第21話 これがおれの秘密特訓 2

 その日から文字通り、地獄の特訓が始まった。プリンもジョージもとにかく容赦がない。原付バイクならそんなにスピードは出ないだろうと高を括っていたけど、とんでもない。台車にのって時速30キロを出しただけで、めちゃくちゃ怖い!

 プリンは右に左に、それこそ気まぐれでバイクを旋回させ、台車は思いもしない動きでおれを翻弄する。

 プリンが無茶苦茶な運転をするたびにおれは台車から振り落とされて、全身痣と擦り傷だらけになっていた。


 この日も練習を終えて家に帰ると、母さんは全身砂埃にまみれ、体も着ているジャージもボロボロのおれに怪訝そうな目をむける。

駿しゅん、最近帰り遅いけど、何やってるの?」

 おれは、不機嫌な声で「別に」とだけ答えてさっさと二階の自分の部屋に駆け上がった。どうやら、母さんもここ最近のおれの行動になにか不審を抱いているそぶりだ。敵はどこにでも存在するらしい。


 さらに、タイミングの悪いことに、大熊高校との特訓期間中に衣替えで制服が半袖になってしまった。体中傷だらけで登校したおれを見たクラスメイトの間で、おれが大熊高校のヤンキー連中にいじめられているという噂が立つのも無理もなく、おれと関わりたくない、という空気感がありありと伝わってきた。


「ライドウ君、あの……」

 放課後になり、教室を出たところで花咲里さんに呼び止められた。ここ数日、どうしても後ろめたさがあって、なるべく彼女と目を合わせないようにしてきたのだけれど、さすがに直接呼び止められては無視できなかった。

「ごめん、急いでるんだけど、なにか用事?」

「ううん、あの。クラブはどうするのかなっち思って……」

「それなら来週には出るから、そういっておいてくれる?」

 そういって立ち去ろうとしたところで、花咲里さんが、

「あの、大丈夫?」

 と、眉をハの字にして心配そうにきいてきた。もしかしたら、大熊との連中の噂を気にしているのかもしれない。でも、あまり深く問い詰められても困るのだ。なにせ、大熊の連中との交換条件が花咲里さんとのお茶会なのだから。

「うん、大丈夫だよ。ありがとう。それじゃあ」

 おれはそそくさと教室を後にする。背後で花咲里さんの声がきこえた気がしたけれど、今度は立ち止まらなかった。


 カオルとの勝負まで残すところ二日。明日の土曜日は学校が休みなので、大熊の連中との特訓は今日が最終日だ。

 しかし、おれはいまだにドラトラでのコントロールがうまくできていなかった。それどころか、この一週間ドラトラばかりで基本的なライドはしていない。こんな状態で本当に大丈夫だろうか。

 学校から直接いつもの埠頭に行くと、そこにジョージの姿はなかった。そばにいた部員にジョージの行方をたずねようとしたところで、コンテナヤードのほうから、乾いた低いエンジンの唸りとともに、漆黒のハーレーダビッドソンが現れた。

 乗っていたのは、袖を落とした真っ黒の革ジャンにティアドロップのサングラス、巨大な星のデザインがあしらわれたジェットヘルメットという、絵にかいたようなメリケンかぶれのジョージだった。なんで高校生がこんないかついバイク乗ってるんだよ。


「来道、今日はこいつで引くぞ。コイツの最高速度はなんと時速120キロだ」

 そんなスピードで台車に乗ったら普通に死ぬわ!

「おまけにトルクの強さは原付の比じゃないぞ。爆発的な加速を体感できるはずだ」

 台車で爆発的な加速を体感してどうする。自分の脚力以上の加速なんて不要だっての。

「ちなみに万が一、その台車でぶつけたら修理費三万円だからな」

 それ、完全に当たり屋じゃねえか!

 ツッコミを入れる間もなく、部員たちの手によって手際よく台車とハーレーがロープで繋がれた。鬼畜か、この男。ちくしょう、こうなりゃヤケだ。やってやる! おれは台車をリアフォワードに構える。

「準備はいいか。いくぞ!」

「はいっ!」

 おれの返事を合図にジョージは右手首をぐいっとひねり、スロットルを全開にした。乾いたV型二気筒エンジンの咆哮が埠頭一帯に響きわたり、クラッチの繋がったガツンという重たい音とともに、漆黒のハーレーは跳ね馬のごとく高々と前輪を持ち上げた。

 凄い! なんて迫力だ!

