第22話 これがおれとカオルの一騎打ち!?

 そして、とうとう勝負の日曜日になった。

 あの後、マイクロは土曜日を丸一日潰してまで、個人的におれの特訓に付き合ってくれた。そのおかげで、おれは台車の挙動をほぼコントロールできるようになっていたし、この尾上山のコースのシミュレーションもばっちりできていた。


「レース前にコースをもう一度よく観察したほうがいい。シミュレーションはあくまでシミュレーション。路面やその周りの状況にもよく気を配って、注意するべきポイントは事前に押さえておくんだ」

 と、特訓の締めくくりにマイクロが助言してくれた通り、おれは台車を押してコースとなる遊歩道をもう一度よく観察しながら登った。

 コース終盤、四つ目のヘアピンコーナーの内側に生えた巨大な椎の木にアコウが着生していた。アコウはガジュマルなどと同じように、木の枝や岩に着生するとそこから気根が親樹を覆いながら、その一部は地面にむかってまっすぐに伸びていく。それはさながら幾筋もの流れ落ちる滝のようだった。この梢のどこかにアカショウビンがいるのか、クルルルーと美しいさえずりを響かせていた。

 コース中盤、四連続ヘアピンカーブはコースの右側に側溝が設けられていて、右コーナーとなる第二、第四コーナーのコーナリングはインを攻めすぎると、側溝にはまってしまいかねず、よりシビアな操縦ハンドリングが要求されそうだ。

 あとはコースを登りながら邪魔な小石や落ち葉などをコース外に除けておいた。


 到着した展望広場にはすでにカオルが待っていた。

「おはよう、パヤオ君。ずいぶんと熱心に練習していたみたいだね」

 口元に余裕の笑みを浮かべてカオルがいう。どういうわけか、今日は女装していなかった。無造作にセットされた短髪は、いつものカオルと違って、スポーティなのによく似合っていた。


「おれ、負けず嫌いなところがあるんで。カオルさんだってわかっているでしょう?」

 カオルはふっと短く鼻で笑う。

「まあね。それじゃあ、早速始めようと思うけれど、その前に今回のルールを決めておこう」

「ルール? いつも通りじゃダメってこと?」

「うん。今回のレースではボクたち二人しかこの場にはいないし、ラップタイマーも持ってきてないんだ。つまり、加速制限違反アクセラレーション・ファウルの判定ができない。だから、今回は加速制限なしでやろうと思うんだ」

「それって、どこで加速しようと自由ってこと?」

 カオルは人差し指をぴんと突き立てて「その通り」と爽やかにウィンクをする。加速制限なしなら、ドラトラで特訓していたおれにしてみたら願ったりかなったりだ。

「おれはそれで構わない。でも、カオルさんは大丈夫? 車検くるまけんでレースしなかったのは、雑誌モデルやってて身体に傷ができたらダメだからだっていってたでしょ? 加速制限なしってことは、それだけ転倒のリスクだって上がるんじゃないの?」

「でもそのぐらいのハンデを君にあげないと、勝負にならないから」


 おれは内心ムッとした。カオルは自分が転倒しない程度に力を抜いても、加速制限なしのおれに負けないといっているのだ。

 あからさまな挑発に「ハンデなんているかよ」といい返しそうになったけれど、その言葉はぐっと飲みこんで、少し冷静になれと自分にいいきかせるように大きく息を吸った。相手が挑発してきたときほど、一歩引かなきゃ。


「そうですね、ありがとうございます。でも、カオルさんこそ、勝負がついた後に『ハンデのせいで負けた』なんていわないでくださいよ」

「いわないよ。自分の言葉の責任くらい自覚してるさ。君も、自分のいった言葉の責任はちゃんと果たさなきゃだめだよ」


 おれのいった言葉の責任? なんのことだ? いや、きっとこれもカオルの作戦だ。相手の精神を乱すというのは勝負の世界では常套手段だと、なにかの本で読んだことがある。肉体を支配するのは精神なのだ。


「とにかく、レースはシングルライドのダウンヒル一本。加速制限なし。おれが勝ったら……花咲里さんにあんなことや、こんなことをするのは諦めてくださいよ」

「もちろん。ただし、ボクがかったら君はボクが花咲里さんに何をしても、一切口出ししないでよ。例えそれが、どんな場所であってもだよ」

 どんな場所でも?

「部室はもちろん、登下校中や授業中の君のクラスの中でだってボクはいつでも彼女にあんなことや、こんなことをできるってことさ」


 なんで話がエスカレートしてるんだよ! 

