第20話 これがおれの秘密特訓

 どこをどう間違えたらそうなるのかはわからなかったが、とにかくおれとカオルのハントラ対決が決まった。

 そうなったからには、まずはレース用の台車を調達しなきゃいけないわけだけれど、最初の壁はその台車だった。

 ハントラ初心者のおれには台車の良し悪しというのがまずよくわかっていない。加えて、レースに使うような台車がどこに売っているのかさえ知らないのだ。そもそも「レース用台車」という概念すらないし。

 とりあえず、おれは陳列棚に収納されている台車を取り出して床に置き、折りたたみ式の取っ手を引き起こす。その状態から台車のむきをくるりと反転させて、荷台を自分のほうにむけて足を掛けようとしたところで、はたと気づいた。

 やべえ、店内で台車にところだった! 高校生にもなって台車に乗るってやっぱりおかしいわ!

 顔に上った血を下げるように、両手でぱたぱたと自分の顔を仰ぐ。知らないうちに台車は乗るもの、という意識が刷り込まれているみたいだ。あっぶねえ。


 台車を元の場所に戻して、値札を確認する。

 一番安いスチール製の台車で3,980円もする。スチール製は台車自体が重たいしキャスターも運搬のための必要最低限、転がればなんでもいい、といった仕様のため、これはレース用としては論外だ。しかし、その上のランクの樹脂製台車だと軽量ではあるけれど耐久性に心配がある。しっかりとした作りの物だと値段が8,000円以上するものばかり。正直、おれのお小遣いで買うには微妙に高い。だからといって、親に「台車レースをするから、台車を買ってください」とはお願いできない。吹奏楽やるから楽器を買いたいというのとはわけが違う。第一、つい最近合宿用の費用を親に無心したところだったので、到底援助は期待できそうにもない。

 台車売り場でしゃがみこんで、値札とにらめっこしながらすっかり途方に暮れていると、どやどやと数人の男たちが通路を入ってきた。

 顔をあげたおれと先頭にいた相手と目が合い、お互いに「あっ」と短い声をあげた。


「お前、確か入舟高校のハントラ部じゃねえか?」


 そこにいたのは数人の部員を引き連れた大熊高校ハンドトラックライド部の部長、ジョージだった。以前、おれたちの車検くるまけんに因縁を吹っかけてきて、エンツォに返り討ちにされた相手だ(ただし、返り討ちにしたのはカオルの腕相撲だけど)。


「それじゃ、ボクこれで……」


 悪い予感しかしなかったので、相手と目を合わせないように反対側の通路へと出ようと踵を返したところで襟首をひっつかまれた。


「ちょ、なんですか?」

「お前、ここで一人で何している?」

「別に。ちょっと台車を見てただけです」

 どう考えても一般的な高校生が口にするセリフではない。なんだよ、ちょっと台車見てただけって。

「こんなところで台車マシンを買うつもりか?」

 ジョージはあきらかに小馬鹿にしたように笑いを含んだ声でいう。

「別に……まだ決めてませんけど」

「ハントラの台車マシンは普通はみんなプロ用を使うもんだ。こんな量販店の台車マシンを使ったら、いくらも走らないうちに簡単に壊れるぞ」

「けど、おれ金ないし、しょうがないですよ。とりあえず乗れるやつなら何でもいいから買わないと……」

「おい、ちょっと待て」

 ジョージに話を遮られて、しまった、と思ったがもう遅かった。


「なんでお前、自費で台車買おうとしてるんだ。部の所有のものがあるんじゃないのか? だいたい、台車マシン選びになぜお前の部の連中がついてこない?」

「それは……」


 いい淀んでいると、ジョージがなにかを思いついたのか、ぽんと手を打っておれの肩に腕をまわして、耳元で小声でいった。

「なあ、お前次第で俺たちの台車マシンを一台貸してやってもいいぜ。ちゃんとレース仕様にカスタムしたやつだ。理由はよく知らんがお前、困ってるんだろう?」

「困っては……いますけど……」

 戸惑いながらいうと、すかさずジョージはそんなおれの弱みに付けいるように、さらに続けた。

「困ったときはお互い様ってな。日本にはいい言葉があるじゃねえか。どうだ、お前の願いを叶える代わりに、こっちの頼みもちょっと聞いてくれりゃあ済む話なんだよ」

「頼みって?」

「お前の部にカザリアカネさんという女子がいるだろう」


 うわ、やっぱりを出してきた。

 ジョージは過去に、花咲里さんに惚れて、彼女につきまとっていたことがあるのだ。ちょっと前にジョージの取り巻きの一人、プリン頭が、ジョージの命令で花咲里さんにつきまとっていた現場をエンツォに見つかり、台車で(物理的に)叩きのめされたことがある。ちなみの、おれもその現場にはいたが、到着したのがやつらが完全に気絶したあとだったので、あの場におれがいたことはジョージもプリンも知らない。


