第29話 これがおれたちのタンデムライド!

「シュン君、さすがに目を閉じたらダメだりょっと」

「うん、ごめん。ちょっと調子乗った」


 おれはやけどして赤くなった顔を氷袋で冷やしながら、市内の中心部を抜けた先、おれの家とアカネの家とで二手に分かれる交差点のところでいつまでもアカネと話し込んでいた。夏になり、この町にも観光客が訪れるようになったせいか、町の空気はどことなくいつもと違って浮ついた賑わいを見せている。


「おれ、ずっとアカネのために大熊に勝たなきゃって思ってたけれど、それって単におれのエゴでしかなかったな」

「ううん、そんなことない。わんわたしのためにタンデムに乗ってくれてるっち、わかっとるよ。でも、シュン君一人で乗る必要はないから、明日からはどうすれば速く乗れるか、二人で一緒に答えを見つけていこう」

「そうだな。今日の二人羽織のあの感覚を忘れないようにしなきゃ」


 見上げると、青紫色に塗りつぶされていく東の空に、一つ二つと小さな星がきらめき、いよいよ夜の足音が近づきつつあった。まだまだ話したいことはたくさんあったけれど、アカネが「それじゃあ、また明日」と手のひらを掲げた。おれはアカネ手に自分の手のひらをぴとりとくっつける。


「もう。これじゃあ、帰ららんち」


 アカネが困ったような笑みを浮かべる。車のヘッドライトがその彼女の顔を右から左へと照らして通り過ぎていった。そのまま、あと五分ほどもおれたちはその場に留まっていた。


 家にたどり着いたときは、午後七時半をとうに過ぎていた。

「夏休みだからって、いつまでも出歩いてるんじゃないよ」

 おかえりをいうよりも先に、母さんの小言がおれを出迎える。

「わかってるよ。クラブ活動だから仕方ないだろ」

 面倒くさそうに答えて、おれが階段をのぼろうとしたところで、背後から「ちょっと待ちなさい、駿しゅん」と母さんの鋭い声がおれを引き留めた。


「あんた、この前、マリンホテルさんで台車盗んだって本当かい!? お向かいの東郷さんがそんなこと言ってたわよ」

「盗んでないよ! ちょっと借りただけだって」

「でも、あんた。支配人に怒られてたんでしょ!? 東郷さんのお友達がホテルのレストランで働いてて、駿のこと見たっていってたらしいじゃないの」

「だから! ちょっと借りただけだし、それのお詫びをしに行っただけだっての!」

「あんたはそのつもりでも、周りからどう見られるのか考えて行動しなさい。だいたい、あんたのクラブ活動ってのも台車に乗って遊んでるって噂じゃないの。ちょっと前にあんたが台車をバイクで引かせてるのを見た人だっているのよ!」

「うるさいな! 放っておいてくれっていってるだろ!」

 ぴしゃりと言い放つと、母さんの追撃を無視して自分の部屋に立てこもった。くそ、なんなんだよ、もう。

 おれはぼふんとベッドの上に横たわる。

 どれだけ一生懸命にやっていても、理解のない人にはその努力も喜びも伝わらないものだ。台車乗りじゃなくてもそれは同じだ。漫画だって、アニメだって、お笑いだってそう。

 大人たちは「そんなものは役に立たない。将来のために勉強をしろ。役に立つことをしろ」という。

 でも、どんなものでもその道を究めた人たちがどれほど活躍しているのか、そこに目を瞑って一般論を振りかざすなんてのは卑怯だ。


「……でも、たしかに、台車乗りで世界一になってもなぁ」


 仰向けになって天井に右手を突き出してみる。アカネの手のひらの温もりがまだそこに残っているような気がした。結局、この日は晩飯にありつけないまま、おれは眠りに落ちた。二人羽織で風呂吹き大根を食べていたのがせめてもの救いだった。


 次の日からの練習では、おれとアカネは一本走るたびに、感じたことを良いことも悪いことも、全て包み隠さず出し合った。もちろん、意見がぶつかることもあったけれど、そのときは二人の意見を試してみて、どちらがより良かったのか検証して、より自分たちのライディングに合うスタイルを探求していった。

 おれもアカネも、少しずつ更新されていくラップタイムを見るのが楽しくなっていた。それに数字が更新されるたび、そのぶんおれとアカネの距離も近づいているような気がして、それもまた嬉しかった。

 おれは台車で走ることで大切ななにかを得ていた。馬鹿馬鹿しいけれど、確かにおれの青春は今ここに存在していた。

 おれとアカネのタンデムは日に日に記録を更新していき、大会の三日前にして、ついに模擬レースで、ほんのわずかの差ではあったけれど、おれたちがコウバン先輩とテイブン先輩に勝利することができたのだ。


「すごいな、パヤオ君。ついこの前とは見違えるほどのライドだよ!」

「ほんとね、これならうまくいけば大熊のジョージたちにも勝てるんじゃないかしら?」

「いえ、まだ全然余裕ないですし、ジョージたちのライドはさらに上を行くと思ってます。それに、むこうにはなかなか手ごわい能力者がいてますから」


 おれたちがゴール地点の広場に集まっていると、上からエンツォが猛スピードで突っ込んできて、おれのことを撥ね飛ばした。ちょ、普通に人身事故だから!


