第5話 これがおれのライドネーム
「全員揃っているな!」
最後にドアを蹴破ってエンツォが部室にやってきた。いや、普通に開けろよ。
エンツォは部室内をぐるりと見渡し、最後におれの姿を目に留めると、
「……何者だ! 貴様ァっ!」
「何者だって、あんたが強引に入れたんでしょうが!」
すかさず反論すると、エンツォはやれやれといわんばかりに肩をすくめて首を振った。
「違う違う。来道シュン。そうじゃない」
じゃあ、なんだよ……ていうか、おれの名前知ってるじゃねえか。
「メンバーにはかっこいいライドネームが必要だろう?」
「ライドネーム?」
「レースのときに使う名前ってことさ」
コウバン先輩が口を挟む。あ、なるほど。円造がエンツォになるみたいなやつね。だったら初めからそういえよ。しかし、この場にいる全員に目をやっておれはふとした疑問を口にする。
「あれ、でもカオルさんはそのままカオルでしたよね?」
「カオルはマネージャーだからな。来道シュンには当然、選手としてライドしてもらう。よし、ここはひとつおれがかっこいい名前を考えてやろう」
そういうとエンツォは戸口に立ったまま腕組みをして目を閉じた。嫌な予感がする。
「ライドウ、ライドウ……ライポウ……ワイポウ、ワイポン……」
エンツォはまるで呪文を唱えるようにぶつぶつと口の中でつぶやく。どうやったらライドウからワイポンに変化するのかわからん。というか、まともな名前つける気あるのか? そんな心配をしていると、突如カッと目を見開いてエンツォが吼えた。
「『モブ
「なぜっ!?」
「空気みたいで何の特徴もないからな」
「い、嫌ですよ! ただでさえこんな部に入って変人扱いされそうなのに、モブ男とか最悪じゃないですか!」
「じゃあ、『
何だよ、その落語家の名前みたいなの! しかも若干悪意感じるわ!!
「もっとまじめに考えてあげようよ」
そういったのはカオルだった。ああ、あなたが女神様のように輝いて見えます! 男だけど。
「そういえばシュンくんってどういう漢字なの?」
「えっと馬って書いてカタカナのムとハとタみたいなやつです」
「じゃあ、うまハム太」
投げやりにエンツォがいう。もう黙っててください。
はっと気づいたようにコウバン先輩が手を打った。
「それってあのアニメ映画監督と同じ名前だよね? なら『ハヤオ』でどう? なんだか速そうだし」
やはりあなたはこの部の唯一の良心だ!
しかし、エンツォは納得しかねるといったように、あごに手を当てて渋い顔を作っていた。
「ハヤオ、か。悪くはないが……ふわーっとしていてインパクトに欠けるな」
「そう? 僕はいいと思うけど。みんなはどう?」
「いいんじゃない?」とカオル。
「アタシもいいと思う~」とテイブン先輩。
え? アタシ? 今アタシっていった!?
「うむ。みながそういうならば仕方ないな」
エンツォはそういうと腕組みをほどいておれのほうをビシっと指さして、宣告をするように大声をあげた。
「今日からお前は『パヤオ』だぁッ!」
おれのまわりで小さな拍手の渦が沸いた。
なんか勝手に「゜」が追加されているんですけれど……
それよりも、テイブン先輩、さっきアタシっていいませんでした?
「よし。名前も決まったことだし、着替えて尾上山にむかうぞ。パヤオはまだレーススーツがないから、体操服に着替えてくれ」
エンツォがぱんぱんと両手をうったのを合図に、テイブン先輩とコウバン先輩は奥のロッカースペースで例のオレンジ色のツナギに着替え始めた。
全員の着替えが終わると、部室内に置いてあった台車を押して、昨日も行った尾上山へむかう。おれにとっては軽めのハイキングといった感じだ。
部活動とはいえ、毎日この山を登っていれば、それなりに健康的ではありそうだ。ただし、下りは台車に乗ってだけど。
程なくして頂上に到着し、おれは山肌にせり出すように設けられた展望台に立った。頬をかすめる春の風が青葉を揺らし、野鳥がキョロロとさえずっている。展望台に設置された柵のすぐ下の斜面にはソテツの木がはじけた花火のように放射状の葉を広げている。実に長閑で平和な時間だ。
「なにをぼうっとしている、パヤオ!」
怒られた。
エンツォたち三人は芝生の上で準備体操のストレッチをしているところだった。おれもその輪に加わる。
やがて、準備運動を終えたエンツォは押してきた台車のところにおれを呼んだ。
「よし、乗れ」
「え、乗るの?」
「当たり前だ。乗らんと始まらん」
それはそうだけど、まだ乗り方教わってないし。ていうか、これに乗るとかマジで恥ずかしい。
「ただ乗っていればいい。さあ、乗れ!」
エンツォはおれの腕を引いて強引に荷台に押し付けると、カオルを呼んだ。
「カオル、パヤオを乗せた台車を押して坂をくだれ。その間に基本的なライドテクを教えてやるんだ」
「りょーかい」
「コウバンはタイマーのチェックと下でコース確保してくれ」
コウバン先輩は「OK」とうなずき、小走りにさっき登ってきた遊歩道を駆け下りていった。
「じゃあ、パヤオ君行こうか」
カオルは荷台に座り込むおれを乗せたまま、ゆっくりと台車を発進させた。そのおれたちの横を、エンツォが台車に乗ってものすごい勢いで駆け抜けていき、目の前のコーナーをまるでドリフトするように大きく後輪を横滑りさせながら曲がっていった。
「まずハントラには基本的な二つの乗り方があるんだよ。一つは今君が乗るみたいに、台車の
