第28話 これがおれたちの食い違い?!
翌日の放課後には約束通り、エンツォの注文した両袖台車が届いた。ただの台車といえばそれまでだけれど、やっぱりおニューのものって、心がワクワクする。
早速エンツォが一緒に注文しておいたという、サスペンション付きの緩衝キャスターに交換してくれた。
とはいえ、せっかくカスタムしても、走らなければ何も始まらない、ということで、おれたちはいつもの尾上山へとやってきた。
「せっかくだしさ、レース形式でやってみたら?」
ぽんと手を打ってカオルがいった。なるほど、確かに単独で走るよりも、そのほうがより実践練習になりそうだ。
「うむ、いい考えだ。コウバン、テイブン。お前たちでパヤオの相手をしてやれ。もちろん、本気でな。パヤオ、コウバンたちに勝てなければ、ジョージにも到底勝つことはできないと思え」
「わかりました。とりあえず、先に少し練習させてください。レースはそれからにしましょう」
提案は受け入れられ、おれとアカネは新しい両袖台車に乗ってスタートラインに立つ。蒸し暑い真夏の風が渦を巻き、青く茂る野草たちをざわつかせていた。
「それじゃあ、実際に乗ってみよう。まずは様子見しながら、少しずつペースアップしよう」
「はい、よろしくお願いします」
台車の荷台に立って、
「じゃあ、行くよ。5秒前、4、3、2、1……ゴー!」
掛け声とともに、目一杯左足に力を込めて、体全体で台車を押し出す。普段乗っている樹脂製台車よりも重いけれどスタートにもたつくほどじゃない。いつもなら、スタートの加速にタイミングが合わず、後ろに倒れそうになるアカネも、
最初の右カーブを難なく通過し、長いストレートを加速する。タンデムではシングルライド以上にブレーキングが重要になる。この先の四連ヘアピンコーナーは、おれのブレーキングのタイミングとアカネの荷重移動がぴったりと合わないときれいに曲がれない。昨日までは、アカネの腰が引けてスピードに乗ったコーナリングはできなかったが、果たしてこの台車ではどうだろうか。
この台車にはハントブレーキがないので、おれはコーナー直前で左足のかかとで踏ん張ってスピードを殺しながら、アカネの体重移動に合わせて台車をコントロールしつつ、コーナー途中からは出口にむけて加速をする。
昨日とはまるで別物みたいに順調なコーナリングだ。四連ヘアピンも次々とクリアして、最後の高速S字コーナーはいつもよりも少しスピードをつけて通過してみたが、アカネはそれもリズミカルに身体をさばいて、ゴールラインを通過した。
「タイムは?」
おれの声に肩で息をしながらアカネがスマホのタイムを確認して、声を弾ませた。
「48.77。今までの中では一番いいタイムだりょっと」
たしかに、今までは50秒以上かかっていたから、格段にスピードアップしている。けれど、大熊のジョージたちは確実に43秒を切ってくるだろう。となると、あと6秒もタイムを縮めないといけないのか。
正直いって、6秒短縮というのはかなりハードルが高い。加速性能を犠牲にしているこの台車だと、コーナリングでタイム短縮しなきゃいけない。
さて、どうしたらいいものだろう。おれは台車を押して坂道を登りながら考え込んだ。
「コーナリングのスピードを上げるためにもう少しブレーキングを我慢すればいいのか? だとすると今よりもブレーキングポイントを1mほど遅らせて、アカネの荷重をもっと内側に……」
「……シュン君」
「ただ、そうなると、より大きく身体を倒す必要があるけれど、そもそもアカネはまだハングオンはできないし……」
「ねぇ、シュン君っちば」
「いや、今からでも特訓をしてなんとかコーナリングスピードを」
「シュン君っ!!」
ほとんど叫び声みたいなアカネの声に気づいて、おれは顔をあげた。アカネは両頬をぷくっと膨らませて不満顔だ。
「あ、ごめん。何だった?」
「あの、さっきのカーブのとき、ちょっと切り込みが早すぎかなっち思うの。もう少しゆっくりアウト側から入ったほうが……」
