第8話 これがおれの初勝利!?

 スタートの準備をしていたおれたちのもとにカオルが駆け寄ってきて、コウバン先輩のリザルトを伝える。スタート前に見せていた余裕の表情はすっかり影をひそめ、声にも悔しさが滲んでいた。


「さっきのレース、大熊が40.29秒、コウバンが40.82秒だった。最後少しは詰めたみたいだったけれど、届かなかったみたい」

「結果が出てしまったものは仕方ないわ。アタシたちがなんとかしなきゃ」


 テイブン先輩の言葉におれははっとした。おれたちが負けたら、この場所は大熊高校のやつらにとられてしまう。そうしたら、おれたちは流浪の民になるのか? ていうか、よく考えたら公共の場所だよな。でも、だからといって、あいつらに大きな顔をされるのは、やはり気分が悪い。

 つまり。

 負けたくない。

 ぎゅっと唇を引き結んでおれはテイブン先輩に真剣なまなざしを送ってうなずいた。


「とにかく、テーブンもパヤオ君も集中しよう。もうすぐエンツォが戻ってくるはず」

 そういっているそばから、エンツォが坂道を台車を押しながら登ってきた。その足取りはどこか重たい。


「やられたな」

 開口一番、エンツォは大熊高校の連中に憎らし気な視線を送った。

「やられたって?」カオルがエンツォに問いかける。

「あの大熊の金髪、恐ろしくコース取りがうまい。コーナリングスピードならコウバンのほうが上なんだろうが、コーナー進入直前にブロックを仕掛けて、コウバンのコース進入を遅らせていた」


 ブロックというのはよくモータースポーツなんかでは耳にするテクニックだ。コーナーで後ろから抜きにかかろうとしている相手に対して、わざとラインを外してオーバーテイクを防ぐテクニックだ。

 しかし、カオルは腑に落ちない、といった様子で

「でも、ブロックがうまい人くらいなら、コウバンならアウトから切り込んでクロスラインで抜けるはずじゃないの?」

 と反論する。

 クロスラインというのは、コーナリングで外側に膨らんでしまった先行車両を、コーナー出口でインから抜く高等テクニックだ。バイクレースではコーナーのたびにこのクロスラインで抜きつ抜かれつの白熱のバトルを展開することも少なくない。


「そこが奴のうまさだ。ブロックのタイミングが奴のコーナー進入とほぼ同時なんだが、その時点で後続のコウバンはまだコーナーに入っていない」

「それだとどうしてコウバン先輩に不利なんですか?」

 おれが質問を重ねる。

「ハントラのルールの中に、加速制限違反アクセラレーション・ファウルというのがある。行き過ぎたスピード競争を規制するためにできたルールだが、コース内では加速していいゾーンが、スタート直後の10メートル、コーナー進入から出口、そしてコーナー出口から10メートルと決められている。GPSラップタイマーにはペナルティ区間が登録されていて、その区間内に足で加速したと判定されると0.5秒のペナルティタイムがゴールタイムに加算される仕組みだ」

「つまり、ブロックを仕掛けたタイミングで、相手はコーナーに入っているから加速ができる一方で、コウバンはコーナー進入前だから、ブロックされて加速できずスピードが落ちて加速までのタイムラグが発生するってことね」


 カオルが手をあごにやって呟くようにいうと、エンツォはうなずいた。


「しかも、これはオレが見た感じだからなんともいえないが、わずかに車体をコウバンに当てたんじゃないかと思っている。あからさまなものは、レース妨害とみなされるが、こつんと当たることくらいはよくある。それを意図的にやっているならば、あの金髪野郎のマシンコントロールスキルはトップクラスだ」

「どっちにしても、おれたちが大熊のやつらに勝たなきゃいけないってことですよね」


 おれがいうと、背後から「そういうことだ」と不遜な声が聞こえた。そこには、ジョージと呼ばれていた大熊高校のボスがレーシングスーツに身を包んで、仁王立ちしていた。


「次のレースはオレが相手してやる。覚悟するんだな」


 ジョージは立てた親指を喉元で水平に引いて、がはは、と勝ち誇ったような笑いを置き土産にして、自分たちの台車をスタート地点へと運ぶ。荷台には大熊の選手のなかでは一番小さな男がちょこんと乗っていた。どうもこの緊張感にそぐわない絵面だ。


「アタシたちも行くわよ」

 テイブン先輩が台車の取っ手ハンドルを手におれを呼んだ。

「すぐに行きます。先に行ってもらえますか」

 先輩にそういうと、おれはカオルにたずねた。

「カオルさん。ひとつ聞きたいんだけれど、いい?」

「どうしたの?」

「知りたいんだ、一緒に乗るテイブン先輩のこと。おれだって負けるのは嫌だ。でも、テイブン先輩のことを何も知らずにタンデムに乗っても、先輩と同じ覚悟を持てるとは思えないんだ」

