第33話 これがおれたちの決勝戦1

「これより一時間の休憩といたします。決勝戦は午後二時三十分から開始いたします。なお、コース整備のためコース内への立ち入りはご遠慮ください」


 場内のアナウンスとともに、どこか張りつめていた空気がほっと緩む。しかし、おれはモニター画面を前にまだ動けずにいた。このあと、あの鬼界高校の異次元レベルの走りと対決しなければならないのだ。


「とりあえず、テントに戻れ。ミーティングだ」


 いつになく真剣なエンツォの声に、おれは重い体を引きずるようにテントへと戻る。部員たちはみな沈んだ面持ちで口数も少なかった。当然だ。あんなライドを見せつけられた後なのだ。

 この重苦しい空気を振り払うようにコウバン先輩が精一杯の明るい声でいう。


「とにかく。僕たちはこれまでの練習の成果を発揮するだけだ。鬼界高校は確かに速かった。でも、必ずどこかに僕たちが勝てるポイントはあるはずだよ」

「でも。あのコーナリング見たでしょ? あんなの初めて見たわよ。だいたい、台車が足にくっついてきているみたいだったわ。どうやったらあんなことができるの?」


 テイブン先輩が興奮気味にまくし立てる。完全にいつもの冷静さを失ってしまっている。しかし、そんなテイブンとは逆に落ち着き払った様子でカオルがいう。


「見てて思ったんだけど、あれは多分ブーツに秘密があると思う。シングルで乗っていたドーリーのほうは、ねじで枠のサイズが調整できるんだ。ブーツの裏側にフックを仕込んで、ドーリーの枠にひっかければ、固定することは可能だと思うよ。台車の構造変更は規則違反だけれど、ブーツは禁止されてないからね」

「同感だ。そして、これはおそらくだが、奴らのドーリーはアルミではなくスチールだろう」


 エンツォがいう。カオルはエンツォのいう意味を瞬時に理解したみたいだ。

「なるほど。それならブーツに強力マグネットを仕込めば、がっちり固定ができそうだね。要するに、あれはスノーボードと同じ感覚なんだよ。ドーリーのエッジに乗ってターンしてる」

「……その通りだ」


 その声はおれの背後から飛んできた。いつの間にかおれの前に大きな濃い影が落ちている。もしかして……そう思って振り返ると、そこには大熊高校のジョージが立っていた。


「ジョージさん!?」

 驚くおれと対照的に、エンツォは怪訝な様子でその巨大な影を見上げながらいった。

「何しに来た?」

「ふん、ずいぶんな挨拶じゃねえか。お前たちもさっきのレースを見ただろう? 俺たち大熊の精鋭部隊が手も足も出なかったあのレースを」

「ああ、全く無様な負けっぷりだったな」


 なにも敗者にそこまでいう必要ないんじゃないの? しかしエンツォはくちびるをわずかに吊り上げる。


「だが安心しろ。貴様らの雪辱はオレたちが果たしてやる」


 エンツォの言葉に、おれもテイブン先輩も、コウバン先輩でさえはっとしていた。


「不思議なものだな。敵だと思っていたお前たちが、俺たちの雪辱を果たすとはな……」

「勘違いするな。ハントラの負けはハントラで返すまでのこと」

「ふっ、いいだろう。さっきのレースで俺たちが知りえた奴らの弱点となる情報がある」

「弱点!? あいつらに弱点があるっていうんですか?」

「そうだ。来道シュン。不死身の英雄アキレスが踵を射られて死んだように、いかに無敵を誇ろうとも、必ずどこかに弱点があるもの。そこを狙い撃て」


 なんだ、この無駄にかっこいい名言みたいなのは! ジョージってそんなキャラだったのか?


「それで、ジョージさん。やつらの弱点っていうのは!」

「そう、弱点というのは、ずばり……」


 突然ジョージの身体が支えを失ったように前のめりに崩れ落ちた。ずしんと大きな音とともに、砂埃が舞い上がった。ジョージは地面に突っ伏したまま、身動き一つしなくなった。


「ジョージさん、どうしたんですか! しっかりして! 全然ずばりいえてませんよっ!」


 ジョージのそばに膝をついたおれは、その地面が真っ赤に染まっているのに気が付く。

 もしかして、これって……血?