「いや、それだとタイムは縮められないよ。まだあと6秒は縮めなきゃいけないんだ。そんな走りじゃかえってタイムを落としてしまうよ」
「でも、今のブレーキじゃ、ハンドリングが全然間に合わないもの」
彼女のいい分におれは少しムッとして声を荒げる。
「だから、それを間に合わせないと話にならないんだろう?」
「それはそうだけど……」
だいたい、今はスピードアップをするために練習をしているんだ。粗削りな乗り方でも、タイムを削っていかなければ、大熊のジョージたちには勝てない。
おれの役割は加速と減速のタイミングをベストに保つこと。アカネがそれに合わせてハンドリングをしてくれなければ、タンデムの意味がない。
「とにかく、もう一度走ってタイミングをつかもう」
「……わかった」
まだ不満の残る様子でアカネは素っ気なく返事した。
しかし、その後、二本走ってみたものの、タイムは伸びず、逆に50秒台にまで落ち込んでしまった。当然、その後のコウバン先輩たちとの模擬レースではぼろ負け。5秒以上も差をつけられてしまった。
「どうして、さっきよりもタイムが落ちるんだよ。コーナリングスピードをあげていかないとダメだっていっただろう?」
「だから、もっと外側からラインをとらんと、
「だったら、もっとカーブの内側を狙えばいいだろう! そのために両袖にしているんじゃないか!」
「それで溝にはまったら失格だりょっと!」
模擬レース後、ゴール地点でおれとアカネがいい合いになった。コウバン先輩が慌てて仲裁に入ったものの、アカネはすっかり不貞腐れて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「パヤオ君、焦る気持ちはわかるけれど、一つひとつを確実にクリアしていかなきゃ、一足飛びにすべてを飛び越えられるものじゃないよ」
そんなことはわかっている。だけど、このバトル、おれたちはどうしても勝たなきゃいけない。それはアカネのためでもある。なのに、アカネにはいまいち真剣さというか、おれと一緒に走るという気持ちが薄いんじゃないか。そんな気がするのだ。
コウバン先輩が、やれやれ、といったように困り顔で肩をすくめると、エンツォがおれとアカネの間に立った。
「パヤオ、赤いソニック。今日のライドは終わりだ」
「終わりって、まだ一時間も練習時間残ってますよ。少しでも走り込まないと、大熊に勝てないじゃないですか!?」
「今の状態で何本走ったって同じだ。それよりもあしびばに行くぞ」
「は? なんでまたあしびばに? またミーティングでもするんですか?」
おれがたずねるとエンツォは真顔で一言、いい放った。
「もう一度、お前たちで二人羽織だ」
なんでここで二人羽織が出てくるんだよ……この人、マジでなに考えてるんだか、全くわからない。
結局、尾上山を撤収し、おれたちは問答無用であしびばに連れてこられた。
「なんでまた二人羽織なんてしなきゃいけないんですか?」
おれはエンツォに抗議をする。しかし、その問いにエンツォが答えることはなく、その代わりに、アカネが突っ掛かるようないい方をして、
「……怖いんでしょ、シュン君」
と厳しい視線を投げかけてきた。
「あのさ。この前、アカネと二人羽織をやって、思いっきり鼻にお箸突っ込まれたんだぞ。怖くないはずないじゃないか」
腹が立つ、といういよりも呆れて処置なしといったように、おれは小さく
「
そういってアカネは、顔を伏せてしまう。艶やかな黒髪に隠れて表情は見えなかったけれど、握りしめた両手がわなわなと震えていた。
「
「怖いったって、アカネは後ろから適当に箸を動かしてるだけじゃないか。どんな動きしてくるのかわからないお箸に、自分の身体を委ねることがどれだけ怖いか、後ろのアカネにわかるはず……」
「じゃあ、シュンくんにはわかるの!? 自分の思うように動かない台車の前に乗ることがどれだけ怖いか……今のシュン君のライドにすべてを委ねなきゃいけない、
