第10話 これがおれのクラスメイト2

 おれとカオルは放課後の校内を当てもなくうろうろとしていた。時折、前から来た男子生徒がすれ違いざまに振り返って、カオルの存在を確かめるような動きを見せていた。本人は慣れっこなのか、それとも反応を楽しんでいるのか、口元に淡い笑みを浮かべていた。


「あと一人。見つかるかな? パヤオ君みたいな才能を秘めた子だったらいいのにね!」

「おれが才能を秘めたって、そりゃあいい過ぎでしょう?」


 おれは苦笑いで手を振る。しかし、カオルは「ううん」と大げさに首を振る。


「追い込まれていたとはいえ、いきなりレースに出てあのスピードにも、コーナリングにも臆することがないなんて、並大抵じゃないよ。スケボーやスノーボード経験者だってあそこまで肝の座ったライドを初日から見せてくれないもの」

「うーん、そこまで深く考えていたわけじゃないんだけれど、とにかく無我夢中だったから」


 迫りくる急激なヘアピンコーナー。おれのすぐ下を猛スピードで流れていくアスファルト。たしかに想像していた以上のスピード感だったが、怖いという感覚はなかった。それどころか、キャスターから伝わる振動。テイブン先輩が力を込めて地面を蹴った瞬間の加速。それらの一つひとつの挙動が、感覚的に入り込んできて自然とおれの体が反応した、とでもいうのかな。

 あとは、レースという言葉自体に高揚していたのかもしれない。ずっと憧れだったモータースポーツとは少し違うけれど、それでもスピードやタイムを競うことに興奮していたのは確かだ。


「ところで、カオルさんはどうしてハントラじゃなくて、アームレスリングだったんですか?」

「だって、ハントラって転倒とかして怪我しそうでしょ? ボク、こう見えても『CUTEENキューティーン』の読者モデルとかちょくちょくやってるからさ」


 マジで読モやってんのかよ! つうか、それ、思いっきり女子中高生向けのファッション雑誌ですよね!? 


「だからなるべく外見に影響しない部分で強くなろうって決めたの。それで、アームレスリングを始めたら、いつの間にか世界ジュニアチャンピオンになっちゃった」


 あはは、と声をあげてカオルは笑った。いや、強くなりすぎでしょ……


 さて、今を遡ること十五分ほど前。


「コウバンとテイブン、パヤオとカオルの二手に分かれて新入部員を探すんだ」

 なんとしても新入部員を獲得せよというエンツォの厳命に、おれは疑問を投げかけた。


「別に入舟高校ウチの学校の場合、部から同好会に降格しても部室があるから、今とそんなに変わらないんじゃないですか?」

「馬鹿野郎っ!」

 エンツォの平手が飛ぶ。

 ぶ、ぶたれた! オヤジにも殴られたことがないのに!? まあ、本気で殴ったわけじゃないけれど、ツッコミにしてはキツい。

「そんな甘っちょろい考えでハントライダーズが務まるか!!」


 また新たな単語が……多分台車乗りのことかな。


「いいか、同好会に割り当てられる予算は限りなくゼロだ。そうすると、オレたちの活動は全て自費で賄わないといけないんだぞ!」

「自費ったって、台車に乗って裏山を転がるだけで、そんなお金かかるんですか?」

「バッキャローー!!」


 今度は台車で撥ねられた! 何すんだよ!?


「オセロや囲碁とは訳が違うんだぞ!」

「パヤオ君にはまだ実感がないかもしれないけど、ハントラは割とお金のかかるスポーツなんだよ?」


 コウバン先輩が床に転がったおれを引き起こしながら、エンツォが今おれを撥ねた台車を指し示した。あれはおれとテイブン先輩が昨日乗ったものだ。


「あの台車マシンは車両だけで二十五万円もするんだ」


 はい?


「二万五千円じゃなくて、ですか?」


 コウバン先輩は大真面目にうなずいている。


「それだけじゃないぞ」


 その台車に足をかけた姿勢でエンツォは腕組みをしている。


「お前たちの乗った台車マシンはスピードを追求して、かなりカスタムしてある。キャスターは衝撃吸収のためのダンパーが組み込まれたウレタン製で、一個三万円だ」


 さんまんえん!? ってことは、四個で十二万円!?


