第7話 これがおれの初ライド!? 2

 突如レース会場となった尾上山展望公園では、着々とスタートの準備が進められていた。双方の台車にGPSタイプのラップタイマーが取り付けられた。これは、その名前の通り、GPSシステムによってタイムを計測することができる機械で、パソコンやスマホの画面に登録した受信機のレースタイムを表示することができるスグレモノ。

 コースと計測ポイントは事前にパソコンで登録されているので、あとはコースを走ればスタートもゴールも、コース途中の計測ポイントのタイムもすべて表示できるという。


 おれたち車検くるまけんのエントリー順は、最初のシングルにエンツォ、二番手のシングルにはコウバン先輩、そして最後のタンデムにテイブン先輩とおれが乗ることになった。

 エンツォは台車の最終チェックをしながら、おれとテイブン先輩を呼んだ。


「タンデムは二人がどれだけ合っているかが勝負の決め手だが、今日初めてペアを組むパヤオには難しいだろう。テイブンがうまくリードしながら、パヤオのハンドルをアシストしてやってくれ。ただし、タンデムの場合は、平床テーブルに乗るハンドラーが落ちてしまったらDNF失格だ。だから、なにがなんでも平床テーブルからは落ちないように注意してくれ」

「が、頑張ります」


 いかにも自信がない、といわんばかりに覇気のない返事をして、おれはテイブン先輩に「よろしくお願いします」と頭をさげる。


「まあ、心配するな。オレとコウバンが勝てばいい話だからな」

「でも、もしおれたちに出番が回ってきたら、一勝一敗ってことですよね。それこそピンチじゃないですか?」

「そのときはそのときだ」


 おれとは真逆で自信たっぷりにエンツォはいう。頼もしいのか、はたまたなにも考えていないのか。この男の考えだけは読み取ることができない。


「あと、細々としたルールはあるが、そのあたりはテイブンに任せておけばいい。パヤオはとにかく、カーブを曲がることだけに集中しろ、いいな」


 エンツォはおれの肩をぽんとたたくと、あの派手なイタリアカラーのフルフェイスヘルメットをすっぽりとかぶって、コウバン先輩とカオルに手招きした。部員全員が集まると、誰ともなしに肩を組んで円陣になる。心もち小さいけれど、ちょっとかっこいいじゃん!


「それじゃあ、俺たちの新生車険くるまけんの初陣だ。絶対勝つぞ!」

「おおっ!」


 全員で声をひとつに士気を高めんとしたそのとき!

 

 ゴンッ! 

「痛ってぇ!」

 鈍器で殴られたような痛みが脳天に炸裂する。反射的に顔をあげると小さな円陣の真向かいにヘルメットをかぶったままのエンツォが立っていた。なんでヘルメットかぶってから円陣組んだんだよ! そんなんで頭振ったらぶつかるに決まってるだろ! わざとか!?


 相手の先鋒は、一団の中でもとりわけ、これといった特徴のなさそうな小柄でひょろっとした奴だった。スタート地点でエンツォと並ぶと、頭一つ分くらい身長の差がある。

 相手のライドスタイルはエンツォと同じ台車の取っ手を前にした「リアフォワード」だった。


「リアフォワードスタイルはスピードよりもコーナリングで勝負をするスタイルよ。せっかくだからコーナーワークがよく見える場所に移動しましょ。パヤオ君のライドのヒントになるものがあるかもしれないし」


 レース直前、テイブンがそう言っておれを連れてコースとなる遊歩道を下る。興奮しているせいか、完全に地のおネェキャラが出ちゃってるよ。

 今回のレースに使うコースはスタートからゴールまでの距離は約350メートル。

 スタート直後に右に曲がると100メートルほどはなだらかなカーブを描く緩やかな下りになっていて、そのあとはこのコースの難所、やや下り勾配がきつくなる四連続ヘアピンカーブ、そして最後の50メートル、急な下り坂になった緩いS字カーブを曲がればゴールだ。

 勝負ポイントはやはり中盤の連続ヘアピンでのコーナーワークと、最後の50メートルでいかにスピードを保ったまま、カーブを通過できるか、というところにある。

 テイブン先輩はコースのちょうど中ほど、連続ヘアピンカーブの途中にある遊歩道脇の空きスペースに陣取った。ここからだと、スタート直後は見えないが、中盤以降、ゴール手前までよく見える。


「ここならスマホでタイムも見られるわよ」


 そういってテイブン先輩はポケットからスマホを取り出した。画面にはこのコースの全体図が映し出されていて、その下のタイム表示は入舟と大熊で二列に分かれている。

 ほどなくして、頂上のほうから遠鳴りにカウントの声が響いた。カウントをとっているのは大熊高校の部員のようだ。


「5秒前! 4、3、2、1……ライドォーン!」


 その声を合図に、ごぉっと地面を勢いよくキャスターが転がる音が聞こえ、同時にラップタイマーの時計が動き始める。おれの心臓がどくんと一度、跳ね上がるほど強く鼓動を打った。

