ミッション!新入部員を獲得せよ!

第9話 これがおれのクラスメイト

 わずかな差だった。けれど先にゴールに飛び込んだのはおれたちだった。

 勝った! 勝ったのだ! おれの、いや、おれとテイブン先輩のライドが、あの大熊高校のジョージたちに勝ったのだ!


「テイブン先輩! やりましたね!」


 ヘルメットを脱いでテイブン先輩の顔の高さに手のひらをかかげてみせる。ここでパシンとハイタッチだ! うん、実に青春っぽい。

 しかし、そんなおれの予想に反して、テイブン先輩は息を切らせながら、切迫した様子でゴール前にいたコウバン先輩に「タイムは!?」と叫んだ。

 おれもつられて視線をコウバン先輩に送ると、先輩は静かに首を左右に振った。

 なんで? おれたちのほうが勝ったんじゃないの?


加速制限違反アクセラレーション・ファウルを取られた。テイブンたちに0.5秒のペナルティ・タイムが追加だ。トータルタイムは43.56秒と43.43秒で……大熊の勝ちだよ……」


 コウバン先輩が手にしていたスマホの画面に、いま彼が伝えたリザルトが表示されていた。『入舟 43.06』と表示された下の行に、『PT 0.5』と無情な数字が刻まれていた。

 そんな……おれたちは、負けたのか?

 途端に足から力が抜けた。

 がくんと膝を折り、地面に四つん這いになる。茫然と見つめる荒れたアスファルトの地面に、小さなシミが点々と広がった。それがおれの頬を伝い落ちた涙だったのだと気付く。

 なんだ。なんなんだよ、この胸にこみ上げる悔しさ。絶対におれたちの勝ちだと思ったのに……! おれは握りしめた拳を地面に叩きつけた。


「残念だったな。入舟」


 見上げると、ジョージがにやけ面を浮かべて近づいてきた。正直、今、思いっきりやつの顔面をぶん殴ってやりたい。ただ悲しいことにそんな戦闘力を持ち合わせていない。


「初心者にしちゃ上出来だったが、結果は結果。レースは結果がすべて。お前たちの」

 にたぁと裂けるほど口元を吊り上げて、たっぷりと間をためる。

「負けだ」

「まあ、そう急くな」


 突如、頭上から降った暢気な声にその場にいた全員が顔をあげた。そこには、エンツォがカオルを連れて坂道を下ってきているところだった。両手を頭の後ろで組みながら、ずいぶんと余裕の表情だ。それこそ、口笛とか吹いていそうな気楽さで、軽い足取りでおれたちのところへやってきた。


「おいおい。まさかなかったことにしろ、なんていうんじゃないだろうな」

「いや。レース結果は間違いなくあんたたちの勝ちだ。ただ、うちのチームであと一人、勝負をしてなくて不完全燃焼なのがいるんでね」

「は? お前たち四人とそのマネージャーのほかに誰かいるってのか?」

「いや。勝負したいのはこのマネージャーだ」


 エンツォがカオルをちらりとみる。カオルはにこにこと柔らかな微笑みをたたえている。まるでティーンズ雑誌のページから切り取ったみたいだ。

 声を失ったように、一瞬きょとんとしたジョージだったが、すぐにブフッと盛大に笑いを含んだ息を吹き出して、そのまま下品な笑い声をあげた。


「がはは、なんの冗談かと思えば。マネージャーの小娘がなんの勝負をするっていうんだ? じゃんけんか? あみだくじか! がはは、こりゃ傑作だな、おい!」

 大きな手で顔を覆うようにして馬鹿笑いをするジョージにカオルはほんの少しむっとしたような表情を作ったが、すぐにそれを引っ込めると、きらきらのスマイルを浮かべていった。


「ねえ。勝負するの? しないの?」

「ああ、いいぜ! おい、お前らも来い。面白い余興を見せてくれるらしいぜ!」

 とゴール地点に集まってきていた部員たちを呼び寄せた。

「それで、おれとなんの勝負をしようってんだ。なんなら、プロレスごっこか相撲でもいいぜ」

 ぐへへ、と、どう考えてもエロいことを考えているだろ、と容易に想像のつく笑いをこぼすジョージ。あー、でもカオルって女の子じゃないんだけど、黙ってようっと。想像ではなにをしていても自由だもんね。

