第2話 これがおれのスタートライン
「あの、先輩……?」
おれの手を両手でがっちりホールドしている青ひげイタリアンにむかってたずねる。
「にぐるまけんさぶ、ってどういう……てか、自動車研究部じゃないんですか⁉」
「いっただろう? 自動車研究部は去年部員が入らず廃部になったんだ。うちの学校は部員が五人必要だからな」
「でもガイダンスには載ってましたよ?」
「去年のものを使いまわししているからな。うちの学校のフトコロ事情は厳しいのだ。なにせ、部活動が多すぎて、そっちに予算を持っていかれるからな」
男は陽気に笑う。その大雑把な感じはなんとなくイタリア人ぽい。いや、イタリア人のこと知らないけど。
「おっと、失礼。自己紹介がまだだった。オレは三年F組の
円造って! こんな日本人離れしている顔していて、コッテコテの日本人の名前じゃないか! むしろ古風だよ、古風! つうか、通貨だ。通貨っぽいわ。全然イタリアーナしてないじゃないか!
「まあ、気軽にエンツォと呼んでくれ」
イタリア人になった!!
しかも、エンツォ・フエナリって! 高級外車みたいな名前になったよ!!
「さっきもいったように、オレは荷車検査部、通称『
エンツォが指し示した二人をちらりと見る。二人は首を傾げる程度の小さな会釈をした。
「加藤のほうはコウバンと呼んでやってくれ。平のほうはテイブンだ。まあ、どちらも漢字を単に音読みしただけだけど」
「はあ……」
加藤コウバン……
カトー・コーバン……って! こっちもなんかロックな人みたいになったぞ!
ってことはテイブンは? タイラ・テイブン。タイラ……テイブン……
テーブン・タイラ……! なんか、頭の中でエアロスミスのミス・ア・シングが流れてると思ったら、名前がなんかそれっぽいわ! つうか、テイブン、なんか思っくそ三白眼で睨んでて超怖い。
「あ、あの。どうでもいいですけど、荷車検査部って、なんなんですか? おれ、自動車研究部だと思って……」
恐るおそるいうと、エンツォは途端に悲しげな表情をした。そして、おれの肩を両手で掴むとがくがくと揺さぶった。
「シュンは……乗り物が好きじゃないのか!? レースが好きだって……あの言葉は嘘だったのか⁉」
なんで、いきなりおれが裏切った
「まあまあ、エンツォ。少し落ち着いてよ」
「コウバン……」
背後から呼び止められて、エンツォは振り返る。コウバンは、たしか
「来道シュンくん、だったかな? 君は自動車研究部に入ろうと思っていたんだね? でも残念ながら、エンツォがいったように車研は廃部になってしまったんだ。でも、ここでこうして出会ったのもなにかの縁だと思うんだ。それで、もしよければだけど、これから僕たちの部活見学に来てみないかい?」
「部活見学、ですか?」
「そう。それで自分に合いそうだ、と思えば入部すればいい。もちろん、合わないと思えば入る必要はないんだから、どうだい?」
「そうですね……まあ、そういうことなら……」
若干の不安は残るけど、見学だけならば大丈夫だろう。やばいと思えば逃げればいい。
「よかった。それじゃあ、早速行こうか」
「行こうって、部活ってどこでやるんですか?」
そうたずねるとコウバン先輩はにやりと口端を吊り上げていった。
「もちろん、レースコースだよ」
レースコース?
長年この地に暮らしているけれど、このあたりにサーキットがあるなんて話は聞いたことがない。それどころか、モータースポーツのできるような広い敷地だってないはずだ。埠頭のほうまで行けば多少は広い場所はあるかもしれないけれど、そんなところでレースをやっているという話も聞いたことがなかった。
訳がわからず首をひねるおれをよそに、三人は再び並んで歩きだし、おれはわけがわからないまま車検と刺しゅうされた背中を追いかけていった。
そして、十五分後。
「あの、先輩」
「なんだい?」
おれの問いかけにコウバン先輩は柔らかな笑顔を作った。
「ここって、
おれの目の前にはこの片田舎の港町のパノラマビューが広がっていた。ここは高校の裏手にある
「そうだ。そして、ここがオレたちのホームコースだ」
くるくる髪を風になびかせながらエンツォがいった。その横でテイブン先輩はストレッチ体操をしている。このテイブンって人、五厘刈り頭だし、いかついし、顔でかいし、三白眼だし、さっきからひとこともしゃべらないしちょっと怖いんですけど。
「ホームコースって、ここでどうやってモータースポーツをするっていうんですか?」
「モーターじゃない」
びっくりした! テイブンがしゃべった! しかも声高い!!