 スタート地点からここまではおおよそ200m弱。スタートから二十秒程で通過する計算だ。アスファルトを刻むキャスターの音が徐々に大きくなる。


「来たわよ!」


 テイブン先輩が叫ぶのと同時に、ヘアピンコーナーをものすごい勢いで曲がってくるエンツォの鮮やかなオレンジ色のレーシングスーツが視界に飛び込んできた。

 エンツォは台車の取っ手の低い位置を握り、荷台から大きく体を乗り出すようにして、遠心力でロールしようとする台車を地面に押さえつけながら、まるでGPライダーがハングオンでコーナリングするように、膝をアスファルトにこすりつけながら驚くほどスムーズにコーナーを曲がり切った。

 エンツォはおれたちの前を颯爽と駆け抜け、リアの自在コマを器用に操ってほとんど理想のコーナーワークで連続ヘアピンカーブを難なくクリアしていくと、コース最後の急勾配も膝のバネを生かして、アルペン競技のスキーヤーのように台車を左右に振って、大熊高校に大差をつけて勝利していた。


「すげえ……」


 初めてガチンコのレースを目の当たりにしたおれは、無意識にそう呟いていた。今の今まで、ただの馬鹿だと思っていたし、実際に台車で滑走している様をみて、その認識を改めたかと問われれば、「馬鹿だ」としかいいようがない。ただ、この一対一のスピード勝負を目の当たりにして、得もいわれぬ高揚感に包まれていたのも事実だった。


「パヤオ君。そろそろ準備するわよ」


 テイブン先輩にそういわれてはっと我に返った。そうだ、次のレースの結果次第ではおれも乗らなければならないのだった。

 スタート地点に戻ってくると、大熊高校のメンバーたちが騒然としていた。様子見と思っていた第一走でエンツォの超人的なライドテクを見せつけられたことで、部員たちに動揺が広がっているようだった。

 だが、最初に因縁を吹っかけてきた金髪プリンがメンバーを一喝すると「次は俺が乗る」と、自ら台車を押してスタートラインに立つや、奴らもわっと沸き立った。どうやら口先だけの奴ではないみたいだ。

 二番手としてライドするコウバン先輩はすっかりスタートの準備を整えていた。

 おれたちが戻ってきたことに気付くと、カオルは

「パヤオ君たちも一応、準備しておいてね」

 と余裕の笑みを浮かべていた。カオルは車検くるまけんのメンバーが負けるとは思っていない様子だ。

 程なくして、コウバン先輩と大熊高校の金髪がスタートラインに並ぶ。コウバン先輩はエンツォとは反対にフロントフォワード、つまり取っ手部分が後ろのスタイルで乗っている。相手の金髪はリアフォワードだった。気づけばおれは、緊張で汗の滲む手を固く握りしめていた。次第に胸を打つ鼓動が大きくなってくる。

 スターターにはカオルが立ち、手にした小さな赤い旗を掲げていた。


「それじゃあ、カウントします! 5秒前……4、3、2、1、ライドオン!」


 カオルが振り下ろした旗を合図に、勢いよく二人が飛び出す。ほぼ横並びで最初のコーナーに差しかかる。

「あっ!」とテイブンが短い悲鳴を上げた。インをついたのは大熊高校の金髪だった。コウバン先輩は序盤から後追いとなったのだ。カーブを曲がった後、コースは斜面の陰になるため、何も見えない。


「ここからじゃレース見えませんね」

「コウバンは無茶な乗り方をしない安定型だから、コーナーでしっかり差を詰めて、最後の直線で勝負を仕掛けると思うけど」

 と、テイブンは少し自信なさげスマホの画面にラップタイマーを表示させた。

 スタートからゴールまで計測ポイントは四つある。スタート地点、連続ヘアピンの最初と終わり、そしてゴールだ。ショートコースのため、レースタイムは40秒程度。そろそろ最初のラップタイムが出る。

 と、次の瞬間、わっと大熊高校側が歓喜に沸いた。

『入舟 10.45 大熊 10.28』

 最初のポイントを大熊先行で通過していた。


「ここからはコーナーの連続。コウバンはお手本みたいなコーナリングが売りだから、きっと差を詰めるはずよ」


 画面にじっと見入るテイブン先輩は興奮気味にいう。カオルも大きくうなずいている。しかし、増えていくラップタイマーの数字をじっと見つめていると、『入舟 26.74 大熊 25.55』と表示が追加された。大熊サイドからふたたび歓喜の雄叫びがあがる。


「一秒も離された!? なんで!?」


 カオルはテイブン先輩が持っていたスマホにぐっと顔を近づけた。その美しい横顔が驚愕の色に染まっている。おれはこの一秒差がどのくらいの違いなのかは分からないが、テイブン先輩にも動揺が走っているところを見ると完全に予想外の展開なのだろう。


「パヤオ君。出番になるかもしれない、準備しましょう」


 テイブン先輩は微かに震える声で言うと、スマホをカオルに預けて立ち上がった。おれとテイブンがスタート地点に到着したとき、大熊高校の部員たちから、わあっと拍手喝采が沸き上がった。ちらりと目をやったおれの視線に気づいたカオルが、顔を横に振ってこたえた。

 コウバン先輩は負けたのだ。

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