怒気をはらんだ声が容赦なくおれに浴びせられる。顔をあげたアカネの目許は固く引き締められてはいるものの、赤く滲んだ潤みに揺れていた。今まで、一度も見せたことがなかったアカネのその表情に、おれはただ唖然として言葉を飲み込むことしかできなかった。
「どうやら気づいたようだな、パヤオ」
だんまりを決め込んでいたエンツォが淡々といった。
「タンデムに必要なのは二人が一心同体になることだといったはずだ。だが、お前はどうだ。自分の乗り方にこだわり、ただ、物理的にタイムを縮める方法だけを考えている。確たる信念のもなく、同乗する
おれは何一つとしていい返すことができなかった。エンツォのいう通りだった。
自分のほうがアカネよりもライドスキルが高いのだと思い込んで、アカネのいうことに耳を貸すこともなく、ただ台車のコーナリングスピードを上げることだけに執着していた。
アカネも、二人羽織させられるおれと同じ気持ちだったんだ。
いや、おれなんかと比べ物にならないくらい怖かったに違いない。
想像のつかない台車の動き、走るたびに変わるブレーキポイントや加速ポイント。感覚的なズレはやがて恐怖へと変わり、彼女のライドを委縮させていたんだ。そんな状況でラップタイムが速くなるはずもない。
「……おれ、間違っていたのかよ。速く走りたいって、そう思っていたのに。それって、ただ単にアカネとのライドの障壁にしかなってなかったっていうのかよ……」
悔しさよりも、自分のことが情けなくて、ぎゅっと下唇を噛んで自分のつま先に視線を落としたまま、動けなかった。握った指が手のひらに強く食い込んでいる。
「そのための二人羽織だ。パヤオは赤いソニックの心を、赤いソニックはパヤオの心を感じろ、そして応えろ。それがタンデムで速く走るための心得だ」
「エンツォさん……おれ、もう一度、二人羽織するよ。今度はちゃんとアカネの心とむき合うよ」
顔をあげると、それまで厳しい目をむけていたアカネの表情がふわりと緩んだ。
「ごめんな、アカネ。おれ一人で突っ走ってた。今度は二人で力を合わせよう」
アカネはこくりと頷いた。
「よし、早速用意をしろ!」
エンツォの掛け声とともに、まるで用意されていたかのように、店長のマコトからアツアツの風呂吹き大根が差し出された。空気読みすぎです、マコトさん!
そのアツアツ大根を前におれとアカネが座る。アカネは羽織をすっぽりと頭からがぶって、袖を通した腕でおれの前に置かれた箸を探り、掴んだ。
「……おれ、なんだか今は失敗する気がしないんだ。アカネの鼓動が、息遣いが、その動きすべてが自分のもののように感じられる」
「
二人してぷっとふき出す。そんなはずないだろう、といわれたらそれまでだけれど、でもこのときは本当にそう思えたのだ。後ろにぴたりとくっついているアカネとの境界線が溶け出して、二人が一つになれたようなそんな気持ちだ。
「では、見せてもらおう。お前たちの一心同体というものを」
エンツォの声を合図にアカネの右手が迷うことなく、アツアツ大根に伸び、すっと二つに割る。柔らかく炊かれて、程よく出汁が染みている大根を器用につまみ上げると、ゆっくりとおれの顔の高さに持ち上げた。まるで、本当におれの視界が彼女にまで伝わっているような、淀みない動きだ。
研ぎ澄まされた感覚が一つひとつ、結び合い、絡み合い、お互いを侵食しあいながら広がっていく。これが一心同体になるということなのか。今、おれはアカネの腕の動きを感じ、アカネはおれの目を操っている。
なんなら、このまま目を閉じたとしても、超人的に張り巡らされた感覚神経はおれたちを突き動かすにちがいない。
そう、今まさにおれとアカネは極限の集中状態で超人的な感覚を発揮するという、「ゾーン」に入ったのだ!
おれはそっと目を閉じる。光を失ったはずの黒い世界に、うまそうにほわほわと湯気を立ち上らせる風呂吹き大根の姿が浮かぶ。それがゆっくりとおれに近づいて……
べちょり。
目を閉じていたおれの右まぶたにアツアツ大根が押し付けられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます