第27話 これがおれたちのニューマシン!

「すみょうらんやぁ、シュン君。熱かった?」


 お店からの帰り道。おれと並んで歩くアカネがすまなそうな顔できいた。

 午後六時を回っているというのに、西の空にはまだ煌々と燃える太陽が、薄く伸びる雲を黄金色に染め上げていた。

 

「いや、やけどは大したことないんだけど……」


 おれは無意識に鼻頭を押さえる。アカネとタンデムで息を合わせるための特訓として、なぜかエンツォの命令で二人羽織をさせられたわけなのだが、アカネは手にした箸で躊躇なくおれの顔面を攻撃し、かわし切れなかったおれの鼻の穴にその箸が見事に突き刺さった。

 さっきまで鼻の穴にティッシュを詰め込んでいて、ようやく鼻血が止まったところだ。


わんわたし、頑張って今度こそちゃんと二人羽織できるようになるから!」

「いや、そこはもういいよ!」

 それよりも今はタンデムだから!

 そうはいったものの、そのタンデムでさえまだどう乗ればいいのか、皆目見当がついていない。さて、どうしたものか……

 あごに手をやって、うーんと考え込みながら歩く。港通りの交差点は家路を急ぐ車で渋滞していた。七月も後半になり、交差点の角に建つこの町で一番大きなホテル、「マリンプラザホテル」にも観光客と思しき人の姿がちらほらと見受けられた。

 この町にくる観光客の多くはダイビングやシュノーケリングなどのマリンレジャー目的だ。ホテルのエントランスでは車寄せにつけたミニバンから、観光客が大きな荷物を運び出している。そこに、パリッとしたスーツを着た男性が、荷物用のカートを押して近づく。荷物が転がり落ちないように手前とむこう側両方に取っ手のついた両袖台車だ。


「両袖台車……そうか、これだ!」


 なにかが降ってきたように突如ひらめき、気付いたときには、おれはそのホテルスタッフの男性の元へ駆け寄っていた。

「すみません! これ、ちょっと貸してください!!」

 相手の返事を待つこともなく、おれはほとんどひったくるように彼から台車をかすめ取っていた。突然のことに彼は驚いておれを制止しようとする。

「ちょ、ちょっと君! 待ちなさい!」

「すぐに返しに来ますからっ!!」


 叫びながら、おれは台車を押して大急ぎでアカネの元に取って返すと、唖然として事態を見守っていたアカネに「乗って!」と叫ぶ。

「……はいっ!!」

 アカネは返事をするや、ひらりと猫のように軽い動作で台車に飛び乗った。背後でホテルのスタッフが何やら大声をあげたけれど、それを置き去りにして、おれは力いっぱい地面を蹴って、点滅を始めた信号を猛スピードで駆け抜ける。ホテルの人には悪いけれど、走って追いかけてきたところで、台車に乗るおれたちに追い付けるわけがない。

 そのままもと来た道を引き返しながら、おれたちは尾上山へと向かった。


 山頂に到着した時には、眼下に広がる街並みもすっかり赤く染め上げられていて、あと何分もしないうちに日が落ちそうだった。

「この台車ならもしかしたら、アカネにもタンデムが乗れるような気がするんだ」

わんわたしも思った! これだったら持ち手もあるし、安定してるから怖くないかも!」

「暗くなるまで時間がないから、何回走れるかわからないけれど……やってみる価値はあると思う」

「うん! やってみよう!」

 アカネも握った両手をぶんぶんと振った。やる気満々だ。


 両袖台車は荷物を運ぶときに、方向転換させず進行方向を変えられるので、狭い廊下でも使い勝手が良く、それに加えて反対側の取っ手が荷物の落下防止にもなるため、ホテルなどでよく利用されている台車だ。

 両側に取っ手があるので、操縦手ハンドラーのアカネも正面で取っ手ハンドルを握ることができ、転倒や転落への恐怖感を軽減できるとおれは考えたのだ。


 さらに、ここに到着するまでの間に、前後に取っ手がついていること以外に、もう一つ大きなメリットを発見していた。

 通常、台車の自在コマは取っ手の反対側についている。タンデムライドをするときには、当然、加速手スラスター取っ手ハンドルを握る必要があるため、自在コマが進行方向に対して前方になる「フロントフォワード」スタイルになる。しかし、普段おれもアカネも、台車の前後を逆にしたリアフォワードのスタイルで乗っているので、自在コマが後ろ側になっている。これは、フロントフォワードとは荷重のかけ方やブレーキのタイミングが変わるのだ。

 この両袖台車だと、台車は前後どちら向きでも乗ることができる。つまり、タンデムでもリアフォワードスタイルで乗ることができるということだ。


「よし……まずは一度この台車でコースを走ってみよう」

 借り物だし、ブレーキもついていないので、無茶な走りはできないけれど、とりあえずアカネが乗れるかどうかを調べるくらいならできるだろう。

 おれたちはお互いうなずきあって、夕暮れの森を駆け下りた。


 結論からいえば、いける、というのがおれたちの印象だ。

 おれの乗り味としては、リアフォワードになっているぶん、直進安定性が失われているものの、自在コマがリアにあるために、回転半径が小さくなり、より小さな荷重でコーナリングができるようになったのは大きい。

 アカネにとっても、取っ手を握ることで体が安定して支えられ、よりスムーズな荷重移動ができることと、いつも乗っているリアフォワードに近い乗り方ができるために、タンデムの操縦手ハンドラーであることを、あまり意識しなくてもいいみたいだ。


「シュン君! わんわたし、こっちのほうが普通の台車より乗りやすい!」

「うん。もしかしたら、これならおれたちでも十分にやれるかもしれない。明日、早速エンツォに頼んで台車を買ってもらおう!」

「その前に、この台車……ちゃんと返さんばいかんね……」


 おれとアカネは目を合わせてくすくすと笑いあった。

 台車を返しに行って、ホテルの支配人に二人揃ってこってりと絞られた。深々と頭を下げながらも、ちらりとアカネを横目で見てみると、彼女もおれのほうをみて、膝の前で握っていた右手の親指をぴんと突き上げて、にっこりと微笑んでみせた。

 おれたちのライドに一筋の光明がさしていた。



「なるほど、両袖台車か……いいところに目を付けたね」

「はい。これなら大熊とのレースでもいい勝負ができると思います!」

 翌日、部室に着くなり部員たちに両袖台車でのライドについて力説するおれ。さすがに昨日持ち出したホテルの台車をまたパクるわけにもいかないので、なんとか部で台車を調達してもらう必要があった。どうやら、コウバン先輩はおれたちの案に肯定的なようだ。

「でも、両袖台車だと重量が増すわよ。その点はどうなの?」

 テイブン先輩は逆に否定的、というか懸念事項を口にする。けれど、それも織り込み済みだ。

「アカネは小さくて体重が軽いから、取っ手部分の重量増を帳消しにすることはできると思います」

「つまり、パヤオたちのタンデム専用の台車マシンになるってことね」

 そういわれると、そうかもしれない。でも、逆に考えれば、タンデムのライダー養成用として、次の年の新入部員が入ったときに練習用にもなるし……って、次の年、新入部員が入ってくれるのか!? いや、とりあえず、それは今は置いておこう。

わんわたしからもお願いします。本当なら、わんわたしがちゃんと乗れたらなんの問題もないんです……でも、わんわたしが乗りきらんから、どうしたらいいか、シュン君が必死に考えてくれたんです」

 アカネもエンツォたちを説得しようと、普段よりも声を張り上げて、精一杯の気持ちを込めて頭を下げていた。

「ボクはいいと思うよ。何事もやってみないとね」

「ありがっさまりょん、カオルちゃん!」


 アカネは嬉しそうにカオルの腕に飛びついた。やがて、最後まで腕組みをして無言を貫いていたエンツォが渋い顔のまま重々しく口を開いた。


「それで大熊のジョージたちに勝つ見込みはどのくらいだ、パヤオ」

「……五分五分です」

「五分五分では、奴らには勝てないだろうな」

「だから、その確率を上げるためにも、一日でも早く練習をしなきゃいけないんです! なんとか、両袖台車を調達してもらうわけにはいきませんか!?」


 おれは必死に食い下がった。これはおれのためでもあるが、なによりもアカネのためなのだ。今度こそ彼女の力で、大熊の連中とはっきり白黒をつけさせてやりたい。


「買わない、とはいっていない。ただ、いくつか難題がある」

「難題って、なんだい?」

 ……コウバン先輩。すいませんが無視します!