 っと、だめだ。落ち着け。今のところカオルのペースに乗せられっぱなしだ。要するに勝てばいいのだ。というか、勝たなきゃだめだ。花咲里さんを守ってやれるのはおれしかいない。


「それは、カオルさんの脳内だけで満足しておいてください。おれは負けませんから」

 カオルはにやりと笑った。

「スタートは十五分後。十時三十分の時報と同時だよ。いいね」

 おれが同意すると、お互いに少し離れた場所でレースの準備を始めた。


 正直いうと、昨日はあまり眠れなかった。気持ちが昂っていたというのもあるけれど、それ以上に、なぜこんなことに首を突っ込むことになったのか、よくわからなくなって、そのことをずっと考えていた。

 この勝負におれが勝っても得るものは何もない。花咲里さんがカオルを好きだという事実も変わらない。カオルの性癖とやらも、花咲里さんに行使しないというだけで、カオルが女装好きの変態であることは変えようがない。

 それでもやっぱり負けられないと思うのは、ハントラでなら勝てるという事実があれば、カオルという存在に負い目を感じる必要がなくなるかもしれない、そう思うからだ。おれは、あの部のメンバーとして、蚊帳の外になるのは嫌だった。みんなとフェアでいたかった。

 スタートまで残り二分。時計を確認すると、おれは展望台の縁に立ち眼下に広がるこの町の全景を目に収める。この町は小さなころから何も変わらない。でも、おれ自身はこのハントラを始めてからいろんなことが起こった。無色透明でなんの変化もなかった学校生活が動き出した。


「一分前だよ、パヤオ君」


 カオルの声で、おれは展望台の眺めから視線を引き剥がして、スタート地点に立つ。

 ハントラを通じて、ちょっと変わってるけれど、面白い先輩たちと出会った。

 他校のハントラ部員に困っているクラスメイトと初めて話をした。

 そんな彼女に恋をした……

「5秒前」

 そうか、やっぱりおれは……

「4、3、2」

 花咲里さんが好きだ。

「1」

 おれは顔を上げてヘルメット越しの世界を睨みつけた。

「ライドオンッ!」

 おれとカオルの掛け声が重なり、尾上山の頂上に響き渡る。と、同時におれは渾身の力を込めて左足で地面を蹴り出した。

 借り物の台車でも一週間、毎日乗っていればそのクセや長所がわかってくるもので、この台車の一番の武器はその軽さとコーナーのスムーズさだ。加速制限がないので、持てる力を注ぎこんで地面を蹴り、台車を加速させていく。

 まず最初の緩い右コーナーに差し掛かり、後輪の真上に乗せた左足を外に突き出しながら、台車の内側に体重を乗せてノンブレーキでカーブのギリギリイン側、クリッピングポイントを狙う。すぐ真横にカオルの台車が並んでいたが、構わず加速しながら突っ込んだ。

 軽量で加速力が高い分、おれの台車がわずかに先行してカオルの台車のコースをブロックして最初のコーナーを抜けた。

 すぐさま、ハンドルを握る手に力を込めて体をまっすぐに起こすと、次のヘアピンまでの直線を全力で加速していく。おれの背後にぴったりとをカオルの台車がついてきていた。

 これまででベストだといってもいいコーナリングだったにもかかわらず、カオルを出し抜くには至らなかったのは想定外、というか、カオルめちゃくちゃ速い! コーナリングだってテイブン先輩やコウバン先輩にも引けを取らないレベルだ! 

 やはり勝負はこの先の四連続ヘアピン。そこを先にクリアしたほうが勝つはず。


 今までに経験したことがないスピードで四連続ヘアピンの最初のカーブが迫ってくる。しかし、おれは臆することなくカーブに突っ込む。これは、大熊とのドラトラの特訓の成果だ!

 

 第一ヘアピンを難なくクリアして、次のコーナーにむけて加速しようとしたとき、おれの体は突如未知の生物と遭遇したかのように硬直した。

 カオルがおれのイン側に並んでいたのだ!


「なんでッ⁉ 飛び込みもコーナリングもベストタイミングだったのに!」

 おれの声が届いたのか、カオルはおれのほうをちらりと見ていった。

「簡単さ。ボクのコーナリングのほうが、君より速かった、それだけさ!」


 カオルは左足を大きく踏み込んで加速する。速い!

 ひと漕ぎでおれとの距離がぐんぐん開く!

 やばい! カオルの加速に見とれている場合じゃない!

