第13話 これがナニワのイスレーサー
船旅というのは、これはこれで面白いものだった。部屋は八人で貸切だから、みんなでカードゲームなんかをしてちょっとくらい騒いでも平気だったし、甲板で海風を浴びたり、船内探索をして回るのも楽しかった。
ずいぶんと古めかしい雰囲気のゲームコーナーがあって、ユーフォ―キャッチャーのぬいぐるみを見た花先里さんに、
「はげー! これ、可愛いっ! ライドウ君、とって!」
とせがまれたものだから、なんのキャラクターかさえもわからない謎のぬいぐるみに1,000円もつぎ込んでしまった。でも、彼女もすごく喜んでくれたし、きっとおれのヒーロー度もアップしただろうから、そのくらい安いものだ。なんといっても花咲里さんは、おれにとっては唯一まともに会話できるクラスメイトなんだから。もっとも、クラスではお互い気を遣ってあまりしゃべらないのだけれど。
ちなみに、顧問の松元先生はずっとメダル式のパチスロマシンの前を陣取っていて、部屋に戻ってきた形跡はなかった。本当に大丈夫かこの高校……
そして翌朝。
港に着くと、そこから相手が待つという大阪城公園までは地下鉄で移動した。地下鉄初体験の花咲里さんが、無駄に興奮しまくってちょっと恥ずかしかった。
改札を抜け、階段を上がった先、まっすぐ伸びた散策路のむこう、青で塗りつぶしたような行楽日和の空にひょっこりと突き出た大阪城の遠景に目を奪われていると、
「よう来たな!」
と、頭上からハスキーな声が響いた。
意外な方向から聞こえた声の主を探しておれがきょろきょろとしていると、さらに
「ここや、ここ!」
と、苛立った様子で呼びかけられる。
振りむくと、階段のそばにあった石積みのモニュメントの上に、黄色と黒の縦縞ランニングシャツに短パンという、どう見ても一般人ではない珍妙ないで立ちの男が腰に手を当ててて仁王立ちしていた。
その胸には大きく「浪高椅子部」の文字。
あ、これヤバい人だ。
「ひっさしぶりやのう、へっぽこイタリア野郎。相変わらず暑苦しい顔しとんなあ」
「貴様こそ、相変わらずアホな面をしているな」
男は「とうっ」とジャンプするとおれたちを飛び越え、空中でくるりと前方宙返りをして見事に着地を決めた。もしかして、それをするためにあの石積みの上でおれたちの到着を待っていたのか⁉ この人、エンツォ以上の馬鹿なのか!? それとも
「お、なんや。新顔がおるやんけ」
振りむきざま、おれと花咲里さんを視線で舐め上げるようにして、ニヤニヤと薄い笑いを浮かべる。
「なかなか筋のある一年生だ。紹介しよう。パヤオと赤いソニックだ」
人前でパヤオはやめて。ていうか、赤いソニックってまだ有効なの、それ!? エンツォはおれたちを簡単に紹介すると、今度は黄色の縦縞の男のほうへ視線を送る。おれたちの視線も自然とそれを追った。
ツンツンに立てた短髪といかにも気の強そうな一重の吊り目。薄く笑うくちびるから八重歯が肉食獣の牙のようのぞいている。
「彼が浪速工業高校事務椅子競技部キャプテン、浪速のブルドーザーこと『
なんだってー!!
大阪に来て相手の名前がオーサカタローとはベタ過ぎる! 市役所の申請書の見本かよ! 妹の名前は花子に決まっている! というか通り名がダサい!