 おれは真剣な眼差しをまっすぐカオルにむけていた。

「教えてください、どうしてテイブン先輩がハントラなんかに青春をかけている、とまでいったのか!」


 カオルはちらっとエンツォを見る。エンツォは静かにうなずいた。カオルは真面目な表情で語り始める。


「中学生の時にね、ボクとテーブンが二人でいるところをガラの悪そうな高校生に囲まれたことがあったんだ。それこそ、漫画の世界だよ。『よう、にーちゃん、見せつけてくれるじゃないか?』ってね」


 ああ、カオルはそのころから女装癖があったんだな……たしかに、こんなかわいい子を連れて歩いていたら、うちの地域ならやっかみで因縁をふっかける輩がいてもおかしくない。もっとも、彼が男だと知ったらさらに驚いたことだろう。


「テーブンもボクもなす術ナシで、このままこの人たちにボコボコにされちゃうんじゃないかってそう思った。そのときだった」

 カオルは興奮気味に声のトーンを一段上げた。

「突然、風のように現れたエンツォの乗っていた台車が、高校生の頭にクリティカルヒットしたんだ。いまだにどうやって台車に乗った状態であんな高さまでジャンプしたのかわからないけど、気づけばあっという間に、ボクたちの前に五人の男が転がっていた」


 カオルはうふふと思い出し笑いをした。台車でジャンプして頭にヒットって、どういう状況なんだよ……でも、なんだかすげえ。


「エンツォは隅っこで震えていたボクたちにいったの。『負けたくなければ、強くなれ』ってね。それで、テーブンはエンツォに、自分は心の中が女の子で、そんな自分が強くなることができるのか聞いた」

「そうしたら?」

「『ハントラは速い者が強い。速い者に男も女も関係ない』って。それ以来、テーブンはエンツォにハントラの教えを乞うようになったの。だれよりも速く、強くなるために」

 いや、さっきの話だとエンツォは思いっきり台車で後頭部ヒットさせてたんですけど……でも、それもエンツォのあのスピードがあってこそなのかも。

 テイブン先輩の「ハントラに青春のすべてをかけている」という言葉は、自分のコンプレックスと向き合い、それを克服するために、この世界で誰よりも速くなりたい、という思いの現れだったんだな。


「ありがとう。カオルさん。おれ、やっぱり負けられないです!」

「うん、頑張って! パヤオ君。君ならできるよ!」

 

 おれはサムアップをしてスタート地点へと走り、テイブン先輩の押す台車の荷台に飛び乗った。そうだ、絶対勝つんだ。

 

「テイブン先輩、おれのことを気にしないで、本気でライドしてくださいよ」

 そういうとおれは中腰姿勢になり両足に力を込めて踏ん張る。ハンドラーが平床テーブルから落ちれば失格だといわれた。それだけは避けなければ。


「わかったわ。パヤオ君、もし先行している相手を抜けると判断したら、このサインを出しなさい」


 テイブン先輩は人差し指と中指を揃えて、ピストルの形を作ってピシッと前方にむけた。前に乗るおれが状況判断をして、後ろのテイブン先輩に伝えるためのハンドサインということか。


「そのサインが出たら全力で加速するわ。絶対に振り落とされるんじゃないわよっ!」

「はいっ!」


 スターターが立ち、カウントが始まった。おれの心臓がカウントの倍の速さで激しく鼓動する。

「5秒前……4、3、2、1、ライドォォン!」

 台車が一気に加速して、おれは後ろに転がりそうになる。が、それをなんとか耐える。身体を固定するものがない分、台車の加速やら遠心力やら、とにかくいろんな見えない力に体ごと持っていかれそうになる。これは……思ったよりもキツイ。

 そんなことを考える間もなく、最初のコーナーに差し掛かる。カオルとの練習ではコーナリングで強く体重をかけすぎて、くるんとスピンしてしまった。あのときの力加減を思い出し、荷重を右前にかける。しかし、思ったよりも曲がらない! なぜだ!?


「パヤオ君! もっと体重をかけなさい! アタシはカオルよりも重いの!」


 テイブン先輩が甲高い声を張り上げた。そうか、テイブン先輩とカオルじゃ倍近く体重が違う。ならばこっちも倍の力をかけなきゃダメってことか!