「む、お前たちここで集まって何をしている?」

「痛てて……何をしている、って。おれとアカネのタンデムがコウバン先輩たちといい勝負になってきたって話をしてたんですよ」

「うん?」

 エンツォは眉をひそめた。おれ、何かおかしなこといったか?

「だから、おれとアカネのタンデムがだいぶ完成されてきたって話ですよ。今度の大会で大熊連中とやらなきゃいけないでしょ?」

「うむ。その通りだ。だが、パヤオ。お前たちのいる場所はコースのまだ途中だぞ」

 は?

 途中? 何いってるの、この人。


「ちょっと待って、エンツォ。もしかして、今度の大会のコース、ロングコースなのか?」

 慌てたようにコウバン先輩がきき返す。ロングコースって何、どういうこと?

 すると、エンツォは、なにをいまさらといわんばかりに、

「そうだ。あのトーナメント表を見なかったのか?」

 ちょっと待って。あのトーナメント表にそんなもの書いていたか? おれはスマホであらかじめ撮影しておいたそのトーナメント表の画像を呼び出すが、どこをどう見てもそこにはそんなものは書いていない。

「どこにもないですよ、そんな文字」

「パヤオ、そこじゃない。あのトーナメント表の……」

 そういって、エンツォはスマホの画面のはるか枠外、おれの手首よりもさらに外側の空間を指先でくるりと囲む。

「このあたりに書いてあったぞ」


 罠か! あの無駄に大きな紙のまんなかに小さくトーナメント表かいておいて、注意書きがその紙の一番右下って、誰が見るんだよそんな場所!


「それで、ロングコースってどこまでなんですか?!」

 おれの質問にテイブン先輩が妙に圧のある蛇のような眼をむけた。背筋にぶるりと怖気が立つ。

「ロングコースはこの先さらに350メートルほどのコースよ。ここから50メートルほど先までは緩やかな下り勾配の右カーブ。でもその先に待ち受けるのは最後の難関、悪魔の道デビルズウェイと呼ばれる六連続ヘアピンよ」

「でびるずうぇい⁉︎ 六連続!?」

 なんじゃ、そのラスボス感!!

「それもただのヘアピンじゃないわよ。20メートルほどの間隔をおいて、落差3メートルものコーナーが立て続けに襲い掛かるのよ。しかも、回転半径は5メートルもないわ」

「3メートルの落差で5メートルのカーブって、それ、どう曲がれっていうんですか!」

「とにかく、まずはコースを下見しよう。僕もロングコースを走るのは久しぶりだからね」


 おれたちはその場からぞろぞろと移動をする。テイブン先輩がいうように、さっきまでのゴール地点の先は緩い勾配の右カーブ。コースの右手側は石積みの低い壁になっているが、反対側は「足元注意」の看板の掲げられたロープが張られているだけで、ちょっとでもコースアウトしようものなら、斜面を転がり落ちて、たぶん死ぬ。


「これ、コースにしたらダメな奴じゃないんですか?」

「大会の時にはちゃんと転落防止措置をするよ。それよりもほら、見てごらん」

 そのロープの前に立ってコウバン先輩の指さす先、まばらに生えた木立の隙間から見下ろした先、まるでミルフィーユ生地のようにつづら折りになったアスファルトの路面。

「あれが、悪魔の道デビルズウェイ……」


 そこを通るものを拒むかのように異様なまでの存在感を放ちながら、その道は静かにそこに横たわっていた。

 実際にそのコーナーに立ってみて、おれは息を呑んだ。くらくらと眩暈を覚えるほどに、まるで高さの違う路面が今までに体験したことのない急勾配で、その小さなカーブで折り返しながら上下に伸びていた。


「これまでに多くのハントライダーズたちの餌食にしてきた悪魔の道デビルズウェイ。そのあまりの攻略の難しさ故、公式戦ではほとんど使われることがなかったコースだ。とにかく僕たちは残りの三日間、このコースの攻略に全力を尽くそう」

「そうですね。事前にコース研究ができるのは、おれたちの最大のアドバンテージですしね。やれるところまでやりましょう」


 そうはいったものの、おれはこの道をどう攻略すればいいのか、そのイメージすらつかめていなかった。

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