第32話 これが大会のダークホース!

「おう、決勝進出が決まったらしいな」


 テント前で次のレースにむけて準備をしていると、ジョージが話しかけてきた。ばっちりレーシングスーツに身を包み、ヘルメットを小脇に抱えている。


「ええ。ジョージさんはこの後ですか?」

「そうだ。俺の圧倒的な走りで、今度こそアカネさんの心を奪ってやる」


 ぐひひと下品に笑うジョージ。幸せそうだ。アカネがおれと付き合っているってことは、奴との勝負まで黙っておこう。何事もタイミングというのが重要なのだ。


「まもなく、準決勝第二試合。鬼界高校と大熊高校のレースを開始します。出走者はスタート地点へお集まりください」


 会場内のスピーカーから招集のアナウンスが流れる。それを耳にしたジョージは「まあ、首を洗って待っているんだな」と、余裕の表情で招集場所へとむかった。

 それにしても、気になるのは鬼界高校のほうだった。

 エントリー表を見ると、出場するのは全員一年生だった。しかし、開会式には選手の一年生は出席しておらず、練習走行にすら参加していない。今までに一度も姿をみせていないのだ。。

 それは、このどこか緩い空気の漂う会場の片隅で蠢く得体の知れない黒い影のような不気味さがあった。


「パヤオ君」

 声を掛けられて振り返ると、コウバン先輩がいた。

「僕らもモニターでレースを見ておこう」

「はい。ところで、コウバン先輩は鬼界高校について、何か知っていますか?」

「いや、昨年の選手が全員控えになっている、ということしかわからない。昨年出場している二、三年年生を差し置いてレギュラーを張るということは、よほどの実力者だとみていいだろうね。もしかすると、この鬼界高校、今大会のダークホースかもしれないね」

 コウバン先輩の言葉に、またも背筋に寒いものが走る。やつらはその姿さえ見せない黒い影なのだ。

 巨大モニター前にはすでにエンツォたちが陣取っていた。観客席は既に八割方が埋まっていて、思いのほか、この馬鹿馬鹿しい競技のファンがいることに驚かされる。


「これより、準決勝第二試合。大熊高校対鬼界高校を開始します。第一走者、大熊高校二年、米倉よねくら君。鬼界高校一年、木慈きじ君」

「マイクロだ!」

 知った名前が聞こえてきて、おれは思わず叫んだ。あいつ、ついにシングルでレギュラーを勝ち取ったんだ!

 興奮気味のおれと対照的に、エンツォは眉根を寄せて「誰だ?」と聞き返す。

「あ、偵察で注目していた大熊の選手です。やつはコースレイアウトをトレースする力を持っているし、実力は十分ありますよ」

「なるほど。そいつがどこまでやれるのか見ものだな」

 後でややこしい話になっても嫌だから、詳しいことは伏せておこう。


 先にスターティングゲートに立ったのは大熊高校のマイクロだった。彼は歓声にこたえるように観客席に手を振った。やがて、鬼界高校の選手がスターティングゲートに現れたとき、場内にひときわ大きなざわめきの波が立った。


「なんだ、あれ……」


 おれも無意識にそう呟いて、目の前のモニターの画面から、スタート地点へと視線を向けていた。モニターの映像が本物だどはにわかに信じられなかったのだ。


 鬼界高校の木慈は、小さな四角い金属の枠に、プレート式のキャスターを取り付けただけの小さな台車に乗って現れたのだ。全長わずか45センチメートルほどのその小さな台車にはブレーキはおろか、取っ手ハンドルさえついていない。L字型金物で四方を囲っているだけで、キャスターを取り付けるためにコーナー部分が金属板で補強されているものの、荷物を載せる平床テーブルすらついていない。

 しかも、その台車を最新型のミニセグウェイのように、腕組みをしながら体重移動だけで乗りこなしスターティングゲートについたのだ。


「エンツォさん、あれって台車なんですか?」


 アカネが目を真ん丸にしてたずねる。視線はセグウェイ台車に乗った鬼界高校の木慈を向いたままだ。


「あれはドーリーだ」

「ドーリー?」

「そうだ。四方をフレームで囲い、キャスターを取り付けるためのコーナープレートが付いているだけの超軽量台車だ。通常は、あの上にコンテナを積み重ねて運ぶものだ」

 そういえば、コンビニの配送にきている人があんな台車を使っているのを見たことがある気がする。

平床テーブルがないため厳密にはハンドトラックとしてカテゴライズされていない台車だが、大会規定にある『荷物を運ぶための運搬台車』であることには変わりない」

「つまり、椅子部みたいに規定違反にはならないってことですね」

「そうだ。ドーリーはオレたちが乗る台車と根本的な違いがある。一つは見てわかる通り取っ手ハンドルがないこと。そして、もう一つは四輪とも自在コマになっているということだ」

「四輪とも自在コマ?」

 おれの声が一段高くなる。

「四輪自在コマというのは、前後左右、ありとあらゆる方向に移動ができる反面、少しの荷重移動で進行方向が変わってしまい極端にハンドリングが難しい。したがって、ドーリーなんぞに乗ろうというハントライダーは余程の物好きでもない限りいない。奴が果たしてどんなライドをするのか……オレにも想像がつかん」


 エンツォの言葉におれはごくりと喉をならした。まさか、台車をバイクのように乗りまわすエンツォにすら想像が及ばないようなライディングがあるなんて。


 やがて、会場にスタートシグナルの音が鳴り響き、カウント三つのあとゲートが開くガコンという音とともに、わあっと会場をざわめきの波が覆いつくす。

 二人がスタートすると同時にモニターはドローンからの中継画像に切り替わる。スタートで前に出たのはマイクロだった。

 奴はこのコースを知り尽くしているし、コーナリング技術にかけては間違いなくトップレベル。先行すれば勝算は十分ある。

 緩やかな第一コーナーを台車一つ分ほどリードして抜けると、その先は四連続ヘアピンだ。練習走行に参加しなかった木慈よりも、コースを知り尽くしているマイクロのほうが有利なはずだ。

 マイクロはベストタイミングでブレーキングをして、台車のむきをコーナーの内側にむけ、鋭角に切り込むようにコーナーを抜ける。その瞬間、客席のいたるところから、歓声とも悲鳴ともつかないどよめきが上がった。

 はじめはマイクロのコーナリングへの感嘆の声だと思った。しかし、それが違っていたのだと、おれ自身もすぐに気づく。


「なんだ、あれ」

 巨大モニターに映った鬼界高校、木慈のライディングに、おれはそれ以上の声を失っていた。

 木慈はほとんどしりもちをつきそうなほど、体を背面に倒し込み、台車のエッジを立てて、かかと側のコマだけで、美しい円弧を描いて曲がっていったのだ。カーブを曲がるとひらりと体を起こし、ぐんぐんスピードアップしていく。たった一つのコーナーで、マイクロの真後ろにピタリとついた。

 次のコーナーでインを狙ったマイクロの外側から、今度は木慈は正面に膝をつきそうなほど身体を倒し込んで、またもや美しい半円をコース上に刻んで、あっという間にマイクロを抜き去っていった。


「何が……起こったんですか!?」


 咄嗟にエンツォを見ると、その表情からはいつもの余裕が消え、これまでに見せたことのない、驚きと狼狽がないまぜになった顔をしていた。


「カービングターンだ。路面を刻みこむカービングように細く美しい軌跡を描いて曲がるという、超高等テクニックだ。まさか、高校生でコレを使う奴がいるとはな」

「それに、さっきの人、全然足を使って加速してなかったのに、ぐんぐんスピードあげてましたよ!?」

 アカネもいまだに信じられないといった様子でエンツォに詰め寄る。

「カービングターンはキャスターのエッジギリギリの部分を使って路面との摩擦を極端に小さくしたコーナリングのため、スピードを落とすことなく曲がることができる。そして、そのターンの回転力を加速方向に変換し、スピードアップしたのだ」


 エンツォがそういう間にも木慈は次々と軽やかなターンでカーブを通過していく。ヘアピン後のストレートで加速をしたマイクロがあと数メートルのところまで追い付いたが、結局、悪魔の道デビルズウェイの六連続ヘアピンを波にのるサーファーのように、軽やかにクリアした木慈が先にゴールラインを駆け抜けていた。


「ただ今のレースタイム。大熊高校、米倉君。タイム1分20秒88。鬼界高校、木慈君。タイム1分17秒53。鬼界高校、木慈君のコースレコードによる勝利です」


 場内のアナウンスに会場が割れんばかりの歓声に沸いた。

 モニター画面には鬼界高校の木慈がゴール前で観客に手を振っている様子が中継されていた。


「続いて第二走者。大熊高校、上遠かみとお君。鬼界高校、百々もも君」


 鬼界高校の走者の名前が読み上げられると、会場内は大きな歓声に包まれた。観客たちはさっきのレースを見てすっかり鬼界高校の走りに魅了されたのだ。


「完全に会場を味方につけたな」

「ええ、大熊は急にやりにくくなりましたね」

「大熊だけではない。奴らが勝ち上がってきたら、次に対戦するのはオレたちだ。奴らがどんな勝ち方をするのかで、決勝戦の空気までも変わりかねん」


 そういったエンツォの懸念は現実のものとなった。

 第二走者の百々も木慈と同じくドーリー台車で走り、その上、ついさっき木慈が打ち立てたコースレコードをいとも簡単に更新してみせたのだ。これには会場の興奮も最高潮に達し、しばらく鬼界コールが鳴り止まなかった。