「特注のブレーキシステムも組み込んであるから、全部で四十万近くかかっている」


 ち、ちょっと待って。

 四十万円って!

 それ、中型のバイク一台買える金額だよ! 台車一台にそんなに金かけるとか、馬鹿か? いや、馬鹿としかいいようがない! 価値観が完全にあさっての方向をむいてしまっている! つうか、そんな高価なものでおれを撥ねるな!


「同好会に降格となったら、そのお金も自費だ。つまり、お前のマシンはお前の金で買わなければならないのだぞ!」

「台車一台に四十万も払えるかっ!」

「なら、なにがなんでも部員を獲得するしかないだろう」


 ――というわけで、こうして放課後の校内をカオルと新入部員を求めてゾンビのごとく彷徨うことになったのだ。

 とはいえ、放課後の校内には案外ひと気がないものだ。部活動のあるやつは大抵グラウンドや部室にいるし、用事のないやつはすでに帰宅してしまっている。図書室にでも行けば勉強中のやつらはいるだろうが、そんな連中に

「一緒に台車に乗りませんか?」

 と、声をかけたところで車検に入ってくれるとは思えない。というか、どうやって勧誘すれば車検に入ってくれるんだろう?

 いつの間にやら特別教室棟を抜けて、一般教室棟に入っていた。一階は一年生の教室が並んでいるが、知り合いのアテがあったわけじゃなく、放課後に残っているようなやつらがいるかもしれないと、なんとなく足がむいただけだ。


「そういえばパヤオ君は何組だっけ?」

「一年B組です」

「B組には入ってくれそうな子、いないの?」

「どうですかね。というか、おれ、どっちかというと、クラスでもぼっちみたいなもんですから……」


 苦笑いでいうと、カオルはええっと目を見開いた。


「パヤオ君みたいないい人をぼっちにさせるなんて、君たちのクラスは人を見る目がないのかな」

「いや、別におれ自身が積極的に交わろうとしなかっただけですから。ほら、ちょうどあんな風に、一匹狼を気取って……」

 と教室の中に視線を送る。放課後の教室の窓辺、一番うしろの席に座って、ひとり文庫本を読みふけっている女子生徒がいる。

 て、あれ? ここ、おれの教室じゃん。


「あの子、クラスメイト?」

 教室の上にかかる1-Bのプレートを見上げてカオルはたずねる。

「はい。でも、名前はなんだったかな……」

 懸命に思い出そうとするが、彼女の名前が出てこない。なんだか小難しい名前だったように思う。

「この際名前はいいじゃん。せっかくだし、ちょっと声かけてみよう!」


 カオルはそういっておれの手を引いて遠慮のかけらもなく、ずんずんと足を踏み入れた。

 窓辺に座る女子生徒はずいぶんと分厚い文庫本に夢中になっていて、おれたちがそばに来ても気付いている様子はなかった。


「ねぇ!」


 突然頭上から降ってきた声に驚いて、彼女はびくんと身体を硬直させて顔をあげた。カオルを見、そしておれを見ると、くいっとに首をかしげた。


「えと。ライドウ君? と……カノジョさん?」

「あ、いや。違う違う」


 おれは慌てて手を振る。ていうか、この子おれの名前を知っていたんだ。「カノジョ」という単語をきいて、なぜか嬉しそうな顔をして、カオルはぴょこんと飛びつくような動作で彼女の前の席に座る。


「ねえ。キミ、放課後に一人で本を読んでるけど、だれかを待ってるとか?」

「いえ……あの、ぬー、どちら様で?」

「ボクは荷車検査部のマネージャーのカオル。キミはパヤ……じゃなくて、来道君のクラスメイトさん?」

「……花咲里かざり、朱音あかねだりょ……」


 まだ警戒するような目をむけながらいう。そうだ、カザリさんだったと、ようやく記憶の底から彼女の名前を拾い上げる。ていうか、だりょってなんだ?