「でも……それじゃあ、レースっていうのは」
「見ればわかる」
そうですか……つうかテイブン先輩、顔超怖えぇのに、声高いから笑いそうなんだけど。でも笑ったら殺されそう。
そんなテイブン先輩をたしなめるように、横からエンツォがいう。
「オレたちはハンドトラックライドという競技で世界一を目指しているのだ」
「ハンドトラックライド? って、なんですか?」
「あれだ」
エンツォが指し示したのは、学校からここまでコロコロと空のまま押してきた台車だ。そう、あの荷物をのっけて手押しする、平べったい板にパイプ状の取っ手がついていて、車輪が四個ついている、なんの変哲もない台車だ。まさか、ハンドトラックライドって……
「あれに乗って、坂道を下るんだ」
馬鹿か!!
あんたたち本物の馬鹿か!!
小学生がお遣い頼まれて荷物届けた後に、空になった台車にのって遊んでるんじゃねえんだぞ! だいたいそんなもんがレースになんのかよ!
「いやぁ、それはちょっと……台車に乗って遊ぶんでしょ?」
「遊びじゃない」
甲高いテイブン先輩の声。なんでドス効いてんのに甲高いんだよ。
「車検のみんなはハントラに青春をかけている。馬鹿にするやつは許さない」
「あ、はい……すみません」
怒られた。めっちゃ怖ええよ、この人。絶対二、三人は始末してるよ。
「とにかく、見てもらうのが一番だ。オレがライドするから、テイブンはラップタイマーのチェックしながら、下でコース確保してくれ。コウバンはここでスターターとシュンに説明を頼む」
エンツォがいうと二人は了解して、テイブン先輩はスマホを手に小走りで坂をくだっていった。
「あの、なにするんですか?」
「もちろん、ハンドトラックライド……ハントラを君に見てもらう。オレたちが遊びじゃないってことを証明してやろう」
エンツォはそういいながら、革製のレーシンググローブを取り出して装着する。さらに、膝の部分にプロテクターらしきものを巻き付けると、フルフェイスのヘルメットをすっぽりとかぶった。赤ベースに紙を破いたようなギザギザな輪郭の緑と白のストライプが後頭部に伸びている。一流のGPライダーのようなスポーティなデザインのやつだ。
エンツォはコウバン先輩から台車をかすめ取ると、取っ手があるほうを前にむけて握り、荷台に右足を乗せ、左足で軽く地面を蹴ってキックボードの要領で台車を進ませた。
いや、どう考えても本物の馬鹿ですよ、その姿。
下り坂の手前で台車を止めると、その横にコウバン先輩が並んだ。
「ラップタイマーも正常みたいだ。30秒後にスタートしよう」
エンツォはうなずくと、台車に片足を乗せたまま軽く屈伸運動をして、おれのほうに振りむいた。
「よく見ておけ。オレたちの本気ってやつをな!」
ミラーシールド越しのため表情は見えない。なんとなく、本気なのだとは思うのだが、いかんせん見た目が馬鹿だ。
コウバン先輩が手を頭上に掲げてカウントをとる。
「5秒前ッ! 4……3……2……1……ライドォーーーンッ!!」
一瞬おれの苗字を呼ばれたのだと思ってびっくりした。が、すぐに違うのだと気づいた。ライド・オンの掛け声を号砲に、エンツォは砂埃を巻き上げながら左足を蹴りだし、勢いをつけて台車に乗って坂道をくだっていく。取っ手を握り中腰の姿勢を保ちながら、一つ目のカーブに差し掛かったところで、台車から身を乗り出すほど体を大きく右に傾け……そのままゆるく湾曲した遊歩道の草木の生い茂る斜面のむこうへと姿を消した。
その姿を茫然と見送るおれの頬を一陣の風がなでていった。
「どうだい?」
なにが!?
「えっと……」
おれは口ごもる。どうといわれても、馬鹿ですか? の感想しかない。
「馬鹿だろう?」
「え?」
内心思っていたことを先にコウバン先輩にいわれて、思わず面食らった。
「そう。普通の人がみればただの馬鹿でしかない。台車でレースなんてね。けれど、それはただの偏見さ。僕たちには僕たちにしかわからない世界がある。そして、その世界にもてっぺんはある。どうだい、シュンくん。僕たちと一緒に、ハントラで『世界一』を目指してみないかい?」
ごろごろと台車が転がっていく音が遠ざかっていく。それ以外は青く茂ったこの長閑な森に渡る葉擦れの音と野鳥のさえずりが聞こえてくるだけだ。
「コウバン先輩、おれ……」
エンツォが消えた坂道をぼんやり眺めていたおれは、爽やかな微笑みを湛えておれを見つめるコウバン先輩と静かにむかい合い、そして、
「ごめんなさい。無理です」
と、腰を直角に折って全力でその勧誘を断った。
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