「まず、大前提として既製品の両袖台車にはハンドブレーキ付きのものは存在しない」


 ハンドブレーキというのは、台車のコマが動かないようにする装置のことだ。空港のカートについているようなものは、取っ手についているバーを握っている間、コマを押さえつけるブレーキが解除される仕組みだが、ハントラで使うハンドブレーキというのは、レバーを握ってブレーキをかけるタイプで、自転車やバイクと同じ感覚で操作できる。

 両袖台車には両側に取っ手がついているので、片側だけにハンドブレーキを取り付けると、当然反対向きではブレーキは使えない。これでは両側に取っ手があるメリットが薄れる。では、両側にブレーキレバーをつければいいかといえば、実はそうでもない。このブレーキを取り付けることができるのは、方向が変わらない固定コマだけなのだ。両袖台車には前後どちらにも取っ手がついているが、キャスターは普通の台車と同じく前方が自在コマになっているので、前方のコマにはブレーキがつけられない。そのため、市販の両袖台車にはブレーキ付きのものがないのだという。


「もちろん、オーダーメイドでブレーキシステムを取り付けることはできるが、その場合最低でも納期が二週間はかかる」

「それじゃあ、大会に間に合わないってことですか」

 エンツォは「もう少し調達時期が早ければな……」とつぶやく。いや、直前でいきなり大会だっていったのはあなたでしょうが!?


 要するに、おれたちが今すぐに調達できる両袖台車はブレーキなしになるということだ。ブレーキのない台車でスピードを落とす方法はただ一つ。自分の体で止めるしかない。つまり、足で踏ん張ってブレーキをかけるのだ。

 しかも、両足を地面についてしまうと「落車」と判定されて、DNF失格となるため、片足で踏ん張り地面との摩擦を使ってブレーキにするしかない。つまり、加速も減速もおれの足一本にかかっているのだ。

「車両も在庫からしか選ぶことができないから、必ずしもパヤオたちと相性がいい車両である保証はない。それでもかまわないのか?」

 おれは一瞬考えたが、すぐに回答する。

「構いません。今よりも少しでも勝てる見込みがあるならば、おれはやってみます!」


 エンツォは「いいだろう」といって、胸元のポケットからスマホを取り出し、どこかに電話をかけた。


HTRICエイチトリックの笛鳴円造だ。WH-75JTSの在庫があるか至急調べてもらいたい」

 台車の型番なのだろうか、エンツォは何やらアルファベットと数字を口にする。それにしても、よくそんなもの覚えてるな。まあ、車好きの人は車名じゃなくて型式で呼ぶし、そんな感じなのかも。とはいえ、相当マニアックだ。

 ここからは電話口の相手の声は聞こえないが、しばらく無言で相手の話をきいていたエンツォの表情が少し険しくなり、眉間に縦筋が刻まれた。

「75はSTLのみか……JTSとなると90だな。わかった、少し待ってくれ」

 そういってエンツォは再びおれのほうを向いた。

「今すぐに調達できる台車マシンが二台ある。一つは長さ75センチのコンパクトボディで旋回性能はいいが、ステンレス製で重量が重い。もう一つは樹脂製の軽量静音キャスタータイプだが、こっちは荷台が90センチある。旋回性能は75㎝に対して劣るが、軽量でロングベースだから加速性能と直進安定性は高い」

「つまり、75センチだと、より小さな力で回れるってことですよね」

「その代わり、加速手スラスターの負担は増えるがな」

 だったら選択肢は一つだ。おれは迷うことなく、エンツォに告げた。

「じゃあ、75センチのステンレス台車のほうをお願いします」


 エンツォはうなずくと、電話口で75センチのステンレス台車を至急届けるようにと注文して通話を切った。

「明日には届けてもらえる」

「ありがとうございます」

 おれが深々と頭を下げると、アカネもそれにならってぺこりと礼をした。

「それにしても、パヤオ君。これっぽっちも迷わなかったねぇ。アカネちゃんのためにあえて旋回重視の台車を選んだんでしょ?」

 カオルがにやけ面で冷やかすようにいう。

「愛よね、愛」

 なぜテイブン先輩がそんなに嬉しそうなのでしょうか? まったく、最近ようやくその手の冷やかしがなくなったと思ったのに……

「シュン君、わんわたし、もっと速く走れるように頑張るからね」

 顔をあげたアカネはそういって微笑んだ。

 そうなんだよ。

 走る理由は人それぞれだろうけど、おれが走る理由は世界一になりたいから、なんて高い理想じゃない。この笑顔があるから頑張れる。いいじゃん、そんな単純な理由でもさ。

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