「アカネちゃんかぁ。かわいい名前。苗字も個性的だね。何て字を書くの?」

「花の咲く里でかざり」


 すごぉい! とカオルが大げさに驚いてみせる。いや、心底びっくりしているのかも。こんな苗字滅多にないし。それを覚えていなかったおれ。どれだけクラスの連中に関心なかったんだよ。そりゃあぼっちにもなるわ。


「で、でも。珍しいだけで、わん……わたしは別に……」

 わん? 犬か? 私といおうとして噛んだのか? それに語尾のあがる独特なイントネーションだな。

「どうしてアカネちゃんは一人でここで本を読んでるの? 部活は?」

「静かだし。誰もいないし」

「一人が好きなの?」

 ちょっと違う、といいたそうに、花咲里さんはその質問には困ったようにかすかに眉を下げた。

 よく見れば花咲里さんは小柄でぽてっとした可愛らしさがある。くりっとした大きな目は、カオルのような華やかさはないが、子犬のような愛くるしさだ。開け放った窓から入り込んだ風が、微かな潮の香りを乗せて彼女のボブカットの髪をさらりと撫でた。


「好きなわけやあらんど……」

 そういって彼女ははっと口をつぐんだ。もしかして、と、おれは思ったことを口にしていた。

「花咲里さん、最近どこか遠くから引っ越してきたばかり?」

 おれがいうとこくりとうなずいた。

「それで、方言が出ちゃうんだ。だから、それが恥ずかしくて、クラスの人たちとあまり話をできなかった?」

 こくこく、と二度うなずく。

「なあんだ。そんなことか。じゃあ、とりあえず、今ボクたちには気を遣わなくても大丈夫だよ。その程度のことなら、うちの部のキャラクターの中じゃあ、いっちばん薄いほうだし! ね?」

 そういってカオルはおれに笑いかけた。同意していいものやら……まあ、事実ではある。


「あの、ライドウ君っちば、最近部活ば始めよったと?」

 うわ、すごい訛り。でも、そんなおかしいとは思わない。むしろ、方言女子萌えってやつ? いい方は変だけど、なんかぐっとくる。

「うん。実はそう。まあ、馬鹿げた部ではあるけどね」

「うわっ、ひどーい。みんな真剣にやってるのに!」


 カオルがふくれる。とりあえず、今は無視する。


「それで、あと一人入ってくれる人を探してるんだ。今月末までに一人入らないとおれたちの部、潰れちゃうからさ」

「はげー、そうなの?」

 はげ? え、はげ? もしかして、テイブン先輩ここにいた?

 おれが無意識に周りを気にするそぶりをしたのを見て、花咲里さんはまたもはっとして両手で口をふさいだ。

「す、すみょうらん……わん、驚いたりしたら、自然と、はげーって……」

 あ、驚いたときの言葉なのね。すごいね、変わってるね。でも……

「なんか、和むね」


 おれが笑いかけると、初めて花咲里さんは目元を緩めた。


「あ、ありがっさま……りょん」


 最後は消えそうな声だったけど、でも確かに笑っていた。なんとなく、初めてクラスメイトと打ち解けたような気がした。


「その、ライドウ君がしちょる部活っちば、ぬー……な、何なのかなって……」

「ああ。えっと荷車検査部っていう、まああれだ。台車とかを使ってあんなこととかこんなこととか」


 いろいろごまかした。カオルが不満そうな顔をしている。だって、いきなり本当のこといえるか?


「台車っちば、あの荷物とか運ぶ、あれ?」

「そう。あれ……」

 改めていわれると、昨日はそれに一生懸命乗ってたんだよな、と、ちょっと恥ずかしくなる。花咲里さんを見ると、さっきの笑顔がすぅとひいて、怖いものを見たときのような、怯えの色が浮かんでいた。


「……わん……わたし、ちょっと、今日は……すみょらんっ!」


 派手に椅子の音を鳴らして急に立ち上がると、手にしていた文庫本をスクールバッグに押し込み、花咲里さんは走って教室を出ていってしまった。

 残されたおれとカオルは顔を見合わせて、お互いわけがわからない、といったふうに肩をすくめてみせた。

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