「相撲は相撲でも……」

 カオルの口元がつっと持ち上がった。

「腕相撲でどうかな?」


 一分後。


 おれたちのいた尾上山が阿鼻叫喚の巷と化したのはいうまでもない。


 ** 


 翌日。いつもと変わらない朝の風景。教室の中はいくつかのグループが出来上がっている。同じ部活動同士で集まるやつもいれば、気の合う友人を見つけてグループを作っている連中もいる。だが、おれの周囲には誰もいない。

 心なしか、荷車検査部に入部してから、おれとクラスの連中とのみえない境界線の半径が50センチほど広がったような気はする。まあ、気持ちはわからんでもない。

 車検くるまけんについては校内でも謎多き存在だった。なにより、妙におっさんくさいイタリア人もどきの部長の奇行が目に付く。

 登下校や校内の移動はすべて台車に乗って移動。本人曰く

台車ハントラは友達! 怖くないぞ!」

 いや、別の意味で怖い。

 これがサッカーボールなら多少は絵になるのかもしれないのに。いや、それもちょっと問題か?

 それ以外にも、二、三人は始末してそうな三白眼のいかついおっさんもいる。もっとも、心の中は乙女チックで少女そのものなんだけどね。しゃべり方はおネェっぽいというかオカマっぽいけど。

 ただし、長身の超イケメン先輩がいるという噂は女子の間にもまことしやかにささやかれているし、超絶美人マネージャーの存在については輪をかけて謎につつまれていることだろう。なにせ、彼女はこの学校の放課後にしか存在しないのだから。

 おれの席は廊下側の一番後ろ。これまでの学校生活で、新学期が始まってこの場所から動いたことはほとんどない。渡辺君とでもクラスメイトにならない限りは、ここがおれの指定席だ。

 車検くるまけんに入部したことで、おれはまともな高校生活を手放し、むしろイロモノ的な存在になるだろう、ということはある程度覚悟していたし、これまでも別に積極的に誰かと仲良くなろうともしていなかったので、このクラスメイトとの距離感にはそれほど、悲哀を感じない。

 むしろ、昨日のレースの結果がことのほか重く心にのしかかっていて、台車乗りなんて、と馬鹿にしていたハントラに、かすかに心が奪われていることに驚いた。

 そういう意味では、この日はいつもと違ってすこし冷静にクラスの様子を眺めることができていたのだろう。そのことが、ある小さな気づきにもつながったのだ。

 窓際で一人、どのグループにも属さずに本を読んでいる小さな女子がいた。別にそれ自体はなんの不思議もないのだが、この時期におれみたいに誰とも交流を持っていないことに、ほんの少しだけ違和感があった。

 とはいえ、あまりじろじろとその横顔を観察していると、視線に気づかれそうな気がして、おれはすっと彼女の少し前方の窓の外を見遣った。馬鹿らしいほどの鮮やかな青空にぽつりぽつりと薄い雲が漂って、それはそれは平和な光景が広がっていた。

 彼女の名前はなんだっただろうか? 窓の外の空をぼんやりと見ながらそんなことを思っていた。


 放課後。部室に行くと、すでにカオル以外の全員が揃っていた。


「お疲れ様です」

 おれが挨拶をすると、エンツォが

「何者だぁ、貴様ァ!」

 とおれを指さして叫ぶ。二回目なので相手にせずに、おれは並んだパイプ椅子の一つに腰を掛けた。

「はいはい、パヤオですよ。大熊とのレースに負けたパヤオです」

 ふてくされたようにそういうと、エンツォは人差し指を小さく振って「チチッ」と舌を鳴らした。


「そうじゃない。初めてのライドであれだけのハンドリング、バランス感覚。そして何より、あのスピードに対する恐怖を克服する強靭な精神力。貴様、いったい何者だ、といっているのだ」

「エンツォは褒めたんだよ。パヤオ君のことを」


 コウバン先輩が微笑んだ。褒められたのか?


