩。ひとつ聞きたいんですけど、あの逢坂太郎というやつが『去年みたいなのはナシや』みたいなことをいってましたよね。去年の合宿でなにかあったんですか?」

 おれの質問に「ああ〜」と気持ち良さげに腑抜けた返事をすると、のんびりとした口調で続ける。

「僕が失格したんだよ。第一走者でね」

「えっ!?」

 おれはとっさにコウバン先輩を見遣った。コウバン先輩は、思いにふけるようにテラスから見える麗らかな春の空を仰いで、言葉を続けた。

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