「しらばっくれんな。調べはついてる。なに、別に取って食おうって話じゃねえよ。簡単なことだ。アカネさんと俺のお茶会をセッティングしてくれればいい」

「そ、それだけでいいのか?」

「そうだ。それでお前は台車マシンが手に入る。いい取引だろう?」

 ジョージは満足げににたりと笑うと、ぱんとおれの肩を叩いた。

 花咲里さんとジョージのお茶会……それがお茶会で終わる保証なんてないんじゃないか? でも、おれがカオルとのハントラ勝負に負けたら、今度はカオルに花咲里さんがあんなことやこんなことをされてしまう。かといって、おれ一人では台車の調達さえままならない。

 まさに進むも地獄、戻るも地獄。前門の虎、後門の狼だ。どうしてこうなった。


「さあ。どうするよ、入舟の」

「も、もう一つだけ頼みがある。それをきいてくれるなら、お、おれから花咲里さんに話をつける」

「頼み? なんだ、いってみろ」

「来週の日曜日までに、おれにハントラで速く走る方法を教えてくれ」


 ジョージは目を丸くして「お前にハントラを? 俺たちが?」ときき返した。おれは一度だけうなずいた。

「お前、部でなにかあったのか?」

「違う。おれの個人的な問題だ。あんたたちを腕相撲で負かしたカオルって子、覚えてる?」

「あの女か? 忘れるわけねえだろ」

 ジョージはだみ声を張り上げていきり立つ。ちなみに、男だけどね。

「車検には内緒でおれは彼女とハントラで勝負しなきゃならなくなった。おれは何としてでもその勝負に勝ちたい、勝たなきゃいけないんだ」

「そのために秘密特訓をしたいってことか?」

 おれがうなずくと、ジョージは店内に響き渡りそうなほどの下品な笑い声をあげた。


「なるほど。それで部に内緒で一人で台車を買いに来たのか。いいだろう、手伝ってやる。代理戦争ってわけじゃねぇが、お前に一口のってやろうじゃねぇか」

 ジョージはおれにむかって右手を差し出した。おれは一瞬迷ったが、その右手をとってがっちり握手を交わした。交渉成立だった。

「入舟高校の来道らいどう駿しゅんです」

「大熊高校、ハンドトラックライド部部長のジョージだ」

 こうしておれは台車とコーチを手に入れたわけだけど、この罪悪感はハンパない。だいたい、花咲里さんを守るためのカオルとの勝負に大熊高校の手を借り、その交換条件に花咲里さんを人柱にするなんて、本末転倒もいいところなのではないか? けれど、あれこれと迷ってる場合ではなかった。後のことは後で考えよう。


「それじゃあ早速特訓に行こうじゃねえか。着替えはあるのか?」

「一応持ってるけど」

「なら、どこかで着替えて駐車場までこい。十分後に出発するぞ」

「出発って、どこに?」

「コースに決まってるだろが!」

 怒鳴られた。けど、近くの尾上山はエンツォたちが使っているし、どこで練習しているんだろう? おれがいうのもちょっと変だけど、気になる。


 店のトイレでジャージに着替えて駐車場にいくと、大熊高校のハントラ部十数名が台車に乗ってずらりと横一列に並んでいた。どんな状況だ、これ!?

「あの、今からなにやるんですか?」

「ここから産業道路を通って新港の埠頭まで約三キロある。そこまで台車マシンに乗って行く。最後になったらもう二キロの追加だから遅れるんじゃねえぞ」


 普通ランニングとかじゃないの? 

 きょとんとするおれに、ジョージは一台の台車を差し出す。平床が格子状になったアルミメッシュ構造で、手にするとスチール製とは比べ物にならないほど軽い。キャスターも軽く触るだけでハンドスピナーのように驚くほどなめらかに回る。車軸のベアリングや自在コマの旋回軸にもガタつきは一切なく、まるで緻密に組み上げられた工芸品のような仕上がり。これなら体重移動による操縦ハンドリングもしやすそうだ。

 って、おれはなんで台車について熱く語ってるんだ!? おれってそんなに台車好きだったか?