「よろしゅうな。あ、ちなみに「おおさかたろう」とちゃうで、「あふさか」や、あふさか。由緒正しい名前やからな。そこんとこ間違えんなや」
あ、心読まれた。でも、正直どっちでもいい。
「それで、アンタのほうがパヤオで、そっちの彼女が赤いソニックか。なんや、パヤオってへなちょこな名前やな。それに引き換え、ソニックはかっこええ。速そうや!」
ブルドーザーにいわれたくない。というか、初対面の人に対して失礼すぎないか、この人。おれは少しむっとして、いい返した。
「別に名前で走るわけじゃないですから、ブルドーザーさん」
エンツォの受け売りだけど、その通りだ。だいたいその名前だっておれが好き好んで使ってるんじゃない。
「はっ。おもろいこというやんけ。ただの強がりにならんかったらええけどな。まあええ。どのみち、ワイらとの勝負ではっきりすんねんからな」
ブルドーザー太郎はずいっとおれと間合いをつめると、あごを突き出してツンととがった目でおれを下目に睨みつけた。くっ、これが大阪ヤンキーのガンくれ勝負ってやつか。おれも負けじとやつから視線を外さずに、精一杯虚勢を張って睨み返す。その状態でたっぷり十秒間は対峙していた。と、ブルドーザーが口許をかすかに緩めた。
「はっ、ええ根性しとるやないか。気に入ったでパヤオ」
そういうとおれから視線を外して、振りむきざまエンツォに呼びかける。
「おい、スパゲッティ野郎」
「なんだ、たこ焼き野郎」
「レースは今日の午後五時から。この先にある噴水の北側、市民の森の周回コースや。それまで、せいぜい最後の悪あがきでもしとくんやな」
逢坂はそういいながらエンツォに近づく。
「まあ、去年みたいなんはナシで頼むで」
すれ違いざまにエンツォの肩に手をかけ「ひゃっひゃっひゃ」と、のどが裏返ったのかと思うほど、奇妙な発声の笑い声を高らかに響かせて、地下鉄の階段を下りて去っていった。もしかしてあの格好で電車に乗るのか? つうか、なんだよアイツ。感じ悪い。
「と、とりあえず、コースの下見だね」
空気を変えるようにカオルがいった。心なしか、立っている距離が遠い。まるで対岸の火事を眺めるようだ。関係者なんだからもうちょっとこっちに近づいてもらえませんでしょうか?
おれたちは逢坂がコースだといっていた公園の噴水前まで移動する。かなり大きな円形の噴水で、周りはアスファルトの舗装路で囲まれている。歩道にはベンチも設置してあり、朝っぱらから散歩をしている老人や観光客が目に付いた。
噴水の北側は道幅の広い舗装された散策路で、中心にある森をぐるりと囲む卵型になっていた。ちなみに、今回はこの散策路のコースを時計回りに周回するらしい。
噴水前で歩道と周回コースが交差するが、縁石はなだらかなスロープ状になっていて段差はなく、台車なら問題なく通過できたが、森に近い内側の路面はところどころアスファルトが割れている。とはいえ、ここも台車のキャスターならば走行に支障はなさそうだった。周回コースの半分を過ぎた地点で、再び歩道と交差して、その先のアスファルトの道は広くて走りやすかった。あえて難をいうならば、通行人が多いことだ。こんな馬鹿げたレースに占有許可など取れるはずもないだろうから、他の通行人がいる中でのレースになる可能性は高い。
コースは一周約800メートル。下見で軽くライドしたときは約四分弱かかった。もちろん、ウォーミングアップ程度なので、レースをするならばもう少しスピードを出す必要があるけれど、それでも坂を下るハントラよりはゆっくりな印象。
各自がコースを確認した後、噴水前でエンツォが招集をかけた。
「今からハントラ対
「三人チームってことは、カオルさんも走るんですか?」
「その通りだ。カオルも平地の周回なら問題ないな」
「大丈夫だよ」
エンツォは了承したようにうなずいた。
「ライダーが交代ができるのは噴水前のピットエリアのみだ。ここ以外で台車から降りたり、走行不能になった場合は
そういうと、エンツォはサインボードを取り出した。A2サイズのプラダンでできた簡易なものだ。
「ピットから交代の指示をするときは、このボードに『PIT IN』と張って知らせる。それを確認したら、ライダーはこの交代エリアに戻れ。ライダーが交代を要求するときはハンドサインを出せ」
そういうとエンツォは手を開き、小指と中指を折りたたんだ。それ、グワシのポーズだ。
「このサインを出した次の周回で交代だ。ライダーはサイン後に一周まわる必要がある。体力ギリギリになる前に交代のサインを出すんだ、わかったな」
全員がそろった返事をする。こういうところは部活っぽい。まあ、一応部活だけど。
一通り説明を終えたエンツォは腕時計に目を落とす。昼飯にはまだ少し早い時間だ。
「よし、温泉に行くぞ」
「え!? 練習とかじゃないんですか? つうか、いきなり温泉って!」
「パヤオ。お前はこんな休日の真昼間に台車乗り回す気か?」
はっはっ、と乾いた低い笑いを漏らすエンツォ。それをあんたがいいますか? 通学も学内の移動も常に台車を乗り回すあんたが。
「宿には早めに到着すると話をつけてある。もちろん、温泉にも入れる。混浴のな」
ん、混浴? マジで混浴ですかっ⁉
「行きます」
ビシっと右手を挙げてエンツォに賛成する。人間、そうそう簡単に煩悩に打ち勝つことなんてできないものなのだ。
というわけで、おれたちはエンツォの案内でいったん大阪城公園から離れ、エンツォが予約しているという宿にむかった。おっしゃあ! 待ってろ混浴っ!
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