 その後の爆発的な加速に備えてぐっと腰を落とした、次の瞬間。目の前の光景におれは我が目を疑った。

 ジョージはウィリーしたバイクをコントロールできずに、グヮシャーン!! というド派手な衝撃音とともに盛大な立ちゴケをかましてくれたのだ。


「じょ、ジョージさん大丈夫っすか!」

 傍で見ていたプリンが慌てて駆け寄った。

「痛てて……俺は大丈夫だ」

「ジョージさん! バ、バイクが!」

 プリンにいわれ、ジョージは我に返ると「あぁあっ!」を悲鳴にも似た声をあげる。勢いよく倒れたバイクは、アスファルトに擦りつけられて傷だらけになっていた。ガソリンタンクには巨大なへこみができ、フェンダーやテールライトはバキバキに割れて破片が散乱していた。さらに、エンジンからはオイルやガソリンがどばどばと流れ出ていて、誰がどう見てもバイクは大丈夫そうではなかった。


「やべえ! おい、プリン。お前、なんとかしろ!」

「なんとかって、どうするんですか!」

「うるせえ! これが見つかったら俺もお前もタダじゃ済まねえだろうが!」

「そ、そんな! ジョージさんが勝手に持ち出したんじゃないですか!」

 なんだ。何が起こっているんだ?

 呆気にとられるおれに、ジョージは動転した様子で喚くようにいった。

「来道、悪いが今日の練習はなしだ。じゃあな! おい! お前らもバイク押すの手伝え! とにかくこのバイクを隠すんだ!」

 わらわらとジョージの周りに取り巻き連中があつまり、ボコボコになったハーレーを押して埠頭を出ていった。あれをいったいどうするつもりなのだろう。少なくとも、あのバイクはジョージのものではなさそうだ。

 それにしても、思わぬ形でおれの練習の最終日が終わってしまった。こいつはまずい。


「あの……」

 茫然としていると、遠慮がちな声で呼びかけられた。振り返ると、そこには小柄な男が一人、おれを見上げるように立っていた。

「おれ?」

 自分を指さすと、こくりとうなずいた。なんとなく、この男に見覚えがある。たしか、前に大熊高校とレースした時に、ジョージとのタンデムで操縦手ハンドラーをしていた男だ。

「オレ、原付持ってるから、よかったら引っ張るけど」

「君はジョージについていかなくて大丈夫なの?」

 たずねると彼は「影が薄いから大丈夫」と笑った。納得。

「けど、あのドラドラって意味あるのかな?」

 この数日間、これといって成果が上がらないおれは懐疑的にいう。しかし、彼は自信満々に返した。

「もちろんあるよ。ちゃんと引っ張れば。プリンさんは適当にやるから、いまいち操縦している実感ないかもしれないけれど」

 やっぱり適当なのか。でもちゃんと引っ張るってどういうことだ。


「オレ、大熊ではずっとタンデムのハンドラーをやっているから、このへんのレースコースはほぼ頭に入ってる。たしか、レースは尾上山だろ? そこならコースレイアウトどころか、加減速のポイントまで原付で全部再現できる」

「それ、本当!」

 おれは飛びつくようにその小柄な男の肩をつかんだ。

「ああ。オレの名前は米倉よねくらけい。みんなからは『マイクロ』って呼ばれてる」

 なんてこった! そんなことなら、最初からプリンの気まぐれコースなんて必要なかったんじゃないか!

「時間がないんだ。今すぐにでも練習をお願いできる?」


 そう頼むと、マイクロは快く引き受けてくれた。原付もこの近くに停めてあったようで、五分ほどで準備万端整った。


「じゃあ、引っ張るけど、コーナリング後の加速は自分でやってみるといいよ。バイクに追い付く気持ちで」

 ハーフキャップのヘルメットをかぶりながらいうマイクロに、おれはうなずいた。そうか、なにもずっと引っ張られている必要はなかったんだ。


 マイクロのけん引は尾上山のレイアウトを見事に完全再現していて、平坦な埠頭のコースなのに、まるで傾斜で加速がついているような感じだ。特に中盤の四連続ヘアピンのコーナリングは、まるきり尾上山ダウンヒルをやっているのと変わらなかった。


「すごいよ、マイクロ! まさかこんな特技を持ってるやつがいたなんて! ホント、どうして今まで誰も教えてくれなかったんだよ」

「役に立って良かった。オレ、体が小さいし体力もあまりないから、ずっとタンデムのハンドラーしかしたことがなかったんだ。本当はシングルで乗りたいんだけど、部にはシングル上手い奴はいくらでもいるし、タンデムも公式戦はジョージさんとプリンさんが出るから、オレが乗れるのは模擬レースの併走だけでさ。せめて模擬レースでジョージさんたちのライドに追い付こうと思ってコースを研究するうちに、こんな芸当ができるようになったんだ」