 おれも渾身の力を込めて地面を蹴る。次の右コーナー、さっきの飛び込みのスピードじゃだめだ! もっと速くまわらなきゃ!

 でも、これ以上はドラトラでも体感したことのないスピード。おまけにコーナーのイン側は側溝だ。

 本当にコーナリングできるのか!?いや、やらなきゃ負ける! 負けたら……花咲里さんはカオルの変態フルコースの餌食に……!!


「クソッ! もうどうにでもなれ!」

 マイクロとの特訓のときよりもさらに速いスピードで右のヘアピンコーナーに突っ込む。強引に後輪を大きく振って横滑りさせながら、腰を低く落として側溝ギリギリの最小半径でコーナーを旋回すると、すぐさま左足で目一杯で地面を蹴って加速する。しかし、それでもなおカオルとの差はまだ台車一台分ひらいていた。これでも追いつかないのか!

 コーナーはあと二つ。次の左コーナーまではあと20メートルもない。

 どうする。どうやって走ればいい! 予想以上のカオルのスピードに完全に狼狽していた、そのときだった。

 おれの背後から突風のように何かがおれの体を突き抜けていった。

 おれのすぐ目の前には、台車に乗って颯爽とコーナーを駆け抜けていくエンツォの後ろ姿があった。

 もちろん、その場にエンツォがいるはずはない。いくらエンツォでもおれの体を通り抜けたりはできないはずだ。

 これは、おれが初めて台車に乗ったあの日。大熊高校とのレースで見たエンツォのライディングの記憶。

 エンツォの幻影は先行するカオルすらも追い抜いて、疾風はやての如く、あっという間にコーナーのむこうへと消えていく。なんて速さだ。


「そうだ。あのとき、エンツォはどうやって乗っていた? 飛ぶようにコーナーをクリアしていったあのライディングは……」


 三つ目のコーナーがすぐ目の前まで迫っている。

 おれは、エンツォのライディングを記憶をなぞるように思い起こす。

 そうだ。エンツォは台車でハングオンをするようにして乗っていたはずだ。あんな芸当はエンツォにしかできないと思っていたけれど、今なら……あの特訓をこなし、人馬一体となった今のおれならできるかもしれない!

 おれはすかさずエンツォを真似て取っ手ハンドルを低い位置で握りなおす。

 こんな、ほとんど四つん這いのような姿勢でエンツォはライドしていたのか!

 三つ目の左コーナーに差し掛かった瞬間、おれは台車よりもさらにコーナーのイン側に体を倒し、ほとんど台車にぶら下がるような姿勢になった。体の数センチ下をアスファルトが流れ、膝頭が地面をこする。

 台車はアスファルトを切りつけるように鋭利なコーナリングでヘアピンカーブを抜け、ついにカオルの台車の真後ろ、伸ばせば手の届く位置にまで追い付いた。

 しかし、「いける!」と思ったのも束の間、コーナーを立ち上がるとカオルの背中が再び遠のいた。低く構えたハングオンの姿勢からの加速に手間取ったのだ。


「くそっ、せっかく差を詰めたと思ったのに!」

 ヘアピンコーナーは残り一つ。それを越えたら後はそのまま最高速で突っ込んでいける高速S字コーナーがあるだけ。加速制限なしのルールではそこで追い抜くことは至難の業。つまりは次の右コーナーが最後の勝負。


「もう一度、ハングオンのスピードで曲がらなきゃカオルのコーナリングに負ける。でも、そのあとの加速をどうしたらいい!?」


 明確な答えを導けないまま、最後のヘアピンの目印でもある、アコウが巻き付いた椎の巨木を視界にとらえていた。

 高速でコーナリングをするハングオンの体勢になるためには、体を低く構えてコーナーの内側に重心を倒し、遠心力に拮抗するバランスをとる必要がある。けれど、そのぶん立ち上がりの加速姿勢に戻るのに遅れてしまう。くそ、どうしてエンツォはあんなに飛ぶように速く曲がれて、加速までできるんだよ……


「……飛ぶ……そうか、その手がある! でも……そんなこと、本当にできるのか!?」

 考えている時間はない。もうカオルは最後のコーナーを曲がる体勢に入っている。どうせ何もしなければ負けるんだ。これでダメなら諦めだってつく。もうやるしかない!

「うおおぉおッ!」

 雄叫びをあげながら、全力で加速をしながらおれはノンブレーキで最後のヘアピンコーナーに突っ込んでいった。

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