「その乗り方で違いはあるの?」
「うん。台車にはコマが四つついていて、そのうちの二つがコマ方向が変わる自在コマ、残りはコマのむきが変わらない固定コマになっているんだ。フロントフォワードはフロントが自在コマになっていて、リアフォワードは逆、後ろが自在コマになるの。これはコーナリング時の荷重のかけ方の違いに現れるんだよ。フロントフォワードは自動車と同じで前のコマをまげてコーナーを曲がっていくから、進行方向は安定しやすいけれど、やや大回りになっちゃう。逆にリアフォワードはさっきのエンツォみたいにお尻を振ってコンパクトなコーナリングができるんだよ。ただし、直進安定性が悪く、体重移動がシビアというデメリットもあるけどね」
なるほど、とカオルの説明にうなずいた。カーレースゲームでいえばフロントフォワードはグリップ型のマシンで、リアフォワードはドリフト型のマシンみたいなものか。
「さっそく一つ目のカーブをゆっくり曲がってみよう。台車の右前に体重をかけるイメージで踏ん張ってみて」
おれは体育座りしていた姿勢から、中腰になり、左後方と右前方に軽く足を開く。両手でバランスを取りながら、そっと体重を右前方にかけると台車はゆっくりとハナ先を右へとむけていく。
「わあ、上手上手! パヤオ君、素質あるね!」
褒められた。悪い気はしない。
「このまま次の左もいこう。今度はちょっと急なカーブだから気を付けて!」
カオルはスピードが出すぎないよう、台車をコントロールしてくれる。すかさずおれは前後の足の位置を入れ替えて、今度はさっきよりも少し強めに、左前方に体重をかけた。
すると突如、台車がコントロールを失い、くるんとスピンし、勢い余って台車から放り出されたおれは、コースわきの地面に背中をしたたかに打ちつけた。
「だ、大丈夫!?」
心配そうにカオルが覗き込んでいた。おれは強打した背中に鈍い痛みを感じつつ、
「大丈夫です」
と、体を返してうつ伏せになると、彼女(?)の差し出した手を取って起き上がった。
「ごめん、ブレーキが間に合わなかった。痛い?」
「ううん、平気」
「突っ込んだのが山側でよかった。谷側だったら大怪我じゃ済まないもの」
カオルの言葉におれはぞっとした。遊歩道の柵の向こうは急な斜面になっていて、落ちればひとたまりもない。エンツォみたいなスピードでコースアウトしようもんなら文字通り命取りだ。
「一応、ライドのときは台車とレーシングスーツをロープで結ぶんだけど、パヤオ君はまだスーツないから……」
「大丈夫です。ゆっくりだったらちゃんと逃げられると思います。さっきは突然だったので」
「オッケー。じゃあ、続けて乗ってみよう」
おれはもう一度カオルの押す台車の荷台に乗った。どういうわけか、少しだけやる気がわいてきていた。もちろん、台車に乗って坂道を下るという行為自体の馬鹿らしさは変わらないけれど、自分の体を使ってなにかをコントロールする、というのはそれだけで案外夢中になる。コントロールするものがテレビゲームの中の車なのか、台車なのかの違いだけだ。
ゴール地点までくだってはまた登り、そしてまた台車でくだる、その繰り返しをしているうちに、体重移動のやり方や荷重のかけ方のコツをつかんできて、ゆっくりならばコーナーをスムーズにクリアできるようになってきていた。
「すごいね! まさか初日でここまでコントロールできるようになるなんて思わなかったよ! もしかしてスノボーとかサーフィンとかやったことあるの?」
「いえ。スポーツはさっぱりなんですけど、おれ、車のレースとかが好きで、テレビゲームなんかではよくレースゲームをするんです。だから理論みたいなのはなんとなくわかるというか……」
「へぇ、でもやっぱり素質があるんだよ、パヤオ君。エンツォもその素質を見抜いていたのかもね」
エンツォ。あの変人イタリア人(もどき)がねぇ。
そういえば、なぜエンツォはこんな台車レースなんてものを始めたんだろう。それに、二年生の二人もどうしてこんな馬鹿げたクラブに在籍しているのか、謎だ。テイブン先輩にいたっては「青春をかけている」とまでいい切っていたし……
「あっ……」
「どうしたの?」
「いや、さっき部室でテイブン先輩がおネェっぽかったなって気になってたんですよ」
「ああ。彼、めちゃくちゃシャイだからね。なかなか地の性格を見せたりしないんだけど」
そうなの!? シャイとは別次元の風貌だけど。ていうか、地がおネェなの……?
「テーブンってさ、外見怖いでしょ?」
「え? まあ……はい。怖いですね」
「でも地の性格はそう、おネェっていうより、少女かな。実際テーブンは女子力高いよ。部室の清掃もテーブンがしてくれるし、ちょっとした小物も全部テーブンの手作りだもの」
「あ、それであの本なのか……」
納得……とはいかないな。だとしても、なんであんなに外見怖いんだよ。
「ボクもこんなだから、どことなく通じるものがあって、中学校からずっと仲良しなんだけど、二人ともやっぱり人と違うというか、まあ、いろいろあって苦労したんだ。でも、エンツォさんに助けられたんだよ」
カオルがそういったときだった。コースの下のほうから誰かの怒声が飛んできたのは。
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