「た、大変だ。救急車、救急車を呼ばなきゃ!」

「慌てなくても大丈夫だよ」


 聞きなれない声がテントの外から聞こえてきた。地面を踏みしめる音が一歩、二歩とおれたちのテントへと近づいてくる。やがて、その足音の主は立ち止まると、倒れているジョージの上に足をかけた。


「だ、誰ですか?」

「鬼界高校、台車ライド部、ドーリーライドチームキャプテンの百々ももだ」


 そこに立っていたのは、コウバン先輩に勝るとも劣らないイケメン男子だった。

 明るめの茶色に染めた髪と、きりっとした目許。コウバン先輩がソフト系柔らかイケメンだとするならば、百々はクール系かっちりイケメンだ。でも、その瞳の奥はコウバン先輩とは比べ物にならないほど、深い闇が満ちていて、見つめているだけで、その瞳がぽっかりと大きな穴になって吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えてしまう。


「次のレースの前に挨拶をと思ってね。君が入舟高校荷車検査部の部長の笛鳴円造君だね」


 そういって握手を求めエンツォに右手を差し出す百々。しかし、彼の左足はまだジョージの背中の上だ。


「その前に、その足をおろせ」

「はは。何を熱くなっているんだ。敗者は所詮敗者。勝者の前ではゴミ同然だろう? 速い者こそが強い。それがハントラの掟じゃないのかい?」

「でも、怪我をしてるんじゃないですか!?」

 おれが抗議すると、乗せていたその右足を、ジョージの脇腹の下にひっかけて、その巨体をいとも簡単に仰向けにひっくり返した。この男、並みの脚力じゃない!

 仰向けになったジョージは大量吐血したみたいに口の周りが真っ赤に染まっていた。

 百々は冷めた笑みを浮かべていう。


「これはケチャップだよ。さっきまでそこでフランクフルトのやけ食いをしていたみたいだからね」

「そうか、ならば安心だな」


 安心なの!? そのエンツォの判断基準がよくわからん!

「だが、オレたちは貴様らとなれ合うつもりはない」

「そう。仲良くしておいたほうがいいと思うよ。だって、僕は君を潰すためにこの大会に参加したんだから」

「潰す、だと?」

「そうさ。君なら知っているだろう。ドーリー台車は『ハンドトラック』ではないということを」

「当たり前だ。ハンドトラックは、主として人力によって、構内、屋内などで人及び動物を除く荷物を運搬するために用いる手押運搬車で、平床をもち最大積載質量1200キログラム以下のものをいうからな。そのために椅子部の連中はこの大会には参加できなかったのだ。事務椅子は人が座るための物。荷物運搬用の手押車ではないからな」

「ドーリーは非常に優れた台車だ。前後左右、いずれの方向にも動け、狭い通路でも容易に運搬ができる。平床を持たないため軽量でスタッキング積み重ね能力も台車の比ではないほど高い。なのに、『平床がない』という下らない理由でこれまでずっと卑下されてきた!」

「その個人的な恨みつらみを晴らすためにこの大会に参加したというのか」

「ドーリーはハンドトラックの下位互換ではない。むしろ、台車の中のトップ、キングオブ台車であることを証明するんだよ。もうすでに準備は着々とすすんでいる。僕はDRAドーリー・ライド・アソシエイツを立ち上げ、全国に同志を募っている。このHTRICのジュニア・ワールド・チャンピオンシップで圧倒的勝利をおさめ、僕たちDRAが国際的台車組織としてHTRICにとって代わるのさ! そして、ハンドトラックライドなどという幼稚なそり遊びを抹殺し、我がドーリーライドがダイシャライドの最高峰だと全世界に知らしめるのさ!!」


 なんか壮大な野望を語ってるようだけど、すんごい狭いエリアの話でしかない! やっぱり台車乗りって馬鹿野郎ばっかりだ!


「悪いけれど、僕たちのドーリーライドに弱点などない。君たちには僕たちに敗れる運命しか与えられていないんだよ。だから、無駄なあがきはやめて、さっさと這いつくばるんだな!」


 最後は典型的な悪役チックな高笑いを残して、百々は去っていった。しかし、その自信に満ち溢れた笑いは決して虚勢なんかではなく、むしろ、おれたちへの圧倒的優位を誇示しているようだった。

 おれたちのテント内にまたも重苦しい沈黙が漂っていた。すると、ジョージがむせるような咳をして、苦し気な声をあげた。


「やつらは……」

「ジョージさん、しっかり! 何か、あいつらの弱点に気付いてるんですよね!?」

「加速が……できな……ぐふっ!」


 そういうとジョージは再び大量吐血、もとい今度はイチゴ味のかき氷を吐き出した。どうでもいいけど、人のテント汚すのはやめてくれないかな。


「加速か……たしかに、やつらがレース中に加速を使ったのは、タンデムの時だけだ。シングルではおそらく、ブーツが固定されているから、加速用の左足を使えない」


 なるほど。たしかに、あの人たちは左足を前方に、右足を後方にして半身に構えて台車に乗っている。横向きに構えているために、加速用の足を出しづらい上に、ブーツが固定されているならば、その固定具を外す必要がある。ライドしながらそんな器用なことは不可能だ。


「つまり、ドーリーには速く走ることよりも、奴らの進路をふさぎつつ、コーナーで前に出さない走りをするほうが重要ってこと?」

 カオルの言葉に「そういうことだ」とニヤリと笑うエンツォ。でも、果たしてそんな単純なことなのだろうか。マイクロだって決して遅かったわけじゃないし、完璧なラインで走っていたのに、そのさらに外側からまくられていたのだ。もし、ブロックに失敗して追い抜かれたら、逆転するのは至難の業ではないのだろうか? それに問題はまだ残っている。


