第18話 これがイスと台車の異種交流戦 ~決着~

「カオルさん、おれたちどうやったら浪工に勝てるんですか!?」

わんわたしきゃたちに、何かできることっちば、あるんですか!?」

 おれと花咲里さんがカオルに詰め寄り、矢継ぎ早に質問する。それを両手をかざして落ち着いて、とジェスチャーで示しながらカオルはいう。

「この後、浪工は数周でメンバーチェンジするはず。そのときにエンツォが浪工より前を走っていること。これが勝つための絶対条件だよ」

「でも、仮にコウバン先輩が一番手になっても、周回数で一周少ないおれたちが負けてしまいますよ」

「パヤオ君は、エンツォが真正面から相手と戦うと思う?」


 おれは短く「あっ」と声を上げて、すぐに飲み込んだ。

 大熊高校との勝負ではレースで負けていながら、カオルと腕相撲対決をさせて強引にねじ伏せ、その大熊高校に花咲里さんが絡まれていたときは、台車ごと不意打ちをくらわせるような男だ。

 どうしておれは今回に限ってまともに戦うと思ったのだろう。あの男ならどこかに忍ばせておいたダクタイル鋳鉄キャスターを、某レースゲームの亀の甲羅よろしく、先行する浪工の選手に投げつけてもおかしくはない。


「さすがに、鋳鉄キャスターは投げつけないだろうけど」

 まさか、心を読まれた!?

「わざわざその鋳鉄キャスターに変えたのもエンツォの作戦だよ。正直いって、あんな鉄下駄穿いたみたいな台車マシンで、よくパヤオ君は走れたなって感心するよ。素直にすごいって思う」

 カオルがにっと笑うのを見て、なんだか気恥ずかしくなった。おれはあまり人に褒められなれていないのだ。

「勝つための希望を二人が繋いでくれたんだ。君たちはちゃんと役割を担った。エンツォもコウバンもそれを無駄にしたりしないよ」


 このときおれは、カオルがこの部の精神的支柱なのかもしれない、そう思った。エンツォは何を考えているかわからないし、コウバン先輩とテイブン先輩はあまり多くを語ろうとしない。

 けれど、そんな三人をカオルが上手にまとめて、プラスの力に変えている、そんな感じだ。部のマネージャーとして、これほど心強い人はいないんじゃないだろうか。

 ところが、そんなおれたちを嘲笑うような「ひゃっひゃっ」と、あの独特なのどを裏返したような笑いがきこえてきた。逢坂だ。


「お前らが何をしようとしてるんかは知らんけど、このレースで800メートルの差はきっついで。おまけに、お前らはもう三人目が走っとるやないけ? こっちはワシも生駒もまだビンビンなんやで。わかるやろ? お前らに勝つ見込みなんかあらへんっちゅうこっちゃ!」

「勝負は最後まで分からないですよ!」

 おれは反論する。

「アホやなぁ。ええか、こっちはあのイタリア野郎の前後をがっちりマークしとけば、一周のアドバンテージで勝つんや。お前らのその最後の希望っちゅうやつも、粉々に打ち砕いたるわ!」


 おれは逢坂を見上げながらぎっと鋭い視線をむけた。ちょうど、そのとき、花咲里さんが「エンツォさん、戻ってきました!」と声をあげた。

 エンツォは先頭の弁天からおおよそ700メートル差。噴水前を通過するエンツォにむけて、花咲里さんが珍しく声を張り上げて、

「きばりよーっ!」

 と声援を送った、そのとき。


 ガコォン、と巨大なハンマーで杭を打ったようなド派手な金属音が宵闇の空気を震わせた。

 一瞬、何事かと思ったが、エンツォがあのクソ重たいダクタイル鋳鉄製の後輪を力任せに持ち上げ、それをアスファルトに打ち付けた音だった。エンツォはそのまま、強引にその鋳鉄の後輪をテールスライドさせて、歩道の縁石を越えていった。


「ひゃっひゃっ、あんな乗り方しとったら、あと何周もせんうちに体力が尽きてまうで。こりゃ、わしらの勝ちは間違いなさそうやな!」

 高笑いを続ける逢坂たちのもとに、周回を終えた弁天が戻ってきて、生駒と乗り手を交代した。そのすぐ後に、戻ってきた戎橋と逢坂が交代すると、

「これで、おまえらも、ジ・エンドや」

 捨て台詞をはきながら、椅子を大きく蹴りだして逢坂はコースに飛び出していった。ほぼ同じタイミングで、コウバン先輩の台車が猛スピードで噴水前を通過していく。


「いっけぇ! コウバン!」

 カオルの叫びが届いたのか、コウバン先輩はコースに復帰しようとする逢坂の進行方向を台車でブロックして塞ぎ、逢坂がコース取りを迷ったその一瞬の隙をついて、鮮やかに抜き去る。苛立ち紛れに逢坂が右手をあげた。

 それを見てカオルと花咲里さんが黄色い声をあげながら、手を取り合ってその場で飛び跳ねた。

 ざまあみろ。油断大敵だ。

 しかし、それでもまだおれたちチームビューティの周回遅れの差を埋めるには、コウバン先輩の先行する距離が圧倒的に足りない。それに、逢坂がいうように、エンツォがあんな走りを続けていたら、残り四十分もあるレース、到底最後まで体力が持つとは思えない。その証拠に、その後二周もまわらないうちにエンツォと生駒との差はほとんどなくなっていた。