「第三走者、タンデム。大熊高校、風林かざばやし君、じょう君。鬼界高校、犬山いぬやま君、猿渡さわたり君」


 観客席からは地響きのような興奮と歓喜のうねりが押し寄せてくる。観客たちはすっかり鬼界高校の異次元の走りの虜になってしまっていた。

 この空気、ジョージにとってはかなりのプレッシャーだろう。ただでさえ、あと一つ負ければチームの敗退が決まってしまうのだ。

 ジョージとプリンはオールアルミ製メッシュ台車に乗ってスターティングゲートにつく。レース用に極限まで軽量化した戦闘マシンだ。一方、鬼界の操縦手ハンドラーをする犬山は、プラスチック製と思しき、これまた取っ手のない台車に片足をかけてスケーティングするように登場した。


「エンツォさん。あの鬼界の台車は?」

「あれもドーリーだが、前の二人と違って平床テーブルのある樹脂メッシュタイプだ。軽量で強度が高い」

 鬼界のタンデム用のドーリーは平床テーブルの両サイドと前後に持ち運びしやすいようにグリップ穴が開いている。加速手スラスターの猿渡は左右のグリップを握ると、平床テーブルに立つ犬山の股の間に潜り込み、クラウチングスタートのような低い姿勢に構えた。

 猿渡の準備が整うと、犬山も足の位置を決めて、台車の上で軽く屈伸運動をした。

 スタート直前、急に時間が止まったかのように、会場内から騒音が消え去り、静かにスターティングシグナルのブザーが鳴り響いた。

 そして、シグナルが青に変わった瞬間、大歓声の津波が押し寄せる。そんな中、先行したのは大熊高校のジョージ・プリンペアだった。

「速い!」

 爆発的な加速力であっという間に鬼界高校の二人を置き去りにして、第一コーナーに飛び込むと、さらに加速してトップスピードを保ちながら、次のヘアピンもパワーでねじ伏せて台車をきしませながら豪快に曲がっていく。


「やっぱりジョージたちは只者じゃないですよ。あのスピードでヘアピンを曲がっていけるなんて!」

 おれは興奮して叫んだが、エンツォは腕組みをしたまま冷静に画面を見つめていた。

「見てみろ。鬼界高校の奴ら、ノンブレーキで突っ込むぞ」

 モニターが鬼界高校の二人にズームインする。猿渡は冬季オリンピック競技のスケルトンのように、犬山の両足の間で腹ばいになったまま、ブレーキングすることなくまっすぐヘアピンコーナーへと突っ込んでいく。


「このままじゃ側壁に衝突する!」


 おれが叫んだ瞬間、ハンドラーの犬山が体を大きくひねり込み、強引に台車のむきを180度回転させる。そして、今度は猿渡が走ってきたスピードを反発させるように、左足で地面に強烈な蹴りを加える。

 まるでスーパーボールが弾むかのような超鋭角ターンでヘアピンをクリアすると、猿渡が腹ばい姿勢でロケットエンジンばりに強烈な蹴りを放って加速していく。

 コーナーのたびに犬山たちのスピードは上がっていき、悪魔の道デビルズウェイの六連続ヘアピンを稲妻のように駆け抜けていった。もはやジョージたちのコーナリングは重戦車が走っているようにしか見えない。

 まるで次元が違う。その走りはそう表現するほかなかった。

 

「ただ今のレースタイム。大熊高校、風林君・城君ペア。タイム1分22秒84。鬼界高校、犬山君・猿渡君ペア。タイム1分20秒38。鬼界高校、犬山君・猿渡君ペアのコースレコードによる勝利です。よって準決勝第二試合は鬼界高校の勝利です」


 タンデムもコースレコードでの完全勝利に、尾上山全体が黒い歓喜の渦に包まれていく。ダークホースと目されていた鬼界高校は、今や強大なる暗黒の化身、鬼が島の鬼となって、おれたちの前に立ちはだかっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る