 自虐的な笑いを浮かべるマイクロだったけれど、このスキルには賛嘆せずにはいられなかった。

「本当にすごいよ、マイクロのおかげで助かった。それに、プリンの気まぐれドラトラも無駄じゃないみたいだ。ちゃんと、台車の動きがイメージできるようになってきた」


 ジョージがいっていた、ありとあらゆる台車の動きをその体に叩き込む、って意味もなんとなくわかってきた。要は人馬一体、いやこの場合は人台一体か? 自分の身体の一部のように台車を乗りこなすってことだ。スピード、重心、慣性と遠心力。そのすべてが最高のバランスで噛み合うと、より速く、小さくコーナリングができる。しかし、少しでもバランスを崩せば、たちまち台車から振り落とされ、このコンクリートの地面に叩きつけられることになる。

 あちこちボロボロになりながら練習を重ねるうちに、気付けばあたりはとっぷりと暮れ、埠頭にもオレンジ色のナトリウムランプの明かりが落ちていた。

 おれもマイクロも体力は底をつきかけていたけれど、あと少しで何かが得られそうな、そんな感覚が体の中におぼろげに浮かんでいた。あとちょっとで台車とおれの何かがバチっとはまりそうな、そんな感じ。


「もう遅いし、次でラストにしよう」

 マイクロがそういってスクーターにまたがった時だった。

 埠頭の入口からおれたちのほうに近づいてくる巨大な人影のようなものが目に入った。なにか嫌な予感がする。というか、嫌な予感しかしない。

 マイクロもその人影に気付いたらしい。さっさと走り出してしまえばいいものを、まるで魅入られたように、じっとその黒いシルエットを見つめていた。

 やがて、その巨大な人影が埠頭の照明の中に浮かび上がったとき、おれは思わず「でけぇ……」と独り言ちていた。

 濃いサングラスで顔を隠したその男はおれより20センチほども背が高い。薄いTシャツの下には、隠し切れない筋肉が隆々と盛り上がり、アーミーパンツに編み上げのブーツという、どう考えても格闘ゲームのキャラクターとしか思えないいで立ちで、短く刈り上げた側頭部にはファイアーパターンのライン状のデザインカットが入っている。

 ヤンキーである。しかも、ホンモノである。


「おい、お前ら」

 ロックオンされた。ヤバい、逃げたい。

「な、なんでしょう?」

 声が上ずる。

「この辺で、黒いハーレーにのったデブの高校生を見なかったか?」

 見ましたね。というか、豪快にコケてましたよ。と口まで出かかったが、おれの危機回避センサーが「知らないといえ」と命令を下していた。

「さ、さあ。どうでしょうか? おれたちさっききたところなんで……」

 マイクロと顔を合わせて、大げさに肩をすくめて見せる。マイクロもぶんぶんと首を振った。

「お前ら、大熊高校か?」

「ち、違います! 入舟高校です、ほら!」

 おれは『IRIFUNE車検』と刺しゅうの入ったジャージの背中を見せる。

「そうか。手を止めて悪かったな」

 助かった。おれは入部以来初めて入舟高校の車検くるまけんであることを感謝していた。マイクロはすぅっと存在感を消している。わぁ、本当に影うすーい。


「ならば、もしその男を見かけたらここに電話をくれ」

 そういって男が差し出した名刺に『城実篤』と大きく書いてあった。

じょう実篤さねあつ……って、プロ格闘家の!? 確か、日曜日に市民体育館で試合やるんですよね!」

「なんだ、知っていたのか。なら、ついでだ。これもくれてやる」


 実篤はさらに紙片を二枚寄越した。それは、日曜日の夜に行われる城実篤対わたり治郎丸じろうまるの試合が行われる、SUPERスーパー MATRIXマトリックスの観戦チケットだった。


「いいんですか、こんなものもらって?」

「構わん。どうせ使い道のないチケットだったからな。そのかわり、ハーレーを見かけたら教えろよ」


 そういって実篤は去っていった。おお、めっちゃいい人じゃないか! と、同時に、そのチケットは、おれのついた嘘がばれたら確実に殺される、諸刃の剣であることに気付いてしまった。なぜ神様はこうもおれに試練ばかりを与え給うのだ!?

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