 一方で、その次の周回でコウバン先輩が前を走る生駒に追いついた。

 花咲里さんが、きゃあっと小さな歓声をあげたものの、どう考えてもコウバン先輩はペースが速すぎる。このままじゃ二人とも、途中で体力が尽きてしまうのは明らかだ。

 そんなおれの心配をよそに、カオルが呟いた。

「勝負に出るよ」

 オレンジ色の街頭の光の中に、キャスター音を響かせながらエンツォの姿が浮かび上がる。周回コースをまわり、この噴水前まで数十メートルのところまで戻ってきていた。

 その後方からコウバン先輩が台車ひとつ分、外側にラインをとって走っている。コウバン先輩のイン側、ちょうどエンツォの真後ろには、生駒がぴたりとつけており、まさに団子状態で、この噴水前エリアを通過していく。

 と、またしてもエンツォが派手なアクションで大きく後輪を持ち上げ、鋳鉄キャスターを路面に打ち付けた。

 耳をつんざく金属音が響き、エンツォがドリフト走行のように台車を横滑りさせる。

 その隙をついて、生駒がエンツォの内側から抜き去ろうと、事務椅子を横向きに大きく蹴りだしたときだった。

 おれは無意識のうちに「あっ!」と悲鳴とも驚きともとれる声をあげていた。


 エンツォに並ぼうとした生駒の事務椅子のキャスターが、路面にできた窪みに引っかかった。

 急ブレーキがかかって動きを止める事務椅子。しかし、生駒自身には走ってきた勢いを止める術はなく、慣性の働くままに事務椅子の背もたれに体を預けると、ガシャーン! と派手な音を立てて、そのまま後ろ向きに事務椅子ごと転倒したのだ。

 背中から豪快に倒れた生駒は、何が起こったのか理解できていないみたいに、コース上に横たわっり、カラカラと乾いた音を立てる事務椅子を茫然と見つめていた。


「椅子から落ちたってことは……生駒はDNF失格……?」

 おれの無意識の呟きにカオルがうなずいた。

「残り三十分、浪工は一人で周回するのに対して、車検は二人で周回できる。もう勝負はついたね」

 

 結局、カオルのいう残り時間を待つことなく、逢坂がレースを棄権し、おれたち入舟高校荷車検査部の勝ちとなった。

 みんなで勝利を喜んでいると、逢坂がおれたちのもとにやってきた。


「おい、イタリア野郎。お前、最初から生駒を転ばすことをねろとったやろ?」

 エンツォはわざとらしく「はっはっは」と笑う。

「そんな狙って転ばせられれば苦労はせん」

「嘘こけ。お前、あのクッソ重たい車輪を、地面に打ち付けてメチャクチャな走りしよったんは、歩道の縁石手前のアスファルト削るためやろ。生駒は背が高い分、重心も高い。その分、バランスを崩したら転びやすい、そこをねろたんや。そっちのノッポがイン側を空けたのもわざとやな。イン側のアスファルトが削られた分、歩道の縁石に段差ができとった。そこに生駒はまんまと嵌められたっちゅうわけや」

「去年はお前らに嵌められたがな」

 エンツォの返答に逢坂は、はん、と盛大に鼻を鳴らす。

「二番手の新人にあのクソ重たい台車でずっとインベタさせとったんも、生駒を転ばすための準備やったんか。あの台車のせいで路面ボコボコになっとるやないけ。そこにお前が思いっきり地面ぶっ叩きよったら、そら穴あくで」

 まさか、とおれはエンツォを見遣る。そんな話は一言もきかされていなかったからだ。

「さあ、どうかな」

「ふん。敵を欺くにはまず味方からっちゅうことか。遅刻してきたんかて、台車で走んのに不利にならんように、人通りが少なくなる時間を選んだな。ホンマ、どこまでも胸糞悪いやっちゃで」

 エンツォ、わざと遅刻したのか? もしかして、おれ以外みんなそのことを知っていたのか?


「それでも勝ちは勝ちだ、そうだろう?」

 そういったコウバン先輩の声に、さも愉快気に高笑いをすると、

「とりあえず、これで一勝一敗のイーブンや。今度はワイらがお前らのルールで戦って勝ったるから、覚悟しとけや!」

 と、威勢だけはいい捨て台詞をはいて、逢坂は黄色い縦縞タンクトップ軍団を引き連れて、地下鉄の階段を下りていった。

 やっぱりあの格好で帰るのか。しかも、キャスター椅子を転がしながら。


「よし、それじゃあ、ボクたちも景気づけにパッとやろう!」

 カオルが右手を挙げて楽しそうにいうと、途端にその場の空気が明るくなった。

「うむ。では宿に戻って全員パヤオの部屋に集合だ」

「なんでおれの部屋なんですか! っていうか、あんな狭い部屋に六人もは入れませんよ」

「立って半畳、寝て一畳っていうじゃないか。大丈夫、大丈夫」


 おれと肩を組むコウバン先輩。でも、それ使い方間違ってますから。それとも、あの部屋で立食パーティする気ですか?

 こうして、去年の雪辱を晴らした車検の人たちは、楽し気にホテルへの帰途につき、おれたちの合宿はなんとか無事終わったのだった。



「実に充実した合宿だったな」

 翌日、無事学校に辿り着いたところで、部長であるエンツォが満足げに腕組みをしながらいった。

 まあ、確かにいろいろなことがあったとは思う。

 ただ、おれはエンツォやこの部のことを知っているようで、まだ、何一つとして知らないのかもしれない。そんな、もやもやと曇った思いが晴れずに心に残っていた。

 そんな空気を破って花咲里さんがぽつりとエンツォにたずねた。


「あの、顧問の先生っちば、どうなりましたか?」


 ……あー、その存在、すっかり忘れてました。

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