第26話「閃きは翼となりて――」

 三笠七海ミカサナナミは、走る。

 激震に震える、遺宝戦艦いほうせんかんエルベリオンの艦内を、艦橋ブリッジへ向かって。

 彼が手を引くリーチェア・レキシントンは、半裸のまま下着姿で続く。なんとか軍服を肩に引っ掛けているが、肌もあらわで白い肌がまぶしい。そして、胸には黄金おうごん紋章もんしょうが光っている。


「ま、待って、七海。服、着させて……ちょっと、恥ずかしい」

「ゴメン、無理。急がないと……ミィナやキュベレーさんが待ってる。……ほんと、ゴメン」

「ひあっ!?」


 七海はもどかしげに、そっとリーチェアの手を引き寄せる。

 そしてそのまま、彼女を両腕で抱き上げた。驚きの余り、リーチェアは目を白黒させたまま真っ赤になってしまう。だが、構わず七海は艦橋へのエレベーターへと飛び込んだ。

 阿吽あうんの呼吸で、リーチェアの細い指がパネルを操作する。

 扉が閉まって、エレベーターは上昇を始めた。

 わずかな傾きを感じる……激しい攻撃は続いている。

 何度も何度も、フラクタル・フェイズシフト・フィールドへの直撃弾が二人を揺らした。


「艦体が気になるな。この傾きはでも……ダメージじゃないね」

「わかるの? 七海」

「君の操艦そうかんほどじゃないけど、随分荒っぽく振り回してるみたいだ。回避運動中だね。ミィナに艦長代理かんちょうだいりをやらせてよかったかもしれない」

「もぉ、わたしのふねなのに! ……でも、わたし達の艦、だよね?」

「まあね」


 程なくして、二人は艦橋内部へと飛び出した。

 そこでは、腕組み仁王立ちのミィナが振り返る。

 ヴァルキロイドのオペレーター達も、肩越しにチラリとこっちを見た。

 お姫様のようにリーチェアを抱きかかえた七海は、全く動じず艦長席へと歩く。


「七海提督、リーチェア艦長、ブリッジ・イン」

「やあ、みんな。お疲れ様。そろそろ反撃というこうか。ミィナ、戦況報告を」


 ミィナは神妙な顔で頷き、ひたい量子波動結晶アユラクォーツを輝かせる。

 あっという間に彼女の周囲に、宙に浮く海図チャートが表示された。


「我が艦隊の損耗率、さらに一割減です。損傷艦は脱出船団まで下がらせ、直掩ちょくえんの護衛をしてもらっています。敵のほうが被害は大きいのですが、元の数が違うので」

「うん、上出来。ドンピシャな運用だね。で……どうしてエルベリオンがこんな位置に?」


 七海はそっとリーチェアを艦長席に座らせる。

 彼女はポーッと七海を見上げていたが、はたと気付いて軍服を着始めた。バタクタと着替える彼女をよそに、涼しい顔で七海はいつもの場所に腰掛ける。

 リーチェアのかたわら、彼女を包むコクピットのような艦長席の、その外側。

 そこが七海の指定席で、彼が自ら望んで己を置く場所だ。

 改めて見ると、海図の中では遊撃艦隊エクストラフリートの布陣は指示通りである。

 旗艦きかんのエルベリオンを除く全てが。


「七海提督、お許しを。独断で一部、運用を変更しました」

「うん。随分揺れるからね。こんなことじゃないかな、って」

秀樹ヒデキ氏は私に教えてくれました……男だったらやってやれ、と」

「……ミィナ、女の子だよね」

「むしろ、おとこだったらやってあれ……漢とは、男女の概念を超えたたましいの性別だと、そう秀樹氏は言ってました」


 内心、親友の最上秀樹モガミヒデキを恨む。

 だが、しれっとミィナは真顔で言葉を続ける。


「七海提督、そしてリーチェア艦長は、普段の学校生活でも率先して自ら動くと秀樹氏に聞かされています。それも、一番面倒で困難な仕事を進んで引き受けると」

「……随分仲がよくなったんだね、君達」

「モチのロンです。秀樹氏のプライベートなアドレスを頂戴しましています。これはつまり、メル友と呼ばれる人間関係であり、そろそろLINEラインを……あ、いえ、失礼しました」