「それじゃあ、スタートだ遅れるなよ!」


 ジョージの掛け声を合図に、大熊高校の部員たちが一斉に飛び出していった。おれも慌ててその台車乗りハントライダーズの群れの最後尾についた。

 さすがにジョージとプリン頭は速い。あっという間に、他の部員たちから十メートル以上も先行していた。おれは後方で様子を見ながら、少しずつペースアップする。

 一キロほど走って気づいたが、今のおれは長距離を走っていてもさほど苦にならない。それどころか、あのダクタイル鋳鉄台車に比べて、このスムーズな乗り心地。放っておいてもスイスイ前進しそうなほどの滑らかさだ。二キロを過ぎてほかの部員が徐々にペースダウンしていく中で、おれは全くペースが落ちなかった。これってあの合宿の成果なのか? まさか、エンツォは初めからこのことを知っていて、あの鉄下駄みたいな台車におれを乗せたとでも? 


「なかなかいい根性しているな、来道シュン」

 大熊高校が練習場所にしている新港の埠頭に到着したとき、おれは他のほとんどの部員たちを追い抜いていた。ジョージもおれがこのロングライディングについてこられるとは思っていなかったらしく、遅れた他の部員たちを叱責するほどだった。

「来道、どうやらお前はハントラの才能に恵まれているらしいな」

「おれが?」

「前のレースでのタンデムライド、操縦士ハンドラーとしての技術はまだまだだったが、コーナーに臆することなく突っ込んでいく姿勢は見事だった。そして、このロングライドもこなす脚力だ。すでにハントライダーとしてのベースは整っているといってもいいだろう」


 外部の人間にそういわれると悪い気はしない。もっとも、それがハントラだというのがちょっと残念なところではある。


「お前を来週までに勝たせるためにはただ一つ。操縦技術ハンドリングスキルの向上のみ」

「操縦技術の向上? それってどうやるんですか?」

「おい、プリン。こっちに来い」

 ジョージがプリン頭の男に声を掛けた。あの人、ライドネームもプリンなのね。

「来道、こいつは前のレースでシングルで乗った風林かざばやし嘉三よしみ、通称プリンだ。こいつは国内でもトップクラスのマシンコントロールができる操縦士ハンドラーだ」

 そういえば、前に対戦した時、エンツォもそんなことをいっていたなと思い出す。

「ど、どうも」

 おれはぺこりと頭を下げる。プリンはおれを下目に睨みつけるようにして腕組みをしている。テイブン先輩に勝るとも劣らない威圧感だ。なんでハントラやっている人ってこう強面が多いんだ?

 

「来道にはドラッグトラックをやってもらう」

 不敵な笑みを浮かべつつジョージがいう。なんだよ、その物騒な響き。

 ジョージが「用意しろ」と声をかけると、数人の部員たちが「うっす」と低い返事をして、けん引ロープのようなものを持ってくる。そして、プリンはどこから持ってきたのか、マフラーに穴が開いてるんじゃないかってくらい、排気音がうるさいボロボロの原付バイクに乗って再登場した。

 ドラッグトラックってもしかして……


「ドラッグトラック、通称ドラトラ。このバイクと台車をロープで繋いでけん引する。お前は台車から振り落とされないように操縦するんだ」

 やっぱりそうくるか! 要するにウェイクボードの台車バージョンだ。もちろん、そんな格好いいものではないし、ウェイクボードのようなモテ要素はゼロ、むしろマイナス!

「当然、バイクはヘアピン、高速コーナー、ロングストレート、ありとあらゆるコースを想定して走る。どう走るかはバイクを運転するプリンの気まぐれおまかせコースだ」

 おしゃれなレストランのメニューかよ! 

「今日から一週間、お前は放課後毎日ここでドラッグトラックの練習だ。ありとあらゆる台車の動きをその体に叩き込め」

 今になって、やっぱりこいつらにコーチを頼むのをやめときゃ良かった、という後悔が押し寄せてきたが、まさに後悔先に立たず。ちくしょう、こうなったらやってやる。徹底的にハントライダーとしてレベルアップして、カオルとの勝負に勝ってみせる!

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