 片手で取っ手を握り、両足を踏ん張って、乗り出すようにして体を傾ける。なんとか台車は勢いを殺さずにギリギリカーブを曲がり切った。しかし、おれがもたつく間に、大熊のジョージたちは台車一つ分も先行していた。

 コーナー出口で、テイブンが左足で地面を蹴ってぐんと加速をした。一回、二回、三回。姿勢を低くしてその加速にバランスを崩さないよう耐える。テイブン先輩の脚力は相当なもので、あっという間に先行するジョージたちとの差を詰めた。


「連続ヘアピン! 死ぬ気で曲がるわよ!」

「はいっ!」


 テイブン先輩の合図でおれはブレーキに備えて後ろ手にハンドルを握り、同時にコーナーの内側に体を傾けて体重をかける。しかし、おれたちの台車はコーナリングで理想とされるライン、コーナーの中心の最も内側のクリッピングポイントを大きく外して外側に膨らむ。台車のスピードに対して、ハンドリングができていない。

 くそっ、と小さく口の中で吐き出すも、テイブン先輩は構わず、再びコーナー出口にむけて加速する。

 相手との差はまだ縮まった感じはない。が、大きく引き離されてもいない。


「次っ! 右に目一杯攻めるわよ!」

「はいっ!」


 先行するジョージの台車の後方にピタリとつけて、ブレーキング勝負だ。テイブン先輩の合図とともに今度はさっきと反対、右向きに体を倒す。遠心力で台車が浮き上がりそうになるのを、テイブン先輩の身体が強引に押さえつける。さっきのコーナリングよりもずっといいラインだ。それを証拠に、まだ完全に抜いてはいないものの、ジョージの台車にテール・トゥ・ノーズでピタリとつけている。

 それに、さっきからジョージたちの台車はどうもコーナリングが大きい気がする。


「そうか」


 気づいたぞ。ジョージは大柄でパワーがある分、加速力はテイブンより強力だが、操縦手ハンドラーが小柄なぶん荷重不足でそのパワーを扱い切れていない。おそらく、エンツォが最初に驚異的なライドをしたため、本来のオーダーとは違う順番で乗ったんだ。本来はあの金髪がジョージのハンドラーだったんだろう。

 とにかく。

 次のコーナー、わずかでもジョージたちが大回りしたら、インをつく。


「次で勝負しましょう!」


 そう叫んでおれはハンドサインを出す。人差し指と中指をピストルを打つポーズのように伸ばし、すっと前方へむける。

 オーバーテイク。抜きにかかるサインだ。


「了解! 行くわよ!」


 コーナー進入と同時にテイブン先輩のブレーキング。そのタイミングに合わせて体重を左に移動させて台車を強引に内側にむける。あとは、テイブン先輩の加速にすべてをかける。一回、二回、三回、四回。

 大きく地面を蹴って加速したおれたちの台車は、外にふれたジョージたちのラインとクロスするように、コースの谷側のギリギリいっぱいのところでついに追い抜いた。

 最後のヘアピンコーナーを抜ければ、あとは大きく曲がるS字コーナー。テイブン先輩の加速力があれば、そこでパスされる可能性はぐっと低くなる。つまり、ここを抑えれば、おれたちの勝利は目前だ!


「うおおおぉぉぉ!!」


 渾身の力を込めておれは猛スピードで坂を下る台車をねじ伏せるように、平床テーブルを掴んで大きく身を乗り出した。


「曲がれええぇぇ!!」


 そんなおれの叫びが天に届いたのかどうか、それはわからない。

 ただ、最後のヘアピンコーナーを抜けたとき、おれたちの前にジョージの台車は走っていなかった。

「いける、勝てる!」

 だが、そう思った瞬間、アスファルトを転がるキャスターの音が、おれのすぐ背後まで迫るように聞こえ、おれは思わず視線を右にやる。ジョージたちはおれたちのすぐ右後方に並んでいた。

 勝負はまだ終わっていない!

 テイブンはブレーキすることなく、最後のS字コーナーに突っ込む。そのスピードに振り落とされないように、必死にハンドルと平床テーブルの端をつかみながら、おれはタイミングを合わせて台車の動きをコントロールする。コーナーを抜けたら最後は立ち上がりの加速勝負だった。

 テイブン先輩は野獣のように咆哮すると、持てる力すべてを注いで最終コーナー出口で加速する。ここが最後の勝負所だった。

 ジョージたちの台車はおれたちとほとんど並んだ状態で必死に食らいついている。ゴールまで残りは5mもない。


「届けえぇ!」


 おれの叫びとともに、疾風ような速さでおれたちの台車はゴールラインを通過した。先にゴールしたのはおれたちだった。

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