「いいよ。引き続き僕の副官をお願いするね」

「かしこま!」


 ミィナは身を正して、七海とリーチェアに敬礼する。


「艦のコントロールをリーチェア艦長にお返しします。ユー・ハブ」


 そして、白く細い足を天井に向けていたリーチェアは……スカートを履き直すと、艦長席に座り直した。そして、即座に全コントロールを掌握して笑う。

 それは、普段の学校でのぼんやりしたジト目ではない。

 眼鏡めがねを取った彼女の、妹トゥアンナに勝るとも劣らぬまぶしい笑みだ。


「アイ・ハブ! さあ、反撃といきましょ? 七海、命令して頂戴ちょうだい。わたしは……わたし達は、絶対に負けないわ」

「負けないだけじゃないさ。勝利、それも大勝利を約束するよ。どれ、じゃあ」


 ミィナが宙に浮かべる光の海図に、そっと七海は手を伸べる。

 小さく集まった自分の遊撃艦隊を、彼はグイと前へ押し出した。

 流石さすがのミィナも、冷静沈着な無表情を崩す。

 初めて見る彼女の驚きの顔に、七海は不敵にニヤリと笑った。


「七海提督、これは……玉砕ぎょくさい覚悟の特攻、ですか?」

「いや? まさか、それは戦術的になんの意味もないよ。でも……艦隊司令より各艦へ。散開しつつ最大戦速、全速前進。目標は……ここだね」


 七海は、海図の中の遊撃艦隊を動かす。

 そして、


「このまま吶喊とっかんすれば、私の計算では12分で全滅しますが……七海提督」

「普通ならそうだね。ただ……僕達は違う。そうだろ? リーチェア」


 周囲に光学ウィンドウを無数に浮かべ、その中央に座ってリーチェアが頷いた。

 まるで、くれない皇女こうじょを飾る光の玉座である。


「大丈夫だよ、ミィナ。わたしは……わたし達は、べる。さあ、エルベリオン! 本当の力を見せて。あなたの継承者、あるじとして命じるわ……!」


 着衣の上からでもはっきりと、リーチェアの胸の紋章が光っているのが見えた。

 そして、オペレーター達の声が異変を叫び出す。


「本艦を中心に、原因不明の力場が発生……こ、これは、翼? 光の翼が広がっていきます」

「味方の全艦艇を包んでしまいました。……ッ! 艦底、および喫水線きっすいせん周囲に異変発生!」

「キュベレー様からも同様の報告が」

「これは……信じられ、ません。本艦だけではなく、全艦が――」


 エーテルの荒波が逆巻く戦場が、激変した。

 突然、エルベリオンから光の翼が広がる。それは、殺到する敵からのビームを弾きつつ、味方を周囲の海ごとすっぽりと覆ってしまう。

 そして、そのまま静かな浮遊感だけが、七海達の足元へ広がっていった。

 直撃弾の衝撃も、近接信管きんせつしんかんで爆発するミサイルも今は感じられない。

 七海達は……旗艦エルベリオンを中心とする遊撃艦隊は、

 驚き惚けたミィナも、慌てていつもの顔を取り戻す。


「全艦、離宙りちゅう……信じられません。艦隊そのものが、飛んでます」


 七海は手元の海図を、その立体映像を俯瞰視点ふかんしてんで3D表示にする。

 そう、エルベリオンの眠れる力……それは、かつて太古の海を席巻した、通常宇宙への航行能力。それも、

 これが、イシュタルやキュベレー達の名が地球に残っていた理由である。

 大昔に彼女達は、こうして飛んで……遺宝戦艦に連れられて、地球近海まで来ていたのだ。そして、古代人が見上げる宇宙に、神話となるほどの戦いを繰り広げたのだった。


「では……全艦、全速前進」


 やがて、敵からの攻撃がピタリと止んだ。

 当然だ……ここは宇宙の底、虚天洋エーテリアなのだ。

 エーテルの海に浮かぶ砲艦に、真上への攻撃オプションは存在しない。

 せいぜい、ミサイルを迎撃する近接防御兵装きんせつぼうぎょへいそう程度だ。

 だが、ビームのつぶてをばらまくだけの豆鉄砲では、艦は沈まない。

 主砲を最大仰角さいだいぎょうかくで上に向けても、七海達を攻撃する角度が得られないのだ。

 そして、そのまま七海は封印艦隊ふういんかんたいの仲間達を引き連れ、第七民主共生機構セブンスの大艦隊に重なる。X軸とY軸で完全に重なり……頭上を抑えて真上に展開した。

 平然と彼は、額の量子波動結晶に手を当て、敵への無時差通信ゼロラグつうしんを開く。


「こちらは神星しんせいアユラ皇国こうこく遊撃艦隊、艦隊司令の三笠七海です。そちらの攻撃オプションを全て封じました。グレッグ・バイツ提督、降伏を勧告します。直ちに武装解除し、こちらの指示に従っていただけますか?」


 あまりにあっけない、ありえない決着だった。

 30,000隻を超える機構の艦艇、その全ての攻撃を封殺ふうさつしてしまった。何故なぜなら、決して手の届かぬ天上に、七海達の艦隊は展開しているのだ。

 ややあって、返信が届く。

 驚愕きょうがくに震えた声が、ベテランの老将らしく毅然きぜんと平静を装っていた。


「七海提督、こちらはグレッグ・バイツ上級大将じょうきゅうたいしょうだ」

「御覧のように、勝敗は決しました。そちらの攻撃はもう、僕達には届きません」

「ふむ、確かに……遺宝戦艦が通常宇宙へと浮上できることは知っていたが、まさか艦隊ごととは。だが、一ついいかね? 我々がそちらを攻撃できぬように、そちらも我々を攻撃できない。何故なら、虚天洋の艦艇はエーテルの下、海中を攻撃するようにはできていないからだ」


 そう、機構軍の攻撃は見上げる先へと届かない。

 だが、

 ――今この瞬間までは。


「ご心配なく、提督。その気になれば、すぐにそちらを殲滅せんめつできます」

「ほう? そうか……だが、降伏勧告は、これを断固拒否する」

「無駄な死を見たくはありません、提督」

「民主主義への殉教じゅんきょうは無意味で、元老院げんろういんへの義理立ても不要だ。私はただ、軍人として与えられた任務の全うにベストを尽くす。互いに攻撃オプションを失ったならば、君の空けた道を進み……すぐにトゥアンナ殿下でんかの脱出船団を抑えるが、よろしいか?」


 非の打ち所がない正論で、現場の指揮官としても最善の選択だ。

 敵の最善はこちらの最悪である。

 なれば、その可能性は実現させてはならない。

 すぐ横の艦長席で、リーチェアが声をあげた。


「七海、敵の旗艦を識別して! 旗艦だけを撃沈すれば、最小の被害で戦闘を一時的に止めることができるわ。無駄な死は、誰だって望んでないもの」


 だが、七海の顔を見てリーチェアははっと息を飲む。

 七海はただ、黙って首を横に振るのだった。

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