「それで、おれたちタンデムはどうすればいいんですか?」


 そう。あの異次元のターン。まるでスーパーボールがバウンドするかのようなコーナリング、その攻略の糸口はまだ見つかっていない。


「……それは、今から考える」


 エンツォが渋い顔をして考え込んだ。やはり、あのコーナリングへの対策はそうそう簡単にできるものではないのだろうか……

 ほんの一刻、時を止めたような沈黙。そして、またも破られるその静寂。


「まったく、見てられへんわ! このへなちょこ台車マンどもが!」


 この鬱陶しいほどの大阪弁と、やけに挑発的な態度。これはもしや。

 そう思って振り返ったが、テントの外には誰もいなかった。もしかして、あまりにも追い詰められたせいで、幻聴がきこえたか?


「どこ見とんねん! ここやここ!」


 視線を上にむけると、ひな壇になった観客席の一番上に、黄色に黒の縦縞のランニングシャツをきた小柄な男が、というか、逢坂太郎が立っていた。やつは「とう」と往年の特撮ヒーローばりにジャンプすると、くるりと前方宙返りをしてみせ、おれたちのテントの前に見事着地した。この人、本当は体操部かなんかじゃないのか?


「なんやなんや、レースもせんうちからお通夜か、お前ら」

「お前こそレースもせずに帰ったのではないのか?」

「アホぬかせ。ワシらはたまたまこっちに観光に来とったついでに来ただけや! 誰がこんなくだらんレースのために、わざわざしょっぼい田舎町に来るっつうねん。ついでやついで!」

「それで、なにをしに戻ってきた」


 逢坂は、はん、と鼻を鳴らす。

「なにしにとは結構な言い草やな。まあええ、ワシもあの桃太郎軍団にはちょっと嫌気が差しとるんや」


 桃太郎軍団って、鬼界高校か? そういえばキャプテンの百々を筆頭に、犬山、猿渡、それに木慈きじ! 誰がうまいこといえと!?


「あの桃太郎軍団の二人乗りしとるやつら、ワシらの必殺技、『超絶射踏グラン・シャトウ』をパクりよったんや」

 グラン・シャトウって、たしか対ハントラ用の必殺技とか言っていたあれ? ていうか、よりにもよって椅子部の必殺技をパクるか? どう考えても思い込みだろ?

 しかし、逢坂は憤慨した様子で続ける。

超絶射踏グラン・シャトウは、ワシら椅子部やからこそできる技や。事務椅子は前後左右自由自在にキャスターを動かせる。それに加えて、座面が回転するわけやから、好きな角度に椅子を打ち出せるんや。まさに大砲の弾のようにな!」

 なるほど、台車と違って座面に座る事務椅子ならば、蹴りだす角度が自由自在というわけだ。そして、すべてのコマが自在コマになっているドーリー台車のタンデムならば、操縦手ハンドラーが角度を決め、加速手スラスターが蹴りだすことで、同じような技が使えるということか。


「もちろん、この技は貴様ら台車野郎むけにあみ出した必殺技や。あの桃太郎軍団のはあくまでパクリ。劣化コピーでしかあらへん」

「もしかして、本当に弱点があるっていうのか?」

 コウバン先輩が逢坂にずいっと詰め寄る。

「必殺技をあみ出したワシがいうんや。間違いないで。せやけど、タダっちゅうわけにはいかんわなぁ」


 く、さすが浪速の男。がめついというか、転んでもタダでは起きないというか……


「いいだろう。仕方がない。これを持っていけ」


 エンツォはそういうとポケットから小さな人形を取り出した。

 それは、以前、大熊のジョージから奪い取った、藤尾ふじお嘉博、かひろし、プレミアムアクションフィギュア台車ライドバージョン!


「誰がいるかい! こんなもん!」

 逢坂はそれを叩き落とす。うん、普通はそうなるよね。

「ふざけとんかい! コレに決まっとるやろ、コレや!」

 逢坂は親指と人差し指で輪っかを作ってかかげて見せる。くそ、金と引き換えに情報を寄越すってことか……それが本当の情報であると確信は持てない。けれど、今は藁にもすがりたい気持ちであることには変わりはない。

 エンツォをちらりと見ると、ふうと短く嘆息をして「わかった」とうなずいた。


「このレースが終わったら、お前たち全員に好きなだけたこ焼きをおごろう」

 そっちかよ! あのわっかは金じゃなくてたこ焼きの丸の形だったのかよ!

「よっしゃ、交渉成立やな」

 成立しちゃったよ!

 エンツォと逢坂がガッチリと握手を交わす。本来なら味方ができて心強いはずなのに、この心の内側にじわじわと広がっていく不安は一体なんだろう。

 決勝戦までの残り時間は三十分を切っていた。

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