「でも、レースには負けてしまいました」

「それなら僕だって負けたよ」とコウバン先輩が笑う。

「だいたい、負けたのはアタシのミスでしょ?」


 テイブン先輩がいう。きっと加速制限違反のペナルティをくらったことをいっているんだろう。しかし、エンツォはまたも舌を鳴らしてそれを否定する。


「ミスなもんか。あそこで一回分の加速をするかしないかで、次のコーナーで先行するか、後塵を拝すことになるのかの分かれ目だった。0.5秒のタイムと引き換えに、コーナーを先行することを選んだテイブンは、加速手スラスターとしてベストな判断だった。結果的に、その差よりも大熊の連中のほうがわずかに早かっただけだ」

「でも、アタシがもっとうまく加速していれば、ペナルティを受けずに相手を抑えられたかも。せっかくいいハンドリングをしてくれたパヤオ君に申し訳ないわ」


 昨日一緒にライドしたことで、なんとなくだけどテイブン先輩との距離感が近づいた気はする。テイブン先輩もおれに対して、もはや自分のキャラクターを隠す必要がないと思っているのだろう。


「いいではないか。一度負けたくらい」

「それにしても」おれが口をはさむ。

「エンツォさんは初めから勝負に関係なくカオルさんをぶつけるつもりだったでしょう?」

「当たり前だ」

 エンツォは胸を張る。おれはうわぁ、と隠すことなく苦い顔を作る。

「連中がおれたちと約束を反故にすることなんて簡単に想像できるだろ。カオルでダメなら顔面に台車をぶち込むつもりだったさ」

 ハハハ、と顔はイタリア人なのにアメリカンジョークで笑う外人のような軽い笑い声をあげるエンツォ。顔面に台車をぶち込むって……まあ、でもおれもゴール直後のジョージの言動には腹が立ったのは事実だ。スポーツマンらしくなかったし。

 そんな話をしていると、部室のドアが押し開けられて「おーまーたせー!」とストロベリーパフェのように甘々な声が響く。すでにメイクとウィッグでばっちり女の子と化していたジャージ姿のカオルが飛び跳ねるように部室内に入ってきた。


「パヤオ君、昨日はお疲れ様。はい、これ! ボクからのプレゼント!」


 隅にリボンのバラのついたA3サイズよりも一回りほども大きな包装紙に包まれたナニモノかを、おれに押し付ける。


「プレゼント? でも、なにかの記念日でもないけど……」

「いいから開けてみてよ!」


 嬉しそうなカオルの様子におれは包装紙を丁寧に広げる。中からはパリッとしたビニール袋に包まれたオレンジ色の布地が出てきた。

 これってまさか。

 袋を開ける。出てきたのはおれの予想通り「車検くるまけんと背中に大きく刺しゅうされたツナギ、つまりおれたちのレーシングスーツだった。


「さあ、パヤオもさっさとそれに着替えてこい! 今日もやることは山のようにあるぞ!」


 嬉しいのか嬉しくないのか。そのツナギをじっと見つめていたけれど……うん、やっぱりちょっと嬉しい。

 早速ロッカーでそのレーシングスーツに着替える。多少袖が余る気はするけれど、高校生活の三年間のうちには体も大きくなるだろう。

 そう思って、おれって三年間、この部活動を続けるつもりか!? と自分自身に笑いそうになった。でも、それも悪くないのかも。


「さあ、パヤオを正式にメンバーとして迎え入れたところで、さっそく行こうか!」

「行くって、練習ですか?」


 はっはっは。とエンツォは大げさに笑う。


「相変わらず馬鹿だな。パヤオ。お前はまだ車検くるまけんが存続の危機にあることをわかっていないようだ」


 存続の危機……?

 あっと短い声をあげた。今月中にあと一人、正式な部員を入れなければ、荷車検査部は「部活動」として認めてもらえなくなるんだった。

 おれの新たな船出は、いつもいつもどうしてこう妙な問題ばかりが起きるのだろうか……おれは両手で額を覆った。

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